真っ白な


県予選で負けてしまって、全国への道が断たれた陵南。
つい最近まであんなに活躍して、一生懸命輝いていたはずの魚住くんたち3年生は、その後すぐ引退を迎えた。

それと同時に、 3年生ということもあって、マネージャーであるわたしも引退を決めた。


「相澤先輩もやめてしまわれるんですか!?」

「彦一くんてば、誰から聞いたの?」

「監督から聞いたんです。ホンマですか?」

「うん。わたしもほら、一応3年生だし。本当は進級した時点でやめようと思ってたんだよ」

「そうですか…。寂しくなりますね」

「だから今日で最後なの」


監督と魚住くんには言った。みんなと同じタイミングで引退の報告をしてもよかったのだけれど、なんだかあの雰囲気の中でのマネージャーの引退宣言はタイミングがちがうのかな、なんて思っていたらそのままずるずる1週間が経ってしまっていた。お前いつ引退するんだ、と魚住くんに突っ込まれてしまったくらいだ。

でも、ここまで延びてしまったのはきっとそれだけじゃない。


「あ、仙道さん!ちわーす!」

「ああ」


仙道彰という、存在。


「今日も遅かったね、仙道くん」

「桜子先輩は今日もきれいですね」

「はいはいどーもありがとーございますー」


このいつものやりとりももうすぐなくなるんだなあ、とか


「先輩、また今度勉強教えてくださいね」


勉強会に参加することも仙道くんに教えることもできないんだなあ、とか


「先輩からもらったタオル、大事にしてますから」


仙道くんが汗を拭う姿も、水を飲んで動く喉も、キラキラしたプレーも

いつも近くにあったものがなくなっちゃうのかあ、とか


「先輩」

「桜子先輩」


わたしはやっぱり、仙道くんのこと好きだったなあ

という、陵南マネージャーを努めあげてきたわたしでも抱えきれないいくつもの思いがあったからで。

でもきっと、一緒にプレーしてきた魚住くんたちはもっと名残惜しかったはずなんだ。だからわたしも、きちんと終わらせなければいけない。


「ごめんごめん。どうかした?」

「今日、途中で抜けちゃいましょうよ」

「え…」

「じゃあ決定ー」

「あ、いや、今日は、だめだよ」

「なんでですか?」

「だってさ、ほら仙道くん新キャプテンな訳だし」

「みんなしっかりしてるから大丈夫でしょう」

「でも」

「それに俺、いつもはもっと来るの遅いけど今日は早かったから、帰りが早くても大丈夫ですって」

「なんだそりゃ」

「みんなー、今日は試合形式でいこうぜ」

「あ、仙道くん!」


すたすたと去っていく仙道くんの背中に叫ぶと仙道くんは振り向かずに言った。


「活躍するから」






「今日の仙道さん、特にキレキレですねえー!ねえ、先輩!」

「…彦一くん」

「はい?」

「やっぱりすごいね、仙道くん」

「え、あ、はいそうですね」

「彦一くん」

「…はい?」

「わたし、仙道くんが好きだったよ」

「えっ……ええっ!?いいい、いつから…?」

「わかんない。いつの間にかだった。仙道くん、人気あるからそれに流されちゃってるだけだと思ってたけど、ちがうの。ずっと、はじめから、好きなの…」

「わわっ!?相澤先輩!?泣かんといてください!」

「なんで、なんで最後まで、あんな…。引退、できない、よ」

「とっ、とりあえず外いきましょ、外!!」



体育館の壁にもたれかかると、中で聞こえる音が、まったくの他人事のように感じられた。
だんだんとリングに近づいてくる足音とドリブルの音が急に消え、その直後にリングが叩かれる音がした。これはきっと、仙道くんの音だ。


「落ち着きました?」

「うん。ごめんね、彦一くん」

「全然!気ぃ遣わんといてください!それにしても驚きましたよ。要チェックや」

「わっ、チェックしないで!」

「言わないんですか?本人に」

「うん。これから、お互いに忙しくなるだろうし。邪魔にはなりたくないしね」


どんな言葉をかけるべきか、悩んでいる様子の彦一くん。彦一くんは選手として登録されてはいるものの、マネージャーのお仕事もしていたからずっと仲良くしていた。田岡先生もその辺は暗黙の了解な感じだった。だから彦一くんとは友達のような間柄だった。


