共依存
くらい夜更け。
陸もとうに見えなくなり、辺りには真っ暗な海と空が一面に広がっている。今日は月も出ていないから、不寝番を任せてきた者も微かな月明かりを頼るしかないだろう。
波も凪ぎ、雲も無く、船を奔らせるには絶好と言っていい天気だろう。水平線上にも見知らぬ船影は認められず、だからこうして私も安心して床に入ったのだが。
ふと、空気の揺れた気配で目が覚めた。
空気の揺れと言っても風ではない。強いて言うなら気配だろうか。並みのものなら気づかなさそうな揺らぎは、だがしっかりと私の背をつかんで揺すぶった。
目が覚めても、敵意が感じられないせいで頭はまだうまく機能しない。目をこすりこすり気配の源を探す。
真っ暗と言っても、明り取りの窓から差し込む星明りで、暗闇に慣れた私の眼には十分だったようだ。
私の部屋は目が覚める前と全く変わっていない。寝る前に広げた海図も、その端を抑えたままのグラスもそのままの位置。――グラスは後で片付けておこう。何かがこぼれるといけないし。
どうやら発生地は私の室内ではなさそうだ。ならば廊下か、隣室。
廊下なら深夜とはいえ人の行き来もあるだろう。集団生活ならなおさらだから、私もその程度で目を覚ますようなことは無かった。
残るは、隣室。
またか、と私は息を零した。
ぎし、ぎし、と自分の立てている足音が気味悪い。
他にも眠っているであろう船員たちの安らかな眠りを妨げまいと、自然足もゆっくりとなる。
だから、部屋を出て隣に行くまでの道のりが、酷く遠く感ぜられた。
「イドルフリート…?」
ノックは必要以上に音が響く様な気がしてやめた。代わりに小さく声をかけてみる。
予想通り返事はない。別に、声をかけたのも礼儀のような物だから構いはしない。
個人の部屋に鍵なんてものは付いていないから、ノブを握るとあっさりと回った。
「イド、」
彼の部屋は私の所よりさらに暗かった。小さな明り取りの窓からか細く漏れる光が、彼の麗しの金髪を照らしている。
白いシーツに抱きこまれ、ベッドに座り込んだ彼の形相は、青白い肌色と相まってまるで幽鬼のようだった。
それでも、彼はゆっくりと顔を上げて私を捉えた。
「エルナン……」
こちらに向けて頼りなく伸ばされた腕に、大股で近寄る。
手を握り締めると、やはり冷たくなっているのがわかった。
「エルナン、エルナン……」
「どうしたイド。また怖い夢でも見たのか?」
冷たい手ごと彼の体を抱き寄せると、いつもの彼からは信じられない程簡単に胸に収まった。あまつさえ彼からも腕を回し、しっかりとしがみつかれる。
もつれた彼の髪を手櫛で梳いてやると、少しずつ彼の震えが収まっていくのがわかった。
私以上に彼と付き合いの長いものはいないから、多分私だけが知っていることなのだろう。
彼は幼いころからよく悪夢をみた。
幼いころ、というよりは、物心ついたとき。あるいは、生まれた時からかもしれない。
暗い、狭い、冷たい、苦しい、そういう所でなす術もなく、ひたすら耐え続ける夢。
どういう周期で見るのか、頻度も回数もばらばらで、まったく予測できないのが腹立たしいのだという。事前に避けることも、悪夢から抜け出す方法も解らずに、ただ夢から覚めるのを待つだけ。
そうして飛び起きた彼を、たまたま一緒にいた私が温めてやったら習慣になってしまったのだ。
ある時期から他人行儀に「コルテス」と呼びだした彼も、今だけは名前で呼んで、迷子の子どもの様にしがみついてくる。
私が、夜中にたたき起こされてもこうして律儀に訪ねてやっているのは、それが聞きたいからかもしれない。
「寒い……エルナン、さむい……」
「イド、大丈夫だ。もう寒くないだろう? ほら」
強く抱きしめてやる。子供の様にぐずる彼を見られるのも自分だけだと思うと、ほの暗い優越感が胸を満たした。
彼の亡き妻も、幼い娘も、きっとこのことは知らないのだろう。妻は知っていたかもしれないが、何もできずに遠くへ逝ってしまった。
「エルナン……エルナン………。死にたく、ない」
「大丈夫だイド。大丈夫だから」
泣きじゃくる彼に覆いかぶさるようにして私は目を閉じた。
まだ、夜が明けない様に。