その家は、市街地から少しだけ外れた、閑静な場所にあった。

横並びに建つ平屋造りの二軒の家を、よく晴れた空から太陽の光が温かく照らしている。同じ作りのその二つの家はそこまで大きいわけではないが、一人で住むには十分すぎるくらいの大きさだ。
そっとそよ風が吹くと、家の側にある木の枝葉を穏やかに揺らした。


リヴァイはそれを家の窓から何気なく眺めていた。
そこから見える風景は平穏そのもので、家の周りは人通りも少なく騒がしい声も聞こえてこない。たまに通りすがる人は身なりもきちんとしていて、佇まいも穏やかである。

揺れる木漏れ日を見ていると、ふと後ろの方からカチャリと音が聞こえて、そちらに視線を向ければちょうどナマエがテーブルで紅茶の用意をしているところだった。


「良い香りですね、この紅茶」


紅茶をカップに注ぎながら、ナマエはそう言った。家の中は紅茶の香りで満たされている。
ナマエの声色は落ち着いていて、リヴァイの耳によく馴染む。リヴァイは車椅子を自分で動かし、テーブルの側へと寄った。


「…それはファルコが選んだもんだ。感想ならあいつに言ってやれ」


慣れた手付きで紅茶を注ぎ終えると、ナマエは自分の分とリヴァイの分のカップをそれぞれに置く。
リヴァイはナマエの向かいに、車椅子に座ったままでテーブルに着いた。それに気付いたナマエは、家の中を見渡すように視線を彷徨わせると、ベッドの傍らにステッキが放置してあるのを見つけた。それからそのままゆっくりとリヴァイの方を見る。そのナマエの無言の視線の意味が分かったリヴァイは、そのまま肘掛けに頬杖をつき、それからもう片方の手で拳を作り車椅子をトン、と軽く叩いた。


「言いたいことは分かる。ただ、これに慣れるとつい歩くことを忘れちまう。」
「……なるべくは、歩いた方がいいと思います。家の中では」


ナマエはそれを責めるわけでもなく、また呆れたような言い方もせずただ純粋に彼の体のことを思ってそう言った。

リヴァイは、普段から車椅子を利用しているが、完全に歩けないわけではない。ステッキに支えられながらなら多少の歩行も可能であるし、一人で立つことも出来る。しかし外では車椅子での移動が多く、自身の足で歩くことがないので、せめて家の中でくらいは無理のない程度に足を動かした方がいいとナマエは思っているのだ。医者もそのように言っているし、リヴァイ自身も今後の体の為にも多少は動かした方がいいと思ってはいるのだが、最近は車椅子での移動にもだいぶ慣れてきて、たまにそういうことを忘れてしまう時がある。


「ああ、分かってる」


リヴァイは用意されたカップの縁に指先で触れて、そしてそれをいつものようにソーサーから持ち上げてゆっくりとカップに口を付けた。ナマエはその姿を見つめながら、自身もカップの持ち手を指で軽くつまむ。彼の奥にある窓からは、緩やかな景色が見えている。もう、大分見慣れてきた風景だ。
リヴァイは紅茶をこくりと一口飲んでから、吐息を漏らした。


「美味いな」


呟くようなその言葉を聞いて、ナマエはぼんやりとファルコにお礼を言っておかなければ、と思った。それから自身もカップを持ち上げて、一口飲んでみると、ファルコの選んでくれたそれは本当に美味しかった。彼はこういうものを選ぶセンスが良いように思う。そう遠くない未来、素敵な男性になっている姿が安易に想像出来た。


「まぁ、お前の紅茶の淹れ方が上達したってのもあるのかもしれないが」


何気ないリヴァイのその一言に、ソーサーに戻したカップに視線を落としていたナマエはそっと顔を上げる。
続けて、どこか懐かしむようにリヴァイが口を開いた。


「初めてお前が淹れた紅茶の不味さは、忘れられねえ。」


そう言われて、彼と同じように、ナマエも昔のことを思い出す。彼女が初めて紅茶を淹れたのは、リヴァイが調査兵団に入ってきて暫く経ってからのことだった。班が同じになり話すようになってから、休憩時間に慣れない手付きでたどたどしくやったのを覚えている。


「…リヴァイと出会うまでは、紅茶なんて飲んだこともありませんでしたから」


それまでのナマエは、喉が渇けば水を飲めばいい、という極めて単純な思考で、わざわざ味のついた飲み物を飲む必要はないと思っていた。水で喉が潤うならば、水以外を飲む理由がなかったのだ。
その頃のナマエにはお茶の味を楽しむなんて情緒は当然なく、食事に関しても腹にたまれば何でもいいという考えであった。