「もちろん、彦一くんと会えなくなるのもさみしいよ」

「そらワイもですわ!」




「…あれ」

桜子先輩がいないのに気づいたのは、何度目かわからないダンクを決めたあとだった。

「越野、桜子先輩は?」

「さあ?」


彦一の姿も見えない。


「…休憩しようか」



「仙道さん、かっこええですよねー」

「ねー」

「ワイも憧れますわ」

「ライバルだね」

「あ、いや!ワイのはちゃいますで!そういう意味じゃ…」

「あはは、わかってるよ」


空はまだまだ青くて、雲もなくて。時間を感じるものは蝉の声だけだった。

このまま時間がとまっちゃえばいいのに、なんて考えていたらまた涙腺を刺激してしまった。


「先輩が乙女なの、はじめて知りました」

「はじめまして」

「仙道さんにも、見せればええのに」

「そうだね」


素直な子になりたかったなー、なんて笑ったその時、近くで鳴いていた蝉の羽音が響いた。騒がしい蝉の声の終わりは、時間の流れの停止を告げたみたいだった。


「桜子先輩」


息を切らした仙道くんが、悲しい顔をして立っていた。


「なんで泣いてるの」

「あはは、なんでもないよ」

「彦一、説明し…」

「ああっ、ほんなら、ワイはこれで!」


彦一くんが去ったあと、ゆっくりと仙道くんが私の前にしゃがむ。わたしは涙は見られまいと顔をそらした。蒸し暑い真夏の外だから座っているだけでも汗が滲んでいたけれど、頬を濡らしているこれは汗だよ、なんて言い訳はどうもつけそうになかったから。


「荷物、持ってきました」

「ほんとに帰るの?」

「だって桜子先輩、見てくれないから」

「…ごめん」


仙道くんが笑った。


「帰ろう」





いつもはわたしばっかりべらべらしゃべっていたから、今はとても静かだ。仙道くんも別になにか話題を考えている素振りはない。むしろ楽しんでいるようにもみえる。

いつの間にか涙は止まっていて、代わりにいつものように心臓が高鳴っていた。

なんだ。わたしも楽しんでるじゃん。


「どうかしました?」

「ううん、なんでもないよ。たまにはサボるのもいいね」

「サボりじゃなくて早退」

「同じだよ」


仙道くんについていき、到着したのはバスケットリングのある公園だった。


「部活サボって部活やるの?」

「物足りなくて」

「変なの」

「だって先輩見てくれなかったから」


ワイシャツを脱いでTシャツ姿になった仙道くんは、弾かれたようにダッシュして、レイアップをした。


「なんでそんなに見てほしいの?」

「だって今日が最後でしょ?」


仙道くんはいつも何を考えているのかわからない。だから今も冗談でいってるのかと思ったけれど、でも違う気がした。

そんな気がするのは、わたしが今までずっと仙道くんを見続けていた証拠。マネージャーのくせしてこんな不公平な気持ちを持っていただなんて、本当に駄目だ。


「仙道くんってさ、すごいよね」

「やっぱ当たっちゃったか」


ダムダム、と2回ついた。


「先輩も、やりますか?」

「ううん、見てたい」


満足そうに笑った仙道くんはそのまま走り出して、そしてダンクをした。


「おー」


ネットを通ったボールを着地と同時にキャッチして、そのままシュート。流れるような動きは、もう何度も見た動き。

キラキラ、キラキラ。

その光は、きっと今まで積み重ねてきた日々が見せた本物の輝き。


ねえ、仙道くん。

好きだよ。大好きだよ。

それだけだよ。だめかな。


見納めしなければならないはずの仙道くんの姿が霞みだした。


「なんかジュース買ってくるね」

「待った」

「まだやってていいよ。すぐ戻ってくるから」

「また泣いてる」


顔を見られないように仙道くんが背を向けているときにその場を去ろうとしたのに、彼はまるで後ろに目がついているかのようにわたしが今どんな表情をしているのかを言い当てた。

なんとかこぼれないように我慢していたけれど、指摘されたことで栓が抜けてしまったかのように急に涙が溢れ出した。両手だけでは拭いきれない。タオルくらい持ってくればよかった。そう後悔していると、後ろから長い腕が伸びてきた。


「…ごめん」

「いや、全然」


仙道くんは、私の頭を自分の胸に寄せてくれた。

なんでこんなに泣いているんだろう。なんでこんなにつらいんだろう。マネージャーを辞めるだけなのに。辞めた後でも、体育館に来ればいつでもみんなに会えるはずなのに。

いつも仙道くんのプレーを見ていると、笑顔になれた。温かい透明な毛布にきつく包まれているみたいな感覚で満たされた。でも今はずっと憧れていた人に抱きしめられているはずなのに、こんなにも苦しくて、悲しい。


