「……え?毒とか入ってないですよね?」
「………。」


いい香りのするカップを持ち上げ、それを口元に寄せた時にふと思いついたことをそのまま正直に言葉にすると、リヴァイはひどく冷めた視線をこちらへ向けたまま黙った。部屋はシン、として無音が続く。あまりの静寂にカップに口をつけることもソーサーに戻すことも出来ずにいると、リヴァイがやっと口を開いた。


「お前を殺すのにわざわざ毒を使うと思うか?」


一定のトーンで、まるでなんてことないような口振りで続ける。


「仮に、お前を殺すなら片手あれば済む話だ。それをわざわざ……こんな回りくどいやり方なんざするわけねえだろ。紅茶も毒も勿体ねえ。」


毒すらも?
疑った私も悪いのかもしれないが、それにしてもひどい返答だ。今更だが私の命はものすごく低く見積もられているな。毒のひとつも使ってもらえないらしい。いや使われたくなんかないんだけども。


「そうですよね……すみません。」


とはいえ、せっかくのご厚意(なのかは分からないが)に失礼な態度を取ってしまったことは事実なので謝っておく。
少しの気まずさを感じながらもようやくカップに口を付けると、紅茶の香りが更に広がった。味のある温かい飲み物を飲んだのがひどく久しぶりで、それがじんわりと身体を温めてくれて、言葉にならない。日本にいた頃はもっと美味しいものばかり飲んでいたはずなのに、正直言ってこれとは比べものにもならないと思うのに、それでもリヴァイが出してくれたこの紅茶をとても美味しく感じた。
この世界に来たばかりの頃は水も食事も体に合わなくて体調を崩しかけることが多々あったが、それも今となってはもうだいぶ平気になった。むしろ美味しく思える時もある。この紅茶は特に。


「おいしい……」


独り言のようにぽつりと呟く。向かい側のリヴァイは何も言わず黙ったまま紅茶を飲んでいる。独特な持ち方だな……と彼がカップに口を付けている姿を盗み見ながら思った。それからソーサーにカップを戻し、ふと、考える。

もしかしてこれは、彼なりに私を労っているのだろうか?と。

だって今まではこんなふうに共にお茶をするなんて当たり前だけどなかった(というかしたくもなかった)し、しかもリヴァイ直々に紅茶を淹れてくれるとか冷静に考えたらなかなかにありえないことなのでは?
なんだかんだで足の手当ての用意もしてくれたし。もしかして、彼はようやく、私を労わるということを覚えたのではないか?

同じ机で向かい合いながら同じ紅茶を飲んでいるのにも関わらず二人の間に会話らしい会話は全くないが、それでも。彼の態度は相変わらずだが、それでもだ。

そっか、そうかそうか。ようやく。
リヴァイはやっと私の頑張りを少しは認めてくれたのだな?そういうことだな?これは。
だとしたら───遅い。いやもう本当に遅すぎると文句を言いたいくらいだが、まぁ、でも、この際そこは気にしないでおく。
理不尽で身勝手で乱暴で私を雑に扱うリヴァイが、こうして紅茶を淹れてくれたのだ。自分が飲むついでかもしれないけれど。それでもだ。

この世界に来てからずっと、一人だと思っていた。いや実際それは間違ってないんだろうけれど、でも、私は今ここにいてどんな扱いでもここでお世話になっている。ほとんど毎日リヴァイと顔を合わせて、会話をして、一日の初めと終わりに言葉を交わす。リヴァイの仏頂面もだいぶ見慣れてきた。不機嫌そうな声色も、眉間に寄ったシワも、人を殺せそうな目付きにも、慣れてきた。
だからどうということではないが、慣れてきたのだ。
こうして誰かと温かい飲み物を飲んでいると孤独感がほんの少しだけなくなる。不確かな私の存在は、ちゃんとここにあるのだと確認が出来る。
孤独感も恐怖心も何もかもなくなるわけじゃない。でも、私は、生きている。生きている限り、きっと、いつか日本にも帰れるはずだ。……ていうかそうじゃないと本当に無理。無理すぎる。原理とか仕組みとか理由とかは全く分からないけれど、こちらに来れたということは、あちらにも帰れるということのはず。……だよね?

