空が僅かに色付き始めている。窓の外は静かで、まだ夜明け前らしい。

目を覚ますと私はベッドの上に横たわっていた。静かに瞬きをして天井に向けられていた視線を横の方へとずらせば、ベッドの縁に腰掛けている見覚えのある後姿がすぐ側にあった。


「…… リヴァイ、」


自然と口から名前がこぼれて、すると彼は振り返る。その表情は私を見ると微かに緩まった。


「気分は」
「……うん。悪くない、かな」


頭の方に手が伸びてきてゆったりと髪を撫でられる。手の感触が気持ちよくて思わず目を閉じた。

そうか、ここはリヴァイの寝室だ。


「いきなり気失ってんじゃねぇよ。ビックリするだろうが」
「はは……ごめんなさい。私も、ビックリ」


それは責めるような口調ではなくどちらかと言えば穏やかな声色で、私は掠れた声で笑う。
それからリヴァイの手に自分の手のひらを重ね、軽く握った。


「どのくらい、経った?」
「大体、三時間くらいか」
「そっか……ごめんね、いきなり」


昨日も街で倒れてリヴァイに面倒をかけたというのにまた同じようなことをしてしまった。ちゃんとしないと。これ以上彼に心配をさせてはいけない。しっかりしなきゃ。


「…ちゃんと全部、覚えているのか?」


申し訳なく思っていると少しだけ不安そうな言葉が聞こえてきて閉じていたまぶたを開いた。
──大丈夫、ちゃんと覚えてる。昨日、思い出したこと。

私は握っている手に少し力を込めた。


「……覚えてるよ。自分が兵士だったことも、夢も……それをどうやって思い出して、どうやってここまで来たのかも」


──それに、と更に続けてリヴァイを見る。


「あなたのことが、好きなことも。」

「……… 、」


あの日掃除用具屋さんで、紅茶屋さんで、私たちが出会えたのは偶然じゃない。あの時私があの店に向かったのは無意識のものだったけれど、でもリヴァイがあそこに居たのは、以前二人で何度も足を運んでいた場所にもしかしたら私が来るかもしれないという可能性にかけていたからなのでしょう?
だとすれば、私がここまでこれたのはリヴァイのおかげだ。
リヴァイと会って話をして、そのおかげでいろいろと思い出すきっかけになったのだから。

黙ったままじっと私を見つめる瞳を私も見続けて、また口を開く。


「ずっと、想い続けてくれてありがとう。思い出させてくれて、ありがとう」


胸がいっぱいになる。リヴァイがいてくれたから、私は。


「本当に、リヴァイのおかげだよ」


重なっている手をそのまま口元へずらし彼の手のひらに唇を寄せた。私の大好きな、リヴァイの手だ。


「……愛してる、」


昨日も──もちろん今も、謝りたい気持ちはものすごくあるのだけれど、でも、それだけじゃない。こんなことになっても変わらずに好きでいてくれたリヴァイを純粋に愛おしく思うし、それを有り難く思う。
辛い思いをさせてしまったというのに前と変わらない瞳で私を見てくれる。
そんな彼に謝り続けるだけじゃきっと足りない。もっと他にも伝えなくちゃいけないことはあるはずだ。
今ちゃんと、言葉にしなければ。


「──ありがとう。」


少し声が震えて、するとそれまで口を閉じていたリヴァイがぎしりとベッドに片足を乗り上げて、ゆっくりと近づいてきた。
唇に寄せていた彼の手が主導権を得たように今度は私の頬を包み込み、リヴァイの方へと顔を優しく動かされる。

さっきよりも熱のこもった視線が絡み合い引き寄せられるようにキスをした。


「……次は、ねぇぞ。もう二度と、忘れたりすんじゃねえ。」


──唇が離れて見えたリヴァイの表情は傷心の色を浮かべていた。
あまり見ることのないその表情に、心臓がえぐられたような気持ちになる。思わず両手を伸ばしてリヴァイの頭を抱え込みぎゅっと抱き寄せた。


「……リヴァイ、ごめんね、もう絶対に、忘れたりしないから。」


足りない。……足りない、足りない。もっとちゃんと、安心して欲しい。失っていた分を少しでも取り戻して欲しい。

腕に力を込めれば、リヴァイは私の首元に顔をすり寄せた。彼の唇がそっと首筋に触れる。


「……次はないと、言ったが……少し、違う」
「 え……?」


私の背中にも手が回ってきて、同じようにぎゅっと抱き締められた。


「もしまた同じようなことが起きても、次は容赦しねぇ。無理やりでも力ずくにでも、思い出させてやる」


その言葉に、胸が切なげに高鳴る。


「記憶を失くしたままのお前が俺の前に現れた時、やっぱり、離れられねぇと思った」


そう言ったリヴァイはゆっくりと顔を上げて体を離し、そのまま両手をベッドに押し付けて私を見下ろした。


「…お前の記憶が失くなったと聞いて、最初は一時的なものだと思った。会って話をすればいずれ思い出すだろうと。すぐに元通りになると。──だがお前の母親は俺らと会わせることすら拒んだ。」


