ふわふわと長い髪を揺らし白いワンピースを纏ってスカートをなびかせながら階段を下り、私はつまらない日常から抜け出す。 その先に待っているのは、私がまだ手に入れたことのないもの。 私は一段飛ばしで足取り軽く階段を下りていった。 「ねえクラウスくん」 「……」 「あれ?どこいくの?」 「……早くしろ。」 「え?」 彼は足を止め振り向くと、行き先を指図するように顔を動かし路地の方へと入って行く。とりあえず黙ってそれについていけば少し進んだところで足を止めた。 「お喋りがしたいなら、ここでしろ。」 「え、ここ?……でも、狭いし薄暗いよ?」 「だから何だ?話すだけなら場所はどこだっていいだろ。てめぇのその格好は目立つんだよ。誰かに見られて絡まれるのは面倒だ」 「……ふぅーん。そっかあ」 「他人事かよ、てめぇ」 「でも、そんなに目立つかなぁ?」 私はスカートを両手で掴み、それを少し広げて見つめる。 すると彼はため息をつき側にあった樽の上にひょいと座った。 「どう見ても目立つだろ。んな服。」 「…そうかなぁ。」 それにつられるように私もすぐ側にある樽に座ろうとすれば、腰を下ろす前に彼が声を荒げた。 「待て!!!」 「ひゃうッ!?っな、なに!?」 「それに座るんじゃねぇよ!!」 「え、な、なんで!?」 声に驚き思わず樽からバッと離れると、眉間にシワを寄せる。 「バカじゃねぇのか」 「だ、だから何で!」 「…そんなとこに座ったら、汚れちまうだろうが」 「……、え?」 なぜか機嫌が悪そうに、そう言われた。 「……。」 「え。汚れるって、わたしの洋服が?」 「それ以外に何があるってんだ。」 「………、」 ちらりと、座ろうとしていたとこを見てみると確かに砂埃が少しかぶさっていた。 「……ほんとだ。」 「チッ、ボーっとしてんじゃねェぞ。」 「……。え、あ、でも、クラウスくんは?汚れないの?」 「……オレは、別に。」 「え?」 「……チッ。てめぇに関係ないだろ。」 「えぇ…。いやいや…人のことには口出ししておいて」 「あァ?」 「クラウスくんは、汚れちゃってもいいの?」 「…………別に、これくらい。オレは元から汚れてる。」 「……え」 「でもお前は、違うだろ。お前は…そんなキレイな、服、……」 彼はそれ以上は何も言わずに黙り、自嘲気味に目を伏せた。 私はそれを見て、口を閉じ少し考えるとポシェットに手を伸ばしてそこからハンカチを取り出し、それを広げる。 「…クラウスくん、ありがとう。」 「……あ?」 「わたし、お洋服とか汚しちゃうとママに怒られるんだ。だから、汚さないでよかった。」 誰かに見られたらみっともないでしょ、と。そう怒られる。 「……だったら自分で気ぃつけろよ。」 「うん。だから、ありがとう。」 「……。」 広げたハンカチを樽の上に置き、そこに座ってスカートを汚さないようにした。それからもうひとつハンカチを出してそれを彼に差し出す。 「……何だよ」 「こうすれば汚れないでしょ?だからクラウスくんもこれ、使っていいよ」 「は?」 「ほら、こうやってハンカチの上に座れば…ね?汚れない。」 「…だからオレはいいっつってんだろ。しかもそれだとハンカチが汚れちまうじゃねーか。」 「だからハンカチはいいんだって。服が汚れるよりは全然。だからこれ使いなよ!」 「………だから、俺はもう」 「何で?」 「…あぁ?」 私は彼の言葉を遮り、頭にはさっきの言葉を浮かべる。 「よく分かんないけど、汚れてるから別にいいとか……そんなの、だからって、それ以上汚れてもいいなんて理由にはならないよ。」 「……、」 「わたしにそんなふうにしてくれるなら、自分にだってそうしてあげたらいいと思う。」 「……。」 うまく言えないけど、そんなふうに思った。 