青い空を鳥が飛んでいく。

天と地の戦いから、一年と少しが経とうとしていた。季節は春を迎えている。

ナマエ達の住んでいるこの街は、世界を滅亡から救った英雄の一人であるオニャンコポンの故郷でもあり、地鳴らしの被害を奇跡的に免れた幸運な国だ。彼女達はそこで国から手厚いサポートを受けながら、日々を暮らしている。もう兵士でもなければ、武器を持つ必要もない。


街中で待ち合わせをしているナマエは、約束の時間の少し前にはすでに到着していて、そこに一人で立ちながら何気なく空を見上げていた。一羽の鳥が遠くへ飛んでいくのを目で追って、そのまま見送る。
太陽が眩しくて少し目を細めると、聞き慣れた二つの声がナマエを呼ぶのが聞こえて、空から視線を下ろし声の方を向いた。


「ナマエさん、早いですね」
「あれ?ナマエ一人?リヴァイは?」


そこには、初めて会った時よりも少し背の伸びたファルコとガビが立っていた。二人とも今は歳相応の格好をしていて、そして何より初めて会った時よりも柔和な表情をナマエに向けている。
ナマエは近寄ってくる二人の方に一歩を踏み出した。


「リヴァイも誘ったのですが、今回は遠慮しておくそうです。家にいますよ」


ファルコとガビは今は学生をしていて、家族と共にこの街に暮らしている。ナマエ達との親交も続いていて、良い関係を築いていた。


「ふうん。せっかく可愛いガビちゃんが誘ってるのに、非常識なやつだなあ」
「非常識はお前だよ。いつまでナマエさん達のこと呼び捨てにしてるつもりだ?あと敬語使えって」


今日はこれから、美味しい紅茶が飲める店でお茶をする約束をしていて、学校帰りのガビとファルコと待ち合わせをしていたのだ。
こういう時いつもならリヴァイも来るのだが、今回は不参加だ。おそらく、いつも付きっきりのナマエに遠慮をしたのだろう。たまには一人で行ってこい、と送り出された。

三人はいつものように喋りながら、店に向かって歩き出した。


「ナマエが良いって言ってるんだから別に今更敬語じゃなくてもよくない?気にしてるのファルコだけだから」
「ナマエさんは優しいから許してくれてるだけで、それに甘えるのは良くないだろ……」
「別に私は構いませんよ。気にしないで下さい」
「ほらぁ。ていうかむしろ、どうしてナマエが私達に敬語なのかの方が気になるよ」
「お前な……」
「何よ。じゃあファルコは気にならないっての?」
「……。まぁ、確かに……誰に対しても敬語だなぁくらいのことは、思ってるけど。」
「何だよ、ファルコだって思ってんじゃん。」
「それくらいは別にいいだろ!」


いつものようにじゃれあいみたいな言い合いをしている二人を見て、仲が良いなあとナマエは呑気に思う。他人事のように歩みを進めていると、で、何で敬語なの?とガビがナマエに問いかけて、ファルコも同じようにナマエへ顔を向ける。じっと見つめてくる二人に、ナマエもそっちを見ながら口を開いた。


「大した理由はありません。ただ相手によって敬語とそれ以外を使い分けるのが面倒だったので。」
「え、何その理由。ずっと敬語の方が絶対面倒くさいんだけど」


ナマエの返答に、ガビは到底理解出来ない、といった顔をした。ファルコはそんなあからさまな態度のガビに、そんなふうに言うなよ、と肘で彼女を小突く。
しかし当の本人は全く気にしておらず、ナマエは相変わらずの無表情で二人を見ている。敬語を使うことに対しても、それを不便だと思ったことはなかった。



「──ガビ、ファルコ、着きましたよ」


話をしているとあっという間に目的の店に着き、未だ何かを言い合っている二人に声をかける。えっ?と声を合わせて足を止める二人を横目に、ナマエは店のドアを開いた。

紅茶の良い香りがするその店は、店主が変わったことによってリニューアルをしたらしく、内装はほとんど同じだが、メニューなどが以前とは少し違うらしい。紅茶の味も良くなったとかで、オニャンコポンからその話を聞いたガビがナマエを誘ったのだ。


「へーこんな感じなんだあ。いい感じじゃん。広いし、リヴァイも来れば良かったのに」
「また今度誘ってみよう」


少しだけ混んでいる店内をきょろきょろと見渡しながらガビとファルコがそう言う。三人は窓際の空いているところに案内され、席に着いた。今は人が多いが、全体的に素敵な雰囲気の店だ。


