「俺もお前と同じで母親と過ごしたのは数年くらいだ。ガキの頃に死んじまってるからな」


リヴァイが地下街で暮らしていたことも調査兵団に入ってきた経緯も何もかもを深く考えずに聞いてしまったことを、ナマエは少し後悔した。
同じ別れだったとしても死別とそれでは全く違うだろう。胸がゆるりと痛んだ。


「……じゃあ、覚えて…ないの?」
「いや、覚えてはいる。」


リヴァイは頬杖を外し、環境こそ良くなかったものの決して悪くなかった日々を思い出す。


「父親は元々居なくてな…母さんは生活費を稼ぐのに必死だったはずだ。あそこでは女一人生きていくのも大変だっただろうが、俺が居た分更に働いていたと思う」


母親が働き詰めだったことをリヴァイは自分の“せい”だとは言わない。きっとそんなふうに思わないように育てられたのだろう。ナマエは黙ったまま話を聞く。


「母さんはゴミ溜めでの生き方を教えてはくれなかったが……その分、汚ぇ世界や柵から守られていたんだろうと、そう思う。」


母親のことを“母さん”と呼ぶリヴァイを見て、そしてそれを話すリヴァイの言葉を聞いて、ナマエの心はどうしてか次第に落ち着いていく。彼にとって彼女は良い母親だったのだ。


「……そっか。リヴァイのお母さんは、優しい人だったんだね」


彼の根っこの部分にはきっと母親との大切な思い出があり、それがリヴァイを形成する一部となっている。

彼の優しい思い出に触れて、そしてリヴァイのことが少し分かったような気もして、ナマエの表情は無自覚に綻ぶ。


「いいな。私も会ってみたかったな、リヴァイのお母さんに」


自分の母親のことでないのにまるで自分のことのように穏やかな気持ちになりながらナマエは手を動かし机上の書類を集め、整える。

そうしてふと、赤毛の彼女のことを思い出した。


「……良いお母さんになるといいよね、あの子も」


噂は本当なのか?もしそうだとしたら、彼女はおなかの子へどんな感情を抱いているのだろう。彼女の子は祝福されて生まれてこれるのだろうか。

こんな世界でも、命は生まれる。愛だって確かにある。命も愛も失うことはあるけれど、それでも人は生きる。また生まれる。

この世界がもっと、優しくなればいい。

ナマエはそんなふうに思った。


「……そうだな。」


優しく微笑むナマエを見ながらリヴァイはその言葉に頷く。気持ちは彼女と同じであった。





「わっ、すみません!」
「おっと……大丈夫?」


穏やかな冬晴れのある日、ナマエは調査兵団本部の曲がり角で人とぶつかりそうになり、そしてバランスを崩した相手の荷物を反射的に手に取った。

ナマエの視界に、柔らかな赤毛がふわりと入ってくる。


「あ、も、申し訳ありません…!」
「いや全然平気。こちらこそごめんね。大丈夫だった?」
「だ、大丈夫です……」


飛んできた荷物を彼女に返しながら、制服ではなく私服姿のその格好をちらりと見て、それからまた彼女の目を見る。


「もしかして、辞めちゃうの?」
「えっあっえっと………はい。その……今日で、もう……今エルヴィン団長に、挨拶をしてきたところで……。」


目を伏せて俯く彼女は気まずそうに話す。
ナマエはそんな彼女を見て、噂は事実だったのだと、改めて思う。しかし下を向く彼女に反してナマエはふっと表情を和らげた。


「なーに俯いてるの?」
「っわ、……?!」


そう言いながら彼女の柔らかい赤毛を両手でわしゃわしゃと撫で回し、前を向かせた。両手に荷物を持っている彼女はされるがままだ。


「ほらほらちゃんと前向いて〜下ばっか見ないの」
「あ、えっ……」
「……ふふ」


戸惑う彼女にナマエは微笑む。


「辞めちゃうのは残念だけど、そんなふうに出て行かれたら余計心配になっちゃうよ」
「……す、すみません」


そうして少し困ったように彼女から手を放した。


「謝らなくてもいいんだけどさ。何も悪いことしてないんだし」
「………、」


彼女は僅かに泳がせていた視線を、落ち着いた声色で話すナマエへと向け、それからおずおずと口を開いた。


「あの……」
「ん?」
「ナマエ分隊長は、私のこと……その、辞める理由、知ってるん…ですよね?」


窺うような目で、彼女は聞く。
ナマエはその言葉を聞いて、あー、と上の方を見ながら声を漏らした。


「まぁ、そうだね。知らないことも、ないかな」
「で、ですよね……。」
「ごめんね」
「あ、いえ、それは全然……大丈夫なんですけど、」
「けど?」


何かを言いたそうな彼女にナマエは首を傾げる。


「その……分隊長は、怒ってないのかな、って……」


遠慮がちに言われたその言葉を聞いて、一瞬きょとんと目を丸くさせた。思わず黙ればちらりと視線が合い、するとナマエは表情を緩ませ彼女の頭にぽんと手を置く。


「深くは何も知らないけど…それなりにいろんな人にしぼられたんじゃない?だったらもういいんじゃないかな。私は別に怒ってないし、素敵なことだと思う。いつまでも暗い顔をしてたら体にも良くないよ?」


ゆっくりと優しく、彼女の頭を撫でる。悪いことなんかひとつもないよと、この気持ちがおなかの子まで届けばいい。
ナマエはにこりと笑って、すると彼女は少し目を潤ませる。


「あ、ありがとうございます……私、不安だったんですけど、でも、がんばります……っ」
「うん。がんばってね。まぁなんだ、あとのことは私達に任せなよ。その子の為にも頑張るからさ」
「っ…ありがとう、ございます……、」


ポンポンと二回軽く撫でて、手を放す。

ナマエにはまだ子供を思う母の気持ちは分からない。だが、この世界に愛は確かに存在するのだ。


「しっかり育てなよ?」
「………あ、」
「ん?」


目元を指でそっと拭って彼女は顔を上げる。


「それ…、リヴァイ兵長にも言われました」
「え?」
「最後の挨拶をしに行った時に……言葉は少なかったんですけど、でも、しっかり育てろよ、とお言葉を頂きました」


──しっかり育てろよ。
ナマエはリヴァイの顔を思い浮かべ、心が温まっていくのを感じた。


「……ふ、そっか。リヴァイもきっと、頑張れって思ってるんじゃないのかな」
「そう…なんですかね」
「うん。多分ね。これからも大変だろうけど、頑張って。」


すっかり元気そうになった彼女を見て、ナマエは安心したように手を振る。はい、と力強い返事を貰い、深く頭を下げてから彼女は去っていった。そうして後姿を見送ったあと、ナマエはまた廊下を歩き出す。

──さて、これからも頑張ろう。


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