「ナマエ、入るぞ」 リヴァイと二人で帰った日の夜、自室で一人ベッドに腰掛けていると兄さんがドアを開いた。顔を上げると目が合い、その顔を見てなんとなく“何か話がある時の顔だ”と思う。兄さんはドアを静かに閉めると、そのまま私の隣に腰を下ろした。少しベッドが揺れて、私は兄さんの顔を見る。 「どうしたの」 「最近、何かあったのか?」 ───『何か』。 リヴァイのことがまっさきに頭に浮かんで、だけどかき消す。 「…何で?」 「さっきリヴァイから電話がきた。」 かき消したばかりのその名前にドキリと心臓が飛び跳ね、思わず顔が強張る。 「あいつから電話がくるなんて珍しいからな、少し驚いたんだが」 「え、っな、なにを、話したの」 「あぁ……ナマエの様子がおかしいと、そう言っていた。何かナマエが寂しがるようなことでも言ったんじゃないかと責められたよ。身に覚えはなかったが」 え、なぜそこで兄さんが出てくるんだ?いやまぁ確かに兄さんがいずれ卒業しちゃうのも寂しくはあるけども。でも今回のことはそれとはあまり関係ない。 「それにお前、リヴァイのこと避けてたらしいじゃないか。今日学校で聞いたんだが」 「え。」 「一体何があったんだ?何か嫌なことでも言われたのか」 「……い、いや……リヴァイは嫌なこととか、言ってこないし」 あ、でも。そういえばこの前言ってきてたな。私が告白の返事を迷ってたとき。あれはまぁ嫌だったかな──なんてそんなことをぼんやりと思い出しながら、視線を落とす。 「ならどうして避けたりした?」 「………。」 リヴァイのやつ、何で兄さんにそんなことまで言ったんだ。何て返せばいいか分からないじゃないか。本当のことなんて言えるわけないし。 返答に困って少し俯きながら黙っていると、兄さんが口を開いた。 「まぁ、言いたくないことなら無理に言わなくてもいい。ただ、寂しい思いをしているならそれはよくないな。」 兄さんは表情を柔らかくして、私の髪をそっと耳にかけ、そのまま目を合わせられる。 「せっかくお前も俺らと同じ高校に通うようになったのに、何がそんなに寂しいんだ?」 諭すような目で、優しい声色で、私を見ている。なんだか急に胸が締めつけられ、寂しさが一気に込み上げてきた。 「……わたし、ずっと、三人でいたい」 ついぽろりと口からこぼれてしまった。 私は、兄さんとも、リヴァイとも、ずっとずっと一緒にいたいのだ。 「でも、それは無理だから……寂しい。それが、寂しい」 兄さんやリヴァイが私以外の誰かを私よりも大切にするのが嫌だ。兄さんがいつかきっと家を出ていくのが嫌だ。リヴァイが私以外の誰かを好きになるのが嫌だ。たとえ卒業して進路が別々になったとしても側にいたいし、離れ離れになるのは嫌だ。私のことを特別に思ってほしい。好きになってほしい─── リヴァイへの想いを思い出してからというもの、私は身勝手なことばかり考えてしまう。そんな自分が嫌で、だけど想いは募る一方だ。そのせいで勉強は手につきにくいし頭の中はリヴァイのことばっかでどんどん余裕がなくなっていく感じがする。 私はいつも兄さんのようにどこか余裕でいたいのに。 最近、自分の嫌なところばかりが出てくる。リヴァイのことを好きだと思い出してからずっと、私が私じゃないみたい。感情がコントロール出来なくなるのは嫌だ。苦手だ。 余計なことまでいろいろと考えてしまってストレスがたまる。 リヴァイのことが好きなのに、だけどリヴァイは私のものじゃないから。ずっと一緒にはいれない。寂しい。寂しい寂しい。 兄さんもリヴァイも、いつかは離れていってしまう。今までみたいにはいられない。 私のことを一番にはしてくれない。 だけど、なりたい。私は我儘だ。 束縛心と独占欲でぐちゃぐちゃになる。こんな気持ちは、間違っているのかもしれない。あの時のようにまた心の奥底に押し込んでしまった方がいい。二度と出てこないようして、忘れて、失くしてしまおう。 だから、暫くはリヴァイと話したくなかった。 「……ナマエ……お前、」 でもリヴァイへの気持ちを全て兄さんに伝えるわけにはいかず、寂しい気持ちだけを口にすれば、それを聞いた兄さんは少し驚いた様子で口元に手を当てた。 「──そんなに俺のことが好きなのか」 ……ん? なぜか嬉しそうに腕を組むその姿を見て、マイナスの方へ走っていた私の思考は一度停止する。 「そうかそうか。やはり俺がいないと寂しいか。まぁそうだろうな、俺もそうだからな。これからもずっとナマエと暮らしていたいし、近くでずっとお前のことを見守っていたい。ものすごく」 「………」 なんとなく何も返せずにいると、兄さんは「だけどな」と続ける。 「これから先いろいろと変わっていくものもあるだろうが、それでもお前は俺の大切な妹だ。