指先


その日珍しく流川くんは教室にいた。
いつもなら昼休みなんてお弁当とバスケで潰すのに、今日は体育館が整備中で空いてないらしく、おとなしく自分の席についていた。

午前の授業で寝すぎて眠れない、と寝癖頭で男子の友達と話す流川くん。朝は頭の後ろが跳ねていたけれど、今は左側のぺちゃんこになった頭が目立つ。4限までずっと左を下にして寝ていたからついてしまったらしい。

いつもだったら「水で直してきなよ」くらい言うけれど、今はそうできないでいた。流川くんがこんなに長い間寝ないで教室にいるのなんて滅多にないのに、話したいのに男子が囲んでるから話しかけられないでいた。

どく気配もなかったのでふて寝をしようと突っ伏すと、聞こうとしてなくても会話が耳に入ってきた。


「流川、昨日のお笑い見た?」

「見てねー」

「てか、流川ってテレビ見んの?」

「メシのときは見る。そんだけ。あとは寝る」

「流川らしーな」


ほんとに。流川くんらしいや。流川くんお笑いなんて見るのかな。見ても笑わなさそう。

じゃあなに見るんだろ。流川くんとテレビの話なんかしたことないや。

やだ、いかんぞわたし。盗み聞きしてこんなこと思ってるなんて変態だ。気持ち悪いぞ。やめよう。

でもどうしても聞こえてしまうから、トイレにでも行こうとした、その時。


「ていうか、流川って彼女いねーの?」


その声がわたしを引き止めた。

それはずっとわたしが聞けなかったこと。バスケ部のキャプテンの妹さんとか、同じ中学のマネージャーとか、わたしなんかより流川くんと近い女の子はいて、きっとわたしなんてその他大勢にしか思われてないんだろうなあ、と日々思いながら話す習慣が根付いた今日この頃。

だから彼女だってきっと…


「いねーよ」


え…いないの!?まあでも、いたら親衛隊の人たちがもっと騒いでるだろうし、きっとそうなんだろうなー。


「じゃあ、好きなやつは?」


あ、もうこれはアウトだ。絶対あの二人のどっちかだもん。絶対そうだ。しかも流川くんの性格で自分の好きな人をぺらぺら言うわけないし、言ったとしてもあの二人のどっちかだから、やっぱりおとなしくトイレに行こう。

そう思って起き上がった瞬間。


「いる」

「え…」


流川くんが、わたしの方を指差していた。はっとして後ろを振り返ってみても誰もいない。私の後ろの席は男の子だから、好きな女の子の空席を指したとも思えなかった。

きっとみんなも盗み聞きをしていたんだろう、いつも騒がしい昼休みの教室は学校から切り取られたかのように静まり返っていて、息苦しかった。そりゃそうだ、そこまでミーハーでもないわたしだってそうなんだからみんなだって今もっとも有名な流川くんの恋愛事情は気になってるに決まっている。だからこうして流川くんの衝撃の言葉と行動によって静寂が生まれたんだ。

で。なぜわたしが振り返ったままの体制で固まっているのか。こんなにも多くの視線を感じているのか。それはどう考えても流川くんが「好きなやつ」としてわたしを指さしているからとしか思えなかった。わかっているけど認めていいのかわからなかった。もしかして流川くんは寝ぼけているんじゃないんだろうか。この前だって寝ぼけて先生に襲いかかってたし。


「無視すんな」


夢中で言い訳を探し始めていたわたしはその言葉に観念するような気持ちで振り返った。いまだ流川くんの指先はわたしの方に向いたままで。だから恐る恐る、一生の恥を覚悟でわたしの指先も自分の方に向けた。

左側の頭が絶壁になってる流川くんは、大きく頷いた。


こうしてわたしたちの恋は、流川くんの指先から始まったのだった。





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