雨の降る夜、なんとなく寝付けず起き上がった。


「…(ぜんっぜん眠れない)。」


今日は一日ずっと雨が降っていた。そのせいで私の気分は下がりぎみで、早めに寝ようとベッドに入ったのになかなか寝付けず時間だけがひたすら流れて夜も更けた。

こんな時はリヴァイの淹れるお茶が飲みたい、なんて考えながらベッドから出る。


「(報告書でも書こう…)」


どうせ眠れないのならまだ書いていなかった今日の指導の報告書を書こうと机に座る。
とはいえ報告書の正しい書き方なんて正直よく分からないから簡単にしか書かないけど。何をしたかと新兵がどれくらい動けているかとか、一人一人の実力とかを適当に書いているだけのもの。面倒ではあるけど毎回ちゃんと書いてエルヴィンに渡している。

訓練は雨だからといって中止したりはしない。むしろそういうのも想定して出来るから、有り難いと言えば有り難い。そんな中行った今日の出来事を思い出しながらペンを走らせ紙を埋めていく。
しかし改めて考えてみると、まさか私がこんな事を任されるなんて思いもしなかった。こんなふうに指導するという立場で関わった後輩は私には今まで居なくて、たまにどれくらい生き残っていけるのだろうと考えてしまう時がある。
私が教えてあげられる事は壁内では限界がある。実際壁の外に出ないと分からない事や感じられない恐怖などもいろいろある。でもそれを少しでも伝えておきたい。そうすれば少しでも焦らず対処できるかもしれない。


「……」


なんて考えても、きっと失う命は必ずあるのだ。私がここでうまく出来ないばかりにあの子達に何かあったりしたら、と考えると少し怖い。そりゃああの子らも新兵とはいえ兵士だし、訓練兵として三年間頑張ったんだろうし、それに今年の子は壁の中に入ってきた巨人と実際に戦った経験もある。自分の意思で調査兵団を選び、入団してきた。私なんかより立派な兵士だという事は確かだ。
だけど、それでも、壁外調査では死者は必ず出てしまう。


「……ハァ、」


書き終わったペンを投げ、ため息を吐く。
やっぱり私には向いていない。私の教えた子達が生きて帰って来れなかったらと考えると辛い。それを受け止められるくらいの覚悟が私にはないんだ。それでも前に進もうという志も、覚悟も、何もない。無責任な先輩である。

雨が窓を叩き、そっちへ目線をやった。

…だからか。雨だから、こんな気持ちになるんだ。だから雨は嫌いだ。自分の無力さを思い出してしまう。
どんどん気分が落ちてきて、こんな時はリヴァイに会いたくなってくる。触れたい、温もりを感じたい。リヴァイは今何をしているんだろう。会いたい。
頭の中がリヴァイで埋め尽くされていく。ダメだ。こんな時間、こんな雨の中、会いになんか行けないのは分かっている。そもそもあんまり心配もかけたくもない。

髪をぐしゃぐしゃと軽く乱して机に肘をつく。そして目の前の報告書に視線が落ちた。
書き終わった報告書。いつもは適当な時間にエルヴィンのところへ持って行っている。
…今の時間、こんな夜遅くでも、アイツはどうせ起きているだろう。眠れないし、今持って行っても別にいいんじゃないか。


「……。」


そう考え立ち上がり、辛気臭い空気の部屋から出た。





灯りの漏れる団長室の前で考える。
リヴァイもそうだけど、何でこんな時間までこいつらは仕事をしているんだ?そりゃあ私なんかより何十倍もやる事や考えなきゃならない事があるのだろうけど。それは分かるけどさ。

そんな事を思いながらとりあえずノックをし、返事を待ちドアを開ける。


「…なんだ、ナマエか。こんな時間にどうしたんだ?」


そこには酒を飲みながら仕事をしているエルヴィンが居た。


「……酒片手に仕事ですか。いいご身分ですね。」
「…これでも一応、調査兵団の団長なんだがな」
「いい身分なの?それって」
「さぁな。」
「……これ、報告書。渡しに来た。」
「あぁ…、わざわざこんな夜更けにか。」
「別にいいでしょどうせあんた起きてるんだから」
「まぁ構わないが。」


