離さないと誓ってよ


幼稚園の頃、私はよく同じ園の男の子たちにいじめられていた。気が弱い私は言い返すこともできずひたすらに泣くしかできなかった。

それは私が誕生日に両親から髪留めのプレゼントをもらった時のことだった。とても可愛くて一目でお気に入りになったそれを幼稚園へつけて行ったら、それに目をつけた男の子たちに取られた。返してと泣いても叫んでも、ただ笑うばかりの男の子たちにどうしようもなくなった時、彼は突然やってきた。

「なあ〜に、やってんだよ」

髪留めを持った男の子の胸倉を掴みながら、零くんはそう言った。鋭い真っ赤な瞳に睨みつけられた男の子は情けない悲鳴をあげて逃げ出してしまった。
そばにいた私も思わずブルリと震える。なんせ零くんはこの幼稚園でヒエラルキーの頂点に君臨しているような男だったからだ。

「おい、」
「ひっ」

悪ガキを締め上げた零くんは私の方を向いた。私はさっき見た光景がフラッシュバックして、何かされるんじゃないかと思って思わず身を縮み上がらせる。そんな私に舌打ちしながらも近づいてきた。殺される…!そう思って死を覚悟していたがいつまでたっても痛みはこない。てっきり殴られると思ったのに。恐る恐る目を開けると目の前には髪留めを差し出す手のひらがあった。

「せっかく取り返したのにいらね〜のかよ」
「あ…い、いる…!」

いそいで彼の手からそれを受け取って大事に抱きとめた。よかった、本当に良かった。そう思いながら手の中の髪留めの存在を実感していると、じゃりと砂を蹴る音。彼が動いたからだ。まだお礼を言っていないと思った私はいそいで顔を上げて、

「ありがとう…!」

さっきまで怖かったのも忘れてそう言った。
まだ零くんはギリギリこちら側を向いていて、赤い瞳と視線がぶつかる。ここでようやく相手が零くんだと思い出した私は、顔を青ざめさせた。それくらい私の中で彼と怖いは等号で結ばれていたのだ。
そんな私を見た彼は、その口端を大きく釣り上げて、それはそれは楽しそうに、

「おまえ、きょうからおれさまのな」

そうのたまったのだ。

それから私は事あるごとに零くんに振り回されることになる。


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彼はよく人を惹きつける。大人から子供まで老若男女構わず誰もが彼を尊敬の眼差しで見る。まるで神様のように。

そして今日も零くんは沢山の人に囲まれている。あちらが呼び出したくせに待ち合わせ場所には零くんを中心に人で溢れかえっていて私は立ち尽くしてしまった。中学に上がり学生服に身を包んだ彼は大勢の声に耳を傾け、楽しそうに話を説いている。そんな彼は、とてもかっこいいのだ。周りの人と同じように彼に魅入られているのは私も一緒。彼と出会って怖いと思ったのは一瞬で、次の瞬間には彼の魅力に虜になっていた。どうして零くんは私を選んだのだろうかとたまに思うことがある。彼を好きな人は沢山いる。それこそ人類全てだと言ってもいいくらいに彼は人を惹きつける。なのに、どうして私なのだろうか。

ぼうっと人の中で彼を見つめていると彼がこちらを向いた。彼が歩くと人波が割れる。まっすぐ進む彼は私の目の前に来た。

「待ちくたびれちまったじゃね〜か」

そう言って私の手を取る。それだけでいい。こんなにたくさんの人の中で私を選んでくれたことが、どうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく、彼が好きになってしまう。

ああ、もう私は零くんから逃げる事は出来ないのだ。


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「ねえ、零くん夢ノ咲に行くんだよね」

ソファーに座っていた私はベッドに寝転ぶ零くんに声をかける。すると、雑誌を眺めていた彼は、眉間にしわを寄せてこちらを見た。

「ま〜そうだな。面白そ〜だし」
「ふうん」

そっかあといいながらそばにあったクッションをとってぎゅっと抱きしめた。
零くんは来年高校生になる。別に、学校が違うくらいで会えなくなるわけじゃない。幼稚園と小学校の最後の学年は零くんが先に卒業してしまったからバラバラだったし、何も今回が初めてではない。だけど今回は零くんが夢ノ咲に行ってしまう。夢ノ咲は男子校。男の子がアイドルを夢見て切磋琢磨する場所だ。一年たっても私は同じところに通うことはできない。零くんに振り回される事から解放されると思うと喜ばしいことだと思う。けれどやっぱり。

そんなことを考えていたら零くんが側まで来ていたことに気がつかず、急に抱きしめていたクッションを取られたことによってようやく気がついた。

「言いたいことがあんならちゃんと言わね〜とわかんねえぞ〜。ただでさえお前は小さくて周りに埋もれちまうんだから」

驚いているうちに腕を取られた。それからベッドに連れて来ると、零くんはベッドの上に座る。それから、

「来い」

と一言だけのたまった。
それだけで私の体は素直に動いてしまう。今更恥ずかしがることなんてない。
零くんの膝に乗って彼の胸に頭を預けて腕は背にまわす。そうすると、零くんの満足そうな声が頭上から聞こえて、彼の腕が背にまわった。

「お前だけだよ、俺様に対して我慢すんのは」
「でも零くんは絶対気づいてくれるでしょ」

どんなに人に埋もれていても、彼は必ず見つけ出してくれる。
彼がいなくなったとき、それは私が死ぬときかもしれないと思う。

ねえだから、

「はっ生意気なこと言うじゃね〜か」

私の体を起こした彼の顔が近づく。
離さないでと言う言葉が口の中に溶けて消えた。



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