「…そういえば、この前ファルコが選んでくれた紅茶を飲みました。香りがとても良くて、美味しかったです。」


さっそくメニューに目を通しているとふとそれを思い出し、顔を上げたナマエは向かい側に座っているファルコに礼を伝える。リヴァイも気に入っていたことを話すと、ファルコは謙遜しつつ、良かったです、と控えめに笑った。
そんな二人のやりとりを黙って見ていたガビが、隣に座っているファルコの方に身を乗り出す。


「え、なに?ファルコ、ナマエと買い物行ったの?何それ、いつ?私聞いてないんだけど」
「…何でお前にいちいち言わなくちゃいけないんだよ。別にいつでもいいだろ。それにその時は……、」
「はあ?何で隠すの?ナマエと二人っきりで行ったわけ?どうして私も誘わないの?」
「っいやだからナマエさんとじゃねぇから!その時はリヴァイさんと行ったんだよ。しかもその時お前確か用事があるとかで誘えなかったんだよ」
「………はあ?何だよ、それならそうと早く言いなよ。」
「お前が勝手に勘違いして聞かなかったんだろ!」
「次からは私も誘えよ。私だってナマエと買い物したいんだから」
「だからその時はリヴァイさんとだって言ってるだろ……」
「細かいことはいいんだよ。」
「お前の方がよっぽど細かいこと言ってるからな?」
「二人とも、注文は決まりましたか?私はこのセットにしますが」
「……」
「……」


明らかにメニューになんて目すら通してなかった二人に、ナマエは自身の分をさっさと決めてそう問いかける。二人はそこでようやく静かになり、黙ったままメニュー表を手に取った。
一つのメニュー表を二人で覗き込んでいるガビとファルコからそっと目を逸らして、ナマエは窓の外に視線を向けながら背もたれに凭れた。こういう時は大体、ガビとファルコはいつも何を頼むかで少し時間がかかる。先程は二人の言い合いを止めに入ったが、基本的に待つのが苦じゃないナマエは、急かすような様子もなくただただ窓の外を見ていつものように二人が注文を決めるのを待った。

紅茶の香りと、店の中に流れるゆったりとした雰囲気が心地いい。
こういう何でもないような時間が、ナマエは嫌いではない。





「──ナマエさん、今日はありがとうございました」
「こちらこそ。お誘いありがとうございました」


店を出ると、空はもう茜色に染まりつつあった。春の穏やかな風に頬を撫でられる。
三人は待ち合わせをした場所の辺りまで戻り、向かい合っていた。


「リヴァイに伝えといてね。次は来ないと許さないってさ」
「ガビ、お前は一体どういう立場なんだよ?」
「分かりました。伝えておきます」
「伝えておくんですね……?」


じゃあねー、と笑顔で大きく手を振りながら帰っていくガビと、その隣で控えめにぺこりと頭を下げながら歩いていくファルコ。
小さく手を振り返しながら、ナマエは二人が見えなくなるまでその後ろ姿を見送った。


「──あれ?ナマエさん?」


二人を見送り、自身も歩き出そうとしたところで、突然名前を呼ばれた。ナマエは踏み出そうとした足を思わず止めて、声のした方に振り返る。

そこには、白いスーツに身を包んだオニャンコポンの姿があった。
ナマエはそっちに向き直って、彼に挨拶をする。


「オニャンコポン。こんばんは」
「こんばんは。買い物中ですか?」
「いえ、さっきまでガビとファルコと一緒にお茶をしてたんです。今別れたばかりで」
「あぁ、もしかしてこの前ガビに教えた店ですか?」
「はい。素敵なお店でした。紅茶も美味しかったですし」
「それは良かった」


そう言って、オニャンコポンはまるで自分のことのように和やかに笑った。

オニャンコポンはちょうど家に帰るところらしく、途中まで一緒に帰ることになり、二人並んで歩き出した。
彼とはパラディ島の頃からの日々も含めると、それなりの時間を共にしてきている。この街に来てからも、初めの頃なんかは特に世話になることが多かった。


「そういえば、オニャンコポンに相談したいことがあったのですが」
「相談?何でしょう。何でも言って下さい」


いつも親身になってくれるオニャンコポンに、ナマエはそれだけで気持ちが軽くなるような思いがした。小さくお礼を言って、前を向く。


「私もそろそろ何か仕事をしようと思っているのですが、でもずっと兵士しかやってこなかったので、何が出来るかいまいち分からなくて……どうしようかと」
「仕事ですか」
「はい。この街にはお世話になってるので、何か人の役に立てるような仕事があれば嬉しいのですが」
「……役に立てるような、ですか」