何も言えずに口を閉じたままただ彼を見つめる。


「そんなふざけた話があるのかと、……そう、思ったが、」


声は小さくなり目を伏せるリヴァイ。
私の上からすっと体を引いて靴を床に脱ぎ捨てベッドの上に座り込み、それにつられるように私も上体を起こし彼と向かい合った。


「あの頃、お前が調査兵として苦しんでいたのも事実だった。笑うことすら明らかに減って、次第にお前らしさを失っていくのを俺は近くで見ていた。」
「……、」


それは、そんな記憶は、今の私の中にはない。未だに私は今までのことを完全に思い出しているわけではないらしい。最後に出た壁外での記憶すら、ないのだ。
まだうやむやなところが多々ある。


「お前にとってどうすることが一番良いのか、俺に出来ることは何なのか……答えが出ないうちにお前は実家の方に戻っちまって、結局何も出来ねぇまま数ヶ月が経った。」
「……うん」


その頃の記憶も、少し曖昧だ。


「ずっと気持ちの整理はついてなかったが、それと同時に俺はお前に起きたことを“仕方のないこと”だと切り替えようともしていた。いくら悩んでも現実に起きちまったことは仕方がない。お前が俺らを忘れちまったんならそれを受け入れるしかない。……そうやって俺は、逃げ出そうとした」


胸が苦しい。
目を伏せたままのリヴァイは続ける。


「仕方がないと受け入れてお前のことを過去にして、そうやって前に進もうとした。──が、それは無理だった」


そんなに、こんなに悩んで、だけど。それでもずっと思い続けてくれた。


「何度も、会いに行こうかと考えたこともあった。だがその度踏みとどまって、結局うまく折り合いをつけられないまま日々を過ごして……」


リヴァイは話しながらそっと握るように私の手に触れて、そこを親指で優しく撫でた。そして柔らかな視線をそれに向ける。


「──そうしているうちに、お前が現れたんだ。」


伏せられていた目がこっちを向いて、私はあの時のことを思い出す。たまたま出くわした調査兵団の列の中からリヴァイのことを見つけた日のことを。記憶はまだ戻っていなかったけれど、どうしてかリヴァイから目を離せなかった。


「お前が俺のことを見ていることに気づいた時、お前の姿が目に入った時、正直一瞬まぼろしでも見ちまってるのかと思った」
「まぼろしって…」
「そりゃあお前、そうだろ。ジッとこっちをただ見つめているだけなんだぜ」


リヴァイは私の手を柔らかく握ったまま僅かに表情を緩める。


「覚えてんのか?お前は」
「……うん。覚えてるよ」


あの時の感覚を思い出す。あの人込みの中リヴァイを見つけて、目が合って。一瞬時間が止まったようなそんな感覚。

そう、あれはまるで───


「あの時私は、あなたに二度目の恋をしたんだもの。」


一度目を伏せて、繋がっている手を握り返して、口元を緩めながらまたリヴァイを見る。


「……は、なんだ、そりゃ……」
「 いや……少し、違うのかな……?記憶がなかっただけで、元々好きだったわけだし……どうなのかな」


だけど確かにあの時私はリヴァイに心を奪われていた。あの日から、ずっと。明確に思い出すことはなかったけれど目が合った時からずっと私の心の中にいた気がする。


「でもね、すぐには思い出せなかったけど……ずっと、気になってた。目が合うと嬉しくて……姿を見つけると、なんか嬉しくて。」
「……」
「だから、あのお店で会えた時は、運命だーとか、思っちゃったよ。本当呑気だよね」


リヴァイの気持ちは、それどころではなかっただろうに。本当に、滑稽だ。
だけどリヴァイはそんなことを気にする様子も見せずまた口を開く。


「お前が壁外調査のタイミングで姿を現すようになって……その上いつだって俺を見ていることが分かって、なのにてめぇは何にも思い出してないような面をしてやがる。一体何を思ってそんなことしているのか訳が分からなかったが……その時、結局──離れられねぇと思った。手離したくねぇと思った。」


そう言ってぐっと手を握られる。


「だから俺は少しでも時間が出来ると街へ出るようになった。」


わざわざ、忙しい中、探しに来てくれた。諦めないでいてくれた。


「お前が居そうなところを歩きお前と行った店に足を運んで、暫くはそうやって過ごした。実家の場所を調べて会いに行くことも考えたが……なんとなく、それはしなかった。ハンジ達と決めた“ナマエと会っても声をかけない、関わらない”というルールがどこかで引っかかっていたからかもしれねぇ。矛盾してるが…」


