底の厚いブーツがベッドの下に転がっている。リヴァイは私の部屋に入るとすぐにそれに視線を落とした。 「何だ、それは」 「ん?」 床に無造作に転がっているブーツは何足かあり、それは、靴職人をしている幼なじみのところに顔を出してきた際に渡されたものだった。どうやら最近厚底のブーツを作ってるらしく、試しに履いてみてほしいとほとんど強引に何足か待たされたのだ。 昔から物を作ることが好きだった幼なじみは小さい頃からそうやって私にいろんな物を見せたり使わせたりしていて、それは今もほとんど変わらない。 今日実家に帰っていた私は幼なじみのところにもついでに顔を出してきたことをリヴァイへ伝える。 仕事を終えて楽な格好をしているリヴァイは、ベッドに腰掛けている私の隣に腰を下ろし、ブーツに視線を向けたままあまり興味なさそうに返事をした。 「そういや靴作ってるとか言ってたな」 「そうだ、よかったらリヴァイも履いてみてくれないかなあ。どんな感じか教えてくれたら嬉しい」 いろんな人の意見を聞いておきたいらしいので、リヴァイにも試してもらえないか聞いてみる。彼の靴のサイズに合いそうなブーツを手に取って差し出すと、あぁ、と言って受け取ってくれた。 「履き心地はどう?痛いところとかある?歩きにくいとか」 「……特にねえな」 ブーツを履いて確認してくれたリヴァイの様子を見ながら、私が履いた時も特に嫌な感じはなかったし、今のところはどうやら大丈夫そうだなと思う。とはいえまだ部屋の中でしか履いてないので何とも言えないが、仕事中に試すわけにもいかないので今度休みの日に街にでも出てみようかな。──と、そんなことを一人でいろいろ考えていると、なんとなくリヴァイの視線を感じて、ふいに視線を上げる。 すると彼は私の方を見ていて、10センチほど背の高くなったリヴァイと目が合った。 「ん?なあに?」 「…ナマエ、こっちに来てみろ」 なぜだかそう言われて、首を傾げる。どうかしたのだろうかと思いながらも素直に側まで寄れば、向き合ったまま腕を掴まれてくるりと体の向きを変えられる。背中に壁がとん、と当たった。 「……どうしたの?足、痛い?」 「いや……悪くない」 ブーツのせいでリヴァイの顔がいつもより遠い。私を見下ろすリヴァイは、悪くないとそう言った。私の身長は彼よりも少し低いくらいで、普段こんなふうにリヴァイを見上げることはなく、それを新鮮に思っているとリヴァイが壁に肘を曲げてつけた。 「お前に見上げられるのは、悪くねえな。」 「……そう?」 どことなく愉快そうなリヴァイに、いつもより視線が高くなったことがそんなに良かったのだろうかと思う。 私の頬に手を触れたリヴァイは、それからも髪を撫でたり唇に触れたりと片手で好きなようにしていて、この距離感を楽しんでいるようだった。目を伏せているリヴァイの睫毛が下を向いている。唇は緩やかに弧を描いている。それらをこんなに間近で見たのは久しぶりだなあとぼんやり思う。 「……履き心地は良いってことで伝えておいていいのかな」 「いいんじゃねえか」 まるで他人事のような言い草だ。リヴァイの思考はなんだか他のことに持っていかれているようだけど、とりあえず幼なじみにはそう伝えておこう。 そんなことを思っていると、おでことおでこがこつ、とくっついて、リヴァイの両手が私の顔を固定するように包み込んだ。いつのまにか足の間にはリヴァイの太ももが入り込んできている。 頬を親指で撫でられて、鼻先をすりすりと猫のように擦り合わせてくる。なんだか少し気持ち良くなってきてゆっくりと瞬きをした。顔を少し傾けられて、頬にちゅ、とキスをされると、それからゆっくりと目が合い、引き寄せられるように唇が重なった。 今日はリヴァイにしてはスキンシップが多いなあと頭の片隅で思いながら、そのまま夜の時間に身を委ねた。 ◇ 本部内の廊下を歩いていた私は途中で足を止めて、ふと窓の内側から空を見上げる。今日の空はよく晴れていた。 幼なじみにブーツを持たされたあの日から、数日が経った。暫くは会いに行けそうにもないから一応手紙でも書くかなあとぼんやり考える。 空を見上げたまま、同時にこの前の夜のことを思い出す。リヴァイが部屋に来た夜のことだ。 すると口元が少し緩んで、青空を瞳に映していた私はまた前を向いて、資料室へと向かう為に再び足を進めた。 