※独自解釈、捏造設定有
なんでも許せる人向け




身を切る痛みというのは燃えるように熱く、凍えるように冷たかった。
傷口は燃えるように熱いのに手足はまるで凍りついたかのように動かない。私はここで果てるのかと、目を閉じた。
唇はきっと本丸で刀を奮って稽古をしているだろう愛しき彼の名の形になる。

時間遡行軍による審神者への直接攻撃が頻発するようになったのは少し前からだ。その方が歴史に干渉するよりもずっと効率が良いからである。歴史修正主義者もなりふり構ってはいられなくなったのであろう。相模国のベテラン審神者の本丸が壊滅だとか、務め始めたばかりの審神者が再起不能の重傷だとか。噂は尾をつけ鰭をつけ本当と嘘がごちゃまぜになって私の耳へと入ってきた。
信じたくない事実ではあったがどうやらそれは本当に起きうることで、それが今回たまたま私達がいた場所でおきたということは最悪の偶然としか言いようがない。

万事屋のある抜刀禁止の城下町、それが私たちのいた場所だ。

抜刀禁止が解除されるまでの間、その場にいた刀剣男士たちはなんとか知恵を尽くし戦っていた。力を持たぬ私たち審神者はなす術もなく身を潜めている。刀は抜けなくともさすが極めた私の短刀は華麗に身体を翻しながら戦っていた。
敵よりずっとこちらの方が優勢だったのだ。終局は見えていた。しかし、近くで泣きそうになりながら自らの男士を見守っていた小さな男の子の審神者が切られて重傷をった自らの男士のもとへ飛び出してた言ったのは、政府からの救援がくるほんのすこしだけ前だった。

私が叫んだダメ!という声。
それに反応した前田。
男の子に向かって振り下ろされた太刀。
動けぬ彼の刀。
飛び出した私とそれに気づいた前田。
全てがスローモーションのようであった。
私は敵の太刀に切りつけられたのだ。
初期刀の歌仙が選んでくれた着物は血に染まり、
初鍛刀の前田が昔プレゼントしてくれた髪飾りは地面に叩きつけられて割れた。
そして、一等特別な彼とお揃いの皮のブレスレットははらりと切れて地面に落ちた。
右肩から大きく左手に向かって切られたものの急所は外したのか、痛みはすぐには私の意識を奪ってはくれなかった。地面に倒れた私は手探りで切れたブレスレットを手に取った。そのまま目をぎゅっと閉じて二撃目がくる覚悟をしていると前田は私の体を抱えその場を離れた。そして救援部隊も到着した。

男の子が飛び出さなかったら?
救援部隊の到着があと少し早かったら?
彼の刀剣男士が切られなかったら?
「あんたはいつも本当に間が悪いヤツだな」
と、よく歌仙に怒られたあとの私を見て呆れながら呟いた同田貫の言葉が頭をよぎる。
おもに鶴丸とイタズラを画策している時。あとはつまみ食いを失敗した時。書類仕事をサボって短刀と遊んでいる時。

こんな命の瀬戸際でさえあの呆れた、でも優しい声が頭をよぎるのだから存外私は彼が好きなのだ。
ほんとに間が悪いな…。と頭の中で呟く。しかし、見殺しになんて出来なかった。だって男の子が連れていた男士が同田貫正国だったから。


「主君、主君、眠ってはいけません。目を開けるのです。」
前田に「ごめんね」を言いたいのに、口はまるで縫い付けられてしまったかのようにうまく開かない。開こうとしている瞼だって勝手に落ちてきた。
傷口が脈を打つ。その度にドクドクと血液が流れるのを感じた。凍えるように冷たい下肢も焼けるように熱かった傷口もいまは何も感じない。
遠くの方で救援隊が駆けつける音が聞こえる。私が助けたあの小さな男の子は助かったかしらと彼に尋ねようと、力を振り絞って口を開くも言葉が声にならずにヒューヒューと息が漏れるだけだった。
それでも賢い彼は私の唇を読んで「助かっておりますよ、主君のおかげです」と返した。

