愛しているよ前世から


僕とほとんど同じかそれ以上か分からないが、とにかく彼女は他の女性に比べて背が高かった。さらりと溢れるように揺れる長い黒髪がまるで兼さんのようだと何度思ったことだろうか。切れ長の瞳が勝気そうに見えるのに彼女が持つ独特の落ちついた雰囲気のせいで高飛車に見えず、寧ろ、おとなしい子を連想させてしまう。それは、今も。

「それでね、ここの話なんだけど」

僕の向かい側に座り客席図を指差しながら説明する彼女の姿を終始じっと見つめている。話半分。時折返事しては作り慣れた笑みを彼女に返す。彼女といえば僕があまり話を聞いていないと露ほど思っていないようで事前に組み立てていた予定をすらすらと述べている。何処となく楽しそうな雰囲気を醸し出している彼女に対し僕は相変わらずだなと苦笑いを浮かべた。彼女は自分よりも誰かの幸せを優先する根っからのお人好し。だからきっとこのプランを成功させることを心の底から祈っているに違いない。僕は彼女から視線を外しぐるりとホールの中を見回す。僕が勤めるこのホテルには広いホールがあり、連日ここで何かしらの催し物が開催されている。披露宴、講演会、会見エトセトラ。そのたびに僕と彼女は知恵を絞りいつも大成功へ導く。僕と彼女が組めば失敗なんかあるわけがない。ただ、一つだけ失敗があるとすれば僕と彼女の出会う順序というやつかもしれない。

「来賓の配置は変えたほうがいいかもしれないね。今回の主催者はなるべく参加者同士で差は設けないと言っていたし」

もっともらしい言葉を述べながら僕は紙面の上をなぞる彼女の指に偶然を装い触れてみる。上目遣いに彼女の表情を覗き込んでみるが彼女はパッと顔を輝かせて頷くだけ。勿論、彼女が僕に対して意識をしたわけではなく、僕の案にただ反応したに過ぎない。何故なら彼女はもう既に誰かのものだから。彼女の左手の薬指にある銀色のそれが嫌でも僕に現実を突きつける。美しい彼女の身体が見知らぬ男にとっくに汚されていると思うと気が狂いそうだ。こんなことならば生まれ変わらなければよかったと何度悔やんだことやら。

「今すぐ上に話を通してくる。早く行こうよ」

カタンと音を立てて勢いよく席を立つ彼女を見ながら僕も腰を上げる。黙っていれば両家のお嬢さんにでも見えただろうに彼女といえば活発で常に行動派。思えば、本丸にいた頃もそうだった。

「この企画が成功すれば楽しいだろうな」

まだ見ぬ誰かの喜ぶ顔を想像しながら彼女が笑顔をみせる。僕もそうだねと肯定を返し、それから二人でホールを後にした。今回は来月末にこのホテルでハロウィンパーティーを開催する。大人も子供も入場無料。ただし、必ず仮装してくることが条件だ。費用の負担は市が持つとのことだが詳しい経緯を僕も彼女もよく知らない。僕達は雇われの身だから事情は経営者側が知っていれば問題ないだろう。隣にいる楽しそうな横顔さえ壊されることがなければ、僕にとって他なんぞはどうでもいいのだから。


もう主さんと何度叱咤したか分からない。そんな僕に対して彼女は泥で汚れた顔でへらりと笑うだけ。両手いっぱいにさつまいもやら栗やらを抱えて誇らしげにいるその姿に僕は何度溜息を吐いただろう。彼女は活発で行動派なのはよく分かったが、突然行き先を告げずにいなくなるのはやめてほしい。いつか彼女に何かあってからでは遅いのだ。だけど彼女に言わせれば秋の味覚を使った洋菓子を作り、それを食べて喜ぶみんなの顔が見たいと言ってのけるのでどうしようもない。彼女だって顕現や刀剣の捜索など忙しい身であるのだから、あまり他のことばかりに目をかけるのは困る。それでも彼女は自分のことは相変わらず二の次にして後回し。そして結果的に秋の夜長をフルに使い込んで一人事務仕事に追われるのだから僕は気が気でない。だけど、そんな彼女だからこそ、僕は彼女のことを愛していた。