ナマエは街を、人々を、眺めながらそう話す。
あれから一年と少し、この街は相変わらず彼女を快く受け入れてくれている。世界を救った英雄──などと言われても、ナマエにはその自覚はない。それでも彼女はそのように丁寧に扱われているし、英雄の一人とされている。そんな街に恩返しをしたいと考えるのは彼女にとって自然なことであった。
ナマエはずっと、何か役に立てるようなことが出来たらいいと、考えあぐねていた。


「──俺は、どんな仕事でもいいと思いますよ」


しかし、そんなナマエの気持ちとは裏腹に、オニャンコポンはどんな仕事でもいいと、彼女と同じように街を眺めながら柔らかな声色でそう言った。その言葉にナマエは、どんな仕事でも?と、オニャンコポンの方を見る。


「はい。たとえどんな仕事でも、それは誰かの、何かの役に立っているんだと、俺は思います。何の役にも立たない仕事なんてありませんから」


続けて話すオニャンコポンの横顔を、ナマエはじっと見つめる。


「仕事に大きいも小さいもありません。それにナマエさんは真面目で優秀な方ですから、どんな仕事でも熟せると思いますし、だから、あまり難しく考え過ぎずに、ナマエさんに出来ることをすればいいんじゃないでしょうか」


そう言って穏やかな表情をナマエに向けるオニャンコポンに、ナマエは思わず黙り込む。そうして、暫く互いに何も言わずに歩いたあと、ナマエがそっと口を開いた。


「……確かに、その通りです」


仕事に大きいも小さいもない。その通りだと、彼女は思った。それと同時に、前々から思っていたことだが、オニャンコポンの考え方が好きだと、改めてそう感じた。

ナマエは空を見上げて、これからのことを思う。調査兵団にいた頃は、兵士でなくなった時の自分なんて考えたこともなかった。
これから先、どんなふうになっていくのだろう。
未来のことは分からないが、自分に出来ることを少しずつやっていこうと、ナマエはそう思った。

オニャンコポンに礼を伝えると、彼はいえいえ、と優しく笑った。


「ということは、リヴァイさんの体はもう大丈夫そうなんですか?」
「……リヴァイ、ですか?」
「ええ。ナマエさんが仕事を探そうと思ったのは、リヴァイさんが落ち着いてきたからじゃないんですか?」


オニャンコポンのその何気ない言葉に、ナマエは思わずリヴァイのことが頭に浮かんだ。
車椅子に座っているリヴァイの姿が思い浮かぶ。


「……そう、ですね。あれからもう一年が経ちましたし、リヴァイの身体も大分落ち着いてきたように思います。」


生活のほとんどをリヴァイの家で過ごしているナマエは、生活が一変してしまったリヴァイの身の回りの手伝いなどを今までずっとやってきた。誰に頼まれたわけでもないが、そうするのがナマエの中では当たり前のことだった。そしてそれはおそらくこれからも変わらないが、仕事を探そうと思ったのは、オニャンコポンの言う通りでナマエもリヴァイもこの生活に慣れて、落ち着いてきたからだった。

ナマエはふと、天と地の戦いのすぐあとのリヴァイの身体のことを思い出す。そして無意識に少しだけ眉根を寄せた。

今までいろんなことがあったリヴァイには、これからは出来れば穏やかな時間を過ごしてほしいと思う。前に比べると出来ることは限られてしまったかもしれないが、それでも幸せを見つけることは不可能ではないはずだ。

リヴァイは、兵士でなくなった時のことを考えたことがあっただろうか。兵士でなくなった今、何を思うのだろう。

ナマエは小さく息を吐き、真っ直ぐ前を向く。

空は少しずつ薄暗くなってきていた。





鍵を取り出し、それを鍵穴に差し込む。ナマエはオニャンコポンと別れたあと、当然のようにリヴァイの家に帰ってきていた。すぐ隣には自分の家があるが、そっちにはもはや眠りに帰ってるだけとなっている。

鍵を開けてドアノブを捻り、ただいま帰りました、といつものように言おうとした。けれど、声が出なかった。目に入ってきた光景に、目を奪われたからだ。

そこには、両脚をしっかりと床につけて立っているリヴァイがいた。
テーブルの前でこちらに背を向けて立っているその後ろ姿が、昔の姿と重なって見えて、ナマエは一瞬息をするのを忘れてしまう。
ステッキも持たず、車椅子もなく、一人で立っているその姿は、ナマエの目にひどく懐かしく映る。


