「天気の話から始めた方がいいか?」 「………、」 前と同じ時間に同じ待ち合わせ場所。 少し違っていたのは私がそこに着いた時にはもうすでにリヴァイがそこに居たということ。そして呼び出されたのが私ということ。 「…そんなにしょぼくれた面してんじゃねぇよ。」 先ほどの言葉にふるふると首を横に振ればカップに口をつけたリヴァイがそう言う。私は運ばれてきた紅茶に触れることなくただ視線を落としながら膝の上に乗せたふたつの拳をきゅっと握り締める。 カチャリと、リヴァイはカップをソーサーに戻した。 「まぁいい……とりあえず、この前は悪かった」 天気の話はせずにどうやら本題に入るリヴァイ。 うん…そう やっぱり怒って当然………… って。 「………え?」 今、なんて。 私は耳を疑い思わず顔を上げた。 「いや……正直、かなり動揺した。お前が、ナマエだったことに。」 「……、」 「だから何も言えなくなっちまった。悪かったな」 「………な、なん…で……」 どうして、リヴァイが謝るのだろう。 明らかに、確実に、どう考えても。謝るのは私の方だ。 「……怒って、ないの……?」 いつもと変わらない様子の彼に次第に肩の力が抜けていく。 「怒る?それは、何に対してだ」 「………え、」 「……むしろ謝るのは俺の方だと思う」 「………は……」 “謝るのは俺の方だと思う”? 何それ。どういうことだ? …これは、おかしい。私が考えていた展開ではない。 そもそもリヴァイがまたこんなふうに話をしてくれるなんて思っていなかったのに。あったとしてもそれは私に対する怒りとか、嫌悪感とか。そういうものだとばかり思っていたのに。 「…あの時、お前に言っちまった事を、俺はずっと後悔していた」 「……こ、こう、かい…?」 「ああ。…さすがに、ガキの俺でも分かってた。お前が俺のことを見下してなんかなかったことくらい。」 「………、」 「お前のことは変な奴だとは思ってたが嫌味な奴だとは感じたことがない。いやまぁ最初は多少あったかもしれんが…だがお前と一緒に居たらそれくらいは分かる。いくら俺が馬鹿でもな」 「………。」 「…あの時俺は…自分自身に腹が立って、それをお前にぶつけた。だからお前は悪くないんだよ。だから、謝るのは俺の方だ」 「……ど、どう、いう……」 なぜリヴァイが自分に腹を立てる必要があるんだ。 「……俺は、ナマエのことを最初からずっと、……キレイだと、そう思っていた」 「………っへ、」 ついていけずにいると、いきなりそんなことを言い出す。 「なんというか、服とか髪もだが……存在自体が。何もかも、全て。俺はそれを汚したくなかった。お前みたいな奴に地下街は似つかわしくねぇし、俺みたいな人間とは居ない方がいいと思った。近くに居るだけで汚しちまいそうで嫌だった」 「………」 「だけどお前はそんなもん関係ねぇみたいに……勝手に近寄ってくるし、俺とも普通に接してきやがるし、いつも楽しそうで、しつこいほど会いにくるし、その上ケガの心配までしてくる。…俺はだんだん…お前が来るのを、心のどこかで待つようになっていた。」 リヴァイの口から伝わるそれはきっとあの頃欲しいと思っていたもので。 「…暗い地下街にナマエが居ると…そこに、白い花が咲いてるみたいで……キレイだと、思った」 「…… っ」 「…だから、お前のことは、俺がちゃんと守ってやるつもりだった。」 そう言って目を伏せるリヴァイに、胸が締め付けられる。 「あの頃俺には何もなかったが、お前のことだけは守りたかった。ちゃんと、自分の力で。少しも汚したくなんかなかったのに、それでも俺はお前を守れなかった。俺がもっとちゃんと注意深くしていればお前はあんな目には遭わなかったはずだ」 それは、…それは違う。 「そんな自分が不甲斐なくて腹立たしくて、キレイなその顔に傷があるのが見たくなくて、お前の顔も見れなかった。ナマエに危険が及ぶならもう来ない方がいいと思った。だがそのことにさえも折り合いがつけられず、その苛立ちをお前にぶつけた。散々、叫び散らして……お前の心まで、傷つけた」 違う。リヴァイは悪くなんかない。 「……お前はあの頃…つまらないと思ってた日常が、楽しくなり始めてたんだろ?……それは俺も、同じだった」 やっぱりあの時会いに行くべきだったのに。 「俺は俺と居てくれるお前の存在に救われていた。だからお前は何も悪くない。悪いのは、あんなことを言っちまった俺の方だ。…すまなかった」 救われていた? 何も悪くない? …違う。そんなの。 「……違うよ……」 私はリヴァイのその言葉を否定する。 「…違う?」 