それでも、何もせずにはいられなかったとリヴァイは言う。


「迷いは完全には消えてなかったが、それでも、結局……お前は、あの店に現れた。」
「……うん」
「呑気に『こんにちは』とか言ってきやがって、その上敬語まで使ってきやがって……本当に、何も覚えてねぇんだと、思い知ったが……それでも数ヶ月ぶりにお前と話せて、俺は、ひどく──安心した」
「…… 、」
「俺の中に残っていた最後に見たお前の姿は、壁外調査の最中に負傷し、目を開く気配すらない、ボロボロの姿だったからだ。」


それがもし逆の立場だったらと思うと、──恐い。胸が張り裂けそうになる。


「ぴくりとも動かねぇお前の姿が頭に焼き付いて……そのまま会えずじまいだったお前が、俺の目の前で普通に笑ってる姿を見て、安心した。俺のことは覚えていなくてもただ生きているだけで良かったと思えた。笑っているナマエを見たのは……随分と、久しぶりだったからな」


視線を落としてどこか寂しそうに、だけど穏やかにそう言うリヴァイを見て、鼻の奥がつんとした。


「リヴァイ……、」


少し泣きそうになっていると、リヴァイはすっと顔を上げた。


「兵士であることを忘れたお前はそれでも普通に笑って生きていて、俺達の関係を思い出していなくても、なぜか俺に声を掛けてきやがって、そんなお前と……どんな距離感で話せばいいのか分からなかったが──」


右手を伸ばし、私の頬に優しく触れる。


「それでも──あの日、気持ちが晴れるような喜びを感じた。」


その言葉に私ははっとする。

そしてそのままぐっと抱き寄せられ、彼の肩に顔を押し付けられた。


「なぁ……ナマエ、」
「… ん……、」
「……好きだ。」
「………。」


リヴァイのにおいがする。


「確かにお前が居なくなってからいろんなことを考え悩みもしたが、それでもお前は、俺を見つけた。記憶を失ったままでも俺に近づいてくるお前の姿は、…お前は“すぐに思い出せなかった”と嘆くかもしれないが──むしろ、深い繋がりを感じることが出来た」


私の方に顔を傾けて話すリヴァイの息が耳に触れる。私は彼の背中に両手を回しぎゅっと抱きついた。


「俺らはどうやら諦めが悪いらしい。」


私の方が、こんなにも安心させられている。


「記憶が失くなろうがどうなろうが、お前が好きだ──ナマエ。」


──どうすればいいんだろう。


「……リヴァイ……、」


──どうすれば、私の想いを全部あなたに伝えられるだろう。


「……もどかしい、」
「あ…?何がだ」


私はぐっと奥歯を噛み締める。


「……っ私が、どんなに、リヴァイのことが好きで、愛しくて、側にいられることが幸せで、こんなにも感謝の気持ちでいっぱいなこと……どうすれば、全部伝えることが出来るの……」


涙が出そうになり、ぎゅっと目を閉じてリヴァイの肩に顔を埋める。
するとリヴァイはそっと私の髪を撫でた。


「伝わっていないとでも?」
「…言葉だけじゃとても伝えきれない」
「──そうか?」


私の言葉に疑問を投げかけたリヴァイはぐらりと体勢を変えそのまま私をベッドへと押し倒す。彼の前髪が顔にかかって、少しくすぐったい。


「俺は、そうは思わない」
「……そう、かな」
「ああ。だから、そんなくだらねぇことでシケた面するな」
「くだらないって……」


──だけど、居心地良さそうに私の顔に顔をすり寄せてくるリヴァイに、なんだかもうどうでもよくなってきてしまう。余計なことは考えるなと、そう言ってくれているのだ。

これ以上ないくらいに私の気持ちは綻び、愛しさだけで満たされる。

リヴァイの唇が頬や首筋へと温かく触れ始めて思わず顔を横へ向ければ、部屋の隅に置いてある立体機動装置がふと目に入った。
私は、“それ”から目が離せなくなる。


「……どうした?」
「あれって……、」


顔を上げたリヴァイは私の視線の先を同じように見つめ、そして、──あぁ、と納得したように呟いた。
私は体を起こし、リヴァイを見つめる。


「あれ 、私の……、」


ぱっと見ただけでも分かる。自分の、使ってきた道具くらいは。自分の命を守り続けてくれた道具のことは。

──あれは、私の立体機動装置だ。
それは長らく放置されていた様子もなく今すぐにでも使えそうに見える。


「俺が預かっておいた。」
「……… 、」
「……必要だろ?」


いつ戻ってきてもいいように丁寧に整備されているそれは、私が居なかった間も彼がひた向きに待っていてくれたことを意味している。

それが分かると、もう──何も考えられない。

言葉すら出てこなくて、私は思わずリヴァイに思いっきり抱きついてしがみついた。
抱き止めてくれたリヴァイは何も言わずにただただ力いっぱい抱きつく私に、ふっと口元を緩めてまるで宥めるように優しく抱きしめ返した。

───体中が、リヴァイへの想いを叫んでいる。


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