すっかり日が短くなった空はもう暗く、時折り吹く風に窓がガタガタと音を立てている。

私は薄暗い自分の部屋のテーブルの上で両手で頬杖をつき、仕事終わりの疲労感をそれなりに感じながらぼんやりと目を閉じていた。
ふと、廊下から足音が近づいてくるのが聞こえて、閉じていた瞼をゆっくりと開いて視線の先にあるドアを真っ直ぐに見つめる。その足音は私の部屋の前まで来ると止まり、そして躊躇いなくドアが開いた。


「よう」


まるで自分の部屋のようにノックすらせず、当たり前のように部屋に入ってくる。そして壁際に置いてある椅子を手に取り、私のいるテーブルの手前に持ってくるとそこに腰を下ろした。
頬杖をついたまま黙ってそれを眺めていた私は、お疲れ様、とだけ言って両手を下ろした。


「お前、明日は」
「明日?は、ゆっくりだよ。急ぎの仕事もないし」
「そうか。」


リヴァイはそれだけ言うと私の目の前に置いてある紙に視線を落とした。


「今日はもう終わりか?」
「うん。この報告書だけ書いたら」


とん、と人差し指で紙を差す。リヴァイが背凭れに背中を預けると、ギシリと椅子が鳴った。それから、ぽつりと呟く。


「飲みに行かねえか」


リヴァイから飲みの誘いである。


「……今から?」
「ああ」
「どこで?外で?」
「外で」


まだまだ夜は長い。今日はもうこれで終わりだし、明日は昼ごろまでゆっくり出来る。そして何よりリヴァイからの誘いを断る理由はなく。強いて言うなら外が寒いからあまり出たくない、くらいか。だがそんなことはどうでもいい。


「うん。いいよ。でもこれだけ書かせて」
「ああ」
「リヴァイも明日ゆっくりなの?私は昼頃くらいまで休むけど」
「あぁ、まぁお前ほどじゃねえがな」
「そっか。……今日って何日だっけ」
「24日」


ペンを手に取り、報告書に11月24日と書く。するとリヴァイが立ち上がり、私は顔を上げた。


「終わったら俺の部屋に来い」
「りょーかい。あ、着替えた方がいいかな」
「……このまま行くのもな。」
「分かった。じゃあこれ書いて着替えたらすぐ行く」


仕事着のまま飲みに行くのは気分が乗らないらしい。気にしない時もあるが、今日は気分を変えたいのだろう。
リヴァイは一旦着替えに部屋に戻り、私はさっさと済ませようと報告書にペンを走らせた。





夜の外は寒いだろうから軽くコートを羽織って、リヴァイの部屋をノックした。するとすぐに扉が開き、中から着替え終えているリヴァイが顔を出した。私服にコートという、私と同じスタイルだ。


「行くか。」


そう言って、リヴァイは手に持っていた自身の紺色のマフラーを私の首元に巻きつけた。そして納得したように廊下を歩き出すが、リヴァイの首元には何も巻かれていない。私は遅れないように追いかけ、隣に並んだ。


「…リヴァイの方が首元寒そうだよ」
「俺は平気だ」
「刈り上がってるのに?」


そう言ってリヴァイの後頭部を触ると、ちらりとこっちを見る。──そういえばこの前古くなったマフラーを捨てた時、新しいのを買わないと、とリヴァイに話していたことを思い出した。私がマフラーを持っていないことを覚えていたのだろう。


「……マフラー買わないとだなぁ」
「それやるよ」
「えっいいよリヴァイのがなくなるじゃん」
「俺は別になくてもいい」
「なんでよ」
「必要ない」
「必要ないなら何でこれは持ってたのよ」
「去年買ったがいらなかった」
「そんな事ある?」
「ほとんど使ってねえしお前が使え」
「いらん」
「何でだよ」
「これからもっと寒くなるんだからリヴァイも持ってた方がいいに決まってんでしょうが」
「頑固だなてめえは」
「いやリヴァイもな。でも今日は借りとく。ありがとう」


とりあえず今日のところは素直に受け取り、礼を言って前を向く。私が折れないことを理解したのか、リヴァイもそれ以上は何も言ってこなかった。
それにしても、こんなふうに二人で出掛けるのなんて久しぶりで、その事実は私の足取りを確実に軽くさせ、首元の暖かさを感じながらリヴァイの隣を歩いた。





「もう一杯飲んでいい?」
「そろそろやめとけ」
「なんでだ!」


騒がしい店内の端っこの窓際の席で、頬を赤らめている私にリヴァイはもう飲むなと言った。リヴァイの顔色は部屋を出た時から何一つ変わっていない。


「あと一杯だけ……」
「一時間前もそう言ってたな」
「うそつけ!」
「嘘つきはお前だこの酔っ払いが」


嘘つきだと?と思っていると、真正面に座っているリヴァイの手がいきなりこちらへと伸びてきて、コップに入りそうだった髪を耳の後ろの方へと流された。その手つきが少しだけ気持ちよくて、目を閉じかける。


「んー……、きょう、楽しいなぁ」
「そりゃ良かったな。楽しいままで終わらせたいならここいらでやめておけ。」
「うー…ん」
「もう十分飲んだだろ」
「………帰るのもったいない」
「続きは部屋でな」


そう言うと立ち上がり、少し項垂れている私を余所にさっさと会計を済ませるリヴァイ。私もお金を出そうと財布をごそごそと探すが、探しきれずにそのうち手が止まる。そのまま騒がしい店内の音を聞き流しながら目を閉じていると、横から腕を掴まれた。


