一日のスケジュールに走り込みと筋トレ以外に本部内の掃除がプラスされてから数日。
掃除はトレーニングするよりかは楽かもしれないけれど、慣れない掃除道具を使うことに少し苦戦している。時間がかかりすぎるのだ。しかも掃除のこととなるとリヴァイが今までよりも口うるさくなるということが分かり、すごく疲れるし正直うざったいことこの上ない。


「てめえにはこの汚れが見えねえのか?何度言えば分かんだよ。ほらよく見てみろ。汚れてんだろ。分かるか」
「ッい、痛い痛い!ちょっやめっ痛いってば…!!」


後頭部を掴まれ、もはや壁の模様の一部となっているその汚れにグリグリと顔を擦りつけられる。頭を掴むその力は相変わらず馬鹿みたいに強いしそれ以上に壁に押し付けられてる頬が痛すぎる。
朝から雑巾で何度も磨いたその壁の汚れは、もうこれ以上落ちる気がしない。これでも綺麗になった方なのだ。私は壁に片手をつきながらリヴァイ側の腕を振り上げて、彼の手からどうにか逃れる。


「っ…最初に比べれば十分綺麗になったでしょ!?これ以上は無理です!」
「あ?無理かどうかはお前が決めることじゃねえ。俺がやれと言ったらやれ。それが出来ねえってんなら出て行け。てめえの薄汚れたツラ見なくて済むならこっちも万々歳だ」
「う、薄汚れてるのは掃除ばっかさせられてるからだよ……!つまりあんたのせいだよ……!!」


し、失礼すぎる。女に向かって薄汚れたツラとか言う?普通。──いや、普通じゃなかった。この男は普通なんかじゃ全くなかったんだった。普通の人は汚れた壁に女の顔を押し付けたりしない。
あまりに失礼な言い草に怒りで震えながら雑巾を握り締めるが、リヴァイは表情を全く変えない。だんだんと遠慮がなくなってきている私は思ったことをそのまま口にすることが多くなってきた。ほとんどが無理を言ってくるリヴァイへの文句だ。


「いちいち口答えすんじゃねえ。てめえ誰のおかげで衣食住揃ってまともに生活出来てると思ってんだ」
「ああそれは団長さんのおかげですね」
「俺が、てめえを、甲斐甲斐しく監視してやってるおかげでだ」
「いだだだだ!」


それって私をここに置いてくれると判断してくれた団長さんのおかげで合ってるよね?正直に答えたというのにリヴァイは正面からガシリと私の顔面を掴んだ。指にアホみたいな力が込められて、私は声を上げる。
というか例えば世話とか面倒とか、他にもそういった言い回しが出来るのに敢えて監視という言葉を使うあたりがなんとも腹立たしい。これのどこが甲斐甲斐しいっていうんだ。


「ここにいるつもりなら黙って従え。適当にやりやがったら次は巨人の口の中に放り込む。俺がいつまでも優しいと思うなよ」


彼の言っている言葉の意味を理解することが出来ず顔を顰めさせる。あなた優しかったことなんて人生でありました?優しさとは正反対の瞳で私を睨みつけて、廊下を歩いて行くリヴァイ。
姿が見えなくなり、一人になると大きくため息を吐いた。やってらんない。痛めつけられてヒリヒリと赤くなっているであろう頬に手を触れ優しく撫でる。そのまま汚れた壁に視線をやってそれを見つめるが、そう簡単には落ちてくれそうにない。


「はあ……、やるか」


しかし結局のところああだこうだとうるさい人(リヴァイ)がいないとそれなりに真面目に作業をしている私はそのまま大人しく掃除を再開した。





「ぶっ倒れるまで走れ。以上だ」
「すっごい雑な指示」


毎日毎日、トレーニングしたり草をむしったり掃除をしたり、私は一体何をしているんだろうと思う。最近は掃除するのも少し慣れたきたけど、相変わらずリヴァイが小姑の如くうるさい。この世界に来てからそれなりの時間が経過したが、全く馴染めていないしなぜこんなことになっているのかも一向に分かってない。ただ毎日を過ごすので精一杯だ。
顔を合わせる相手も基本的にリヴァイしかいないし、他の人と会話する機会もそうそうない。最近は食堂への出入りを許されてはいるが、それも人気のない時間を見計らって行けと言われている。それ以外でもあまり人とは接触するなと初めから言われていたし。

雲一つない青空の下、光り輝く太陽に見守られながら一人ジョギングを始める。リヴァイはどこかへと消えた。ぶっ倒れるまで走れというなかなかにクレイジーな指示を受けながらも素直に従ってる私はもしかして少しずつ馴染んできているのだろうか。こんな馴染み方は嫌だ。ていうかあの人もう私の面倒を見るのめんどくさくなってるだろ。何なのこのやっつけ感。

そんなことをいろいろと考えながらもひたすらに走り続けて、太陽の日差しがかなり辛く感じてきた頃、彼女はやってきた。

ふと、汗だくになりながら走る私の近くまで誰かが来ていることに気がついた。リヴァイではない。視線をやると、彼女はこちらに向けて片手を上げた。私は思わず足を止めて、息をはずませたままそっちを見つめる。どうしてここにいるのだろう。彼女──ペトラは、手に持っている水の入った皮袋を見えるように持ち上げた。