ある日の夕方、ホテルのロビーに座る彼女の姿を見つけた。外は突然の豪雨で真っ暗になっており一寸先も見えない。一人がけのソファにゆったりと腰かけて長い足を組む彼女の姿がとてもホテルの従業員とは思えなかった。その彼女の手の中には分厚い本が握られている。僕は思わず小さく笑みを浮かべながら彼女の側に近寄った。

「今日はもう上がりじゃなかったっけ?」

彼女が本から顔をあげて僕に視線を向ける。彼女の焦点がなかなか僕にあわないのはたった今まで彼女が本の世界にのめり込んでいたからだろう。それは昔からの彼女の癖。ようやく現実に意識を引き戻した彼女が眉を八の字にして苦笑いを浮かべる。それから僕に外を見るよう促してきた。

「帰ろうと思ったんだけど、この雨だとね」

「そうだと思った」

「少し小降りになってくれれば駅まで歩くのに苦じゃないんだけどな」

まるで幼い少女みたいに不貞腐れたように唇を尖らせてしまう彼女がとてもかわいらしく思えてしまう僕はどうしようもない。彼女の向かい側のソファに座った僕は近くを通ったウェイターに声をかけた。

「ところで堀川くん、こんなところで油を売っていていいの?」

「休憩時間だから大丈夫だよ」

そっかとホッしたように口元を緩める彼女に笑みを向けながら実は勤務中ですという言葉を胸の内に隠した。先程のウェイターがコーヒーと苺のプリンアラモードを二つずつ運びそれぞれをテーブルの上に並べてから去っていく。去り際に何か言いたそうに僕に視線を向けるウェイターに対し僕は人差し指を自らの唇に当ててみせた。

「あ、苺だ」

彼女の目が輝いたのを僕は見逃さない。彼女は昔から苺味が好きだ。そのくせ甘ったるいものは苦手だという。だからコーヒーはいつもブラック。アイスクリームもケーキも好きなのに彼女はいつも傍らにお茶がないと最後まで食べきれないのだ。僕が彼女にコーヒーと苺のプリンアラモードを食べるよう勧めると、彼女の表情にほんの少しだけ逡巡の色を映す。だけど、同僚というより友達に近い僕達の関係を思い出したらしく結局彼女は遠慮は無用だと開き直ったようでいただきますとスプーンに手を伸ばした。一方テーブルの上には先程の読みかけの本が置いてある。あの本の中身は彼女の好きなミステリー小説だろう。

「んー、おいしい」

幸せそうに頬張る彼女の姿に僕も頬が緩む。彼女の旦那は彼女がこんなに幸せそうに何かを食べることを知っているのだろうか。いや、知らないと思う。彼女が無類の苺好きだということも、ケーキやアイスクリームは好きだけどそんなに甘いものが好きではないことも、ハバネロソースが大好きの激辛党だということも、ミステリー小説マニアだということも、実は子供が苦手だということも。彼女は自分が本当に好きになった人ほど自分自身ことは絶対に言わない。それは自分のことを知ってもらうよりもそれ以上に彼女が相手のことをたくさん知りたいからだ。相手のことを知れば彼女がそれにあわせることができる。夫婦なら尚更そうやって尽くすのだろう。僕だったら、彼女に絶対に尽くさせない。寧ろ、僕が彼女にたくさん尽くしてあげられるのに。

「雨、やまないね」

時折彼女が困ったような目をして外に視線を向ける。僕はこのまま雨がやまないことを祈りながら嘘をついた。早くやむといいね、と。


あの日、本丸から先に姿を消したのは僕の方だった。気張りすぎて無茶をし、結果的に僕は折れてしまったのである。僕にしてみれば正直折れたことが救いだった。人間である彼女はいつかは物である僕の前からいなくなる。あの頃の僕はどうしたって彼女と対等ではない。寧ろ、人間ではない僕は彼女と同じ土俵すら上がれないのだ。僕がどんなにずっと彼女の隣にいても僕の願いが叶うことはない。そんなの、耐えられるわけがなかった。

「よぉ、国広。今帰り?」

ホテルを出た瞬間、呼ばれて振り向くと兼さんが気怠そうにしてそこにいた。兼さんもこのホテルのコックとして勤務している。僕は兼さんに労いの言葉をかけてから再び視線を空に向けた。雨はとっくにやんでいる。あれから彼女と話していたら一時間後くらいに雨はぴたっとやんだ。雨がやんで安心したらしく表情を緩ませてからロビーを後にする彼女を見送った僕の胸には一気に焦燥感が芽生えていた。もしも僕も彼女と同じ時間に勤務を終えていたら駅まで彼女のことを送ることを許されただろうか。いや、僕にその資格はない。何故なら巡り巡って再び出会った彼女は既に誰かものだった。あの時と同じように、僕は彼女と同じ土俵にも上がらせてもらえない。こんなにも、彼女のことを愛しているのに。

