「クラウスくーん!」
「………。」


彼の姿を探しこうやって話しかけるのも、そろそろ慣れてきたこの頃。私は変わらず頻繁にその場所へと足を運んでいた。とはいえまだそこまで日数は重ねていないけど。

だけど私の声に、彼は振り向く。


「……暇な奴だな、てめぇは」
「うん!大してやることないからね!」
「……。」


言葉を交わしながらも慣れた手つきで私はコインケースを取り出し、そこからお金を出す。ポシェットの中にはコインケースと、救急セットと、ハンカチと。いつも同じものが入っている。ケガをしていることが多い彼は、まだ私に手当てをさせてはくれないけれど。


「はい、今日の分ね!」
「……、あぁ。」


くしゃりとそれを握り締めポケットへと突っ込み、彼もまた慣れた足取りで路地へと向かった。



「……なぁ。気になってたんだが、」
「ん?なに?」


地下街はゴミがそこらへんに落ちていたりとあまりキレイな場所がない。路地裏なんか特に。だから私は汚れないように座りたい場所へハンカチを置き、それから彼の座るところには私がハンカチで汚れを払ってから、そこへと腰を下ろしてもらっている。


「お前、いつもどうやって階段の行き来してんだ?あそこには人が居るだろ」
「……あぁ、うん」
「てめぇみたいなガキがむやみに通れるような場所でもねェだろ」
「そうだね。でも、お金さえ払えば通してもらえるし、何も言わないでいてもらえるよ?」
「………、」
「だから普通に通らしてもらってるんだー」
「……てめーは、何でも金で、解決するのか。」
「…まぁ…使えるものを使ってるだけだよ?」
「 はッ…そりゃ立派なこった…」
「……クラウスくんもさ、お金があったら地上に行けるの?」
「…あ、?」
「わたしみたいに、通してもらえるんじゃないの?」
「…… いや。」
「違うの?」
「…オレがもし行けたとしても、居住権がなきゃ意味がない。らしい」
「キョジューケン?」
「ああ。上で暮らすには権利が必要なんだよ。だからオレはそこで暮らす事は出来ない。」
「ふーん…」
「だから、ここからはそう簡単には出られない」
「……、そうなんだ…」


じゃあ私には、その居住権とやらがあるのだろうか。私にはあるのに、どうして彼にはないんだろう。それが不思議だった。


「……何で、だろうね?」
「あ?」
「わたしとクラウスくんは、同じなのにね。」
「……は?同じ?」
「うん。だって同じでしょ?なのにどうしてクラウスくんにはそれがないんだろうね。」
「………」
「それにこの世界には壁がみっつあるらしいけど、シーナの中は一番安全なんだって。でももっと遠くのマリアの方は壁の外に一番近くて、壁の外には巨人が居るって話でしょ?そんなのが近くに居たら、怖くないのかな?どうしてみんなシーナの中に入れてあげないんだろう。こっちが安全ならみんなシーナに居ればいいのにね。」
「……お前、バカか?」
「え、?」
「お前が思ってるほど、世界は優しくねぇんだよ」
「………、」
「同じなんかじゃ、ねェよ。オレとお前はな」
「……そう、かな?」
「ああ。」
「………そうかな…」
「そうだろ。だからオレはここから出られねぇ。でもお前は違う。地上で、暮らす事が出来る。」
「……でも、同じなはずだよ」
「だからちげーよ。」
「そんなことない、同じだよ。違うのは、間違ってるのは、きっと世界の方だよ。」
「………は」
「よく分かんないけど」
「……。」
「でもみんなが同じような暮らしを出来るようにすればいいのにね。そしたらクラウスくんもケガばっかしなくて済むかもしれないのに」
「………お前が言ってるのは、所詮キレイ事だ」
「きれい、ごと?」
「実際人には優劣がつけられてる。不平等だ。だからオレはここで泥水すすって生きていくしかねェんだよ。」
「………。なんか、嫌だね」
「それが現実なんだから仕方ねぇだろ。」
「……」
「地上はここよかマシな場所なんだろ?てめェは本当物好きだよな。わざわざ金払ってまで……全く理解できねぇ。」
「……うん。理解できなくても、別にいいと思う。だってわたしとクラウスくんは同じ人間でも、同じ人ではないんだし。」
「………。お前は…甘ったれなのか冷めてんのか、どっちなんだよ。」
「え?」
「まぁどうでもいいけどな……。」
「…うん?」


