夕焼けこやけのたれそかれ。
赤い赤い夕日の色。
生まれる影は黒く黒く。
近くの誰かの顔さえ分からない。

たれそかれ。
黄昏時に尋ねよう。

誰そ彼。
あなたは誰ですか。
用心して問いかけよう。

誰何の言葉に応える(いらえる)声。
聞いてすぐに逃げられるように。
用心深く用心深く尋ねよう。

輪郭を覆う黒い影は人かどうかも隠してしまうから。

……………………


「はっ、ぁ…疲れた…。」


夕焼けが景色を真っ赤に染める峠道。
山道を抜けて出てきたこの場所。
助けを求め入り込んだ茶屋には誰の影もありはしなかった。

けれど建物の中は外より安心できた。
人が居ないのを良いことに入り口の戸を閉めてしまう。
それでも障子部分から赤が射し込んで中が見えないということもない。


「も、無理……休憩。」


ここにきて気が抜けて壁に背を預けずるずると座り込んでしまった。
暫くはここに身を潜めよう。
決めれば底から出てきた疲れの声。

なんでこうなったのか分からない。
分からないけれど気が付いたら居て、危険だということは分かってしまった。

山の中で遭ったナニカ。
遊ぼう。
そう言った小さな影。

高いような低いようなぶれて重なる不気味に無邪気な声。
顔は見えなかった。
ただ、遊ぼうと言った影は強い力で腕を掴んで笑った。

赤い赤い口。
他は黒いのに、真っ赤なそれがつり上がって愉しそうに。

鬼事をしよう。僕が鬼。
捕まえたら食べちゃうからね、お姉ちゃん?
その声はとても冗談を言ってるようには聞こえなくて、どうしようもなくゾッとした。

ほら、逃げて?お姉ちゃん。
十数える間だけ待ってあげる。
離された手。
一目散に逃げ出した。

走り出して後ろから聞こえたゆっくりと数える声。
いーち。にーい。さーん。
ピッタリと。すぐ後ろから聞こえる声。
ぎょっとして振り返れば離れた場所で手を振る影。
やっぱり顔は見えなくて、吊り上げられた口がただ赤い。

ほら、早く逃げないと。
離れているのに聞こえた声は耳許で囁かれたような近さ。
近くに居るよう生暖かさまで感じてどうしようもなく気味が悪い。

そうそう、頑張って、お姉ちゃん。
励ます言葉に続く、よーん、ごー、ろーく。
ゆっくり数えて時折転んだ私を笑いながら心配の言葉を吐き出してはどこまで数えたっけ?なんて言ってまた数えなおす。

どう考えても愉しんでる声が10を数えきったのは私が何度も躓き転んだりしながら山を出た時。
じゃあ追いかけるね?
その言葉もやっぱりすぐ後ろから聞こえて泣きそうだった。
それからは何も聞こえなくて、ただ必死で走って見つけたこの建物。

…思い返しても背筋が冷える。
何回も転んだせいで服も汚れたし…。
もう何年も本丸に居るけど、こんなのは初めてだ。

久しぶりによろず屋行ったらとんだ災難だった。
せっかく皆にお土産買って驚かせようと思ったのに。

とゆーかココどこよ?
早く帰らないと心配かけちゃうのに。

なんて。
そんなことを考えていたらまず自分の身の安全を心配しろとでも言うかのように聞こえてきた音。

ずる…べちゃ…ずる、ぐちゃ、ぐちゃ…ずる…べちゃ…ずる。

ナニカが這ってる。
粘着質なナニカ。
聞こえた音に息を潜めて奥にある廊下を見る。

初めに見えたのは青白い腕のようなもの。
事実それは腕だったのだけれど初めはようなものだと思った。
確かに5本の指があって、爪もあった。
でもその腕は妙なところで折れ曲がってイビツな形をしていたから。

その腕は不自然に高く振り上げられ、ついで振り下ろされる。
ぐちゃん。
嫌な音。

また振り上げられた手はよく見れば手のひらが赤い。
夕日の色とはまた違った赤。

驚いて目が釘付けになる。
赤い、手のひら。
何度床に叩き付けたのか、ぐずぐずになった手のひらがまた床を叩く。

べしゃ、何かが飛んだ。
確かめたくはなくて頑なに目線を動かさないようにしていたらそれで力が入るのかと言いたくなるその腕でず、ず、と体を前にと引き上げる。

見えたのは黒い髪。
どこか重たそうな湿り気を帯びた長い髪。
それをずるずると引き摺るままにして這っていく。

顔は隠れてよく見えない。
だけど口が開いてるのが見えた。
かぱりと開いた口の中。
痛みを耐える為か力を込める為か、強く歯を食い絞めて進んでいく。

でも、あれ?
歯を食い絞めていて、なんであんなに口が開くんだろう。

思った時、大きく体を引き上げる動作で隠していた髪が位置を変えてそこが見えた。
口が開いてるんじゃない。
頬が、ない。
頬骨が見えてる。
そこから、歯茎が見えるところまでの肉が欠けてしまっている。


「っ…。」


理解して叫びだしそうになった。
でもそんなことをすれば見付かってしまう。

だから耐えた。
耐えて、あれがこちらに気付く前に逃げてしまおうと戸に手を伸ばす。
目はあれから離さない。
目を離せばアイツがどう動くか分からない。

だからそっと。
確認もせずに手を伸ばした。


「っ!」


指先が何かに触れた。

妙な感触。
変な弾力。
温かくはない。
ただ触れた指先を確認すると僅かな水分。

…嫌だなあ見たくないなあ。
見たくない見たくない見たくない見たくない。

脳内を拒絶が巡る。
でもまたさっきのに触るのも嫌。
でもここでジッとしてるのも怖い。

恐る恐る、戸を確認しようと振り向く。
勿論、あの這いずってるのも怖いから視線だけはアイツに。
きっと不審者。
でも這いずりもんのが遥かに不審だから大丈夫。
たぶん。

現実逃避しながらも首が戸の方に向いた。
諦めて視線を戸に向ける。

あったのは目。
たくさんの、目。
ぎょろりとしたたくさんの目。
それが私を見てる。
目。目。目。
一つ残らずこちらを見てる。


「みげぇぇええる!」


もう叫ぶしかないよね!
驚き過ぎて戸を蹴破ったよね!

