この世界の文字は逆さまのカタカナだった。
それに気付いてからは何か分かるかもしれないと寝る間を惜しんで書庫を読み漁ったが、しかし日本への帰り方や異世界人のことなどについて書かれているものは何一つとしてなかった。手掛かりすらも。そもそも、兵団の書庫にはそういったものはないのかもしれない。もしかしたらもっと他の、分からないけれど、街の図書館とか。そういうところにだったら、あるいは。


───いや、でも、そもそも手掛かりなんて、あるのか?

文字が読めた時は思わず昂ってここに来てから初めての希望みたいなものが見えたような気がしたが、文字なんてただの偶然かもしれない。この世界は日本とは何の関係もないように思える。

……もしそうだとしたら、文字が読めたからって、何の意味もないのかもしれない。何かを解明出来るわけではないのかもしれない。だったら、今までと同じ。手掛かりは何もない。

希望と絶望が入り混じってぐちゃぐちゃになる。頭がおかしくなりそうだ。とにかく、誰かに相談をしたい。他の人の意見を聞きたい。一人ではどうしたって限界がある。このままじゃあ手掛かりすら探せる気がしない。誰かに話を聞いてほしい。全部話してしまいたい。日本への帰り方を一緒に考えてほしい。誰か、誰か──。

ふと頭の中にリヴァイの顔が浮かぶ。けれど、次の瞬間には頭を横に振る。どう考えたってありえない。リヴァイに話すのはない。単純に嫌だし頭がおかしいと思われて終わりだろう。他にも思い浮かべるが、エルヴィンさんも奥底では何を考えてるか分からない。逆に利用されそうな気さえする。それか憲兵に突き出される可能性もある。ハンジさんは、彼女は探究心がとてつもないから、この中では一番興味を持って話を聞いてくれそうな気もするが、何か変な実験とかに巻き込まれそうだ。…ペトラは、同世代だから一番話しやすいだろうけれど、それでも彼女はリヴァイの部下だから、いくら私が他の人には内緒にしてほしいと懇願したところで、リヴァイには筒抜けだろう。組織を裏切るような真似はしないはずだ。
そう考えると、やっぱり私の話を聞いて味方をしてくれる人はいない。


……ああ、もう、お手上げだ。

結局、何も変わらないし何一つ分からない。私には何も出来ない。孤独な上に無力だ。どうしたらいいか分からない。
森で目が覚める前の、最後に覚えてる記憶を思い返す。あの時車が突っ込んできたように、何かまた大きな衝撃があれば元に戻れるのか?例えば───巨人とか。

そう考えた瞬間、吐きそうになった。
ありえない思考に顔を歪めてぎゅっと目を瞑る。そんなの、なんの確証もないのに、出来るわけがない。当たり前のように食べられてぐちゃぐちゃになって死ぬだけかもしれない。そんなこと、絶対に出来ない。怖い。

結局いつも堂々巡りだ。

文字が読めるようになったって、ただそれだけ。何の意味もない。日本へは帰れない。帰り方は分からない。

もう、私の帰る場所は失くなってしまったのだろうか?





「お前、最近書庫で何をしていた?」


いつものように一日の報告をリヴァイの部屋でしていると、最後に唐突にそう聞かれた。
ここ何日か夜中に部屋を抜け出し書庫へ行っていたのがどうやらバレていたらしい。バレないように必死に息を殺しながらコソコソやっていたのに、馬鹿馬鹿しい、と思った。


「……すみません。記憶喪失の手掛かりとか、何かそういう本がないかなと……探してました。」
「ほう。で、わざわざ部屋を抜け出した甲斐はあったのか?」
「……ありませんでした。勝手に抜け出したことは……すみませんでした。」
「そもそも、お前は文字が読めないんじゃなかったか?確か、訳の分からない文字を書いてたよな?」


そういえば、そうだった。文字が読めたことはまだ誰にも言っていなかった。そのことに気づいた時もペトラには言えずにいた。
一向に手掛かりが掴めず少しだけ自暴自棄になっていた私は、リヴァイに問い詰められているのにも関わらず、脱力しながら答えた。


「なぜかは分かりませんが、文字が読めるようになりました。そこだけ記憶が戻ったのか……何なのか、理由も分かりません。でも、思い出したんです。それで、何か分かればと車庫に……勝手な行動をとって、すみませんでした。」