「ナマエ、帰るぞ」
「…帰るのー?」
「ここで一晩明かす気なら一人でやれ」


ガタリと椅子を立たされ、されるがままに立ち上がる。椅子にかけていたコートとマフラーを手渡されて、それにごそごそと腕を通し、マフラーをのろのろと首に巻く。緩慢な動きで隣を見ると、すでにコートを身につけたリヴァイがポケットに両手を突っ込みながら私を待っていた。


「ごめん、行こっかぁ」


へらっと笑うとリヴァイはポケットから手を出し、喧騒の中で私の左手を攫う。思いがけず手を握られて内心驚いていると、フラフラされても困る、とリヴァイは言い訳のようなものをした。そうして引っ張られるように歩き出し、二人で騒がしい店を出た。



冷たい風が頬を撫でて、少しだけ酔いが覚める。寒くて思わずリヴァイの方にすり寄ると、握られた手がそのままリヴァイのコートのポケットの中へと突っ込まれた。外気から守られて暖かいが、これはこれで人目が気になる。それにこんなこと普段なら絶対にしてこないのに、もしかしたら見た目からは分からないがリヴァイも少しは酔っているのだろうか。そんなことを思いながらちらりと周りを見渡せば、人通りはそんなに多くなかった。真っ昼間じゃなければ目立ちはしないだろう。
澄んだ空気に息を吐くと白くなり、夜に消えていく。こんなふうに手を繋いで寄り添いながら歩くなんておそらく初めてのことで、思考がふわふわしてきて、次第に口元が緩んでいく。リヴァイは黙ったまま、けれど私の歩幅に合わせて歩いていた。


「リヴァイ、なんか今日は、いい日だねぇ」
「……ああ、悪くない」


空を見上げると月が見えて、綺麗だな、とふと思う。
のんびり歩いていると後ろから風が吹いて、ちゃんと巻かれていなかったマフラーの片方がほどけて飛んできた。風に目を閉じかけながらそれを元に戻そうとすると、それよりも先にリヴァイの左手がそれを掴み、巻き直してくれる。なんだか今日は至れり尽くせりだな、なんて頭の片隅で思いながら、お礼を言おうと顔を上げると、思ったよりもリヴァイの顔が近くにあって、出かけた言葉が引っ込んだ。
何も言わずにぼんやりとただリヴァイを見ていると、そのまま唇にキスが落ちてきて、私の思考は止まりかける。ポケットの中で握られた手に思わず力が入った。その瞬間、寒さも感じずにリヴァイのことだけで頭と胸がいっぱいになる。唇はすぐに離れて、リヴァイは私から目を逸らしてまたゆっくりと歩き出した。

月だけが、私たちを見ている。


──いつも、近くにはいるけれど、やる事が多くてなかなか二人っきりの時間は作れない。忙しいから仕方のないことだし、別にそれは構わない。だけど、こうやって二人でゆっくり過ごして、どうでもいい話をしたり、手を繋いだり、触れ合うことが出来ると、胸が温まって心が満ちていく。

繋いだ手が温かい。ふと空を見上げる。月が綺麗だ。とても綺麗だ。なんだか涙が出そうなくらいに。


「……リヴァイ、」


思わず名前を呼ぶ。リヴァイの顔がこっちを向く。
それだけでいいと思えた。言葉も何も、いらないとさえ思えた。


「……んふ、ふへへ、」


幸福感で満たされた私は堪えきれずに笑みをこぼす。そしてそれを見たリヴァイも微かに表情を緩めた。いつまでも、こんなふうに笑い合いたい。隣で、隣同士で。───ずっと。



「何だそのツラは。気持ち悪ぃな。」


腑抜けた思考にピシリとヒビが入る。それをひどく冷静に真顔で言ったリヴァイに、突然水をぶっかけられたような気分になった。ひゅうと冷たい風が吹き、そのまま前を向くリヴァイの横顔を私は見つめ続ける。


「……あん?」
「……あ?」


私は思わず低い声を出した。


「誰が、気持ち悪いだって?」
「お前だが」
「恋人に言うセリフか?」
「教えてやらねえと、可哀想だろ」
「おん?言っとくけど、お前のせいだからな?」
「俺は何もしてねえよ」
「したよね?急にキスしてきたよね?記憶喪失か?」
「変なことはしてねえって事だ」
「少なくともこんな街中ですることではねえよ」
「どうせ誰も見てねえよ。」
「本当に?言い切れる?」
「確認済みだ」
「確認とかしてたのかよ。あの一瞬で」
「当たり前だろ。誰かに見られでもしたらどうする」
「だから街中でわざわざすることではないんだよ。必死かよ」
「喜んでたくせに文句言うな」
「照れ隠しか何か知らないけどもっと可愛げを持った方がいいよリヴァイは」
「別に照れてないんだが。何訳の分からないこと言ってんだ」
「いや訳が分からないのはそっちでしょうが。照れ隠しだったとしてもいきなり気持ち悪いとか普通言うか?」
「だから照れ隠しじゃねえっつってんだろうが」
「照れ隠しじゃないんだとしたらマジで許さないが」
「うるせえ。もう黙れ」
「リヴァイが私を好きすぎるあまりに街中でキスしましたって正直な気持ちを言ったら黙ってあげる」
「誰が言うかそんなこと」
「ん?思ってるってことは否定しないんだね?」
「……うるせえ。黙れ。」
「もっと素直になった方がいいよリヴァイは」
「俺は素直だ」
「どこが?」


静かな街に私達の口喧嘩が小さく響く。離れることなく繋がった手から確かな温もりを感じながら、しょうもないことを言い合って歩いていく。きっと、これからもずっと、歩いていく。

月が呆れたように私達を照らしていた。


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