空を見上げることが好きだった少女はある日いつか自分も鳥のように飛んでみたいと母親に話をした。しかし翼がないと飛ぶことは出来ないのだと宥められ、次第にそれを口にすることはなくなった。 だけど、どうして人には翼がないのだろう。翼があればきっとどこまでだって飛んでいけるのに。 気持ち良さそうに飛んでいるあの鳥はどこまで行くのかな。どんな世界を見ているのかな?わたしはそれを、ここで見ていることしか出来ないのだろうか。 その時少女は初めて、大好きだった空に息苦しさを覚えた。 ◇ 賑わう街の中を一人歩きながらふと空を見上げる。大人になった私は呑気に天気がいいなぁなんて考えながら行く当てもなく歩いていた。子供の頃に何を思って過ごしていたのかなんて思い出すこともなく、それでもなぜか見上げる空を狭く感じた。 どうしてだろう。 きっとどこまでも広がっているであろうこの空が狭いはずはないのに。 なぜか一人だけ置いていかれているような気分になる。 少し、寂しい。 空を自由に飛び回り私の上を通り過ぎて行った一羽の鳥を見て、少し胸が締め付けられた。 「調査兵団だ!」 その時誰かが言った言葉と共に突如鐘の音が街中に響き渡り始めた。その音に思わず足を止めると周りは「調査兵団が戻ってきた」と口々にする。 ───調査兵団。 私は少し離れている壁の方を見つめて、頭の中まで響き渡るその音を聞きながら、止めていた足を動かし走り出した。 街の中を人目も気にせず駆け抜けていく。 前へ、前へ。 前へ──── 門が開き壁外から調査を終えて戻ってきた調査兵団に対していろんな言葉が囁かれる中、私はある人を探していた。 「(どこだろう……見えない、)」 きょろきょろと軽く背伸びをしながら調査兵団の列を見渡していると、その中にようやく彼の姿を見つける。 「(あ、いた……)」 彼、と言っても私はあの人の何を知っているわけではない。名前も知らないし、どんな人なのかも知らない。ただ、初めて見かけた日からなんとなく気になるのだ。 ──あれは、三ヶ月ほど前のこと。 たまたま私は壁外調査に出る前の調査兵団の列を見つけ、なんとなくその後についていった。そして開門前、待機しているところで彼を見つけた。なんとなく目について、目が離せなくなった。そのままじっと彼のことを見つめ続けていると視線に気づいたのか彼の方もこちらを見た。必然的に目が合って、時間が止まったような感覚に陥った。向こうはもちろんそんなことはなかっただろうけど。 特に何があったわけではない。たったそれだけ。ただ目が合っただけ。だけど私は、どうにも彼が気になってしまっているのだ。 それからというもの調査兵団が近くにいると分かればこうして足を運ぶようにしている。 「(……あ、こっち見た)」 今日も彼のことを見つめていると目が合った。 実は彼とは毎回目が合っている。こんなに人がいるにも関わらず必ず視線が交わる。 だけどぺこりと挨拶をするわけでもまたにこりと笑顔を作るわけでもなく、というかそんな暇は与えられもせず、彼の瞳はすぐに私から離れてしまう。 あの人は私の存在に気づいているのだろうか。 ──いや。仮にもし気づいていたとしてもそれが好意とは限らない。むしろジロジロ見てんじゃねぇとか思われている可能性も。というかその可能性が高い。いやそもそもどんな人なのかすらも分からないのだから、実はすっごくいい人の可能性も。見ている限りでは少し目つきが悪いように見えるけれど。でも外見だけで決め付けるのはよくないよね。 それか私が勘違いしてるだけで本当は目が合ってないという線もある。この人混みだし。 「………、」 そんなことを思っていると調査兵団の列はだんだんと遠くなり、見えなくなる。周りにいた人たちも散り散りになっていく。 私は胸の辺りの服を掴みふうと息を漏らした。 気になるとはいえ壁外から帰ってきた彼らを見るのはつらい。負傷している人もいるし、おそらく死んでしまった人もいるだろう。彼らを見ていると自分のことのように胸が苦しくなる。 本当はこんなふうに興味本位で見に来てはいけないのかもしれない。 ……だけど。 私は、それでも彼が気になってしまう。 「(……帰ろう)」 気持ちを切り替えるように方向を変え、自分の家に向かって歩き出した。 ◇ 私は小さな家に母親と二人で暮らしている。 母は仕事をしていてその間私が家のことを任されている。掃除や洗濯、炊事も含めて私の担当だ。母が帰ってくるまでにいろいろと済ませて夕食の用意をして一緒に食べる。そんな生活。 「ただいま」 「おかえりなさい」 帰ってきた母さんを迎えて、夕食を食べながら互いに他愛のないことを話す。 だけどここでひとつ気をつけなければいけないことがある。母さんの前で、話してはいけない話題があるのだ。 その話を少しでもすると母さんは一気に顔色を変える。 それは、調査兵団のはなし。 母さんは調査兵団の話をするとものすごく怒る。かなり毛嫌いしているみたいで、以前何の気なしに話してしまった時にとても怒られた。それをきっかけに「調査兵団のことは口にしないで」と言われたのだ。 だから今日あった出来事は母さんには内緒。私はいつも全力で隠している。調査兵団が気になることも、彼のことも。 どうしてそんなに嫌っているのかは分からないけれど、嫌いだと言うのなら仕方がない。母さんの前で話さなければいいだけのはなしだ。 ちなみにうちには父親がいない。私が小さい頃に離婚している。 だから私は、母さんと二人きり。 ◇ 数日後、家から少し離れたところにある掃除用具屋さんまで買い物へ来た。家の近所にも別のお店があるのだけど、なぜか足がここへと向かっていた。理由は特にない。きっと歩きたい気分だったのだろう。 どうせ暇なのだ。散歩がてらと思えばいい。 そう思いながらわざわざ歩いてきた掃除用具のお店。私はこの日、自分の気まぐれに感謝することになる。 なぜならその店には、彼がいたのだ。 彼──そう、調査兵団の兵士。名前も知らない、あの人が。 「え……うそ」 私の胸はドキリと音を立てる。 だってそこに、あの人がいるのだ。 後姿しか見えていないのになぜだか分かる。何度も何度も見てきたわけではないけれど分かってしまう。 彼は─── お店の入り口で動けずにいるとその人はいつものように何かに気づいたのかこちらに振り向こうとする。 その瞬間はまるでスローモーションのよう。少しだけ振り向いた彼は私を視界に入れると薄く口を開き、そして目を見張った。 「─── 、」 目と目が合って時が止まったかのような感覚。 ──ああ。この胸の高鳴りに、私はなんて名前をつければいいのだろう? |