ポケットから煙草を取り出しその一本を口にくわえる。それに火をつけて、煙を深く吸い込んだ。私の肺を通ってまた外へと出た煙は静かに風と共に流れて消えていく。

月夜の暗がりに煙草の火はあまりにも小さくて、何でか無性に切なくなった。





「オイ、俺の部屋で吸うなと言ってるだろうが」
「………、」


声がして、振り向けばリヴァイが居た。眉根を寄せたその顔に私は表情を変えることなく答える。


「…早かったね。まだかかるかと思った」
「ああ。早く纏まったからな」


会議に出ていたリヴァイはジャケットを脱ぎ机に投げ捨て、窓辺に乗り上げ座っている私の側まで歩み寄る。そして立ったままそこに背中を預けた。


「煙い」
「ごめん。まだ戻って来ないと思ってたからさ…」


吸い込んだ煙を窓の外へと向かって吐けばそれでもリヴァイは煙たそうに手で払う仕草をする。


「消さねぇのか」
「…ん……これ、一本だけ 」


そう返すと仕方ないとでも言うように小さくため息を吐き、それを許してくれた。その上こうして側に居てくれるのは彼の優しさだろう。


「……… 、」


その優しさに甘え、私は何も言わずにボーっと外を眺めながら吸い口から煙を吸い込み、吐き出す。出来るだけゆっくり。深く、馴染ませるように。



「……昔はお前も嫌ってただろ。煙草なんざ」


ぽつりと隣から聞こえてきた言葉に少し視線を向ければ、私の口から煙草を取り上げそのまま自身の口元まで持っていきそれをくわえ煙を吸い込んだ。


「………、不味ぃ。」
「…まぁ、別においしくはないよね」


吐き出された煙を見ながら私も彼に同調し、手を伸ばす。そして手首を掴みそのまま少し引き寄せながらそれに顔を近づけ煙草を唇で挟む。するとリヴァイは指を離し、私は体勢を戻す。


「…不味いのに吸ってんのか」
「うん」
「何で」
「……忘れない、為に」
「……何を?」


──地下街に居た頃を。


そう言ってまたリヴァイの方を見る。目が合えば、怪訝そうな顔をされる。


「戻りたいのか?」
「は……まさか」
「……」
「…でも、忘れちゃいけないと思うから……だからあの頃をちゃんと思い出せるように、吸うの。この…においと、空気が淀んでる感じがなんとも……地下街を思い出す。」
「……」
「あの頃の感情を、もっと……鮮明に、思い出して…残しておきたいの」
「……。」
「あの頃はもっと普通に笑えてた気がする」


どうしてだろう。だんだん世界から色がなくなっていく。壁外から生きて帰ってくるたびに、心が死んでいく。

仲間達の死を目の当たりにするたび。自分の無力さを実感するたびに。

心がどんどん冷たくなっていくんだ。



「……ねぇリヴァイ」
「…何だ」
「リヴァイはさ……もし私が死んだら、泣いてくれる?」
「………、」


リヴァイの瞳をジッと見つめて聞けば彼は面白くなさそうに眉を顰める。


「涙を流してくれる?」
「……どうだろうな……」


目を逸らし、呟くように答えた。


「……うん。私も、分からない。リヴァイがもし死んだ時、泣けるのか」


涙が出るのか。


「でも……今はまだ、考えるだけで胸の奥が苦しくなって……少し、息がしにくくなる。だけどそれも…いつかは感じなくなってしまうのかな……って」
「……。」


煙草を持ったまま自分の左胸の方に手をやり、呟く。


「……怖い」


このままいつか感情がなくなってしまうんじゃないかと思うと怖くなる。だんだん笑えなくなってきているのと同じで、涙さえ流せなくなったら。心が冷え切って、何も感じなくなってしまったら。