前田の声も掠れている。彼も傷だらけだった。それでも彼は生きている。折れた刀もあった。けれど彼は生きている。それが嬉しい。だから彼には伝えてもらわなければならないのだ。

「……おねが、い」
「話してはダメです。体力が奪われます。いま治療班がこちらに来ます。」
私の手を握りながら彼は言う。
「…たぬ、に…つたえ……」
「主君、主君!!!」
声を張り上げることの少ない前田が叫ぶ。でもその声すら遠く、握る手の感覚も鈍くなる。

「あいしてる……って」

振り絞った言葉が声になったのかは定かではない。口すらうまく動いている自信はなかった。こんなことになるならもっと伝えていれば良かった。そしてもっと伝えてもらいたかった。
きっと私が愛してるなんて言ったら「いきなりなんだよ」とか「ばかじゃねぇのか?」なんて言うのだろう。それでももっと言えば良かった。だって憎まれ口を叩いたって、彼の健康的に焼けた素肌は真っ赤になるのだから。
そして質実剛健な彼の愛を囁く顔は存外に可愛らしいのだ。だからもっと彼に伝えていればよかった。愛の言葉を紡げばよかった。

ああ神様、もう一度だけ彼に伝えさせて。
できれば私の口から伝えたかったけれど、それでも彼に伝わって欲しい。

愛している。あなたを愛していると。


−−−−−−−−−−−−−−−−


「あ、」
「す、すまない同田貫殿。」
「別に構わねぇよ。直せるから。」
アイツと揃いで買った皮のブレスレットがはらりと落ちた。蜻蛉切の槍が掠めたのだ。
形あるものはいつか壊れる。世の常だ。直せばいい。どう直すかはアイツが帰ってきたら聞いてみよう、そんなことを思っていた。


今日はアイツにとっていい一日になるはずだった。
最初に前田に褒美をやろうと言ったのはアイツだった。この本丸で一番はじめに極となって戻ってきたのはつい最近のことだ。出陣すれば今まで以上に誉を取るし、戦いに身を置く覚悟も前よりも随分固くなった。
前田は気も利くし、聞き分けも良い。喧嘩をしている兄弟がいれば仲裁をするし、兄弟の好物があれば自分の分を分け与える。そんな前田の姿をいつも見ていたアイツは「なにか前田君に御褒美をあげたいよね」と言った。俺もそれには納得して「いいんじゃねえの?」と返し、初期刀の歌仙も賛成した。前田本人にアイツがなにか欲しいものはあるかと問えば恋人である俺に遠慮するかのごとく小さな声で「主君と二人でお出かけをしたいです」と言った。
それにアイツは二つ返事で了承し、俺も笑って「行ってこい」と言ったのだ。

初期刀の歌仙、初鍛刀の前田の、その次に来たのが俺だった。俺は戦ができればそれで充分だと思っていたが、随分と早めに本丸へ来てしまったようで戦だけというわけには行かなかった。
「優しそうだと思って選んだのに!」と歌仙と大喧嘩をして泣いたアイツを慰めた何度も何度も慰めた。アイツのためを思っていう歌仙の小言を嘆くアイツに「間が悪いヤツだ。やるならもっと上手くやれ。サボりも、つまみ食いもな。」と何度言ったことだろう。

恋仲になったのは本丸の一周年記念の夜の話だ。
酔っ払ったアイツが次郎と乱に「たぬが好きなの」と打ち明けている場所に偶然通りかかってしまったことがきっかけだ。いつものように「こんな時も間が悪いのな、あんたは。」と言ったらいつもの憎まれ口ではなく涙を流すポロポロと流し始めたのだ。正直、好きだの嫌いだのという色恋沙汰には疎かったが「ごめん」とその場を離れようとするアイツをこのまま行かせてはならないと本能が訴えていた。