いつものような口を利きながら報告書を渡す。


「……、」


それにしても、なんだこの空気は。この部屋には今酒の匂いだけではなくいつもとは違う雰囲気が漂っているような気がする。それも、私の部屋と同じような。


「…どうした。戻らないのか?」
「……」


雨が降っているから、なんとなく薄暗く思えるのだろうか。それともこいつが今酒を飲んでいる理由は何かあるのだろうか。


「ナマエ?」
「……私にも、ちょうだいよ。」
「は?」
「…だから、酒だよ。酒。」


勝手にイスを向かい側に持ってきて、そこに座る私。
いつものようにさっさと出て行けばいいのに何でこんな事をしているのか分からない。リヴァイの代わりにもならないこいつの部屋にとどまる理由なんかないのに。


「…何だ、どうした。何を企んでいる?」
「何も企んでねーよ!…ただ、酒が飲みたいだけ。どうせ眠れないし。それに団長さんが飲むような酒なんか飲む機会とかなかなかないし。」
「……別にそこまで高いものじゃないぞ」
「うるせーな何でもいいからよこせよ。」
「…それが人から酒を貰う態度か?」


いつもこいつとミケには口が悪くなってしまう。もうクセみたいなもので今更直せない。
エルヴィンは私の分のグラスを取り出し、酒を注ぐ。それを受け取り喉に流し込んだ。


「……うまい。」
「それは良かった。」
「……」
「……」


背もたれに寄りかかり、酒を片手に足を組む。何を話していいのか分からない。というか話す事なんかない。


「…おかわり。」
「早いな。しかも俺が注ぐのか」
「だってあんたの酒でしょ?」


思わず一気に飲み干してしまった。これはそこそこの度数のようだから、強くない私はあまり飲みすぎてはダメな事は分かっているけれど話す事がなくつい流し込んでしまった。

グラスを前に出し、催促する。エルヴィンはまたそれに酒を注ぐ。


「……止まないな。」
「…え?」
「雨だ。止みそうにないな。」
「…あぁ…そうだね。」


相変わらず降り注いでいる雨の音が聞こえる。早く止んでしまえばいいのに。


「雨はなんだか気が滅入る。」
「…気が滅入る事なんかあるの?あんた。」


意外な言葉にチラリとその顔を窺う。
こいつにだってそんな時がある事くらいは分かる。ただそれを人に言う事があるのか、と言った方が正しいか。


「ナマエこそ、雨は嫌いだろう」
「……まぁ、ね。」


そうか。こいつも、理由は違えど私と同じように気分が落ちていたのかもしれない。だから酒を飲んでいるのだろうか。だから私は、ここに残ったのだろうか。


「ナマエは、調査兵団に入った事を後悔しているか?」


エルヴィンは唐突に、その話題を振ってきた。


「…は?」


いきなり何を言い出すのかとグラスを置く。


「何、それ」
「…いや」


目を逸らしグラスに視線を落とすエルヴィン。

こいつはいつも何を考えているか分からなくて、何でも見透かしたような面が私はなんとなく気に食わなかった。こいつはきっと誰よりもいろんな事を考え行動し、指示を出している。それは私には絶対出来ない事だ。その覚悟や重圧は私には絶対分からない。
だけど、自分の指示や計画の中で部下や仲間が死んでしまうのを何とも思わないわけがない。いくら理由や覚悟があったって、やり切れない気持ちになる時だってある。

落ちている視線に向かって、私は口を開いた。


「…私は、リヴァイが好き。」
「……、」


調査兵団に入った事を後悔しているか、だって?


「だから私は、リヴァイが自分で自由を掴もうと前に進んでいるのなら、それについて行く。リヴァイが、調査兵団で兵士をしている事は、結果的に…良かったんだと思ってる。リヴァイは誰よりも強いし、かなりの戦力になってる。今や調査兵団にとってなくてはならない存在になった。あんな薄暗い地下なんかに居るよりも…リヴァイにとっても良かった。自由を、知れて。」
「…俺は、リヴァイの事を聞いているわけじゃないんだが」
「だから……嫌な事だけなわけじゃないってこと。私にとってはリヴァイの事は自分の事みたいなもんだから…リヴァイがこれで良いと思っているのなら私もそれでいい。リヴァイはきっとあんな形でも地上に出てきて調査兵団に入った事は後悔していない。だったら私も後悔なんてない。」
「……」
「それにまぁ…私だってあんなクソみたいな場所で一生過ごすよりは、地上で壁外に出る馬鹿みたいな連中と居た方が健全っちゃ健全のような気もするし。」


