(いつまで続くんだろう)


以前の生活のことを思い出したあの日から、少しずつ私は感情を取り戻しつつあった。ゆっくりと、わずかに。だけどそれはお父さんが仕事と呼ぶその行為を拒否するもので、私にとってはいらない感情だった。「嫌だ」と思うよりも何も感じていない方が楽だったから。

だけど、どうしてこんなことをしているんだろう、気持ち悪い、やりたくない、痛いことはしないでほしい…と、だんだんとまたそう思うようになっていった。

そして気づいてしまった。本当はずっとずっと嫌だったこと。必死に何も思わないようにしていたこと。ずっとずっと我慢していたこと。

感情にふたをして何も感じていないふりをしていた。

気づきたくなかった。思い出したくなかった。

こんな、感情。

私が何を思っていたって関係ないのだから。それでもお父さんはやれと言う。アイツらは触ってくる。逃げられない。辛くても苦しくても痛くても続けなければならないのに。

どうして?なんで?

何の為にそんなことしなくちゃいけないんだろう。

抵抗したら殴られるのはどうしてだろう。

涙が出なくなったのはいつからだろう。

どうして、なんで、私がやらなければならないんだろう。


──もう、生きていたくない。


ふつふつといろんな感情が湧き上がってきておかしくなりそうだった。それでも毎日仕事をさせられて、私は言うことを聞き続けた。


そんな、ある日。




「じゃあナマエ、三時間後にまた来るからしっかりやれよ」
「……」


お父さんはお客からお金を貰うとにんまりと笑って出て行った。


「ナマエちゃん、今日もよろしくね」
「……よろしく、おねがいします」


何度目かのその人はいつもあまり痛いことをしてこない人だった。私は内心ほっとして、だけどなるべく何も考えないように心がける。

それでも一度思い出してしまった感情はなかなかなくなってはくれなかった。


(やりたくない)


「僕思ったんだけど、ナマエちゃんってあんまり感情ないよね?」
「……」
「それはそれでそそるんだけど、でも今日は泣いてる顔とか見てみたいなーって、思ってさ」
「……… 、」
「いつもより多めにお金払ったんだよ。だからいつも以上に楽しませてくれるよね?」
「え──」


すると考える間もなくそいつはいきなりガッと私の頭を掴んで床に押し付けてきた。乱暴なことはされないと油断していた私は受け身も取れずそこに倒れ込む。


「ぅぐッ……、」
「顔はね、なるべく傷つけるなって言われてんだよねぇ」
「………!」


(嫌だ、怖い)


久しぶりに、なぜだか心臓がドクンドクンと速まっていく。


「でも体だけじゃつまらなくない?」
「っ……、」


呼吸が乱れて、汗がにじみ出てくる。

こんなことはいつものことなのに。変態共に触られて、痛め付けられたり、するのは。


「はぁ…っ、は、……っ」


大丈夫。


(大丈夫なわけがない)


慣れている。私はもう、慣れているんだ。


(こんなことやりたくなかった)


だから、今日も、ちゃんと仕事をして、



「──ねぇナマエちゃん、このナイフで君の頬をなぞってみたら、綺麗な血が見られるかなぁ?」



男が私から離れそのナイフを取り出した瞬間。それが視界に入りその言葉を聞いたその瞬間、一瞬何も考えられなくなりドクンと心臓が力強く鼓動して、そして私は。


私は、




「──…、」



気づけばその男を殺していた。


「………。」


床に転がっているそいつを見下ろし、広がっていく血をただ見つめる。

顔と手には男の血がついていて自分以外の血が体につくのは変な感じがした。


「(なんだろう……この感じ)」


どうやったのかはちゃんと覚えている。ナイフが目に入ってきたあの瞬間、近くに落ちていた瓶に手を伸ばして床に叩きつけて割り、それをその男の首元にねじ込んだ。すると血が吹き出してそいつは私を見ながら何かを言いたそうにパクパクと口を動かしもがいて、少しすると動かなくなった。

死んだ。

殺してしまった。

だけど私は驚くほど落ち着いていてこんなに簡単に人は死んでしまうのかと、そう思った。


「……。」


(これがバレたらお父さんに殴られるかもな)


ふと、そんなことが頭を過ぎる。


「…まぁ……いいか」


だけど私は冷静に考え、ふうと息を漏らす。


──そうだ。別に問題はない。

同じことをすればいい。


「……」


殺してしまえば、いいのだ。

なぜだか力が湧いてくる。どうすればいいのかが分かる。
どうしてこんな簡単なことに今まで気がつかなかったんだろう。


(誰も助けてなんかくれないのだから、自分でやればいい)


それから私はその男から金を盗み、父さんが来るまでの数時間、そこに座って待っていた。
そして金を貰ってからきっかり三時間後に父さんは来た。ドアが叩かれ、私は立ち上がり、そこを開けるとすかさずナイフで父さんを刺した。迷いは少しもなかった。恐怖も憎しみさえもほとんど感じることなく、少し暴れられたけどそのまま止めを刺した。

今まで散々怯えていた存在を見下ろし、感じるものは何もなかった。

そうして私は父さんとそしてこのクソみたいな日々に別れを告げた。


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