「お疲れ様。調子はどう?…えっと、ナマエ、だよね?」
「あ、はい……」


あまり人と関わるなと言われている私としては、突然の登場に戸惑いを隠すことが出来ない。腕で顔の汗を拭う。
私がまだ食堂の出入りを許可されていない頃にずっと食事を部屋まで運んでくれていたのが、彼女だ。とはいえ私たちの間にあったのは受け渡しのみだったので会話という会話はしたことがない。おそらく彼女もあまり話さないように言われていたのだと思う。
しかし目の前の彼女は存外にこやかだ。


「水持ってきたの。少し休憩したら?」
「あ、ありがとうございます。……ペトラさん、ですよね?」
「ペトラでいいよ。はい、水」
「え、あ、……ありがとう」


渡されるままにそれを受け取り、とりあえずお礼を言う。
前にリヴァイと彼女が話をしているところを見たことがあるので、名前は知っていた。私と同い年、ぐらいだろうか。

頂いた水をぐっと飲んで口元を拭きながらちらりとまた彼女を見る。こんなふうに誰かが私に話しかけてくれることなんて殆どないし、リヴァイやハンジさん、団長さん以外の兵士の方とは誰とも口を利いていない。
水を渡したあともそのままこの場から立ち去ろうとしないペトラに、小さく首を傾げていると、彼女はまた普通に口を開いた。


「こうして話すのは初めてだよね」
「あ、そ、そうだね」
「改めて、私はペトラ・ラル。よろしくね」
「あ、うん、どうも……ナマエです」
「一応事情は兵長から聞いてるけど、記憶がないとか」
「あ、……うん」
「大変だね。それって普通に生活する分には平気なの?」


思いがけず続く会話に、更に戸惑う。この子めちゃくちゃ普通に嫌な感じとかもなく話しかけてくれてるのに私コミュ障みたいになっちゃってるじゃん。同世代の子と話すのがなんだかとても久しぶりのように感じる。突然の出来事すぎて頭の整理が追いついていない。
この子は何をしにきたのだろう。水を渡す為だけ?おそらくリヴァイに言われてだろうが、そんなこと今更、させるだろうか。


「──あの、ごめん。ていうか、ペトラは私と話してて大丈夫なの?」
「え?どうして?」
「だって……私ってほとんど不審者っていうか」
「あはは、不審者」
「いや、上の人からも確実に不審に思われてると思う。それに素性もよく分かってないわけだし……怪しんだりとか、何かしでかすとか、思ったりしないの?」


笑ってる場合か?今まで散々な扱いをリヴァイから受けてきたので、こうして普通に穏やかに接してこられるとわりと本気で戸惑う。ハンジさんや団長さんは別として他の人からこんなふうに話しかけられるとか想定していない。
戸惑う私に、ペトラは普通の顔をして答える。


「うーん、思ってないよ。とりあえず今のところは」
「今のところ」
「あなたのことは口外するなとは言われてるけど、別にそこまで危険な人物だとも聞いてないし」
「そうなの?」
「うん。まぁ積極的に関われとも言われてないけどね」


そうだったのか。私はてっきり、あのよく分からん女には絶対に近づくんじゃねえぞ関わってもろくな事はないからな、くらいのことは言われているのかと思っていた。
だけど冷静に考えてみればそんなことをわざわざ言われなくても私みたいな奴に自ら関わろうとしてくる人なんていないか。


「今日は兵長に言われて水を持ってきたの」
「……あ、うん」
「馬鹿みたいな姿勢でよろよろと走ってると思うから持っていってやれってね」
「言い方」


ペトラさん?それをありのまま私にお伝えしなくてもいいんだよ?その言葉を聞くと瞬時にあの腹立たしい顔が頭に浮かんで、反射的に顔を顰める。


「それに、こんなふうにある程度の自由が与えられてる時点でそこまで不審には思われてないんじゃないかな。」
「……そう、なのかな?」
「多分ね。私自身もあなたのことを怪しんだりとかもそこまでしてないし」
「……なんで?」
「だって団長や兵長が判断したことだもん」
「……信用してるんだね?」
「もちろん。それにたとえここでナマエが私に何かしようとしてきたとしても、さすがにあなたにやられる程私もヤワじゃないしね」
「……そっか。それは、確かに」
「それに兵長から、何か変な動きでもしようものなら遠慮なくぶちかませって言われてるし、だから大丈夫よ!」
「ん〜?」


胸の前でぎゅっと拳を握りしめて明るく言い放つペトラに思わず首を傾げる。全く大丈夫そうじゃない言葉が聞こえてきたんだけど。やっぱりこの人たち私のこと全然信用してないでしょ。
しかしペトラは私の目を見ながら表情を緩める。──可愛らしい人だ。

思わず見惚れていると、彼女はふいに向こうにある木陰の方を指差した。


「あっちで少し休憩しよう?」
「えっ?でも私ぶっ倒れるまで走れって言われてて」
「そうなの?」


自分で言いながらもありえない命令だなと改めて思う。──でも、と彼女は続ける。


「兵長に水を渡すついでに少しナマエの相手をしてこいって言われてるし、だから大丈夫だと思うよ?」
「……」


私の相手を?リヴァイが?言ったって?いやでもそれってお喋りしてこいって意味で合ってる?本当に大丈夫?あとから私だけ理不尽に怒られたりしない?え?大丈夫?ほんとう?

不安でいっぱいになっている私とは真逆に、ほら行こうと歩き出すペトラ。そうは言われても動き出せない私。……本当にいいのだろうか。しかし、彼女の厚意を突っぱねるわけにもいかなくて、結局のところ疑いながらもとりあえず同じ方へと歩き出した。

空が青い。


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