両手を腰に当てながら、部屋いっぱいにずらっと並んだ書棚を見渡し、そして、首を捻る。私の借りたい本がだいぶ上の方にあったからだ。どう見ても手が届く範囲ではない。 もちろん上の本を取れるようにと梯子があるのだが、それが部屋の奥にあるので持ってくるのが少々面倒なのだ。 腕を組んで、書棚を見上げる。とりあえず本に向かって真っ直ぐ手を伸ばしてみた。 ──取れない。届く気配すらない。 無理だ、と諦めて、一歩離れてもう一度書棚を見上げる。 私は思考する。そうして、こう……棚に足を引っ掛けながら書棚を上れば、梯子なんか持って来なくてもぱぱっと取れるのでは?という大人の考えることではない考えが思い浮かんでくる。 「……ふむ」 梯子を運んでくるよりこっちの方が断然早い。 私は少し上の棚に手を伸ばしながら下から二段目の棚に足を乗っける。そのままひょいひょいと上っていくと途中でギシッと板の嫌な音が鳴った。──まずいか?と脳裏に過ぎった一瞬、手と足が止まる。 「ナマエ」 「っ?!」 誰もいなかったはずの資料室でいきなり誰かに名前を呼ばれて、ズルッと足が滑った。そのまま手も放してしまい、ぐらっと視界が揺れる。──下に居る人を下敷きにしてしまう、と、咄嗟に体を捻ってどうにかしようとしたが、それよりも先に体が何かに受け止められた。 大きな両手が、私の体をしっかりと受け止めている。 「お前……何をしてるんだ」 「……エルヴィン?」 落ちるよりも先に背中から抱き止められて、顔を後ろへ向けると呆れ顔をしているエルヴィンと目が合った。 「…びっくりしたあ」 「それはこっちの台詞なんだが……」 どうやら通りがかったところに私のおかしな姿を見掛けて、思わず入って来たらしい。 まるで子供のようにすとんと床に下ろされて、手が離れる。くるりと向き直り、背が高いエルヴィンを見上げるように顔を上げた。 「それで、何をしていたのか説明してくれるか」 「……上の本を、取ろうと思って」 「書棚を上ってか?梯子があったはずだが」 「うん。でも持ってくるのが面倒で。こっちの方が早いかなって」 「まぁ、そうかもしれないな。だが、大人のやることではないな」 「うん。ごめんなさい」 冷静に咎められて、素直に反省する。悪いことは出来ないものだなあと思う。新兵などに見られなかっただけまだマシだったかもしれない。 「で、どの本を取ろうとしたんだ?」 「…あ、あの上の……」 ふう、と息を溢したエルヴィンはそう言うと書棚の方を見る。私が指を差してどの本か教えると、エルヴィンはそれにすっと手を伸ばし、これか?と言いながら難なくその本を棚から取り出すと、あっという間にそれを私に渡した。数秒の出来事であった。 「…ありがとう。こういう時背が高いと便利だねえ」 「他には?」 「ううん、これだけ。ありがと」 「そうか。……まぁ、怪我がなくて良かったが、もうやらないでくれよ」 「はあい」 エルヴィンは私を見ながら呆れたように少し笑って、それから二人で資料室を後にした。 ◇ 幼なじみに手紙を出し終えたある日、私はエルヴィンから頼まれた書類をリヴァイに届ける為に廊下を歩いていた。 兵士長室の前までくるとコンコンとノックをして、返事を聞いてからがちゃりとドアノブを回す。 「リヴァイ、これエルヴィンから」 部屋に入りピラピラと書類を揺らしながら見せると、机で仕事をしていたリヴァイはちらりとこっちを見た。 「ああ、そこに置いといてくれ」 「はあい」 机の端に重ねられている書類の山に視線をやってそう言ったので、そのままその上に重ねて置いた。 ──部屋は静かで、窓の外はもうだいぶ薄暗くなってきている。用が終わり手ぶらになった私はなんとなくその場に立ったまま、リヴァイの姿を見つめる。 「…リヴァイ、紅茶でも淹れようか?」 少し疲れているように見えたのでそう声を掛けるが、今はいいと断られた。何と無くそっけなく感じて、忙しいのかな?と思い、分かった、とだけ返事をしてそのまま部屋を出て行こうとすれば、名前を呼ばれる。私はぴたりと足を止めて振り向く。 「ん?なあに?」 「……くだらねえこと、聞いてもいいか」 すると真面目な顔をしたリヴァイと目が合い、そう言われた。くだらないこと。リヴァイがそんなことを言うのは珍しいな。 「……んん?なにかな」 再びゆっくりとリヴァイの方へと近づいて、机の前まで来る。首を傾げると、少し気まずそうに目を逸らされた。