先輩、後輩。 牧先輩はすごく大人で、いつもやさしくて、部活で大変なのにいつも私と一緒に帰ってくれる。友達と帰ってもいいよ、と言っても、俺は桜子と帰りたいからいいんだと、キラキラの笑顔で言ってくれる。 好き。本当に好き。大好き。先輩からも、自惚れかもわからないけれど、同じ気持ちが伝わってくる。 だから余計に思ってしまう。嫌われたくない、と。 わたしは後輩だから、なんとなく、守ってあげたくなるような可愛い存在でなきゃなんて、勝手に思ってしまう。先輩は先輩らしく、すごく頼り甲斐があるから余計に思ってしまうんだ。 いまだって、かわいらしく「手繋ご?」なんて言えたらどんなに楽かと一人で苦しんでいる。繋ぎたいのに。 「じゃあ、また月曜日にな」 「うん、ばいばい」 いつもの場所で、いつものように別れる。わたしは小さく手を振って、大きな背中を見送った。明日は半日の練習だから、午後は休みだと言っていた。だから午後はデートしようって言えばいいのに、貴重な休みを無駄にしてしまうとかいろいろ考えてしまって、結局言えずにおわってしまった。 「はあ…」 そして家に帰って、次会うときはがんばろう、と意気込むのが日課になっているわたし。 デートの約束を言うとしたら月曜の帰りかな。たまには朝練の時間に合わせて学校に行ってみようか。急に行ったら牧先輩はどんな顔をするだろう。差し入れなんて持っていったら喜んでくれるかな。みんなに目撃されて照れ笑いなんてしてくれたら最高だ。ああ早く学校始まらないかな。 散々悩んでも結局寝る前には牧先輩のことで頭がいっぱいになるんだから、我ながらおめでたい頭をしていると思う。 「相澤さん、牧さんが呼んでるよ」 「あ、ありがとう神くん」 同じクラスの神くんは、私たちを応援してくれていて、相談と称したのろけ話をいつも聞いてくれる。ラブラブだね、の茶々に腕を叩いて、牧先輩のもとへと行った。 「牧先輩!」 「おう、桜子。今日は部活が急遽なくなるみたいだから、終わったらすぐ迎えにいくよ」 「ほんとに?」 ほらいまだって、じゃあ放課後デートしようって言えばいいのに、会えただけで舞い上がるだけでなにもできない。結局今日だって朝練になんて行く勇気も出せずに普通に登校しちゃったし、もう本当に自分が嫌になる。牧先輩以外にこの気持ちを抱く人はいないのに、何を躊躇っているのだろう。 そうこうしてるうちに、休み時間がおわってしまった。 「はあ…」 「牧さんと帰るのいやなの?」 「ちがうよ!すごく嬉しいけど…ねえ、神くんはさ、どんな年下彼女がいい?」 「もう何万回も聞いたよね、それ」 「そ、そんなに言ってない!」 「言ってるよ。だからさ、毎回言ってるけど、そのままでいいって。嫌だったら、牧さんだって別れてるよ」 「うん…」 「相澤さんはそんなに悩んでばっかりで楽しいの?」 「えっ…」 「って、牧さんにも思われちゃうよ。まあ、にやにやしてるから、俺にはそうは伝わらないけど」 確かにそうだ。牧先輩はやさしいから、見て見ぬふりをして我慢してくれているのかもしれない。 うわ、ほんとだ。そんな彼女やだ。 「どうしよう!」 「帰るときに言えばいいじゃん」 「そうだよね、それしかないよね…うん」 神くんにお礼を言って、いつものように相談代として飴を渡した。 「もう1個くれたら、いいこと教えてあげるよ」 「え!1個と言わず3つどうぞ!!」 「やった」 さっそく袋をあけてなめ始める神くん。もったいぶった様子を見せる神くんはすごく意地悪だと思った。 「神くんはやく!」 「牧さんね…」 放課後。運命の放課後。人の少なくなった教室でわたしは牧先輩を待っていた。 和やかな放課後の教室で、目に見えるくらいに胸の下で大きく動いている心臓。その激しい振動と鼻をかすめる可愛らしい花の匂いは、先輩に想いを伝えた時を思い出させた。 「すまん、桜子!遅くなっ、た…」 「ううん…!」 困り顔で入ってきた先輩は、わたしを見るなり目を丸くした。 『髪、おろすといいよ。牧さん、髪長い人が好きだから』 そう神くんにアドバイスをもらったから、友達にスプレーを借りてさらさらにしておいた。