身に纏っていたワンピースには見覚えがあった。普段からよく着ていた丈の長い白いワンピース。紛れもなく私の服だった。
私には私の人生分の記憶がちゃんとあるし、育った土地も両親のことも友達のことも一人暮らしを始めたことも何もかもをしっかりと覚えている。それなのに今ここがどこなのかさっぱり分からない。巨人?壁外?調査兵団?フィクションか何かですか?
リヴァイと呼ばれた人相の悪いその人は私を胡散臭いとか信用出来ないとか散々罵ったあと、それでも利用価値だけはあるとのたまった。あの化け物が私にだけは反応を示さなかったから、だ。
何か隠していることがあるなら全て吐けと胸ぐらを掴まれながら詰め寄られた時は、怖いというより不愉快極まりなかった。言葉が悪く乱暴で、この人は何様なんだ?と腹が立った。それでなくともこの状況に混乱しているというのに、そんなふうに詰め寄られても私だって困る。
なぜここにいるのかもどうやって来たのかもあの化け物のことも、ついでに調査兵団とかいう組織のことも、この世界のことでさえ何もかも知らないし分からないのだ。
一番訳が分からないのは私自身なんだ。
だから、どうして巨人が私に反応しなかったのか、どこから来たのか、壁の外でどうやって生きていたのかとか集落があるのかとかそんなことを何回も何回も何回も何回も聞かれても、


「だから、分からないんだって!!」
「……」


──薄暗く汚い地下牢の中で、私はリヴァイに向かって叫ぶ。鉄格子の向こうにいるリヴァイは偉そうに腕を組みながらひどく冷めた目で私を見下ろしている。こんなところに二日間もいたら立つ気力さえなくなっていて、地べたに座り込みながら声を振り絞った。


「っ何回も、言ってるじゃないですか。どうしてあんなところに居たのかなんて全然覚えてないし、巨人のことだって知らない、何であいつらが私に反応しなかったのかも分からない、調査兵団とか、そういう、全部、壁とか、兵士とか、そんなの、知らないんです。嘘とかじゃない、本当に知らないの。何回聞かれたって知らないもんは知らないんだもん。いい加減ここから出して……」


頭がおかしくなりそうだ。
壁外とかいう場所から馬で時間をかけて移動したかと思えばこんなところに閉じ込められて同じ質問ばかりされて。荷馬車でずっと揺らされていただけでもお尻が痛かったというのに、挙句二日間も地下牢で過ごすとか何の拷問ですか?出されたパンは硬くって食べられたもんじゃないし。食べたけど。


「言っておくが……許可もなく壁外に出た場合、それだけで罪になる。お前は覚えてなかったのかもしれないが、つまりてめえは罪人ってことだ。そこがお似合いだと俺は思うがな」


どうしてこういちいち腹の立つ言い回しをするのだろう。最初からずっとそうだけど、上から目線だし態度は悪いし人の話は聞かないし、勝手に人を化け物の前に放り投げるし胸ぐらは掴まれるし幽閉はされるし……私に人権はないのか?
理不尽なことが多すぎて辛いし苦しいし訳が分からないし腹立たしい。いろんな気持ちが溢れ出してきてぎゅっと拳を握り締める。だんだんと怒りが込み上げてきた。


「…あなた方こそ、何度同じ話をすれば理解して頂けるのでしょうか……それとも、一回聞いただけでは覚えられないのですか?そんなことでお仕事は務まるのでしょうか。兵士とはそんなに簡単なお仕事なのですか」


私に利用価値があるのだとすれば、少なくとも殺されることはないはずだろう。理不尽な状況下に苛立ちはとっくに許容範囲を超えていて、リヴァイを睨みつけながら言い返してやった。たっぷりの皮肉を込めて。彼は皮肉がお好きなようなので。
そのまま睨みつけていると、地下室は静かになる。換気をする窓もなく薄暗い上に何の音もしなくなった地下牢は異常に居心地が悪い。黙ってしまったリヴァイは口を閉じたままただ淡々と私を見つめ返している。──いや、彼を纏う空気は少しピリついているかもしれない。思わず言い返してしまったが、どうしよう。怒らせてしまったかもしれない。え、殺されたりとかしないよね?
一応表面的には睨みつけたままで内心焦っていると、階段の方から誰かが下りてくる音が聞こえてきた。うわ良かった、睨みつけるのやめるタイミング分からなかったわ。


「……あれ?リヴァイ、まだその子出してあげてなかったの?」


メガネをかけた女の人──確かハンジとかいう名前の人が下りてくると、軽快にリヴァイにそう声を掛けた。

ん?“出してあげてなかった”?