私は目の前にリヴァイがいることも忘れ一人でいろいろと考えを巡らせながら、ふと、いつだかペトラが言っていたことを思い出した。

『それにそうは言っても優しいところもあるし』

前にそんな話をしたことを思い出し、目の前のリヴァイを見やる。ペトラはリヴァイのことをそんなふうに言っていた。
“優しいところもある″。
私は紅茶の入ったカップに視線を落とす。そうして少し考えてから、それを持ち上げた。


「いやさすがにそれはない。」
「あ?何言ってんだてめえ」


紅茶一杯では絆されない程度には日々痛めつけられているのだった。
私は捻った足の鈍い痛みも忘れて、独り言に対して間髪入れずに睨みつけてくるリヴァイの目を真っ直ぐに見た。


「っふ、何でもないです」
「……馬房で頭でも打ったか?」


訝しげな顔をするリヴァイの目の前で、私はおそらく初めて少し笑った。その、初めて見る表情にリヴァイはまるで変なものでも見ているかのような目付きで私を見ていた。相変わらず失礼な奴だ。


「紅茶、美味しいです。ありがとうございます」


きっとそこまでの贅沢品ではないのだろうが、わざわざ水以外のものを淹れてくれたことに素直に感謝を示す。そういえば、ちゃんとしたカップで紅茶を飲むなんてこと初めてしたな。
リヴァイはそんな私を見ながらカップをソーサーに置いて、ひとつ瞬きをした。


「良かったな。毒が入ってなくて」
「あぁ、そうですね。毒がもったいないですしね」
「飲んだらさっさと今日の報告をして出て行け」
「もうちょっとゆっくり飲ませてくれません?」
「とっとと飲んでクソして寝ろ」
「口わる」


今日は、もしかしたらゆっくり眠ることが出来るかもしれない。





やってもやっても終わりの見えない作業に、私は気づかれないようにため息を吐いた。

足を捻ったあの日、おそらく無理をしたせいであれから捻挫が悪化してしまい、仕方なく数日はトレーニングなしということになった。自分のミスなので申し訳なさはあったが、それにしてもトレーニングなしというのは小躍りしたいほどに嬉しかった。捻挫してたので躍らなかったが。しかし、そのかわりに食堂で芋の皮むきの手伝いを命じられ、まぁトレーニングに比べたら天国でしょ、とか思っていたのも束の間、思っていた以上の芋の量に愕然とし、その上ピーラーなんてものもあるはずがなく一つ一つ包丁で皮を剥いているのだが、いちいち時間がかかりすぎてしまう。元々一人暮らしで料理もしていたから出来ないことはないし不器用な方ではないのでコツを掴めばそれなりに綺麗に剥けるが、いかんせん量が。量がアホみたいにあるのだ。指を切り落とすことはなくても死ぬほど疲れて指が終わる。あと朝がめっちゃ早いのでありえないほどに眠い。単純作業なこともあって尚更。
食堂には炊事兵が何人か居て、私が誰なのかなどの細かい説明は全くなしに(説明も出来ないんだろうけど)雑用要員としていきなり放り込まれたのでかなり気まずかったが、リヴァイが連れてきたということもあってかわりと普通に接してもらえている。まぁ作業中は会話は全くないけれど。

毎日毎日芋の皮むきに追われ疲れと眠気と、そして何より私は一体何をしているんだ?という自問に精神が病みそうになっていた頃、ようやくその業務から解放された。調理場を手伝うようになってから二週間が経った頃だった。足の捻挫が良くなってきたことで、地獄の皮むき生活は終わりを告げた。
まぁ明日からはまた改めて違う地獄(リヴァイ)が始まるだけなんだけれど。

