雨降って




 冷たい廊下をそっと進む。雨で床が湿っているので、ぺたぺたと音を鳴らさない様に慎重に。
 ようやくたどり着いたその扉は私の部屋のとは違って酷く大きく見えて、ドアノブに触れるのが躊躇われた。



 流行り病で母が亡くなって、船乗りである父親が家に帰って来てくれることになった。
 数年に一度、数か月しか家にいなかった父は、母の死をきっかけにずっと家にいてくれるらしい。
 最後の仕事の報酬だという大きな財産を持ってきてくれて、それで生活は豊かになったけれど私の心中は複雑だった。


 滅多に帰ってこれない彼は、私の中では“非日常”な存在だった。私の事を気にかけてくれていることは解るけれど、高い身長とともすれば冷たく映る目付きは私を一歩後退させるのに十分だった。
 彼は村の中でもほとんど異邦人のようだった。長年異文化と触れ合って洗練された所作に蓄えられた知恵、それに見合う程の矜持は貴族だと言われても信じられるようで。
 何かと他の人から頼られることが多かったけど、その分深い付き合いをする人はいないような人だった。
 父は私には優しいし、なにかと気にかけてくれていることも判っているけど、私の方から彼に壁を感じてしまっていた。



 でも、今はそうも言っていられないのだ。


 2日程前からこの地方に訪れた嵐は、雷雲を連れてやってきた。
 昼間のうちはまだいい。暖かい居間で温かいミルクでも飲みながら、父の航海の話を聞いた。彼は饒舌で、海の上でもっと酷い嵐に見舞われたけれど、勇敢な船乗りたちが一昼夜全力で戦い続け、ついにそれを退けたとかなんとかいう話に耳を傾けていれば、周りで折れそうなほど揺さぶられる木々の音も雷も気にならなかった。想えば、外の嵐から気を逸らそうという父の配慮だったのかもしれない。

 けれど、夜が更けて子供はそろそろ寝なさいと母とそっくり同じことを言われ、部屋に戻ってベッドに潜り込んでからはそうはいかなかった。
 カーテン越しに光る雷光と、遠くで鳴り響く雷鳴が不規則に私を怯えさせた。布団に潜っても、ごろごろという重低音は体の底から私を震わせる。
 布団の上からぎゅっと頭を押さえた私を見計らったかのように近くに雷が落ちて思わず息が詰まった。ぎゅっと閉じた瞼の裏から光ったような気がして、目じりが熱くなる。

 眠りにも落ちれず長い間寝返りを打った後、ついに意を決して私は布団をはぎ取った。
 怒られるかもしれない。あきれられるかもしれない。
 でも、今日だけでいいからあの人のベッドに入れてもらおう。そう思って、そっと足を床に降ろした。



 夜に冷えた床板は、身体を足元からじわじわ冷ましていく。
 雷の恐怖に震えていた頃の勇気は、父の部屋の目の前に行くまでにしぼんできてしまった。
 扉を前に躊躇していると、私を追い詰めるかのように落雷の音。
 文字通り飛び上がって、ドアノブを捻って父の部屋に飛び込んだ。

 私の部屋のより重厚なカーテンはしっかりと雷光を遮っていて、きっちり扉を閉めてしまえば、光源となるものはほとんどなかった。それに少し安心する。
 手さぐりで寝台に近づくと深い寝息が聞こえてきて、ぐっすりと眠りこんでいることが分かった。度胸のある人だから、このぐらいの嵐ではびくともしないのだろう。
 カーテンの隙間からちらちらと漏れる光が時折父の顔を浮かび上がらせる。いつもからは考えられない弛緩しきったような表情に少し躊躇って、それでも足元からそっと体を差し入れた。
 起こした方がいいかとも思ったが、もしも嫌な顔をされたらと思うと勇気も出ない。朝まで此処に居て、もし父が起きる前に起きれたら自分の部屋に戻ろう、なんて無理なことを考えて自分を無理矢理納得させる。ここ数カ月ですっかり嗅ぎ慣れた父の匂いに、なんだかひどく安心した。
 体温で暖まった布団に誘われるように、そっと体を摺り寄せる。冷え切った足が彼に触れて、あっと思った時にはうっすらと父の目が開いていた。

 「……」
 寝惚けているのだろうか、ぼんやりと私の顔を見つめられて、ぐっと息を呑む。びっくりするだろうか。怒られるだろうか。
 意識がほとんどないみたいにぼーっとしていた彼は、また目を閉じると私の方に腕を伸ばして。

 気づいた時には身体ごと引き寄せられていた。そのままもぞもぞと収まりのいい場所を探しているのか顔を私のつむじのあたりに寄せて、また寝息が場を支配した。



 気づかないうちに息を止めて父の様子をうかがう。本当にまた寝入っているようで、私が多少体を動かしても目を覚ます気配がない。
 強張っていた身体から少しずつ力を抜くと、もっとしっかり抱き寄せられて肩口まで布団が引っ張られる。まるで母親のような動作にまた涙腺が緩みそうになった。

 腕を伸ばして腰のあたりにしがみついても、もう父は起きなかった。
それに安心して、そっと目を閉じる。



 明日は、晴れてもいい。


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