「……何だ、早かったな。何突っ立ってんだ」


ナマエの方をゆっくりと見たリヴァイの顔には、大きな傷がある。それを見てナマエは更に何も言えなくなった。一気に現実に引き戻されたような気分だ。


「……オイ。どうかしたのか」


それは、まるで昔の彼に戻ったかのような後ろ姿であった。車椅子もステッキも必要としない、自分の足でしっかりと立っているあの頃の。

リヴァイは玄関先で立ち尽くしているナマエを怪訝に思い、身体ごと振り返ろうとして、テーブルについていた片手を少し動かす。支えもなく立っているように見えたが、実際はちゃんとテーブルに手をついていたのだ。そうして振り返ろうとした──その時、足が上手く動かずに、膝がガクンと崩れた。
それが分かった瞬間、ナマエはハッとして考えるよりも早くリヴァイの方へと駆け出し、手を前へ伸ばした。


──今まで、伸ばした手は届かず、失われていった仲間の命をたくさん見てきた。
ナマエはもう、これ以上何も失いたくはなかった。

どうしてか過去の戦場でのことがフラッシュバックしそうになったのを、ナマエはぐっと堪えて、もう何も失わないように必死で手を伸ばした。




「……大丈夫ですか?」
「………悪い。」


ほとんど反射で動いたナマエは、それでもなんとかリヴァイが床に倒れ込む前に抱きとめることが出来て、背中に回した手にぎゅっと力を込める。
とりあえず床との衝突は防げて、ナマエはリヴァイを抱きしめたままそっと胸を撫で下ろした。

ナマエの体に完全に凭れ掛かってしまっているリヴァイは、足に力を入れようとしたが、上手く力が入らなかった。ナマエに支えられながらなんとか立ててはいるものの、一人で立つことは出来そうにない。


「……ベッドまで移動します。少し、動けますか?」
「ああ……頼む」


近いところにベッドがあるため、そこまで肩を貸しながらなんとか移動をした。
ゆっくりとベッドに腰を下ろしたリヴァイから手を離し、ナマエは姿勢を正す。それから小さく息をつくと、目の前に座っているリヴァイを見下ろした。


「……大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。悪かった」


二度目のその確認に、リヴァイは少しばつが悪そうに口早く答えた。

ナマエは肩の力を抜き、リヴァイから少し目を逸らすと、拳をぎゅっと握り締める。手に残る感触が、暫く忘れられそうにない。リヴァイの体付きが大分、変わっていたからだ。以前の逞しかった頃のリヴァイを思い出し、また少し胸が痛んだ。


「……あまり、無理はしないで下さい。怪我でもしたら危ないです」


全く足を動かさないのも良くないが、無理をするのだって当然良くない。こういうのは適度にするべきだ。

怒るというよりもどことなく悲しそうな顔をするナマエを見て、リヴァイは視線を落とした。


「そうだな」


リヴァイが静かにそう言うと、それを最後に部屋は静かになり、互いに目を合わせることはなく沈黙が続く。

すると玄関のドアがギイと音を立てて、そこでナマエはドアを開けっ放しにしていたことに気が付いた。そっちを見て、黙ったまま足を進めてドアを閉める。バタン、と音がして、なんだか余計に家が静まり返ったような気がした。その場でゆっくりと振り返り、リヴァイの方を見るが、依然、視線は交わらない。

──本当は、彼の身体のことで、押し付けるようなことはなるべく言いたくはない。一番辛いのはリヴァイ本人で、体のことを一番分かっているのもリヴァイだからだ。口を出すことじゃないとは思っているものの、心配な気持ちが口から出てしまうことは少なくはない。

ナマエは何も言わないまま再びリヴァイへと近寄り、そしてそのまま彼の右隣に腰掛ける。
暫しの沈黙のあと、ナマエが静かに口を開いた。


「……ガビが、」
「……、」
「リヴァイに、会いたがってました」
「………本当かよ」
「次は、一緒に行きましょう」


ナマエは眉尻を下げながらリヴァイにそっと微笑みかける。

ナマエの優しさに、リヴァイは少し胸が痛むような思いがした。しかしそれと同時に、安堵もする。

互いにいろんな感情があるが、大切に思っていることだけは確かだった。


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