彼はため息を吐いて胡坐をかき、そこに片手で頬杖をついた。


「……あ、そうだ。クラウスくん」
「あん?」
「わたし今日ね、おかし持ってきたんだー」
「……おかし?」
「うん。お家にあったクッキーなんだけどね。おいしかったからクラウスくんにもあげようと思って持って来たの。はい、あげる」
「………、」


ハンカチに包んで持って来たクッキーを広げて彼に見せると、動きを止めてそれをジッと見つめる。


「どーぞ。おいしいよ?」
「……あぁ、」


そしてそれをひとつ指でつまんで、それから口の中へ放り込んだ。すると彼は顔色を変える。


「っ、うま……!」


驚いたようにそう言って、おいしそうに表情を変えたその顔はいつものふくれっ面ではなく、それを見て私は驚き一瞬目が離せなくなった。


「お前……いつもこんなもん食ってんのかよ」
「……あ、うん。まぁ…。」
「何だそれ……あまりにも不条理すぎんだろ……。」
「そこで?」
「こんなの食ったことねェよ。」
「そっかー。なら持ってきて良かったあ」
「(ジー)」
「………あ、これ全部食べていいよ」
「……食う。」


こくりと頷いてまたクッキーに手を伸ばす姿を見て、なんとなく嬉しくなった。

だけどそれは少し、不思議な感覚だった。
私がおいしいと思ったものを彼にあげようと思いついたのも、おいしいと言う彼を見て嬉しくなるのも、今まであまり感じたことのないものだったから。


「…また何かあったら、持ってくるね。」
「……(もぐもぐ)。」
「なんか… うれしー、な。」
「…は?何が」
「なんだろ……喜んで、もらえて?」
「………。何でお前がニヤニヤしてんだよ。」
「えへへ……分かんない。なんでだろ」
「きもちわりーな…」
「んふふ、」
「………。お前は、本当に、意味わかんねーな。」
「え?なにが?」
「……本来、なら…お前がオレにここまでする義理は、ねぇだろ。金を貰ってる分オレはお前の相手をする。お前はオレに金を払えばそれでいい。てめーはここに来る為にオレを使ってんだろ?だったらオレ自身には金を払う以上のことは何もしなくていいはずだ。なのになぜそれ以外のことまでする?ケガのこともそうだ。いちいち、気にかけやがって」
「ん、 え?」
「お前のそれは金持ちの余裕か?それともオレへの哀れみか?」
「えっと…うーん……。よく分かんないけど、でもそうしようって思ったから、そうしてるだけだよ。別にわたしクラウスくんのこと、可哀想とか思ってないし。」
「………、」
「ただ……なんだろ、うーん…。よく、分かんないや。こういうの、初めてだし…」
「…何だそりゃ…」
「でもわたしがしたいって思ったから、してるってことは確かだよ。」
「……。」
「ケガのことはさ、クラウスくんわりといつもケガしてるし。だから、だよ。そんなの、普通に、手当てしなきゃダメでしょ?そのままにしてたらやだし。」
「……だからそれは、お前には関係ないだろ?」
「でも……ちゃんと、手当てはしないと。そのままにして痛いのはやだし。」
「だから、てめーは痛くねェだろうが」
「だから、クラウスくんが痛いでしょ?」
「だから、それはてめぇには関係ねぇだろって言ってんだよ。」
「そうだけど、でも痛いのは嫌でしょ?」
「は?だから、お前がケガしてるわけじゃねェんだから、そんなもん放っておけばいい話じゃねぇか。」
「だからわたしは痛くないけどクラウスくんが痛いでしょって言ってるの。」
「……ッだから!オレが痛くてもお前は痛くねーだろうがッつってんだよ!!」
「だ、だから!そのままにしてるとわたしも嫌なんだってば!」
「オレはお前が嫌になる意味がわかんねぇんだよ!!」
「だからクラウスくんが痛いとなんかわたしまで痛くなってくるの!!」
「何がだよ!?どこがだよ!?」
「分かんないよ!!!」
「何だそりゃ意味分かんねェ!!」
「わたしもだよ!!なんかでもこっちまで痛くなるの!!見てるだけでも痛いの!!別にいいでしょッ!!」
「何言ってんだてめーが痛いわけねェだろうがッ!!」
「そんなこと言われても痛いんだから仕方ないでしょう!?もう何!?しつこいな!」
「何わけの分かんねーこと言ってんだよてめーは!!」
「いやだからもーわたしも分かんないって言ってんじゃん!!何!?何なの!?そんなにいけないこと!?別にいいじゃん!!」
「オレの手当てなんかしてもてめーに何のメリットもねェだろうが!?」
「でたメリット!!それって必ずしも必要なことなの!?何かやることにいちいち理由がなくちゃダメなの!?ああもうめんどくさいなクラウスくんは!!何だっていいじゃん!!わたしがしたいからそうしてるだけだってば!!!」
「てめェの行動は意味が分かんねーことが多すぎんだよ!!」
「知らないよ!!理解できないのはそれはクラウスくんがわたしじゃないからでしょ!?大体わたし自身だって理解できてないのにクラウスくんに分かるわけないじゃん!?」
「チッ……!何なんだよテメェは!クソイラつかせやがって!!」
「それはこっちも同じなんですけど!?」
「ならもう帰れ!!ウゼェ!!」
「ああそう!わかったよ!!帰るよ!!」
「さっさと地上に戻りやがれ!!」
「うるさいな!!言われなくても行くし!!」