その言葉を聞いてハンジさんの方を見ていた私はまたリヴァイの方へと顔を向ける。未だハンジさんに視線を向けているリヴァイは少しの沈黙のあと、チッと舌打ちをした。


「少し聞きたいことがあっただけだ。もういい」
「あ、そう。早く出してあげないと可哀想じゃないか。もう解放していいんだから」


そんなやり取りの中、リヴァイはジャケットの内ポケットから何やら鍵らしきものを取り出して、それをガチャガチャと鍵穴に差し込み鉄格子を開けた。
キイと音を立ててそれは簡単に開く。


「出ろ。」


何の温かみもない短い言葉。状況が飲み込めず、立つことが出来ない。ハンジさんの、あれ?大丈夫?という言葉が遠くに聞こえる。
──つまり、リヴァイは、ここの鍵を最初から持ってきていて、しかも私を出す為にここに来ていたのに、あれやこれやと皮肉を並べて暫くの間鉄格子越しに話をしていたというのか?


「オイ、グズグズするな」


何て、何って、悪趣味なのだ。
鍵を持っているなら、初めから出す為に来たんだったら、さっさと開けてくれればいいものを。こんなところ一秒だって長くいたくないのに。
性格の悪さに腹わたが煮え繰り返るような思いがして俯いていると、そんな私に構わずリヴァイは私の腕を掴み雑に持ち上げた。


「出ろっつってんだろ。いつまで座り込んでる。そんなにここが好きか」
「……うるさいな。気安く触んないで下さいよ」
「あ?」


なけなしの虚勢心で睨みつけてみたけれど、正直もう立っているのがやっと……どころか、はっきり言って立つことさえもままならない状態だ。ろくにごはんだって食べてないし睡眠だって上手くとれないし、ずっと緊張状態が続いていて、限界はとっくに超えてる。


「…足元もおぼつかないような奴に凄まれてもな。」
「どうしてすぐに、開けてくれなかったんですか」
「あ?そんなもん、俺がお前を信用してねえからだ」
「あなたが?…そんなの、あなたの判断なんか今はいらないでしょう。私を解放すると決めたのは上の判断なんじゃないですか?つまりあなた個人の判断はどうでもいい。ならあれこれ聞く必要はなかった、そうでしょ」
「ペラペラとうるせえ奴だな……弱ってるならもっとそれらしくしたらどうだ」
「あぁそれとも弱ってる女を眺めるご趣味があるのですか」


私は今とてつもなく性格が悪くなっているような気がする。いろんなことが一気に起こりすぎて、なぜか饒舌になっている。しかも悪い方に。
半ば自棄になっていると、腕を掴んでいたリヴァイは表情を変えずにいきなり手を離し、足に力が入らない私の体はまた地べたにドサッと落ちる。痛いわ。


「あのー、いつのまにそんな仲良くなってたの?」
「仲良くの定義を教えろ」


二人の会話は耳に入ってこない。
こんなとこ、早く出てどこかへ行こう。──どこかへ。どこかって…どこに?ここを出て、私はどこに行けばいいんだ。
こんな世界知らない。知ってる人なんていない。壁の向こうには化け物がいる。この世界の秩序なんて知らない。お金も持ってない。そんな私が、ここでどうやって振る舞えばいい?どうすれば元の世界に帰ることが出来る?この人達は信用できない。助けてくれる人はいない。こんなの、どうやって。
これから先のことを考えると頭が痛くなる。地べたに座り込んだまま脱力していると、ハンジさんが私の目の前に腰を落とした。


「えっと、ナマエ…だっけ。立てるかな?とりあえず上へ行こう。エルヴィンが待ってる」
「……エルヴィン、って、団長さん…でしたっけ」
「そう!話があるから来てほしいんだ」
「はなし……?何の話、ですか」

「いいから、さっさと来い。」


低い声が私達の会話を容赦なく遮る。相変わらずこちらの気持ちなんてお構いなしで、リヴァイは私をぐっと引っ張り上げて軽々と肩に担ぎ、歩き出した。何この運び方!?


「ちょっ、やめ、やめろ、」
「うるせえ。お荷物は黙って運ばれろ」


確かに今はちょっと歩けそうにはないし階段を上るなんてことはもはや不可能に近いことかもしれないけれど、だからといってこの運び方は何だ!?苦しいし羞恥と怒りでやばい。
しかし抵抗する力も今はなく、黙って運ばれる他なかった。ひどすぎる。
エルヴィンさんとは壁の向こうで一度顔を合わせて話をしたけれど、私のことをどう思ってるんだろう。彼は調査兵団の団長さんらしく、体も大きくて真面目そうな人という印象ではあったけど、どんな人なのかはよく分からない。
一体どんな話をされるのだろう。ちゃんと自由にしてくれるのかな。まぁされたところで行くとこなんか私にはないけどね。はは。笑えない。



「エルヴィン、連れてきたぞ」
「ああ、来たか」


おそらく団長室に連れて来られ、ハンジさんも一緒に部屋に入るとすぐにリヴァイは私を肩から滑り落とした。いきなりのことに受け身もとれず変な声が出た。しかも私が乗っていた方の肩を手で軽くはたきやがるからこの男殺意が湧いてくる。


