「あー、もう…また寝てる」


誰にも聞こえないように呟いた私の視線の先には気持ちよさそうに眠っている彼氏ことジローの姿。今から全国大会の開会式だと言うのに何やっちゃってんだ。宍戸くんに怒られちゃうよ?

今すぐ駆け寄って行きたい気持ちを抑えてジローの前を通り過ぎる。近くで見る寝顔はやっぱり可愛くて愛おしさが増していった。けど、表情には出すことなかれ。今日まで誰一人として、この事実を教えずにやってきたんだ。あともう少しは誰にも気付かれないようにしなくちゃダメ。

あともう少しと言うのはこの全国大会が終了するまで。この全国大会が終われば私はマネージャーを引退することになる。となれば、自らカミングアウトするなり、バレるなりしても問題はないだろう。そうなれば、堂々とジローとデートが出来るんだ!それは、すごく楽しみなんだけれど…今はもっと大事なことや人達がいる。


「私は青学が優勝するってこと以外は考えられないよ。ありきたりで申し訳ないんだけど……これしか言えないや…みんなを信じてる!頑張って!」


目の前にいた英二にハイタッチをして、皆を送り出す。レギュラージャージを着て颯爽に開会式へと向かっていく皆の姿は格好良くて、胸がいっぱいで早くも涙腺が緩んでくる始末。

わたしは、青学の皆のことが大好きだ。それは仲間としてだけど、3年間ほぼ毎日一緒に過ごしてきた仲間。皆の努力が実を結んで出場出来た全国大会。私が青学マネとして出来る最後の大仕事が終わるまではジローを優先する事は出来ない。

もちろん、ジローもそう思っているはずだ。

ライバル校同士で、お付き合いをしているなんてことは今は言ってられない。彼氏だからジローに優勝してほしいだなんてことは、ちっとも思わない。私は青学の優勝しか望めないのだから。 









「氷帝と…か」


順調に勝ち進んで3回戦の相手を知った私は唇を噛んだ。本当は決勝で会いたかったのに、まさかこんなに早く試合をすることになるなんて想定外だったから。この3回戦で、どちらかが敗退が決まるのかと思うとジローと顔を合わせたくないな……という考えが頭を過ぎる。

けど、試合に勝つのは我らが青学に違いないんだ。例えジローが負け…た…としても…私は次のステップへと進める皆のことで頭がいっぱいになるんだ。ジローの3年間が目の前で終わることになっても。


「…彼女失格かな」


他校の試合を立て続けに見て疲れてしまった私は1人ゆっくりと歩きながら涼しげに風が通るベンチを見つけて腰を降ろす。ぽつりと自分が呟いた言葉に傷ついたのが分かったから深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。


「やっと見つけたC〜!」


目を閉じていたせいで近くまで来ていたジローに気がつかなくて、突然耳に入ってきた声にびくりと肩が揺れてしまった。

ぱちり
目を開ければ、そこにはいつもと同じ屈託のない笑顔を浮かべたジロー。これから対戦するというのに、やっぱりジローはジローで少し救われた。


「私を探してたの?」
「当たり前じゃん!せっかく名前と同じ場所にいるのに会わないまんまとか俺嫌だ」


ニコッと効果音がつきそうな位の笑顔を浮かべるジローが「名前は何か気まずい顔してるけど」と言いながら私の頭を撫でた。

男の人にしては小柄なジローの手。だけど今までラケットを握り締め続けた手の平にはたくさんのマメの跡があることを私は知っている。だけど、私は氷帝に勝ってもらったら困る。そう思うと、優しく撫でてくれているジローに申し訳なくなって目の奥が熱くなってきてしまう。


「…なんとなーく、考えてること分かるよ。名前」


つい数秒前まで明るいトーンだったジローの声が、少しだけ低くなった。それは怒ってるとかじゃなくて、言葉を噛み締めるように大事に紡いでくれている声色。


「次の試合で何が怒るか分かんないけどさ、俺らは勝ちにしかいかないし、それは名前だって同じだと思うけど……どんな結果になっても俺は名前のこと好きだ…から、あんま暗い顔すんなって」


コツンと優しくげんこつをして目を細めたジローの言葉は私を、いとも簡単に笑顔にしてくれた。こういう時のジローは格好良くて狡いと思う。


「それもそうだ。私も何があってもジローのこと好きだからね?」
「知ってる」
「わ!ちょっと…!」


思わず、大きな声を出してしまったのはおでこにジローの唇が落ちてきたから。こんな所で、誰かに見られたらどうするの?と焦ってしまっている私を尻目にジローが私の目を、くっきりと見つめてくる。

その表情は、さっきまでのジローとは180°違う真剣な表情で息を飲んだ。


「……本当はさ、口にしたいところなんだけどやっぱ試合前だから辞めとく。もう試合始まるし今からはライバルだよ名前」
「…うん」
「だから、ひとまず試合が終わるまでは恋人らしいことはしない。少しの間だけそういう気持ちは俺、お別れするから…ごめんな?」
「それは私だって同じだ」
「じゃあ、とりあえず今からはライバルってことで」


へらっと手を上で振りながら歩いていくジローの背中を見て、私はもう一度気合いを入れ直した。


だからさようなら


今からはライバルだ。だから、この胸にいっぱい詰まった大好きという気持ちともしばらくお別れ。私が望むのは青学の勝利だけなのだから。

それに、きっとこの全国大会が終われば私とジローの距離は縮まってる。そう思うと、この今の絶妙な距離感は心地よいのかもしれない。

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