「だからほら、これ使いなよ。」 「………、」 私が差し出したハンカチを静かに見つめて、だけど目を逸らした。 「…別に今更、もういい。」 「な、……あのね、だからね、クラウスくん、」 「でも、」 そして今度は彼が私の言葉を遮る。 「…これからは気をつける。」 そう言って、ちらりと私を見た。 「それで、いいだろ」 私もそのまま彼を見つめ、それから差し出していたハンカチをすっと下ろす。 「…そっか。わかった」 「つかてめーは何枚ハンカチ持ってきてんだよ。」 「あ、うん。今日は五枚くらい持ってきたんだー」 「いや多いだろ」 「だってクラウスくんがまたケガしてたら一枚じゃ足りないかなあって思って……あ、そうだ。救急セット持ってきてたんだった!」 「………。」 「クラウスくん、昨日のケガは大丈夫?わたしが手当てしてあげようか」 ポシェットからそれを取り出し笑いかけると、また眉間にシワを寄せる。 「…いい、別に。何ともない。」 「え、よくなくない?なんも手当てしてないんじゃないの?」 「するほどのケガでもねぇだろ。」 「なに言ってんの?」 「あ?」 「わたしなんて紙で指を切っただけでも大騒ぎだよ?」 「……。」 「うわー思い出すだけでも痛くなってくる……紙で指切るとイッタイよね!うわああやだやだ。」 「…どうでもいい。」 「よくないよ!スッてさ。切れちゃうの!ううう、痛い…!」 「……(どうでもいい)」 「それだけでわたしはもう包帯を出す勢いだよ。ぐるぐる巻きだよ」 「馬鹿馬鹿しいな。包帯がもったいねぇ。」 「確かにそれはもったいないかも。でもクラウスくんのはちゃんと手当てしなきゃレベルだと思う。」 「だから、いい。」 「消毒とかしないとダメなんだよ?バイキンが入っちゃう。」 「いつも何もしてねぇんだよ。それで平気なんだからいちいち気にするんじゃねぇ。」 「それは何もしてない“いつも”が間違ってると思うな。ちゃんと消毒しとこうよ。」 「……んなもん持ってねェんだよ、オレは」 「だから今はわたしが持ってるじゃん。……ほら、ね?手かして」 そう言って樽から下りて、納得のいっていない彼の手に触れようとすれば、バッと避けられた。 「触るんじゃねえよ!!」 「 、っ!?」 彼はまた声を荒げ、私は体をビクつかせる。 「……っ。」 「 び、……っくり、したぁ」 睨みつけるように私を見て、近寄るなと目がいっていた。 「……えぇ…もう…。どうしてクラウスくんはそんなに触るな触るな言うの?ビックリするじゃん…」 「…てめぇは何度言えば理解するんだ?この脳内花畑野郎。」 「別に触ったっていいじゃん。そんなに嫌がらなくてもいいと思う…」 「………オレは、だから、お前が……、」 「え?」 彼はそこで言葉を止め、そして自分の手のひらを見つめるとそれから目を逸らし、ぎゅっと握り締めた。 「…うるせぇよ。」 「ええっ。何だそりゃ!」 「それに手当てなら自分で出来る。寄こせ。」 「……あ、うん。それでもいいけど」 私は彼にそれを渡し、そして全て自分でやっていく姿をそのまま黙って見つめた。 「返す。」 「わっ……おっと、と」 手当てが終わると投げて返され、慌ててそれらをキャッチする。そしてポシェットの中へと戻した。 「…クラウスくん、痛くない?大丈夫?」 「……てめぇと一緒にすんな。この脆弱女。」 「ぜい……?うーん意味は分からないけど、バカにされてるということは分かる!」 「 はっ。勘だけはいいみたいだな。」 「でもその喋り方もなんだか慣れてきたよ。」 「………は… 慣れてんじゃ、ねーよ」 彼は少し脱力したようにそう言った。私はそれをまた見つめる。 「………あ。そうだ」 「あ?」 「それよりもクラウスくん。わたしの押し花を見せてあげる。」 