「ナマエ、だったか。すまなかったな。二日間も地下牢で過ごさせてしまって。しかしこちらとしても初めての事例でな。君のことについて話し合う時間が必要だった。体調はどうだ?何かして欲しいことがあれば言ってくれて構わない」
「……では、あなたの部下に礼儀というものを、教えてあげて下さいよ」

「あ?」


何とか自力で立ち上がりながらそう答える。隣にいる人の圧がすごいがそちらは見ないようにした。しかし、部下が人を床に落としたことにすら特に何も言ってこないあたり、この人も結局リヴァイと同じような気質なのか?見た目は随分ちゃんとしているようだけれど。
嫌味を言った私に対して、エルヴィンさんは存外笑って答えた。


「悪く思わないでくれ。リヴァイは誤解されやすいが仕事はちゃんとこなしてくれる男だ。その点については信用していい」
「…はあ」


悪く思うなというのには無理があるし、誤解されやすいというか誤解とかでは全くないのですが。現にいろいろと酷いのですが。信用なんか出来るか。──と、心の中だけで悪態をつく。さすがにこれ以上何か言っても私の得にはならない。


「さて、何から話そうか。──あぁ、とりあえず掛けてくれ」


立っているのがやっとな私の姿を見てそう言ってくれたエルヴィンさんの言葉に甘えて、椅子に座らせてもらった。ハンジさんとリヴァイが立っているので少し気まずいが。
正直こうして座ってるだけでも辛いのだが、そこはぐっと我慢する。今のところこの人達に逆らう必要はないだろう。変なことになりそうだったらその時は逃げればいい。(果たして逃げられるのか、逃げられたところでどうなるのかは別として)


「まず、壁外でも話は一度聞いたが、君は巨人のことや我々調査兵団、この世界の歴史や壁についても何もかもの記憶を失くしている上に、どうして壁外にいたのかすらも分からない、ということで間違ってなかったかな」


記憶がないというか、いやそれも間違ってはないのだけど、そもそもこの世界のことを知らないのだけど。──しかし、ここはとりあえず記憶喪失ということにしといた方がいいだろうか。話すタイミングがなく日本のことなどは話してなかったけど、へたに話をしてこれ以上頭がおかしいとか思われても困る。上手く説明出来る気もしない。
私はエルヴィンさんの質問に頷いた。


「そうか。それについてはとりあえず、信じておこう。それからこれはリヴァイから聞いた話だが、巨人が君に対して攻撃をしてこなかったというのは本当か?」
「…えっと。はい。とくに何もされませんでした」
「それは確実なんだな?リヴァイ」
「ああ。俺がこの目で確認した。こいつの前を素通りして行きやがった」


その確認の仕方がかなり乱暴だったけどな。


「奇行種の可能性は?」
「それはもちろんある。…だが三体続けてこいつに何もしてこなかったのは気になる。」
「それは気になるね!それが本当なら、ナマエがそういう体質ってことになる。それとも特別な条件下でのみそうなるのか……とにかく調べる必要がある」


そういう体質って何だ。リヴァイとハンジさんも話に加わる。
聞いた話だと壁の向こうにいるあの巨人たちは人を食らう化け物なのだという。だからリヴァイにはあんなに過剰に反応していたのだ。だけど三体とも私には何もしてこなかったから、だからリヴァイはあの時それを調べる為に私を巨人の前に放り投げたのだ。だとしても許せないが。
彼らが所属している調査兵団はこの世界で唯一壁の向こうへと遠征して調査を行なっている組織で、巨人に出会した際には立体機動装置とかいうあの装備で戦うのだという。リヴァイは易々と巨人を倒していたように見えたが、それはリヴァイが特別強いかららしく、普通の兵士は時には食べられることもあるのだと聞いた。怖すぎる。


「──ナマエ。大丈夫か?」
「……えっ。あ、…はい。大丈夫です」
「疲れているのに悪いな」
「いえ」
「俺の時とはだいぶ態度が違うな」


リヴァイが口を挟む。その言葉に横目で彼を見ると、そいつはまた冷めた目で私を見ていた。…態度が違うってそりゃあそうでしょ。相手の態度だってだいぶ違うんだから。この人は自分の行動について省みたりはしないのだろうか。
するとエルヴィンさんが、リヴァイ、と窘めるように名前を一度呼ぶと、彼は面白くなさそうに目を逸らした。


「それでだ、ナマエ」
「はい」
「君は知らなかったのかもしれないが、実は巨人のいる領域に無許可で立ち入ることは罪になるんだ」
「…はい」
「君に悪気がなかったとしても法律上それは関係ない。というわけで今から君を憲兵団に引き渡すことになる。罪に問われると思うが、悪く思わないでほしい」
「………はい?」


調査兵団の団長さんは、特に悪びれた様子もなく呆気なくそう言った。


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