お世話になった炊事兵の方々にお礼を伝えて、私はひどい眠気と戦いながら帰路についた。自身の部屋に向かっている最中、本部内の大部屋の前を通ったとき、ふとその中にペトラ(と思われる人物)の後ろ姿を見かけた。
広い部屋に一人、机に向かって何かを書いている。
久しぶりに見たその姿に、なんとなく声をかけたくなって、私はゆっくりと部屋に足を踏み入れた。さっさとシャワーを浴びて眠りたかったが、それよりも同世代の人と少しお喋りがしたかったのだ。


「ペトラ」


斜め後ろからそっと声をかける。ペトラは綺麗な色の髪を耳に掛けて、真剣な顔でペンを動かしていた。見た感じ手紙だろうか。よほど集中しているのか名前を呼んでも気付かれず、それから二、三度呼んでみたが反応はない。もしかして無視されてる?と思ったがめげずに前に回り込んで、おーい、と手紙の上から人差し指をトントンと落とした。


「──わっ!?びっくりしたっ!」
「?!ご、ごめん!」


思わずびくりとして肩を震わせる。
どうやら無視ではなく単に気づいていなかっただけのようで、ようやく顔を上げたペトラは驚いて少し声を張り上げた。そしてその声に私も驚いた。


「びっ……くりした、なんだ……えっと、ナマエか」
「あ、ごめんね…?驚かせるつもりはなかったんだけど」
「ううん。こっちこそ、大きい声出しちゃった」


私を瞳に映して笑うペトラに胸を撫で下ろし、そのまま側にあった椅子にゆっくりと腰を下ろして、向かい合わせで視線を合わせた。
大部屋には二人っきりだ。


「そういえば最近ナマエのこと訓練場で見かけなかったような」
「あぁ、そうかも。最近はずっと芋の皮むきしてたから」
「え、皮むき?」
「うん。足捻挫しちゃって。皮むきが座りながらでも出来る作業だったから」
「捻挫って、大丈夫なの?」
「ん、もうほとんど大丈夫。ペトラはここで何してたの?これって手紙?」
「あ、そう。家族に。たまに書いてるんだ」
「へえ、そっか、家族にかー」


そう言いながら無意識にその手紙に視線を落とすと、その、私が読めないはずの文字に、なんとなく違和感を覚えた。


「……ん、え?」
「ん?どうかした?っていうかなんか恥ずかしいから読まないでよ」
「……いや、ちょっと……待って、」
「え?なに?」


私はペトラの言葉も聞かずにテーブルに両手をつき、手紙に顔を近づけた。その文字を見て、ドクン、と心臓が高鳴る。私は“それ”から目が離せなくなった。

私は、この世界の文字を読めないし書けない。そのはずだった。リヴァイの文字を見た時も全く読めなかったしリヴァイ達も私の文字を読めなかった。だから、文字は別のものだと思っていた。思い込んでいた。
なのに、どうして?
本来ならペトラが書いたその文字は、私の方から見れば逆さになっているはずなのに、でも、私の頭はそれを簡単に理解することが出来た。そこになんて書いてあるのかが、はっきりと分かったのだ。


ミンナゲンキニシテル?


「……なんで?」


みんな元気にしてる?
その文字を、頭の中で変換させる。

これは───カタカナだ。
そこに書いてあるのは、カタカナだったのだ。少し読みづらいけれど、ちゃんと読める。分かる。知っている。
読めないはずがない。カタカナなんて、とうの昔に習っているのだ。忘れるわけもない。


「…どうして……」


どうして今まで気がつかなかったのだろう。
全く別の世界の文字が逆さまのカタカナだなんて、こんな偶然って、あるのだろうか?

私を呼ぶペトラの声はもう耳には入ってこなかった。


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