「何だぁ?その目……お前も、僕を見下してるのか?」


男はグッとナマエに顔を近づける。不快感でいっぱいになったナマエは更に眉根を寄せた。


「この僕が好きだと言ってやってるんだぞ?どうしてそれを断ろうとする?調査兵の分際で……。」


有り難く思えよ、と男は言う。


「僕は、本来だったら、憲兵団に所属できた逸材なんだ。本当だったら、憲兵団に所属しているはずなんだ。それを、少し成績が悪かったくらいで……クソ、クソっ!」


ナマエの顔を覆っている手に力が込められて、男の爪が頬に食い込む。ナマエは睨み付けたままその手首を掴んだ。


「何だよ、何だよその目は!へらへらと誰にでも愛想振りまきやがって、そのくせ僕の気持ちには応えられないだって?ふざけてるのか?…僕を、見下してんだろ、馬鹿にしてるんだろ!」


男は声を荒げる。そして、お前の部下も同じだ、と言う言葉にナマエはぴくりと反応を見せた。


「お前と一緒にいたあの男も、いつもスカした面しやがって……僕のこと見下したような目で、見てやがった。無能のくせに、調査兵の分際で、巨人に食われることしか能の無い人間が、調子乗ってんじゃ……っ!」


──そこまで聞くと、ナマエは手首を掴んでいる手に力を入れて、そのまま腕を思い切りねじ上げそれを男の背中の方へ回し込み関節を極めると反対側の建物の壁へ男を叩き付けた。それは一瞬で行われ、男は顔を歪める。

ナマエは深くため息を吐いた。


「…さっきから黙って聞いてたら……同じようなセリフばかり聞かされるこっちの身にもなってほしいなぁ…。」
「ぐッ……な、何をする、!」
「君はどうやら調査兵のことを随分見下しているみたいだけど、まぁ…それは今はいいや。君には君の考えがあるんだろうけど、それでも……私の部下を侮辱することだけは許さないよ。」
「ッい、痛い!!痛い!!」


ギリギリと更に力を込めて、続ける。


「彼は確かに少し飄々としているところもあるけれど、でも本当はちゃんと熱と信念を持って兵士をしているんだ。頭の回らない君には分からないかもしれないけどね。」
「な、なん……だと……ッ!」
「君と違って彼は人を見下したりするような人間じゃないってこと……君の勝手な妄想で私の部下を悪く言うのはやめてもらいたいなぁ……。」


彼女の目はその口調とは裏腹にひどく冷めている。

手荒な真似はあまりしたくなかったのだが、ルーカスのことを言われた瞬間、我慢出来なくなった。
ナマエの気持ちは未だ治まっておらず、しかし人が歩いている方をちらりと見て、これ以上騒いで人目につくと面倒だと考える。


「……さて、私はこのまま君の腕の骨を折るくらいのことは出来るのだけれど、…どうしようか?」
「ぃッ……やめ、やめろッ!やめてくれ、やめてください!!」
「今後一切私達と関わらないって約束できるのかな?」
「でき、できます!!」
「………。」


その言葉を聞くと、ナマエはようやく男の腕を解放した。そのまま地面に倒れ込んだ男は苦痛に顔を歪めている。ナマエはそんな男を見下ろしながら、すっと体を引いた。


「まぁ…君にもいろいろあるんだろうけど、そんな卑屈な考えは捨ててちゃんと現実を見て生きていきなよ。」


私には関係ないことだけどね、と言ってナマエは背中を向け歩き出す。


「……あ、そうそう」


それから思い出したように足を止め、一度振り返る。


「私の部下のことだけど、彼は訓練兵を卒業する時成績上位に入っていて憲兵に所属することも出来たんだけど、ちゃんと自分で選んで調査兵団に入ったんだ。一応、教えておくね」


それを聞くと男は悔しそうに歯を食いしばり、地面に顔を伏せた。
ゆるりと視線を逸らしたナマエは襟を正し、その場を足早に去る。大した怪我はしてなかったが、気分は最低だった。





「──オイ、ナマエ、」


後ろから肩に手を置かれた瞬間、ナマエは振り向きながらその手を強く払った。

足を止めれば、リヴァイの姿が目に入る。いつの間にか調査兵団本部まで戻ってきていた。ナマエはここまでほとんど無意識で歩いていた。
リヴァイはそんな彼女を見かけ、ただならぬ雰囲気のナマエに声を掛けたのだ。