どうしたのだろう。静かにリヴァイを見つめているとおずおずと口を開いた。 「お前も、背がでけえ奴の方がいいと思ったりするのか」 遠くの方で夕日が沈む。あっという間に窓の外は暗くなっていた。 彼がそれを言葉にした瞬間、その意味を理解することが出来なかった。頭の中でぐるぐると思考しながらただリヴァイを見つめる。 「……背が、大きい人の方が、いい?」 私がただそれを繰り返すとリヴァイの眉根が寄った。 「──ああ、そうだ。でけえ男の方が見栄えもいいだろ。そっちの方がいいのかって聞いてんだよ」 「見栄え」 少しやけくそになったように言い放つリヴァイに、私はうまく答えることが出来ない。唐突なその言葉に頭の処理が追いついてこないのだ。 しかし、どうやら異性について聞かれているみたいだ。 「………別に、どっちでもいいんじゃない?」 「あ?」 「背が高い方がいいとかは考えたことないなあ」 「じゃあ今考えろ。」 「なぜ?」 「いいから考えろ。」 「……これって、私、つまり何を聞かれてるの?」 なんだかまどろっこしくてそう聞けば、リヴァイは机にガタリと頬杖をついて、そっぽを向く。 「……この前、資料室でエルヴィンと話してただろ」 「え、資料室って……あの時リヴァイもいたの?」 通りがかったエルヴィンに本を取ってもらった時のことだろう。まさかリヴァイまで居たとは。あの時のことを思い出していると、つまらなそうにリヴァイが言う。 「俺はたまたまお前らの姿を見かけただけだ。ずっと見てたわけじゃねえが、背が高いとどうのこうのっつってただろ」 「あぁ、便利だねって話?」 「……知らねえが、とにかく、あいつと二人で話してただろ」 「まぁ、本を取ってもらっただけで、そんなに長く話してはないけどね」 あの時は本を取ってもらっただけで、本当にそれだけだ。あとはちょっと叱られたくらいで。それがどうかしたのだろうかと考える。 そうしてふと、この前のブーツを履いた時のことを思い出す。あの時リヴァイは、私に見上げられるのは悪くないとそう言っていた。楽しそうで、久しぶりにたくさん触れ合った。 もしかしたらリヴァイは、そういう、身長差みたいなものを、気にしているのだろうか。 「……リヴァイは、大きい方がいいと、そう思ってるの?」 「でけえ方が、ナメられねえだろ」 「そうなの?」 「そりゃそうだろ」 そうなのか、と思う。 私は今までそういうことは考えたことがなかった。リヴァイのことも、身長が低いな、なんて思うこともなかったし、言われてみればどちらかと言えばそうなのかもしれないが、とにかく私の中でそんなことは大したことではないのだ。 だけど、リヴァイの中ではそうではないらしい。 「ナメた態度をとってくる奴らは、力でどうにかすればいい。昔からそうしてきた。だが、お前が相手だと、お前の目が他所に向いちまうと、……どうすればいいか分からねえ」 どこか不安げにそう言うリヴァイの姿を見て、私はこういうことには鈍感だなあと思わされる。 私はそっと机の前にしゃがみ込んで、リヴァイの顔を覗き込むように組んだ腕を机へと置いて、その上に顎を乗っける。リヴァイはゆっくりと私の方へ視線を向けた。 「…私はリヴァイ以外の人には興味ないよ。どんな外見をしてても、それがリヴァイじゃないなら好きにはならない。惹かれない。私はリヴァイの生き方が、在り方が、好きだからね」 リヴァイの考えや人を思う気持ち、厳しいところも優しさを感じるところも、一緒にいて落ち着くところも、リヴァイのそういうところが私は好きなのだ。 他の人には目は向かない。 だから、気にしなくていいよ、と伝える。 私の言葉でリヴァイのその気持ちが変わるかは分からないけれど、私の気持ちがリヴァイにだけ向いているということは分かっていてもらえたら嬉しい。 「……そうか」 「うん。大丈夫だよ」 私は片手を机の上に伸ばしてリヴァイの方へ差し出すと、彼はそっと指を握ってくれて、その指の背を私は親指で優しく撫でる。 温もりに顔を綻ばせれば、リヴァイも同じように表情を緩めた。 「……いきなり、悪かった。こんなことで引き止めちまって」 「ううん。いつだって呼んでくれていいよ」 夜の空には月が浮かんでいて、それは柔らかく光を放っている。 私はリヴァイと同じくらいの目線でいられる、いつも通りの近さが好きだなと、ふとそんなふうに思った。 |