ずっとそこに居るもんだと、きっと無意識にそう思っていた。他の誰かに持っていかれるなんて考えたこともない。俺以外の男と、俺以上に、親しくしている姿なんて見たこともない。見たくもない。 知らないうちにアイツに対して醜いほどの独占欲が俺の中で渦巻いていた。 それはただの幼馴染みとしてのものではなく、それ以上の、何かだった。 一度勘付いてしまえばもう戻れない。日に日にナマエのことを考えることが増え次第に気づき始める。自分が抱いている感情に。アイツに対しての感情に。 初めはそれに戸惑い、わざと“そんなことはない”と思うようにしていた。俺の中のアイツの存在が──今まであったアイツとの関係が、崩れるように変わってしまいそうで。 自身の変化をすぐに受け入れるのは難しかった。それほどナマエとの日々はそう簡単に手放せるものではなかった。 自分が思っている以上に根深いところにアイツの存在があることに今更気がつく。 ナマエが過ごしていく“これから”の中にも俺がいてほしいと思う。 ナマエがいきなり寂しいと言い出した理由が知りたい。俺を避けた理由を知りたい。何を考えているのか全く分からねぇことが腹立たしい。分からないことがあることに腹が立つ。もっとちゃんと把握しておきたいと、そんなことを思ったのは初めてだ。 “ずっと一緒だ”なんてわざわざ口に出して言ったのはアイツを安心させたかったのもあるが、ナマエにもそう思っていてほしいからだった。だから、離れるなよ、と。 それから登下校や放課後に二人で過ごす時間が増え始めると、そこでようやく思い知る。側にいればいるほど自覚する。 これは家族のような幼馴染みとしての感情ではない。 両手を上げてまるで降参するように、自分の気持ちを受け入れた。 それを最初に伝えようと思ったのが本人じゃなかったのもどうかと思うが、それでも黙ったままやり過ごそうという気にはなれなかった。 エルヴィンに話そうとはっきりと決めた時、時間はもうだいぶ遅かったが後回しにするのも面倒でその場ですぐに連絡をした。 公園に呼び出し、はっきりと伝えようと思った。──思ったが、土壇場で怖気づいた。 はっきりと口に出して言葉にして、こいつらとの関係が変わっちまうことに怖気づいた。 だがエルヴィンはそれを許そうとはしない。回りくどい言い方はやめろと遠慮なしに言う。 それでも、なぁ、少しくらい待てよ。 今までの関係ががらりと変わるようなことを言おうとしてるんだぜ。お前がどれほどアイツを大切に思っているのか知っている分、言いにくいだろうが。俺の想いだってな、そんなに単純なもんでもないんだぜ? 「どう転ぼうがお前にとっては面白くねぇ話だろ?」 「まぁ……心躍るような話ではないな」 「だったらわざわざする必要もねぇな」 結局のところ俺は、こいつの前ではっきりと言葉にすることをやめた。情けないが。 するとエルヴィンは黙りこくって呆けたように静かになった。名前を呼んでも返事はなく、言葉がなくなるほどショックでも受けたのだろうかと様子を窺えば、我に返ったように俺を見る。 「リヴァイ。」 「あ?」 「とりあえず殴っていいか?」 「急だな」 それまでそれなりに冷静だったそいつの精神はどうやら崩壊したらしい。真顔でそう言ったあと、穏やかな笑みを浮かべる。 「いや、なんだろうな……お前が嫌なわけじゃないんだが、なんだろうな?よく分からないが、とりあえず、殴ってみてもいいか?」 「そんな訳の分からねぇ理由で俺は殴られるのか?」 理由なんざ十分すぎるくらいに分かる。 「まぁ……それでお前の気が済むなら、構わねぇけどな」 空気を鼻から吸い込んで、口から短くはっと吐き出す。 「リヴァイ、いいのか?」 「ああ。」 少し呆気にとられたように俺を見るエルヴィンの目を、真っ直ぐに見返す。殴りたきゃ殴ればいい。それくらい、どうってことはねえ。 そもそも俺は、怖気づいたり不安がったりもしているが、最終的にこの気持ちが報われないものだとは思ってない。 ナマエが、アイツが、同じような気持ちでいるんじゃねぇのかと、どこかでそんなふうに感じているからだ。 ただの願望なのかもしれないが、それでも上手くいくわけないと決め付けるのはそれこそ早計だ。 だから、殴りたいのであればそれでもいい。 「そんなふうに素直に受け入れられると逆にやりにくいな……」 「……なんだそりゃ。」 そんな困ったような言い回しに、思わずふっと体の力が抜けた瞬間だった。 目の前の幼馴染みは、まるで待っていたかのようなタイミングで握り締めた拳を躊躇なく俺の腹へと打ち込んできやがった。 「ッ……!」 気が抜けた一瞬、息が出来なくなる。 思ってもなかったタイミングで殴られ、反射的に奴の胸ぐらを掴みやり返しそうになった。 「何だ、お前も俺を殴るのか?」 「…てめえッ……」 地面に膝をついてしまいそうなくらいの衝撃で、思わず服を握る手に力が入る。 「不意打ちは、卑怯だろ……っ」 「合図が必要だったのなら先に言ってくれ」 「っ……、大体…、こういう時は、普通……顔じゃねぇのか、殴るなら」 「そうなのか?すまないな。