ふいにそれがたまらなく、怖くなる。


「…たまにね、分からなくなる。何の為に、生きてるのか……何の為に調査兵をやっているのか」


いつだって掴みきれない自由が憎い。


「…何の為に、やってんだ?」
「………、」


あの日エルヴィンに連れてこられて、どうして私はそのまま調査兵を続けているのか。

その問いに思わず煙草を挟む指に力が入った。



「──ムカつくから 」


理由はまだ思い出せる。

そう。ただ、ムカつくのだ。


「……あんな存在の定義すら分からない巨人なんかから逃げるように壁の中だけで生きるのなんてまっぴら。地下街から地上に出たかったのと同じ……意味も分からず理不尽に閉じ込められているのが嫌なの」


だから、続けているのだけど。


「…でも、なんかさ……容赦なく叩き付けられる現実に、心が冷めていくのが自分でも分かるの。私が私でいられなくなるのなら、調査兵なんて辞めた方がいいのかもって思う時もある」


何もかも嫌になって、逃げ出したくなる時がある。


「…だから、煙草を吸うの。あの頃の気持ちを忘れない為に」
「……」


いつか地上に出てやると強く希望を抱いて生きていたあの頃を。ちゃんと泣いたり笑ったり出来ていたあの頃を。
リヴァイのことが大好きだった──あの頃の気持ちを。


「…そのうちリヴァイのことを好きだとすら感じられなくなったら……リヴァイのことをどうでもいいと思うようになってしまったら、もう…オシマイだよ。私じゃなくなる。私は自分を押し殺してまで兵士を続ける覚悟はないし、そんなのいらない」
「……」
「でも…とはいえ、抗いたいから。だからどうにか自分を保ちながら続けるしかないんだよね。きっと」


この世界が理不尽なんてことは最初から知っている。だから上を目指した。外を目指した。

長くなった煙草の灰を指でトンと落とせば、その本体はだいぶ短くなっていた。黙って見つめているとリヴァイが口を開く。


「……お前、俺のこと何とも思わなくなってきてんのか?」


そっちを見れば面白くなさそうな目つきのリヴァイに、私は目を逸らさずに伝える。


「……いや、違うよ。好きな気持ちは変わってないよ。ただ、それを私自身が感じられなくなってきているだけ」
「“だけ”?……十分、大問題だろうが」
「……だね。ごめん」
「謝られてもな……」


するとリヴァイは息を漏らし体ごとこっちを向いて、手を伸ばしてくる。指が頬に触れゆっくりと瞬きをすれば吸い込まれるように互いに唇を近づけ、重ねる。

そういえばキスしたの、久しぶりだ。



「……苦い、」


唇が離れると私の手から煙草を取り上げ、それを消して捨てた。


「…ごめんね。」


だけど、それでも物足りなかった私はまた自分から唇をそっと寄せる。するとリヴァイもそのままそれを受け入れて、何度か繰り返す。

そのうち腕が背中に回ってきて抱き寄せられるように窓辺から下ろされた。



「……ナマエ」
「…ん……なに?」
「ずっと、忘れるな…」
「え……?」
「お前もお前の心も…何もかも、失いたくねぇ」


小さな声と、ぎゅう、と力を込めて私の肩に顔をうずめるリヴァイに、あぁ申し訳ないことをしたなぁと、今更自覚し後悔する。

リヴァイとのキスで私はようやく少し自分を取り戻した。


「……うん。ごめん。 大丈夫、だから」


私達はいつも戦いの中で嫌というほど残酷なものを見せつけられて、自分を見失いそうになって逃げ出したくなって、それでも戦うしかない。でも──大丈夫。こうやって温もりを確かめ合えるうちはまだ戦える。

いつかまた、ちゃんと笑える日がくる。

それまでずっと、リヴァイと。それからもずっと、リヴァイと。

きっと大丈夫。

不確かで、だからこそ結末は誰にも分からない。

だから、生きる。だから、戦うのだ。


「好きだよ、リヴァイ」


暗い気持ちをかき消すように今ここにある確かなものを強く抱き締め、私は目を閉じた。


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