なぜかいつの間にか喧嘩になり、私はそのまま言われるがまま勢いに任せて一人で歩き出した。ムカムカとかなり腹を立てながら。そしてそれは彼も同じで、眉根を寄せてすぐ側にあった箱を蹴り飛ばした。


私は、ここまで誰かと喧嘩をしたのは初めてで、ムカムカとするこの感情に我慢が出来なかった。どうすればいいのか分からなくて無意識に握り締めている拳に力が入る。

そして階段の近くまで歩いたところで、ふと、足が止まる。


「…………。」


ムカムカして、それが止まらない。

だけど、それと同じくらいに、なんか寂しい。


「……なん、なの、これ……ッ。」


ムカつく。何であんな口論になったのかすら分からない。

ただ、このまま帰る事が、嫌だとも、思った。


「………ムカムカする、なあ…!」


イライラして、お腹の底がぎゅってなる。胸が、ぎゅってなる。

だけど。


「……別に、わたしは、ケンカしたかったわけじゃ……、」


こんなことがしたかったわけじゃない。こんなことをしに来ているわけじゃない。
私はそれに気づくと、少しだけ気持ちが落ち着いた気がして、握り締めていた拳をゆっくりと開き息を吐いて、それから体の力を抜いていった。


「………。」


そして素直に、くるりと方向を変えた。







「……クラウス、くん。」


そのままさっきの場所へと戻ると、そこにはまだ彼が居て、私の声に振り向き、私を睨みつける。


「……あ?」


未だ不機嫌な彼に私は目を逸らし、だけどぼそりと口を開いた。


「……やっぱり、このまま帰るのは、嫌……かも」
「………は?」


私は目を逸らしたまま続ける。


「…っだから、……わたし、べつに、ケンカとか、したいわけじゃ…なく…て」
「………。」
「クラウスくんがわたしを、理解できなくても、それでも、ケンカとかは、したくない…」
「……」
「だから、このままなのは、イヤなの」
「……。ハァ…、めんどくせェ……。」
「う……。」
「……。オレは…殴り合いの喧嘩の方が……そっちの方が、分かりやすくて、いい。」
「…え?」
「相手を倒せばそれで終わる。そいつの勝ちだ」
「……、」
「お前が相手なら一発で終わるだろうしな。」
「え……な…。つ…つまりわたしのこと、殴るってこと?」
「……殴んねェよ……。だから、面倒なんだろうが」
「………。」
「…つまり、どうすればいいのか、分かんねぇ」
「……えっと……。わたしは普通に、仲直りしたいかな…」
「…それ、どうやってすればいい」
「……。分かんない。」
「………。」