「私がこういうものを摂るようになったのはリヴァイといるようになってからです」


紅茶の味も分からねえのか、と地下街から出てきた男に言われたことを昨日のことのように思い出せる。
ナマエはあの頃のリヴァイとのやりとりを思い出し、微かに表情を和らげた。それらは随分と昔のことのようにも思えるのに、ナマエはリヴァイの表情や仕草の一つ一つを鮮明に思い出すことが出来た。

華奢なカップの持ち手と縁の部分に、指先で慈しむように触れていたナマエは、伏せられていた睫毛を上げる。
真っ直ぐ目の前を見ると、目に入ってきたのは思い出の姿とは違う、今のリヴァイの姿だ。顔には生々しい大きな傷痕があり、そしてその瞳は左側しか世界を映していない。指も、二本失われている。
それを見て、ナマエがその痛々しさに顔を歪めることはもうなくなったが、それでも、今でも心の奥が疼くときがある。
今まで数え切れない程の残酷なものを映してきたその瞳は、残された左眼は、これから先どんな世界を映していくのだろうか。それはナマエには分からないが、少しでも多く、美しいものが映ればいいと思う。


「……何してやがる」


ナマエの左手が、引き裂くように出来たリヴァイの顔の傷に触れる。ほとんど無意識に伸ばされたその手は、そのまま傷痕を撫でるようにそっと動いた。


「……何が…ですか」


リヴァイの問いにゆるりと首を傾げたナマエは、まるで傷の感触を確かめるように、親指でリヴァイの下瞼を優しくなぞる。
そんなナマエにリヴァイは少し呆れたように、その手首を掴んだ。


「何が、じゃねえ。こんだけ堂々と人の顔に触っておいてしらばっくれる気か。感覚がねえわけじゃねえんだぞ」


顔半分に向けられていたナマエの瞳が、リヴァイの左眼の方を見る。目が合い、真っ直ぐに伸ばされた左手はゆるりと下ろされて、リヴァイも手を離した。


「もう、少しも痛くはないのですか」
「何ともねえよ。とっくに」


傷はもう塞がっている。リヴァイの言葉を聞いて、しかしナマエは安堵の顔をするわけでも微笑むわけでもなく、特に表情を変えることなくそのまま静かに左手を引いた。そうしてまるで何事もなかったかのように再びカップを持ち上げて、それを一口飲んだ。
リヴァイも表情が豊かな方ではないが、ナマエは相変わらず淡々としているなと思う。
ナマエは昔から物静かで、淡々としているが、たまに突拍子もないことをしたりもする。親しくない人間から見れば、ナマエは何を考えているのかよく分からないところがあるかもしれないが、それでもナマエは何も考えていないわけではない。彼女の中にはいろんな感情があり、そしてリヴァイはそれをちゃんと分かっている。


「あとで、夕食の前に公園に行きませんか」


ふと思い出したように、ナマエは口を開いた。
また急に話が変わったなとリヴァイは思う。しかしリヴァイは慣れた様子でナマエを見つめる。


「──公園?」
「はい。ここからだと少し、歩くのですが」


ナマエの言うその公園は、近所というほど近くはないが、そこまで遠いというわけでもない。この家から少しだけ離れた場所にあった。


「歩くのはお前だろ。どうせ俺は座ってるだけだ」


リヴァイはそう言って、紅茶をゆるりと飲む。
つまり、行ってもいいということなのだろう。その姿を見て、ナマエはこの間見つけたその公園のことを話した。
そこは買い物に出掛けたついでに、他のいろんな道も知っておこうと、知らない道を一人で気ままに歩いていた時にたどり着いた公園で、人がごちゃごちゃといるわけでもなく、どちらかと言えば緩やかな空気が流れていた。子供が遊ぶような遊具はないがベンチが所々にあり、緑のある広々とした公園だった。


「その時はちょうど夕暮れ時で──夕焼けがとても、綺麗に見えたんです」


今日のように天気が良い日で、その日そこから見えた夕陽がとても美しかったのだ。
ナマエは茜色に染まったあの風景を思い出す。


「──それを、リヴァイと一緒に見たいのです」


空はいつだって頭上にあり、夕焼けなんて取り立てて珍しいものでもない。それでも、日常の中でそれを美しいと感じ、そして誰かにも見せたいと思うようなその気持ちは、昔のナマエにはなかったものだ。

そんなナマエの素直で真っ直ぐな言葉と視線から、リヴァイは目を逸らせない。本来であればリヴァイの性格からして、皮肉を混じえた言葉の一つでも返すところではあるのだが、相手がナマエだとそれすらも言う気にならない時がある。


「…そうか。なら、連れて行ってくれ」


──残されたこの世界に、どれくらい美しいものがあるだろう。
少しでも多く、見つけたいと思う。見つけなければならないのだと思う。ナマエは微かに目元を緩めて、そしてリヴァイはその僅かな表情の変化に当たり前のように気付く。
長い時間を、二人は共にしていた。


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