だが腹の方が目立たなくていいだろう」 顔を歪ませる俺とは正反対に涼しげな顔をしているエルヴィンを睨みつけ、舌打ちをしながら手を放す。 「…クソ、てめぇ、性格悪いぞ」 「オイオイ。もしお前が顔を腫らしていたらナマエが心配するだろう?それは良くない。」 「……その時はちゃんと伝えてやるさ。てめぇに殴られたってな」 「ははは、それこそ良くないな」 腹を押さえながら咽込む俺と、両手を腰に当てて笑うエルヴィン。本当に、腹立たしい。 その上苦しむ俺を気にしていないような口ぶりで、そろそろプリンを買いにいかないとな、などと言う。コンビニに行くと言って出てきたらしい。そんなことは今どうでもいい。 「見ろよ、リヴァイ」 「…あ……?」 「こんな日でも月は綺麗だぞ」 言われるままに上を見れば、輪郭のぼやけた月が目に入る。満月にはまだなりきれていない。 「悪くない夜だ」 エルヴィンは月を見上げながらそう言った。少しだけ痛みが和らいだような気がした。 「………、」 そのまま俺も空を見上げていると、なんとなく心細いような気分になってくる。 ──確かに、月は、綺麗だ。それでも、月明かりがあっても夜の空は暗い。 「……俺は太陽の方が好きだけどな」 ぼそりと呟いた言葉は無意識のものでその意味を考えることすらしない。 「…そうだ、リヴァイ。」 「……何だよ」 月を見上げていたエルヴィンはこっちを向いて、腰に当てていた両手を下ろす。 「明日の午後ならナマエは一人で家にいるぞ。」 「………。」 「俺も昼過ぎに出掛ける。ナマエも予定はないと言っていた」 「……そうかよ」 「ああ。」 わざわざ日にちまで指定してくれなくてもいいんだが。というかしてくれるな。 ため息が出そうになっていると、用はもう済んだというような様子で、一度俺に背中を向ける。 解放感のようなものをほのかに感じながら、立ち去ろうとするその後姿から目を離し息を漏らした。 「……あぁ、ひとつ言い忘れていた」 数歩足を進めたところで立ち止まり、またこっちを向く。 「…何だよ。」 さっさと帰ればいいものを。振り返るそいつに適当な返事をする。だが俺を見ているその瞳は至極真剣だ。 静かな公園に少し風が吹いて、エルヴィンは真顔で口を開く。 「ナマエが高校を卒業するまで指一本触れるなよ。」 「無茶言うな」 ◇ どうして、そんなことをいきなり言うのか。 「お前、俺以外の男と……あまり、親しくなったりするな」 何があって、そんなふうに思ったのか。 「え……なん、リヴァイ……ど、どうしたの?」 いきなり部屋に来たかと思えばあまりに突然のその言葉にさすがに混乱する。 ──だけど、リヴァイがこんなことをこんなふうにハッキリと言うなんて、何か相当思い詰めているに違いない。 いつもとは様子が違うリヴァイになんだか気持ちが焦って、思考がマイナスの方へと走る。 やっぱり私が避けていたことを気にしているのだろうか。その理由すら話さなかったことに傷ついて、そんなことを言い出したのだろうか。そもそもリヴァイは根っこの部分は寂しがりやだ。昔から、そうだ。出会った頃なんて特に影があったように思う。リヴァイの家は母子家庭で家族はクシェルママしかいない。 それにママは昔から仕事に行っていることが多くてリヴァイは一人の時間が多かった。だから、私が少しでも一緒にいようと子供心に思っていた。リヴァイが寂しくないように。一人の時間が少なくなるように。 ──だというのに、リヴァイは今私に自分以上に誰かと仲良くなるなと言う。 それってつまり、もっと構ってほしいってこと?俺を放っておくなよとそういうこと?そんなことを直接私に言いたくなるくらいに、リヴァイは、今──。 どことなくリヴァイの姿が寂しげに見える。 「え、えっと……ちょと……とり、とりあえず、落ち着いて。うん……落ち着こう、リヴァイ。」 「…俺は落ち着いてるんだが」 どうしたらいい? いつも私に安心感をくれるリヴァイに、私は何をしてあげられる? ──大丈夫だぞ。ナマエ 頭の中に、ふと兄さんの言葉が響く。いつだか私が寂しがっていた時に言ってくれた言葉。漠然とした言葉で、なのに安心できた。 「っ……」 それを思い出す。 「オイ……大丈夫か?ナマエ」 リヴァイの声にはっとして顔を上げる。 「っだ、大丈夫だよ!リヴァイ!」 思わず前のめりに、リヴァイにその言葉を伝えた。 「そう、大丈夫……大丈夫だからね、リヴァイ!」 「……は?」 「だってリヴァイには私も兄さんもいるし、だからもし何かあっても、大丈夫。私も兄さんも、リヴァイのことすごく大切に思ってるんだよ。」 「………、」 「これから先も、ずっと、そう。どんなことがあっても、リヴァイは私にとってすっごく大切な存在。それは絶対に変わらない。昔も、今も、これからも」 それはたとえこれから先リヴァイの隣にいるのが私じゃなかったとしても。 出来る限り、私に出来ることなら何でもする。どこにいても駆けつける勢いで。大袈裟じゃなく本当にそれくらいの気持ちだよ。 力強く思っていることを言い放てば、リヴァイが面を食らったような顔をしていることに気がついた。 「……お前、いきなり何言い出してんだよ」 「え?」 そして呆れ顔でそう言われた。 |