きっと私達は、それまでこんなふうに口喧嘩を、仲直りをした事がなくて、どうすればいいのかがお互いに分かっていなかった。


「……で、でも、とにかく、わたしはこれからも、クラウスくんがケガしてるならちゃんと手当てしてほしいし、おいしいお菓子があったらクラウスくんにも食べてもらいたい、かな。」
「……、あぁ」
「それでも、いい?」


私は両手でスカートを握り締め、彼に問う。



「……あぁ…。 分かっ、た。」



こうして、仲直りすら下手くそな私達の喧嘩は、お互いによく分からないままに終わった。

何が原因だったのか、何で喧嘩になったのかも、分からないまま。
だけどその日、喧嘩したまま帰らなくて良かったと、家に帰ってから思った。

きっとあのまま帰っていたら次に会うまでずっとモヤモヤが取れなかっただろうから。

それは嫌だと、そう、思った。





「クラウスくん!」


その翌日、私はまた地下へと下りる。


「………」


一日経って昨日の気まずさももう忘れ、いつものように彼の背中へ声を掛ける。


「あれ?クラウスくーん?」


だけど彼は振り向かずに、それでも動かしていた足はぴたりと止めてくれた。


「……。」
「……え?あれ?ど、どうしたの?」
「…………リヴァイ。」
「え?なに…?」


そして唐突にそのままぼそりと何かを発した。


「…オレの名前。」
「……え?名前?」


それから、ゆっくりとこっちに振り向く。


「リヴァイ、だ。……ナマエ」
「…っへ………」


振り向き、私を見る。
リヴァイはそれまで教えてくれていなかった名前を私に教え、そして私の名前も呼んでくれた。


「り、リヴァ、イ……?」
「……ああ。」
「……… 、」


最初に名前を教えてくれなかったこと、私は全然気にしてなかった。勝手に「クラウスくん」なんて呼び名をつけて、それでもう定着していた。

だけど、リヴァイが名前を教えてくれた時、じわじわと胸の奥から何かが込み上げてくるのが分かった。



「……リヴァイ!っふは、そっかぁ!あはは、何それ!」
「……は?」
「ぜんっぜんクラウスじゃないじゃーんッ!あははっ!おもしろっ!」
「………。それはてめェが勝手に呼んでただけだろうが。」
「そうだったね!でもなんかもう慣れちゃってたし!ふははは、」
「………」
「…っふは、でも、そっか!リヴァイっていうのか!…そっか!」
「何だよ。」
「うん、わかったよ!」
「……あ?」


状況を理解すると私はリヴァイの方へと手を差し出し、笑顔を向ける。


「よろしくね、リヴァイ!」
「………、」


そして握手を求めた。

差し出されたその手を見て、リヴァイは黙る。私も何も言わずに、待った。


「……、」


そうやって握られるのをただ待っていると、次第にリヴァイはゆっくりと私の方へと自分の手を動かしていく。

そして。


「……金、まだ貰ってねーんだけど。」


パシンッと、手の甲で私の手のひらを無情にも払い、それから金をよこせと、私の目の前まで手を伸ばした。


「……は、え、えぇー…。」


そんなリヴァイのまさかの行動に、私は思わず間抜けな声を出してしまう。


「何だよ?」
「いやいや……あ、握手、は……」
「……知るかよ。それより、金。」
「………。」


揺るぎないその姿に、私は深くため息をつき、そして悲しげに手を下げポシェットへと手を伸ばした。

それからお金を渡すと、その時になってリヴァイは、「よろしくな」などと、嫌味っぽく、そう言ったのだった。


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