誰かと話すことさえ億劫だ。今は普段通りに取り繕う気力もなく、声に力が入らない。それでもそれっぽい言い訳を並べながら、リヴァイを見ていた。


「なぜすぐに報告しなかった?お前をここで匿ってやっているのは、お前に利用価値があるからだ。嘘や変な行動を起こせば、すぐに拘束して地下牢に閉じ込める。用がなくなれば殺すことも出来る。お前をある程度自由にさせているのは、お前が従順な態度を見せているからだったが……少しでも何か疑わしい行動を起こせば、お前の寝床は今後地下牢になるぞ」


殺すことも出来る。私の命は、とても軽い。
急にひどく突き放された気分だ。いや、最初から距離が縮まっていたわけでもない。


「暫く泳がせていれば何かするかと思ったが……毎晩ただ書庫に行くだけで何も起こさねえ。それとも、これから起こす気だったのか?」
「……そんなこと、わたしはただ……本当に、自分のことについて何か分かればと……」
「何でお前の記憶喪失についての資料が調査兵団の書庫にある?そんなもん、あるわけねえだろ」
「それは、そうですけど。だから、本当は、街に図書館があるなら、そっちに行きたかったですけど。でも、そんなの許されるわけないし……だから、とりあえずここの書庫を」


こんなに問い詰められることになるのなら、やらなきゃよかった。結局何も分からない上に不信感まで与えてしまった。もう何もかもが面倒くさい。
リヴァイの鋭い眼光が私を睨みつけている。私はもしかして取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか。

それでも目を逸らさずにいると、リヴァイはそのまま眉根を寄せながら口を開いた。


「次はねえぞ。次からは何か思い出すたびに逐一報告しろ。何のためにわざわざ時間をとってると思ってんだ。」
「……はい。すみません、でした。次からは、必ず」


不信感を取り除けたわけではないのだろうが、とりあえずこの場ではこれ以上追及はされないらしい。私は最後にしっかりと頭を下げて、部屋をあとにした。

隣にある自分の部屋のドアノブを回し、がちゃりとドアを開くとそこは薄暗く、居心地の悪いくらいにシンとしていた。なんだかとても寂しくなる。ひどく心細い。
私はどうしてこんな目にあっているのだろう、と何度目かも分からない問いに胸が苦しくなる。


「疲れた……」


もう何もする気になれずそのままベッドに倒れて目を閉じた。







「はあ……。」


あれから数日が経ち、勝手な行動をとった罰なのか最近はトレーニング量が尋常じゃない。リヴァイの当たりが心なしか強いし、今まで以上に体がバキバキで、もういっそ殺された方が楽なのでは?と思えるくらいだ。さすがに冗談だが。

一日のトレーニングを終えて人気のない時間帯を狙い食堂に来たのだが、疲れすぎて食べる気になれない。それでもちゃんと食えとリヴァイに言われている為、一応口には運んでいるのだが飲み込むまでに時間がかかる。


「(吐きそう……)」


水を喉に流し込んで、コップをテーブルに置く。その時ふと、後ろの出入り口の方に座っている一人の調査兵の姿を見つけた。入ってきた時あまりに静かだったから気が付かなかった。誰もいないと思っていた。
私と同じように少し項垂れながら、背中を丸くしているその男性と思われる兵士は、目の前に置かれている食事にもあまり手を付けていなかった。
明らかに元気がなさそうで、どうしたのだろう、と思いつつも、勝手に人との接触をするなと言われている私にはあまり関係のないことだった。


「ごちそうさまでした」


何とか食事を平らげて食器を返し、出入り口から出ていこうとした時、ついでにちらりとその兵士の様子を盗み見てみると、彼はまだ若い男の子だった。その横顔には覇気がない。しかしそのまま通り過ぎ、私は真っ直ぐ部屋に戻った。

けれどその兵士は次の日も、そしてそのまた次の日も同じような様子で食堂にいた。いつも一人で気力がなさそうに同じ場所に座っている。そして物凄い遅いスピードで食事をとっている。もはや私よりも元気がなさそうなその姿は気になってしょうがない。そうして、その子を見かけてから四日目の今日、ついに私は食事を終えてからその兵士の方へと歩き出した。


「……あの、大丈夫ですか?」


隣に立って顔を覗き込むように声を掛けても、彼は落としている視線を上げようとはしなかった。あの、と肩をトン、と叩くとようやく顔をこちらへと向けた。その顔つきはやはりまだ若く、そして顔色は悪かった。