「何しけた顔してんだよ」

力強い手で兼さんが僕の肩を叩いてくる。兼さんは少し逡巡してから再び口を開いた。

「酒でも飲んで帰ろうぜ。駅前の居酒屋で既に陸奥守も待ってるし」

僕は兼さんに視線を向けてから曖昧に微笑んでみせた。兼さんの気遣いは素直に嬉しい。だけど、その反面、僕の彼女に対する複雑な想いの事情を知らない兼さんが少しだけ憎かった。それもそのはずだ。何故なら僕と再会した兼さんは本丸で過ごした日々の記憶を持っていなかった。いや、兼さんだけではない。かつて本丸で共に過ごした仲間達はあの頃の記憶を誰も覚えていなかった。先に歩き出す兼さんの後を僕も続いて歩き出す。いつになっても灯りが消えないこの街をぐるりと見回しながら思う。僕だけがかつての記憶を持ってここに生まれた意味は何故なのか。どうせ彼女と結ばれない運命ならばこんな記憶など必要ない。仮に兼さん達にも記憶があれば別だが、実際彼等には記憶がないのだ。それならば、これはただ僕を苦しませるためだけに存在することになる。だけど、この記憶がなければ僕が彼女と兼さん達ともう一度出会えることがなかったのも事実。

「ねぇ、兼さん」

「あ?」

「あんまり飲みすぎないでね」

兼さんが僕に振り向いてから頬を引きつらせる。善処はすると溢した声はあまりにも小さくて僕は思わず笑ってしまった。僕がここにいる意味は相変わらず分からない。分からないけれど、それでも僕は彼女と彼等の傍にずっといようと再会した瞬間から決めていた。かつて僕が置いていってしまったみんなに、今度は僕が置いていかれないようにするために。


十月末、いよいよハロウィンパーティーが開催された。近所の小学生もぞろぞろとやってくる。他にも数々の見知った顔がやってきた。今日はホテルの従業員も仮装している。兼さんも裏方にもかかわらずコック帽ではなく魔女の帽子を被らされていて終始不機嫌だ。

「堀川くん、いよいよだね」

彼女がわくわくしながらそろそろ到着するだろう来賓を待っている。ちなみに、彼女の格好はあまりにも簡素で分かりづらいがハートの女王だ。ホテルの従業員はあまり目立つわけにはいかないのでみんな簡素な仮装で済ませている。僕も一応ハートのエースということになっているが、パッと見だとあまり分からないかもしれない。

「絶対成功させよう」

僕の言葉に隣にいる彼女が力強く頷く。僕はちらりと周りに視線を向けた。従業員や来客はそれぞれのお話に夢中で僕達に関心はなさそうだ。それを確認してから僕は突然片膝をつき、彼女を上目遣いに見る。何事かと驚いた表情で僕を見下ろす彼女の手を一方的に掴んで引き寄せた。

「あなた様に勝利と祝福を」

彼女の手の甲にそっと口づける。それから再び上目遣いに彼女を見つめて笑ってみせた。

「なんてね」

悪戯っぽく付け加えた言葉に彼女が呆れたように微笑み、それから僕の手を握り直してから早く立つよう引っ張ってくる。僕が立ち上がったことを確認してから彼女の手は僕の手の中からすり抜けていった。きっと彼女の中ではお互いの今日の格好のせいで僕がこんな行動をしたに違いないと思っていることだろう。彼女が来賓に気づき先にそちらに向かう。僕は彼女の背中を見つめながら無意識のうちにあの誓いの真意を口にしていた。それはまるで自分自身にそう言い聞かせるように。

「僕はどんな形であれずっと主さんの傍にいるよ。例えそれが僕を苦しめ続ける結果になったとしても」

彼女が振り向いて僕を呼ぶ。陽だまりのような無邪気な笑顔がとても眩しくて僕は目を細めた。それから僕は何も知らないままの彼女の元へ歩き出す。昔も今も僕はずっと彼女の守刀で助手だから。



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