なんだよ目目連とか聞いてないし意味わかんねーよ!キモい!
どうせなら一目連が見たい!
龍格好良い!目玉キモい!

ところでミゲルって誰だって!?
教えてあげよう!ミゲルくんとはウチの近所に住んでた異人さんで私が何かガサツなことをした時に「うわ、ねーわ」みたいな顔を披露するのが得意な男の子じゃよ。
てことでミゲルくん!
私は今ついうっかり戸を蹴破ったぞ!
今こそその特技を披露するチャンス!
さあ来い今来いそして助けろ!
あっ!?宗教違うから無理!?
バッキャロー役立たずめてやんでい!

あああああぁぁぁぁアアアアァァァ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
わたしゃあれ嫌いなんだよホラゲでお約束の目玉バーン!
キモい!目潰されたいか!
もうやだ!キモい!

あまりのキモさに疲れもぶっ飛んで峠道を一気に駆け上ってるけどもうマジ無理!
なんなのあの目玉!
あんなにある必要性ある!?
たくさんあり過ぎて情報の処理が追い付かないだろうがばーかばーか!
一つで十分だろ人間には二つあるけどな!
一つ目でもドアの覗くとこでぎょろりとかあり得ないけどな!
一つ目小僧は目デカ過ぎだろ!
ばーかばーかばーかばーかぁぁぁぁぁ!

発狂して走り続ける。
走って、走って、走って。
峠の向こうから夕日を背負って誰かが歩いてくる。
蓑に笠は時代錯誤だけど気にしてられない。


「助けておじさん!目がぎょろ目で戸が頬無しハイハイで!」


必死だった。
必死で、顔も見えないおじさんに助けを求めた。
顔も逆光で見えないおじさんに。
言い訳をするなら、あれは子供でおじさんはおじさんだったから。


「あはっ。
おじさんなんて酷いなあ、お姉ちゃん?」
「ぴぎ!?」


迂闊だったとは思う。
でもおじさんが子供とか詐欺だよね!?


「うふふ。
つーかまーえたっ。」


愉しげに、笑う口は赤く吊り上がって。
約束通り食べちゃうね?
逃げる間もなく腕を取られ、振り払うこともできない。


「お姉ちゃん力弱いね?」


クスクス。
笑う声に涙が込み上げる。もういやだ。


「うえですよっ!」
「ヒギィィィィ!?」
「え…いまの、つるぎ?」


言葉通り上から降ってきた今剣。
今剣は私の腕を掴む子供の腕を斬りつけて、子供はそれを異様に痛がり夕日の影に消えていった。


「…消えた。」
「もうっあるじさま!
かってにそとにでてはいけません!
いしきりまるにおこられますよ!
かみなりどかーんです!」
「え、あ、すんません…。」


腰に手を当ててぷりぷりと。
怒る今剣が可愛い。
あんまり可愛過ぎて、さっきまでの恐怖が消えていく。


「まったく。
あるじさまはうかつですね。
ああいうものにとって、さにわはぶりょくをもたないかっこうのにえなんですよ?」

「沸(にえ)?」


刀とかの?
まだ鈍い思考回路がボケる。
それを分かってるのか、今剣がさらに言葉を重ねてくれる。


「あれはあやかしです。
ひとのおそれをたべるんです。」

「おそれ。」

今剣の真っ赤な目を見返しながら鸚鵡返し。

夕日より紅い綺麗な目。
聞かされる言葉は怖いことだけど、今剣の言葉が安心となって心に重なり積もる。


「ここはあれのりょういきです。
いまはひきましたが、ここであれはしにません。
あるじさまも、ふつうにはしねないところでした。」


小さな両手が、私の片手を労るように包む。
温かくて、優しい手。


「あれはここで、ずっとあるじさまをたべつづけるきでした。
ずっとずっととじこめてこわがらせて、きょうふすらもかれはてたらぺろりと。
それでやっとあるじさまはおしまいです。」

「おしまい。」

「それまではずっとしぬこともできません。
あやかしはじぶんにあたえられたきまりのなかではとてもつよいんですよ。」


言いながら今剣が手を引いてくれる。
繋がれた手から伝わる熱。
それが愛しい。


「いしきりまるがみちをあけてくれてます。
はやくかえりましょう。」


きゅ、力を込められた手。
答えるように握り返せば嬉しそうに笑ってくれる。
真っ赤な目が細められて、愛しげに私を見る。


「あるじさま、もうかってにおでかけしてはいけませんよっ。
あるじさまのことはぼくがずっとずっと、ずぅーっと、まもってあげますからね!」

「ありがとう、今剣。」


ずっと守ってくれると言う小さな近侍が頼もしくて私も笑顔を返した。
ずっとずっと、一緒だよ。
長く永く続く約束。



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