それは一生変わらない。一緒にいる時間が減ったとしても俺達はずっと家族なんだ。会いたくなったら会えばいい。顔が見たくなったら見に行けばいい。それだけのことだろう?」 「……」 私達は、大人になっていく。それぞれの人生を選び歩んで環境も変わっていく。当たり前のことなんだ。 そんなの、そんなことは、分かってる。 「……でも、一緒にいる時間が減るのは事実だよね」 「それはそうだが──」 「兄さんもいつかは彼女が出来てその人を一番に愛してその人に愛を誓ってその人と結婚をしてその人と暮らすようになるんだよね」 「話がだいぶ飛躍したな……」 「でも、それが普通のことなのかもしれないけど、だけどなんか、さみしい」 あれ、なんか私、自分で思っていた以上にめんどくさい。 しかもそれを兄さん本人に言っちゃうとかありえない。 ──私って、こんなにも兄さんと離れたくなかったのか。 「なんか……ごめんなさい。私、変だね」 これじゃあただの駄々っ子だ。あまりにも子供すぎる。 「変じゃないさ。むしろそれくらいがいい。むしろイイ」 「……。」 兄さんはそう言うけれど、絶対に変だと思う。 私、どうしちゃったんだろう。感情が波のように押し寄せてくる。なんだかものすごく情けなくて俯くと、兄さんの手が私の頭をがしりと撫でた。 ていうか、あれ?今ってリヴァイの話をしてたんじゃなかったっけ。いつの間に兄さんだけの話に。 「…お前がいきなりなぜそんなことを考えるようになったのかは分からないが、でも大丈夫だぞ。ナマエ」 「……え、」 ──大丈夫だと、その言葉の意味を問いたくて、思わず顔を上げる。 それに頭を撫でられるのなんてどれくらいぶりだろう。 兄さんのその手は、リヴァイの手よりも少し大きい。 「大丈夫だ。そんなに心配する必要はない。そもそも俺も今すぐに卒業するわけでもないしな。少しずつ気持ちの整理をしていけばいい。」 兄さんの手は、兄さんの存在は、リヴァイとはまた違った安心感がある。 「あまり思い詰めるな」 「……」 分かったか?と止まっていた手を動かしそこを撫でてくる。 「………っ、」 なんだか急に恥ずかしくなってきて、少し離れるように体を引いた。 「わ、わかった。わかったから、兄さん。もういい」 「何がだ」 「いや、だからもういいって、やめて」 「やめたくないんだが」 「いややめてよ」 食いぎみで頭を撫でてくる兄さんを押し退けて、ついでにそのまま部屋からも追い出した。ドアを閉める前に「久しぶりに一緒に寝るか?」と聞かれたけれど、丁重にお断りしてドアを閉めた。 一人になり、部屋は静かになる。 だけどさっきよりも気分は晴れていた。 ◇ 「オイ、エルヴィン」 「……あぁ、リヴァイ。おはよう」 最近、校内でリヴァイによく話しかけられる。以前まではそんなには話さなかったと思うのだが。もちろん偶然会って少し話す程度のことはあったが、わざわざこんなふうに話しかけられるようなことはなかった。その上昨日は珍しく電話すらしてきたから驚きだ。 なぜだろう、と考えようとしてすぐに気がつく。 ──ああ、そういえばこいつが俺を訪ねてくる時はいつだってナマエのことばかりだ。 ナマエが入学してきてから、リヴァイはこうして俺を呼び止めることが増えた。 「ナマエのことか?」 聞かれる前にこちらから先にそう聞けば見透かされたのが気に食わなかったのかリヴァイは少しだけ不機嫌そうに眉根を寄せた。 「……昨日、あれから話したんだろ」 昨晩電話でナマエの様子がおかしいと聞いた俺は、ナマエ本人に聞いてみると返事をして電話を切った。理由が分からなかったリヴァイは俺が家で卒業後の大学の話でもしてナマエを寂しくさせたのではないかと言ってきたが、俺自身も身に覚えはなかった。 「ああ、話したよ」 そういえば今朝、いつものようにナマエを起こしに部屋に行った時、目を覚ましたナマエは出て行こうとする俺の制服を掴みぼそりと「ありがとう」と言ってきた。布団に顔を伏せていたせいで顔は見えなかったが、照れていたのは分かる。 「で、結局分かったのか」 リヴァイに急かすような目で見られ、昨晩ナマエと話したことを思い浮かべる。 そうだ、確か─── 「ナマエは俺のことがものすごく好きらしい」 昨日のことと今朝のことを思い出し、口角は上がっていくばかり。 「……は?」 「ナマエはどうしても俺と離れたくないみたいでな。正直驚いたよ」 そういえばリヴァイを避けていた理由や寂しいと思い始めたきっかけについては何一つ聞き出せなかったな。 「まぁ何が原因なのかは全く分からなかったが」 「いや結局何も分かってねえのかよ!」 リヴァイはこれでもかというくらいに思いきり眉根を寄せた。 |