後悔がないなんて、そんなのは嘘だ。
私は調査兵団に入る為に訓練をしてきたようなやつらとは違う。一生地下でも別に良かった。リヴァイさえ居れば。ファーランとイザベルが生きているのなら。地下でもいい。調査兵団になんて入る理由がない。一生地上に出られなくたって、二人が巨人なんかに食われる事のない地下の方がいいに決まってる。リヴァイの気持ちも何もかも無視して言うのだとしたら、私は一生あのままでも良かった。四人でさえ居れたら。それだけで良かった。わざわざ壁の外になんか。


「…そうか。」


なのに、何で私はこいつにこんな事を言っているんだろう。


「……もし、あんたが私に少しでも後ろめたい気持ちがあるんなら、そんな辛気臭い感情は今すぐ捨てて。私はあんたに同情なんかこれっぽっちもされたくない。」
「……」
「それに何を考えてんだか知らないけど…私はあんたを恨んだりしてないし、ファーランとイザベルの事は…今でも夢にみるくらい引きずってるけど、だからって……エルヴィン。あんたを恨んだりしていない。二人の事も今はもう、ちゃんと受け止めてる。」
「…そう、か。」


私は何を一人でぺらぺらと喋っているんだ。酒が回ってるんだろうか。


「…あんたの事は、好きか嫌いかで言ったら…嫌いだけどな。」
「…ふっ、…だろうな。」


自分の行動に心が落ち着かず、そう言って酒を呷る。するとエルヴィンも笑いグラスに口をつけた。


「クソッ……喋りすぎた…。」
「…たまにはいいじゃないか。」
「何で私があんたとこんな…」
「お前は何だかんだいっても優しいんだな。」
「はっ……冗談でしょ。」


空になったグラスを置き、立ち上がる。


「戻るのか?」
「当たり前でしょ。今何時だと思ってんの?」
「そんな時間に来たのはそっちなんだがな。お前も何かあったんじゃないのか?」
「……別に、そんなんじゃない。」
「そうか。ならいいんだが。」
「…あんたも、癒してくれる女の一人や二人、作ればいいのに。そのうちストレスでハゲるよ?」
「それは余計なお世話だな。」


最後にいつものような嫌味を言って、背中を向け片手を上げる。


「酒、ごちそうさまでした。」


エルヴィンとこんなふうに飲んだのも話したのも初めてで、だからといって私の態度が変わるわけでもなくこれからもきっと今までのように接していく。


「……ナマエ。」


出て行こうとすれば名前を呼ばれ、振り向く。すると真っ直ぐな瞳がこっちを向いていた。


「これからも、よろしく頼む。」
「………」


私はこいつを信頼しているわけでも尊敬しているわけでもない。でも、リヴァイはこいつの事を信頼しているだろう。そしてそのリヴァイの事を私は信頼している。


「…誰が、あんたとよろしくなんかするか。」


そう言うと、エルヴィンはその返事が分かっていたかのように口角を上げる。


「だろうな。」


その顔を見て、私は部屋から出た。私の性格を分かっているだろうあいつに今更優しい言葉なんかかける必要はない。と思う。


「……。」


足を進めながらふと考える。
あのエルヴィンでさえ、こんな夜があるんだ。当たり前だがリヴァイもきっとそんな日があるだろう。

そんな時、私がリヴァイを支えたい。側に居たい。


「……会いたい、な…」


静かな廊下に本音がこぼれる。
そんなに離れているわけでも、何日も話せていないわけでもないのに。ずっと一緒に居れるわけでもないが、そこまで距離を感じるほどの日々でもない。なのに毎日毎日こうもリヴァイを想ってしまう。すぐに会いたくなる。触れたくなる。寂しく、なってしまう。

リヴァイもまだ起きているのだろうか。何を考えているのだろう。私の事を、少しでも、想ってくれたりしてるかな。
あっという間にリヴァイだらけになる自分の脳内に呆れてしまう。

リヴァイだけが全てで、他にはいらなくて、一緒に生きられたら何でもいい。でもその私の思いがリヴァイの負担になってしまったら。

そう思うと、やっぱり少し怖い。


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