しっぽ


流川くんは、なにかしらの要求があるとき、いつも私の髪をひっぱる。


「いたっ」

「先輩」

「…なんでしょう」

「レモン」


髪が長いわたしは、マネージャーをするときはいつも結んでいた。
今日はポニーテールだから引っ張り放題で、でもふたつ結びでもこの子はダブルで引っ張ってくる。


「流川くん、わたしはげちゃう」

「逆にいい刺激」


いらないよ!とつっこむと、流川くんはレモンをかじったまま逃げるようにさっさと水道へ行ってしまった。後ろから眺めるその様子はさながらお揚げを泥棒する狐のようだったから、桜木くんの言うこともあながち間違っていないな、むしろ的を射ている、と思った。


「わたしにはやらないのにね、あの子」


レモンをしまっていると、彩子がハリセンを手に話かけてきた。


「彩子は薄毛だと思われてないんだよ、きっと」

「あんた薄毛だと思われてんの?」

「たぶん…あと、ハリセンで殴られるの怖いとか」


わたしもハリセン持とうかな、なんて一応言ってはみたものの、別に嫌じゃなかった。
むしろうれしかったりする。なんか、かわいくて。


次の日はなんとなくふたつにした。マネージャーだとおしゃれすることも出来ないしきっと需要もないけれど、毎日同じ髪形ではいまいちやる気も起きないからよく変えていた。まあ選択肢は今のところ2つしかないんだけれど。今度彩子とふたりで雑誌でも見ようかな、なんて思いながら例のお揚げを準備した。

そして休憩に入るとやっぱり流川くんは引っ張りに来る。

「レモン?」

「もう食べた」

「え!いつの間に!」

「置いてあったから」

「…すごい減ってるよ流川くん」

「うまかったっす」

「はい、そういう人には須らく天罰が下ります。ボール数えに行きますよー」


大人しく言うことを聞いた流川くんは、2本の髪の束を持ったまま後ろをついてきた。こういう時普通の人だったら嫌な顔をするはずだけれど、流川くんはどう見ても普通の人じゃないからあまり表情が変わらなかった。
でももしかすると流川くんは良く言えばポーカーフェイス、悪く言えば無愛想だから変わらなかったように見えただけで、実は眉間に皺なんて寄ってたりして、なんてちょっと不安になって振り返ってみた。


「え」


すると斜め上には予想通り、いや予想以上に眉間に深い皺のある流川くんの顔があった。大男のそんな顔を間近で見るとさすがに怖くて心配になったが、よく見ると口をもぐもぐさせていた。


「すっぱい」


そんな緊張感のかけらもないことを言ったので、杞憂の緊張から解放されたわたしは思わず笑ってしまった。

相変わらず先輩であるわたしの髪を握り続ける流川くん。ああ、いま端から見たら絶対かわいいことになってる。お揚げを泥棒した狐が捕まった図だ。


「あ、あそこにボール」


流川くんは器用に髪を操縦して、わたしを横に向かせた。


「ちょっと、操縦しないでよ!」


わたしが至極真当なツッコミを入れると流川くんは笑った。笑い事じゃない。割と痛いんだぞ。
それでもこの状況を許し続けてはや4か月なんだから、わたしも大概物好きだと思う。



そのまた次の日はポニーテールにした。
この日は特に暑い日で、しかもひどく蒸していた。日本の夏。まさにそんな感じだった。
下を向くと汗のせいで髪が首にくっついて気持ち悪い。仕方ないから首にタオルをかけた。

そういえば、晴子ちゃんって髪切ってたなー、なんて思い出して


「わたしも髪切ろうかなー」


と、誰に言うわけでもなくつぶやいたら


「いてててて!!」


急にポニーを引っ張られた。しかもいつもより強い。
抵抗できるはずもなく、わたしはすっかり真上を向かされた。

視界にあるのは、天井と流川くん。


「つ、強くない…?」

「切るんすか」

「え」

「しっぽ」

「うーん…暑いし…」

「もう決定?」

「悩んでる」

「じゃあダメ」

「えっ…」

「これ出来なくなる」


だからダメ。そんな後輩からの至近距離でくだされた命令の強制力に抗えるほどの心臓は持ち合わせていなかった。はい、と敬語になってしまったのは、狐に化かされて心臓を鷲掴みにされたからだと思った。


「それに、桜子先輩はしっぽあったほうがいい」


そう言われて、わたしは解放された。捕まえていたのはわたしの方だったはずなのに。いつからそうなってしまっていたのか、やっぱりわたしは化かされていた。

流川くんは自分でレモンを取り出して、いつものように水道へ行ってしまった。


ただいつもと違うものがあった。

それは、いつもよりボサボサのわたしのしっぽと、水道へ向かう流川くんの赤い耳だった。






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