「は、別に見たくねーんだけど」 「ほら見て、キレイでしょ。」 「……。」 私は思い出したようにそれを広げ、貼り付けている押し花を見せてあげた。彼はそれを見ても一切顔色を変えなかったが。いやむしろ。 「……お前、これ、潰れてんだけど。」 「え、いや!だってそういうものだし!」 「お前、花が好きなのに潰してんのか?とんだ外道野郎だな。」 「えええ!だってそうやるんだよ!?押し花は!」 「そうなのか」 「そうだよ!わたし別にお花をいじめたくて潰してるわけじゃないから!」 「あ、そう」 「こうやって保存するものなの!」 「まぁどうでもいいけどな。」 「ひどくない?」 「なんか花びら取れてるのとかあるし。」 「そ、それは……難しくて……」 「まぁ心底どうでもいいけどな。」 「だからひどくない?もういいよ……クラウスくんにはもう見せてあげない…」 「そうしてもらえるとあり難い。」 「……。せっかく持って来たのに…次からは絶対持ってきてあげないからね!見たいって言っても絶対見せてあげないから!」 「つーかてめぇ自身がもうここには来るんじゃねぇよ。」 「……え、何でよ?」 「オレは最初から来んなっつってんだろ。殺すぞハゲ」 「は、ハゲ!?わたしちっともハゲてないんだけど全然本当に!!!」 「それに今日だけだとも言ったはずだ。」 「わたしハゲてないから!!!」 「てめぇは地上で花でも潰してろよ。」 「ねえ!!!わたしハゲてないからね!!?」 「あークソうっせェなウゼェ……チッ」 「だってハゲてないのに!」 「見りゃ分かる。」 「だったら言わないでよ!もう!」 「とにかく、もう来るんじゃねぇ。」 「………それは、約束できないなあ」 「あぁ?」 「だってわたし、ここに向かってるとき…ドキドキ、するの。」 「……、」 「あの階段を下りていくとワクワクする。」 「……それはオレには、関係ない。オレに関わろうとするんじゃねぇ。」 「…だけど、クラウスくんが居ないとさすがに一人は怖いし……」 「だったら来るんじゃねぇよ。何がしたいんだよてめーは」 「分からない。分からないけど、とにかくここは楽しい。もっと知りたいなって思うの。」 「……何が、楽しいんだか…」 「それにクラウスくんにとっても悪い話じゃないと思うけどなあ。」 「あぁ?」 「わたしは君がこうやって相手をしてくれるなら、毎日でもお金を渡せる。」 「………、」 「…だから…、また、来てもいい?」 お金の価値も人の価値も、心も、何も考えずに。知らずに、私はそれを提案する。 「……チッ…」 彼は少し考えたあとに舌打ちをして、目を逸らした。 「……やっぱりてめぇの考えは、オレには分からない。」 「……」 彼の口からは答えを貰うことは出来ず、だけどそれを否定する言葉もなかった。 「…今日はもう帰れ。」 そしてぼそりと、そう呟いた。 「……え、でも…まだ、全然、」 「てめぇの相手は疲れる。さっさと帰れ。」 「………、」 「……何だよ、不満なのか?だったらもう来るんじゃねぇよ。」 「………そっか、わかった、」 「あ?」 「じゃあ、今日はもう帰るね!」 「…………上に出るまで気ぃ抜くなよ。」 「うん!わかった!じゃあまたね!」 私は樽の上からハンカチを取り、少し叩いてからそれを仕舞う。 「また今度!」 「……。」 手を振っても振り返してはもらえず、だけど私は笑顔でそこをあとにした。 多分、だけど。きっとまた来てもいいってことなんだと思う。 「(でももう押し花は持ってきてあげない!)」 次はいつ来ようかと、その時まだ上に戻ってすらいないのにすでに頭の中は次のことを考えていた。 ──私はいつだって、自分のことばかりで。リヴァイの言う通り本当に頭に花が咲いていたのかもしれない。 |