「…ありがとう。もう、落ち着いたよ」

「まだ泣いてるだろ」


最後に泣いたのは、県予選のあの試合終了の瞬間だった。本当に悔しくて、今まで見てきた辛い練習風景が思い出されては泣き、やるせない気持ちがこみ上げてきてはまた泣いていた。でもこの涙は違う。悔しくもない、やるせなくもない。でも、何かと聞かれたらはっきりとは答えられそうになかった。

仙道くんがその場に落としたボールは、なにかを悟ったようにフェンスで囲まれたコートの隅へと転がって行った。脇の隙間から見えたその赤いボールはいつもわたしと仙道くんの間にあり続けたはずなのに、今はそっとわたしたちを見守っていてくれているようだった。


「どっちが歳上かわかんないっすね」


わたしの頭を抱える手に、少しだけ力が入った。

やはり、蝉の声は聞こえない。


「あー、それなんだよなあ」


さっきまで上の方で聞こえていた声がこもって聞こえた。


「俺も、寂しい」


顔をあげると、仙道くんの瞳がすぐ近くに見えた。澄んだ黒色の先にあるその色は、きっとわたしと同じ色。


「1コしか変わんないのに先輩は年下扱いだし。でも、だからこそ話せたってのもあるけど。…ぶっちゃけ最近まで、先輩はやくマネージャーやめればいいのにって思ってた」

「え…」

「あはは」

「…ひどい」

「だって、マネージャーはみんなのだろ?」


目を丸くさせたわたしを見て、仙道くんはやさしく笑った。いつもと違う体の距離に戸惑う中で見るそのいつもの笑顔は、またわたしの心を毛布で包んだ。


「でもいなくなるのって、寂しいんすね。このままどんどん半年が過ぎたら、そしたら先輩は、卒業だ」


卒業。それはこんな暑い季節には馴染みのなさすぎる言葉だった。

でもきっと、訪れるのは突然なのかもしれない。


「1コしか、違わねえのに」


仙道くんが、卒業、なんて言うから、心のどこかで考えるのを避けていたそれが重みを増していった。


「昨日、それ考え出したら止まんなくなって。だから今日連れ出したんすよ」

「仙道、くん」

「寂しいのは、桜子先輩だけじゃない」

「…うん」

「年の差が悔しい」


彦一くんごめん。やっぱりだめだ。

止まらない。


「仙道くん」

「はい」

「…練習、たまに観に行くね。試合も」

「おー、よかった」


ちがう。そうじゃない。

さっきみたいに言いたいのに、言えない。


「先輩、書いて」


そう言って渡されたのは、白いリストバンドと黒いペン。


「いいの?」

「はい」


裏返して文字を考えるけれど、まるで事前に考えていたみたいにすぐに1つ浮かんだ。


「早いっすね」

「これしかないなあ、って」


こんなこと書いちゃったんだから、言うしかない。


”仙道くんのプレーが世界でいちばんすき”


「はい」

「どうも」

「仙道くん」

「なんすか」

「それ、わたしが卒業したら見てね」

「今は?」

「絶対にダメ」

「そんなこと言われたら…」

「あ!」


190pの仙道くんに叶うはずもなく、遥か頭上で裏返されたリストバンド。


「お」


仙道くんはもう一度裏返して、そしてそのまま黙って着けた。


「プレーだけですか」

「…ううん」

「先輩、もうマネージャーじゃないんすよね」

「うん」

「遠慮しなくていいんすよね」

「遠慮…?」

「好きです、先輩」


仙道くんが、私の台詞を奪っていった。

いつもはもっと、遠かったはずのツンツン頭が、すぐ近くにある。

いつもはもっと、にこにこしているはずの表情は、真剣な顔になっている。

いつもあったはずの、部員とマネージャーという壁がなくなった。


「まいったな。また泣かせた」

「わたし、も、好き。好きなの…」

「俺、邪魔にならないですか?」

「ならないよ。年の差も、関係ない。わたし、待ってるから」

「あー、よかったあー!」


仙道くんが、わたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「どっちが歳上かわかんないね」

「桜子」

「あき、ら」

「これでいよいよわかんないっすね」


リストバンドに、今日の日付を刻んだ。





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