「……あ…、リヴァイ…、」


驚いたような表情でナマエはそう呟く。それから手を払ってしまったことに、ごめん、と謝った。しかしリヴァイはそんなことは気にもせず彼女の頬に出来た幾つかの小さな傷に気づき声を立てた。


「お前、何があった?今までどこへ行っていた」
「え……いや、べつに」
「別になわけねぇだろ、てめえそんな面して何事もなかったとでも言うのか?」
「………、」


ナマエの表情はひどく険しかった。傷のこともそうだが、そんな顔はなかなか見ることがなく、リヴァイは眉根を寄せて彼女を問い詰める。


「ナマエ、さっさと吐け、どこに行っていた」


駐屯兵の男の顔が浮かびナマエは苦い顔をする。そうして、視線を落とし止むなく口を開いた。


「……この前話してた、駐屯兵の、ところに。」


──ナマエに好意を寄せている駐屯兵。

彼女の言葉を聞いてそれを思い出し理解した瞬間、リヴァイは腹の底が煮え立つような激情に駆られた。
すぐに背を向け歩き出そうとすれば、ナマエは咄嗟にリヴァイの腕を掴んで彼を止める。


「っちょ、リヴァイ!待って!どこいくの!」
「ッあぁ?決まってんだろ、」


ぎゅっと手に力を入れるとリヴァイはナマエの方に振り向く。その顔は見たことがないくらいに感情を露わにしていた。


「や、待ってリヴァイ、あまり大事にしたくないの、っその、分かってほしい、」
「分かってほしい?一体何をだ。」
「別に私、乱暴されたわけでも変なことされたわけでもないから!」
「………、」


ほら、と言って両手を広げ自身の体を見せる。服はひとつも乱れていない。
事実、ひどい乱暴を受けたわけではない。


「……なら、その顔の傷は何なんだ」
「これはまぁ、これは、まぁ……そうだけど。でもちょっと爪を立てられただけだよ。猫と同じ。猫に引っかかれたくらいのことだよ。そこまで騒ぐことじゃないでしょ?」
「猫?猫だと?そいつは猫だったのか?違うだろ。れっきとした人間で、男だ。そしてお前にそんな表情をさせるような男は絶対に許さねえ。」


強い口調でそう言うリヴァイに、いつの間にかナマエの怒りは落ち着いてきていた。なぜだろう。目の前のリヴァイが自分よりも怒っているからだろうか。ナマエは少し冷静になる。


「えっと……でも、部下に知られたくないの。心配させたくないっていうか……だから大事にしたくなくて。ルーカスとか、彼のこと警戒してくれてたし……何かあったって分かったら、心配させちゃうでしょ」


眉を下げて自分よりも部下のことを気遣うナマエを見て、リヴァイは思わずため息を吐いた。


「そんなもん、心配くらいさせとけ」
「いや……でも、アイツも、多分懲りたと思うし……また何かされるってことはないと思う」
「……本当かよ。」


リヴァイは呆れながら疑いの目をナマエに向ける。しかしナマエも折れる気はないらしい。リヴァイと目を合わせ、逸らさず見つめた。
そんなナマエの態度に、リヴァイは諦めたように舌打ちをした。そして一歩近づき距離を縮めるとナマエの顔を両手で包み込む。


「……本当に、乱暴はされてねぇんだな?」
「……うん。そこまでヤワじゃないよ」
「信じていいんだな?」
「うん……信じて。」


確かめるように瞳を見てくるリヴァイにナマエは真剣に返す。嘘はついてなさそうだなとリヴァイは思う。そうして、そうか、とだけ言って手を放そうとした。

すると、ナマエの手がリヴァイの手に被さるようにそっと触れた。


「……、リヴァイの手、安心する……」


ようやく体の力を抜いたナマエは、ようやくいつも通りの顔になる。リヴァイは自分の前で安心したように目を伏せるナマエを見て、手にほんの少しだけ力が入った。

そして、彼も目を伏せておでこをそっとくっつける。


「……落ち着いたか?」
「……ん……、ありがとう、」


ナマエはリヴァイの側にいると心が休まっていくのを感じた。


後日、駐屯兵団に行く用事が出来た際に率先して仕事を引き受けたリヴァイが男を見つけ出し、ひっそりと報復したことは絶対に隠し通さなければならないことである。そして暫くして彼が兵士を辞めたという話を聞くのは、もっとあとのことであった。


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