「大丈夫ですか?体調でも悪いんですか?」
「………あ、大丈夫です。すみません」


その視線はすぐにまた下ろされた。
この世界でいくつから兵士になれるのかは知らないが、同世代のペトラですらもうだいぶ馴染んでいるのだから、おそらく未成年からでもなれるのだろうと見当を付ける。まだ子供、と言っては失礼かもしれないが、目の前の兵士はそれくらいにすら見えた。改めて、彼らの覚悟を考えさせられる。


「あの、でも昨日も一昨日も様子がおかしかったですし……余計なお世話だとは思ったんですけど、ちょっと気になってたので」
「あぁ……でも、少し疲れてるだけなので」


目は合わない。ゆっくりとスプーンを手に取った彼はそれでも食事を口に運ぼうとはせず、ただ眺めているだけだ。


「……あの、ていうか……えっと、あなたは誰なんですか」
「え?」
「調査兵……じゃないですよね」


立ち去ろうとしない私の方をちらりと見て、彼は言った。
一目で兵士でないと分かるのか、それとも彼が調査兵団の人間を全て把握しているのかどうかは分からないが、とりあえず私は長椅子の端に腰を下ろした。


「えっと、私は調査兵団で雑用をやってます。」
「は?雑用……?」
「本部内の掃除とか、たまには食堂のお手伝いとか、草むしりとか。そういったことをしています」
「え……兵士ではないってことですよね……?」
「はい。雑用係だと思ってもらえれば」
「そんな人いたんですね……知りませんでした」


私のことは確か複数人には話しているようだったけれど、それを知らないってことは彼は末端の新兵とかだろうか。リヴァイがどこまで私のことを話したのかは知らないが。
とりあえずここは雑用係ということにしておいて、私は彼に笑いかけた。


「なので、別に上司に言いつけたりとかしないですし、私で良かったらお話聞きますよ。もちろん、無理にとは言いませんが」


警戒心を解いてもらえるようになるべく柔らかい声のトーンで、押し付けがましくないように話した。
それでも彼は私から目を逸らし、テーブルの上でぐっと拳を握った。


「……いや、でも…大丈夫です。ありがとうございます。あの、大したことじゃないので、もう…行ってください。」


そう言って、そのまま口を閉ざしてしまう。
強く突き放されたわけではないが、それでも話をしてくれそうにはない。そもそも見知らぬ人に話せるようなことではないのかもしれない。そりゃそうか、と納得せざるを得なかった。


「そうですよね。確かに私よりも同僚の方とかに聞いてもらった方が有意義だと思います。」


わざわざ私なんかに話さないだろう、と思いそう言うと、彼はその言葉にぴくりと反応を見せた。しかしその顔は下を向いたままだ。
体調は相変わらず悪そうであったが、それ以上に出来ることなど私には一つもなかった。
そのまま立ち上がり、挨拶をしてから出入り口へ向かう。そして出て行く直前、少しだけ振り返り彼の方をちらりと見てみると、どうやら彼の方もこっちを見ていたようで、ぱちりと目が合った。そのどことなく縋り付くような目に思わず足が止まりかけたが、彼がすぐに目を逸らしたこともあり、気になりつつもそのまま何もせずにその場をあとにした。
彼の丸まった背中は最後までずっと正されることはなく、その姿がずっと頭から離れなかった。


次の日、さすがにもう居ないだろうな、と思いながらまた同じような時間帯に食堂に来てみれば、驚くことに彼は今日もまた同じ場所に座っていた。元気のない様子も手付かずの食事も、何もかもが昨日までと同じだ。もう話しかけられたくないだろうからさすがに時間をずらしているかと思ったが、違ったようだ。それともこの時間にしか来られないのだろうか。
私が食堂に入るとそれに気づいたのかこっちをちらりと見て、必然的にまた目が合い、互いにぺこりとぎこちない会釈をした。

これは、うーん。

気のせいだろうか?いや、でも。私は炊事兵からお礼を言いながら食事の乗ったトレーを受け取り、そうして、足を止める。食堂を見渡すと相変わらず出入り口の近くの隅の席で、背中を丸めている兵士が目に入る。


「………。」


どうするべき?
悩みつつも、私の気持ちは彼を目にした時からほとんどもう決まっていた。
トレーを持つ手にぎゅっと力が入る。それからそっと足を踏み出し、食堂の奥の方まで歩いて行く。


「……お隣、いいですか?」


私の問いかけに、静かに顔を上げた彼はゆっくりと頷いた。


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