あの時と同じ、「フローラルの香り」と書かれたスプレーだ。 「…いいな、それ」 効果はテキメンで、二人で照れ笑いをした。 「牧先輩、あの…どっか、行かない?せっかく、はやいし」 「ああ、そうだな。俺も言おうと思ってた」 どこ行きたい?と聞く先輩の顔は、とても楽しそうで、胸が軽やかに高鳴ってなんだか苦しかった。 街をぶらぶらして過ごした、初めての放課後デート。あっという間に日は暮れて、そろそろ日も暮れる頃、わたしたちはいつもの帰り道を歩いていた。 牧先輩の好きな服も知れたし、意外にもクレープを気に入っていて面白かった。今度の日曜にはサーフィンの練習を見に行く約束までして、今日のこの幸せな時間は今日限りのものではなくなった。 本当に楽しくて、牧先輩もずっとにこにこしていて、バスケしてるときの先輩も素敵だけど、普段の素の先輩も素敵だと、にやにやしながら思っていた。 「なに笑ってるんだ?」 「牧先輩も笑ってるよ」 横に並んで、今日一日中見続けていた笑顔を見上げる。 ただひとつ心残りなのは、手を繋いでないこと。家までまだ少しあるけれど、それも時間の問題。先輩の右手は今日の荷物、左手は空いていた。 心臓はばくばくで、鳴り止まないけれど 『牧さんね…』 今日の神くんの言葉を思い出し、恐る恐る手をのばし、牧先輩の小指を握った。 顔を上げられないわたしと、明らかにこっちを向いてる先輩。 すると牧先輩はすぐにちゃんと繋ぎ直してくれた。それはいわゆる、恋人繋ぎ、というやつで。「桜子」と呼ばれて観念したわたしは、熱を帯びた顔で牧先輩を見た。 「ずっと待ってた」 「え?」 「毎日、桜子、ずっと繋ぎたそうにしてるから」 「し、知ってたの…!?」 すげー焦れったかったぞ、と笑う先輩に、さらに火照る顔。牧先輩の笑顔は、真夏の太陽みたいだ。その笑顔を直視すると顔が一気に熱くなる。 「それに、神にも聞いたよ。お前がずっと、俺に似合うような可愛い彼女になりたがってるって」 「ええっ!?」 神くん…!なんてことを… 「十分だよ」 「でも…」 「そうやってすぐ赤くなるとこも、十分可愛い」 先輩が手に力を込めたとき、わたしも今日神くんに聞いたことを告げてみた。 「わたしも、聞いたよ。神くんから。牧先輩が、大学も海南に決めたから入ったあとも気軽にわたしに会えるって、毎日嬉しそうって」 日焼けてる先輩が、すぐにわかるくらい真っ赤になってる。 「…この話、ほんと?」 「ああ…」 神のやつ…と悔しそうに嬉しそうな先輩。そんな顔は見たことがなかった。二人でいるときはいつもとびきりかっこいい笑顔、部活のときにはとびきりかっこいい真剣な顔を見せていてくれていたから、こんな複雑な顔は見たことがない。今日一日で本当にたくさんの先輩を知れた。今までと今日一日で、罰当たりなくらいにたくさんの幸せをもらえた気がする。そうはっきりと分かった瞬間、悲しくもないのに涙が出てきた。 「ごめ…わたし、すごく嬉しくて…」 「桜子…」 牧先輩が初めて抱きしめてくれた。先輩のワイシャツに染みる爽やかな汗の匂いと、わたしの髪から香る花の匂い。それが混ざり合ったこの匂いがきっと、わたしにとっての青春の匂いなんだ。牧先輩も、そう思ってくれていたらいいな。 「ありがとな」 指に髪を絡める先輩は、ほんとに長い髪が好きなんだなあ。自分の髪が牧先輩の指の間を流れる感覚はとてもくすぐったかった。 「好きだよ、桜子」 「うん」 わたしの髪には牧先輩の匂いがひっかかって、牧先輩のシャツにはわたしの匂いがくっついた。二人で幸せを半分こ出来たような気がしたのは、先輩の鼻が掠めたわたしの鼻がそんな青春の匂いを拾ったからなんだ。 後日。 「…そんなわけで、はじめは神くんなんてことをって思ったよ!まさか全部筒抜けだったなんて」 「だってふたりとも焦れったすぎだしお互いに好きすぎだし。あと牧さん、もうすぐ予鈴ですよ。帰らないんですか」 「ああ…帰るか仕方ない」 「またね、牧先輩!」 「ああ。今日も迎えにいくよ」 神様にデートのお土産を献上した。 |