掴んだ手首は思っていたよりずっと細くて、頼りなくて。
この身体を守りたいという気持ちに名前をつけるとするならば恋だとか、愛だとかと呼ぶのだろうとその時初めて気がついたのだ。
良くある恋人同士のような関係ではなかったかもしれない。けれど、戦でどんなに敵に切られたとしても戻りたいと思えるのはアイツがいる場所だった。
戦火の中にも鮮やかな色がある。そんな日々を積み重ねて今があった。

今日も彩り豊かな1日になるはずだったのだ。


「同田貫ぃぃっっ!!!!!!!!」
悲鳴のような、怒号のような、歌仙の叫び声が道場に響き渡った。
なんだようるせえな、と振り返ると歌仙の顔は真っ青である。俺も蜻蛉切も馬鹿じゃない。何かがあったことは一目瞭然だ。
「来い」と言われ持っていた木刀を道場に投げ走り出した。作り物とはいえ刀を投げた俺に「物は大切に!雅じゃない!」と歌仙が説教しないところを見ると一大事のようだ。

本丸のゲートの前には今にも泣き出しそうな前田と担架を抱えた知らない奴らがいた。
腕は担架から力なくだらりと落ちていた。辛うじて上下する胸がまだ生きているということを教えたが血の気の失せた青白い顔が余談を許さない状況ということを物語っていた。
そこで眠っていたのは「いってくるねー!」と、朝見送ったよく知る人物だった。

早口でしゃべる政府の人間の言葉など頭にはいっていかなかった。辛うじてわかったのが処置はすべて現代の技術で済んではいるが、こんなボロボロの状況でさえ本丸の維持のために審神者の肉体は本丸になくてはならないこと。目覚めるかは正直五分五分だということ。とにかく出血が酷かった。意識が戻ってもきっと右の手が今までと同じように動きはしないということだ。

俺はこいつをこんなふうにした奴を切りに行こうと歩を進めたが既に政府側が制圧済だったということに情けなさと怒りを感じて震える。
俺が切ってやりたい。悔しい。悔しい。
「同田貫さん、すみません。すみません。」
ボロボロになりながら俺を見るなりすがりついて泣く前田をみて意識を現実へと引き戻した。どんなに悔しさに震えていても、力なくだらりとたれたいつもよりもずっと白い腕が俺に手を伸ばすことは無かった。


昔、アイツが1度だけ言った。
「結婚する気、ある?」と。
あれは同期の審神者が初期刀と祝言を挙げたそうでその祝いの席へ行った帰りの事だ。ひどくご機嫌で、ひどく酔っていて、そして少しだけ妬いていたのだ。祝言に随伴したのは初期刀の歌仙だ。俺はそういう場が苦手だからという理由と、祝言を上げるふたりと面識があるからという理由だ。でも歌仙にしなだれかかる酔っぱらいのアイツをみてふつふつと湧き上がる気持ちを前にしたら、意地を張らずについて行けばよかったと奥歯を噛み締めた。
だから、その問いかけに「俺はねぇな、祝言は興味ねぇな」と答えたのである。それについてアイツは何も言わなかった。次の日も、今日までずっと。だから問いかけたことすら忘れているのだとばかり思っていた。

俺が意識の戻らぬアイツと「結婚する」と言った時に一番に反対したのは歌仙であった。
「君ははっきりと彼女に結婚する気はないといったじゃないか。」
「あの時はあの時、今は今だろ。」
「彼女の意思はどうなるんだ。」
「俺と結婚して、その、神嫁だかになれば意識が戻るかもしれねえじゃねーか。」
「確証はないだろ。」
「じゃあ俺はみすみす好きな相手が死ぬかもしれない時に黙って見てろって言うのかよ。」
「じゃあ!!!!!!!」
本丸の連中がくちも挟めぬほど白熱する言い争いを、歌仙自身の怒号で遮る。
「じゃあ…なぜ彼女がこんなふうになる前に祝言をあげなかったんだ…。」
「それは…。」
それから歌仙はアイツが歌仙に漏らした話を聞いた。本当はどうせ生まれてきたのならば結婚をしてみたかったと。審神者になると決めた時から諦めてはいたけれど俺と恋仲になって少しだけ憧れの気持ちが再燃していたこと。それでもその身に縛りを宿せば戦場で思う存分俺が力を発揮できなくなることが怖かったということ。酒と勢いで聞いたことを後悔していたことを。

