調査兵団の紋章、自由の翼。 その制服を身に纏っている彼は私の方に振り向くと一瞬目を見張った。 ──きっと、ありえない話ではない。十分ありえる話だと思う。兵士の人とこんなふうに街中で出会うのは。 だけど、なんだかとても特別な出来事のように思えてしまう。勘違いをしてしまう。だって私はずっと気になっていたから。彼から目が離せずにいたのだから。 「(……うわ、どう、しよう)」 この距離で明らかに目が合った。向こうもなんだか気づいているような感じがする。私がいつも見ていたこと、分かっていたような様子だ。だって彼も今私を見て一瞬顔色を変えた。 「(──あ 、)」 だけどそれはまたすぐにいつものように逸れてしまった。彼の視線から、私は簡単に外れてしまう。 「………、」 ──だけど。 「っ……」 息をすることすら忘れていた私は思い出したように空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。 すっと前を見据えるとドキンドキンと更に胸が高鳴っていく。このチャンスを逃すなと言うように心臓を叩いてくる。 私は固まっていた体を動かし、一歩また一歩とその背中に近づいていった。 (何て声を掛ければいいのだろう) 名前も知らない。声も聞いたことすらない。一言だって会話をしたこともない。 (なにも知らないのに) なのにどうして、こんなに気になるのだろうか。目が、心が、体が、彼に引き寄せられていくのだ。 (声を掛けたところでどうする?) おかしい。こんなのは、きっとおかしい。 (変だと思われるかもしれない) この足は止まってくれない。 (あと、少し、) この想いは、止まってくれそうにない。 「……っあの、」 あなたのことを、知りたいのです。 「………、」 彼の瞳は私を映す。 いろんな気持ちが溢れて整理も出来ていないのに、声を掛けてみた。 声を、掛けてしまった。 「……あ、あの……えっと……、」 「……。」 考えなしに踏み出したせいで思ったよりも言葉が出てこない。 「……こん、にちは。」 「………、」 隣に並び、とりあえず挨拶をしてみる。 だけど彼は私を見て眉根を寄せたまま口を開こうとしない。 ───ヤバイ。 「あ、あのっ、」 何回あのって言うんだ。 「調査兵の……方、ですよね?」 もっと気の利いたことは言えないのか? 「……見りゃ分かるだろう」 わ、わあー、すっごい、素っ気ない。 「あ、ですよね……すみません……」 謝っちゃったし。 「……」 「……」 会話終了。 「(えぇー、どうしよう……)」 ああ、これは、なんていうか。すごく、最悪な知り合い方をしてしまった気がする。 そもそも、声を掛けてどうするつもりだったんだ私は。ニコニコと笑顔で会話が出来るとでも思っていたのか。まずはお友達から、とでも思っていたのか。 何をしているんだ私は。 何がしたいんだ私は。 いつもお疲れ様ですと言うのも馴れ馴れしい。いつも見てましたと言うのもなんか気持ち悪い。気になっていますと伝えるのも唐突すぎる。 ──あれ? 何をどうしても、気持ち悪いのではないか? 「……… 、」 ともかく最悪の気分だ。 このままだと今後も気まずくなってしまう。どうしてこんなことになっているんだ。たまたま見かけただけなのに、何の意味もないのに、なんか急に一人で盛り上がって。この人は私のことなんか何も知らないのに。……私も知らないけど。 ああ……どうしよう。 なんか 、 寂しい 。 「……何を買いに来たんだ、お前は」 悲しくなるくらいの当たり前の距離感に寂しさを感じ始めた矢先、声が聞こえてきた。 俯いていた顔を上げ隣を見ると彼の瞳はゆっくりとこちらへ向いた。 「え……」 「何か買いに来たんだろ」 「………あ、はい…」 「家は、この辺りなのか」 ん? んんん? もしかして、話しかけてもらえている? (家のこと聞かれた) (答えなきゃ) 「あ、……家は、少し離れたところに、あるんですけど」 「ならなぜわざわざこの店に来た?」 「……えっと。なんとなく、今日はそういう気分で」 「気分か」 「はい。気分、です」 いつも、少し離れたところからじっと見つめていた、彼にとっては不審な女と、会話をしてくれている。 無視することだって出来るのに。 「…そうか」 返事をしてくれた上に会話までしてくれた。 やっぱりこの人は、いい人なのではないだろうか。 すっかり落ち着き払っていた心臓がまたドキドキと鳴り始める。気持ちが上がっていく。 隣にいれることが嬉しい。 普通に会話をしてもらえたことで頬が緩む。少し照れくさくなって何も言わずに微笑みかければ、彼は目を逸らした。 「いつもここらへんで買い物してるんですか?」 「……まぁな。」 隣に並んでみて気がついたけれど、わりと小柄だ。若く見えるけど多分私より少し年上っぽい。落ち着いた雰囲気で、素っ気ないけど嫌な感じじゃない。 何でだろう。こうして話をしているとむしろ落ち着く。 まるでずっと前から知っていたようなそんな気すらしてくる。 ……言い過ぎか。 恋する乙女みたいな思考を消し去り、彼の方を見る。 すると彼は私に背を向けた。 「……あれ、何も買わないんですか?」 「…ああ、今日はもういい。」 そう言って店を出て行こうとする。 「………」 交わした言葉といえばただの世間話。それも少しだけ。当たり障りのない、私への興味なんて少しも感じられない質問と返事。ほんの二、三分。結局名前も分からないまま。 私は、一歩を踏み出す。 「……っあの、!」 彼は足を止める。 「また……、会えますか?」 彼を見つめ続ける。 「………さぁな。」 少しだけ振り返った彼の表情は、見えなかった。 「……… 、」 また会えるだろうか。 また、会いたい。 見えなくなるまで見つめ続けた彼の背中には自由の翼。私は何か、大切なことを忘れてしまっているような気分になった。 どうしてだろう。 「(……胸が、少し、苦しい)」 彼らはどこまで飛んでいくのだろうか。 |