「だって…私は、結局……リヴァイを、一人にした」 「……、」 「置いていった。一人にしないって、言ったのに。また来るって……言ったのに。」 「…それは、仕方ねぇだろ?それについてはお前も不本意だったはずだ」 「っそんなの、関係ないよ……関係、ない。」 「………。」 「事実として、私はリヴァイに会いに行けなかった。それは、変わらない。だってリヴァイは分からなかったでしょう?私がその時、どう思ってたかなんて」 「……そうだな。…確かに俺は、自分でお前に来るなと言っておきながら、また来るというお前の言葉をあれからずっと心に留めていた。どこかでお前を待っていた」 ほら。 それなのに、私は。 「それは否定しない。だが、もういいじゃねぇか」 「……え…?」 もう、いい? 一体何がいいというのだ。 「…お前は多分、苦しんだだろ?俺の言葉に。そして自分自身を責めただろ?」 「………、」 「もう、いいじゃねぇか。今こうして、互いの気持ちが知れたんだ。」 「……お互いの、気持ち…、」 「ああ。お前は俺のことを友達だと思っていたし、それは俺も同じだった。」 「………」 「そして俺もお前もずっと、後悔していた。だが今またこうして話せてる。だったらやるべきことはもう『後悔』じゃねぇ。ただひとつだろうが」 「……え」 やるべきこと? 私はその瞳を見つめ、そしてリヴァイは口を開く。 「これから『分かり合っていけばいい』だけの話だろうが」 分かり、合う。 「………、」 それは、私のしたかったことだ。 「…今までのことも、お前がナマエだということが分かって全部納得がいった。お前が俺にとってきた態度の意味も、理由も。……そうするしかなかったんだろ?お前もお前で、今もずっと悩み続けてたんだろう」 「……っ」 「俺はお前を恨んじゃいねぇし、もう分かった。全部。ちゃんと分かったんだよ。ガキの頃のお前の気持ちも、今のお前の気持ちもな。」 「………」 「…だからお前も、ちゃんと今の俺を見ろ。もうガキの頃のことばかり気にするな。後悔するな。俺はこれ以上ナマエに後悔してほしくねぇ。」 「………で、でも…わたし……、」 「あのな。これ以上、何を悩む必要がある?」 「………、」 「それとも何だ?お前は、今の俺には興味がないってのか。お前は結局ただの、酒場の店員なのか?俺はただの客でしかないのか」 「…っ」 その言葉に思わずぶんぶんと首を横に振ると、リヴァイは表情を緩める。 「…だったら、もう過去に囚われるのはやめろ。今までの態度も全部帳消しだ。また改めて、始めればいい。」 「……はじ、める 」 「そうだ。俺はお前を分かりたいし、お前も、そうなんだろ?」 「……」 私はそれにこくりと頷く。 「だから今からちゃんと始めるんだよ。俺と、お前を」 始める。 ちゃんと、始める。 「………、」 私はそれを、してもいいのか。 「……… っ」 ずっとずっと、したかったそれを。 「……ナマエ、お前の今の気持ちを聞かせろ。お前の、口から。ちゃんと」 「……、」 わたしは。──私は、 「…リヴァイと、分かり…合い……たい」 私はあの時と同じ気持ちを言葉にする。 リヴァイは、口元を緩める。 「……ああ。これから、始めよう」 「……、」 その時、リヴァイがそう言ってくれたその瞬間、ずっと重かった心がそこに風が吹いたように軽くなった。 ──私は、ようやく。 「………」 リヴァイとの“これから”を、始めることが出来るんだ。 「……、っ 、」 するといろんなことを思い出し、今までの想いが溢れ出す。そして目の前にある現実に口元を押さえ俯いた。 「……っ、…」 「……泣くなよ。俺がいじめてるみてぇだろうが。…大体、お前はそんなにしおらしい奴だったか?」 「……っう、うる、…さい 」 「お前に、泣き顔は似合わないぜ?」 「…っふ 、は……何、それ……リヴァイこそ、そんなこと言う人じゃないでしょう……」 「ああ、さすがに今のは気持ち悪ぃな。冗談だ、聞き流せ」 「………ふ、ふ 」 私は思わずくすりと笑って目元を指で拭い、それからリヴァイを見る。 そこで初めてちゃんと、しっかりと目が合ったような気持ちになった。 「………、リヴァイ、」 今まで、私は何を見ていたんだろう。 「…何だ」 これからはちゃんと今のリヴァイを見ていこう。 「……これから、よろしくね。ありがとう」 自ずとふわりと笑いそう言えばリヴァイはそれを見つめ黙り、少し気恥ずかしそうに目を逸らした。 「……ああ。よろしく、な」 だけどまた、目を合わせた。 こうして私達はただのお客と店員ではなくなり、向かい合って同じ場所に立つリヴァイとナマエになった。 |