「本丸のみんなは君たちのことを心から祝福したかった…こんな、悲しい祝言雅じゃない…。」

「……。」
「主にもしもの事があれば…」

歌仙は顔を覆いながら小さく呟いた。「僕らは主も…仲間も…いや、友の君も失うんだぞ……」と。
神と祝言を挙げるということは二つの命を一つにするという事だ。それに伴い刀剣男士は力が飛躍的に向上し、嫁になるものは人の環から外れる。老いは止まり神が生きている間は生きることが出来る。しかしその神が消滅すればその命は消滅する。それは逆もまた然りなのだ。付喪神は末席に位置する神だ。神としての力はそう強くはない。

故にアイツの命の火が消えればればオレも消滅するということだ。

随分と長い間重苦しい沈黙が場を支配した。乱や五虎退は嗚咽を漏らし泣いている。加州も目から涙をこぼしている。ソイツらも随分と初期からいる面々だ。そんな沈黙を断ち切ったのは「主君は…」と口火を切った。

「主君は、愛してると。同田貫さんを愛してると伝えるよう…言っていました。
でも主君は…きっと自分の口からもう1度伝えたいと願っておりました。」
「じゃあ前田、君は君は同田貫に」
歌仙がきっと言おうとしていることはその場にいた誰もが分かっていた。俺に何かがあっても構わないのか、と。
前田の両目からは涙が絶え間なく流れている。それでも強い意志を持った声で強く、強くこう言った。


「主君の心を守るのが、意志を守るのが懐刀である僕の役目です。」


それ以上誰も口を開くことは無かった。心に思うことはそれぞれあれど、俺の決めたことに反対するものは誰もいなかった。

それから禊を済ませ、戦装束に着替えた。俺は1人でアイツの眠る部屋へ向かう。襖を開けると声をかければ今にも起き上がりそうなアイツが眠っていた。ボロボロになってしまった髪を撫でて、それから頬をつねってみた。昼寝の邪魔をすると文句を垂れ流しながら不機嫌そうに目をこする顔が、今思い出すと愛しい。ただ眠っているばかりでは張合いがない。
ああ。今回ばかりは間が悪すぎて笑えないと小言をぶつける機会が欲しい。つまらない嫉妬で苦しませたことを謝罪する機会が欲しい。勝手に祝言をあげたこと、怒られるのならばその機会すら欲しい。そしてそれでももう1度愛してると伝える機会が欲しい。

「俺がアンタを嫁にもらうんだ。とっとと目を覚ましやがれ。」
俺は左手を握り、コイツの名前を呼ぶ。俺しか知らない、コイツの本当の名前を。

祈りを込める。
妖に近いような俺とは違う神にだって、仏にだっているのならば誰にだって祈ってやる。
どうか、誰もコイツを連れていかないでくれ。こいつはオレのものなんだ。

いつもよりずっと小さく白い唇に、自分の唇を重ねる。
やり方なんかは分からないけれど、きっとこれで夫婦になったのだろうという確証を持った。
突然眠気が襲ってきた。少し神気を注ぎすぎたのかもしれない。少し眠ろう。夢の中でアイツに会ったら強引にでも連れ帰ってきてやろう。そう決めて、俺は目を閉じた。



握りあった二人の手の中の、温度が少しだけ高くなった。



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