いつか、なんて嘘さ


古びた弓矢を携えて、外套を纏ったその姿は、神話の登場人物を思わせた。一つに編みこんで背に流した気障ったらしい髪型も、その一因になっている。私は一度開いた瞼を改めて閉じた。カーテンなんて気の利いたものはこの広々とした屋敷にはないので、たっぷり設えられた窓から月光が惜しみなく降り注いでいる。様子が窺えてしまうのは私にとって、あまり良いことではない。形兆が出て行ったのが気配でわかった。
 
かつてはかなり豪奢な建物だったに違いない。この規模ばかり大きな廃墟が形兆の当面の棲家である。彼の血の繋がった家族と、それから場合によっては流れ者のスタンド使いが滞在していることもある。私みたいな。三階から床を掻く音が聴こえるが、形兆の父親だとわかっているので、私は大して動じなかった。昨晩脱ぎ散らかした下着を探す。金属の鳴る音。呻き声。あの化物と侮蔑を込めて呼びながら、形兆は父親を鎖に繋いで飼っている。詳しい事情は知らないが、彼は不死身の怪物と化してしまった父親を殺せるスタンド使いを探している。私はその協力者だ。スタンド使いや、その才能がありそうな悪人、もしくはDIOの関係者の情報を集めて、形兆に持っていく。時には彼の望む通りに行動する。最初は報酬を貰っていたような気もするが、今となっては、私は自分の意志で彼に従っている。何度か体を重ねている内に情が移ったのだ。形兆からすれば、性欲処理の相手なんて誰でも良かったに違いない。遣りきれない夜に、たまたま手の届く範囲にいたのが私だったというだけのこと。淋しくないと言えば嘘になるが、それを不満には感じなかった。私は形兆の傍にいられるだけでいいのだ。際限無く罪を重ね、どこまでも堕ちていくあの男の逝く末を知りたいだけ。
荒れ果てた部屋に古びたベッド。シーツの皺だけは綿密に伸ばしてあるのが、いかにも几帳面な形兆らしい。昨夜は皺ひとつなかったシーツの上にもう一度横になって、容赦なく寝返りを繰り返す。どうせ改めてベッドメイキングを整えてからじゃないと、形兆に寝台に入らないだろうし。そんな性質だったから、彼の行為は衝動や突発性と無縁だった。淡白な関係である。
惰眠を貪り、昼過ぎに一階に降りていったら、億泰が床に直接座ってカップラーメンを食べていた。彼は私のことを兄の恋人だと思っている。
「来てたんッスか?」
「うん。私もお腹すいた」
「もうねぇよお?」
億泰が食べかけのカップラーメンを庇う。塩味ならともかく、味噌味を強奪するつもりはない。ふざけて歯を剥いた。
「未来のお義姉様になによその態度!」
「そんなこと言ったってよ〜」
億泰が殆どカップラーメンを抱くようにして縮み上がる。どちらも怖面という共通点はあるが、この兄弟はあまり似ていない。現状に関する捉え方にも、端から見てひどく温度差があるように思われた。
「てゆーか、姉ってことはよぉ、アニキと結婚すんのぉ?」
さして興味もなさそうに、億泰が私の軽口を拾う。割り箸を構え直して、麺を啜り始めた。私は財布の中身を確認する。もう外に食べに出ることに決めた。形兆は帰ってきそうにないし。こんな埃臭いところで積極的に食事を摂りたくもないし。
「そりゃあ、いつかはね」
そんな日が来ないことは知っているけれど。
 
昼食はファーストフードで済ませた。警察の姿が多いように感じたが、この街で手口不明の連続殺人が起こっていることを考えれば妥当であろう。水場を避けて歩く。片桐安十郎については、もう私たちは手綱を離している。形兆に逢いたくなった。さっきまで一緒にいたのに。できるだけ好きな人の傍に居たい自分のことを、私は健気だと思う。こんな気持ちになれるのは今だけだろうという予感もしている。
 
空には月が昇っている。乙女心は逸っていたけれども、役割を果たさなければ形兆に切り捨てられかねないので、彼の求める情報の収集をしてから、虹村邸に戻った。先に帰宅していたらしい形兆が、弓矢の手入れをしている。
「遅かったな」
私は頷くことで彼に応える。隣に座って寄り添ってみたが、拒絶はされなかった。
「お前、アイツに変なこと言ったろ」
思い当たる節がありすぎたので、笑って誤魔化した。データの詰まったフロッピーを手渡す。形兆は舌打ちした。
「あと出かける時は片付けてからにしろって何度も言ってんだろーが」
小言である。散らかした覚えのない私としては心外だったが、確かにベッドから這い出した後、布団の状態については省みていない。
「細かいよ」
ちなみに私は一枚のCDを聞き終わったら、
キチッとケースにしまわずに次のCDを聞く。取り出した円盤は裏向けて置いておく。その現場を形兆に見られて、怒られたこともある。
「几帳面な性格でね」
憮然としながらも、形兆は手を止めない。錆びついた臭いが鼻につく。
「…いいじゃん、結婚」
呟いてみたけれど、黙殺された。彼の人生は多分まだ始まっていなくて、だから未来のことなんて、これっぽっちも考えられないのだ。こんなに草臥れた顔をしている癖に、まだ十代なんて悪い冗談みたい。
「早く見つかるといいね」
貴方が求めるスタンド使い。
「見つけるさ」
でも、その時が来たら、私は形兆にとって必要なくなる。彼の願いが叶うのを、私は本当は望んでいないかもしれない。



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