あれは、あの出会いは、私がいつも感じていた“つまらない日常”を抜け出す為の、その先にあったものだった。 ──子供の頃、私は生まれた時からすでに裕福な家庭の暮らしの中に居た。父親が元々そういう生まれで、母親の方は父と結婚してからシーナ内に住み始めたらしいけど。二人の出会いはよく知らないし聞いたこともなかったけど、多分母はシーナでの裕福な暮らしに憧れを持っていて、そういうのを含めて父と結婚したんだと思う。 子供…つまり私が産まれたのも、その生活を手に入れる為だったのだと思う。少なくとも愛とかそういう自然な感情から生まれたものではなかったはず。おそらく子供が出来れば結婚という選択が生まれるから。多分、その為に私は産まれた。 別にだからといって両親から冷たくされていたわけじゃなかったけど、だけどなんとなくそういうのを子供ながらに感じていて、だから家に居るのはあまり楽しくはなかった。でもだからといって外が楽しかったわけでもなく、何なら友達も居なかったから特に楽しいことはなかった。 周りの子とはなぜかあまり馴染めなくて、だからいつもわりと一人で居た。 そんな私に小さい頃から母はいつもお金を渡していた。これで一日過ごしなさいと言って、自分は他の奥様方と着飾った格好をしていつもお茶だの何だのをしていて、私のことはほとんどほったらかしで。使い道のないお金は貯まる一方で。 私の手元にあるのはお金だけで、物足りない毎日にウンザリしていた。 だけどそんなある日、私はついに行動を起こすことになる。 私はいつものように一人で街をうろちょろしていて、いつも通り楽しいこともなく、その日もいつもと変わらない日常を過ごしていた。 私は冷め切っている心に何か変化を求めていた。何かが欲しかった。そんな時、ふいに以前父親から聞いた話を思い出したのだ。 この街には、ここより下に地下街という場所がありそこで暮らしている人達が居るということ。そしてそこには近づいてはいけないということを。 話を聞いた時には特に何も思わなかったけど、その時は少し違って。単純に、興味が湧いた。近づくなと言われると行ってみたくなる。知りたくなる。そんな興味本位で、私はその場所を探し始めた。 そして少しすると下へと繋がっているであろう階段を見つけ、私はごくりと生唾を飲みそこで立ち尽くす。 この下には、何があるだろう。どんな世界が待っているだろう。見た事のない、感じた事のない何かが、もしかしたらあるかもしれない。 私の口元は無意識に上がっていたと思う。ぶるりと体を少し震わせ、そして私は踏み出した。その地下へと通じる階段を、下り始めたのだ。 ◇ 「うわ……何、ここ……。」 階段を下りきると、そこは薄暗くて全体的に重い空気が漂っている場所へと出た。 「………。」 地下街には近づいてはいけない。 父親の言葉が頭に響く。 そう言っていた意味をなんとなく体で感じ取りながら、だけどそんな恐怖心さえ、感じたことのないもので私はそれに微かに高揚していた。 「(探検、だ)」 私は小さな拳を握り締めて、そこへと下り立った。 「……、」 周りの視線を感じながらもきょろきょろとそこを歩いていると、少ししてから何だか騒がしい人だかりを見つけた。 何をしているんだろうとそこへ近寄り人と人の間からその中を覗いてみると、そこでは、喧嘩が行われていた。 「………っ、」 思わず口元に手をやり、驚く。 殴り合いの喧嘩なんて初めて見た私は少し怖気づいて、息を呑んだ。 だけどよくよく見てみるとそれは私と同じくらいの男の子が、大人を相手に、喧嘩をしているみたいで。 「…… !」 その子は大人の男相手に、負けじと向かっていっていて。ていうか全然負けてる感じとかでもなくて。そんな子を見たのはもちろん初めてで。 興奮、した。 ──結局、その喧嘩はその男の子が勝ったみたいで相手からお金を盗ってその場からその子が逃げて、終わった。 「ねぇねぇ、こんにちは!」 「……あぁ?」 私はそれを必死で追いかけそれからその子に話しかけた。何とも怖いもの知らずである。 「さっきの見たよ!すごかったね!」 「……てめぇ誰だ」 「あ、そっか。あのね、わたしはね、ナマエっていうの。あなたは?」 「………、」 あからさまな敵意を向けられ、だけど私は気にもしなかった。ていうか気づいてすらいなかった。それくらい、興奮していたんだと思う。 「……。」 「あ、ちょっと待って!」 その子はめんどくさそうに私を睨みつけ、それから背を向けて立ち去ろうとする。 「あのね、ちょっと聞きたいんだけど…あなたはここで暮らしてる?んだよね?」 「………何なんだ、てめぇは」 「え、あ。えっと、わたしは」 「ここの住人じゃねぇだろ」 「あ、うん!そうなの。上から下りてきたんだー……ってどこ行くのっ?」 「ついてくんな。」 「えぇー!待って待って!」 「……チッ、だから、ついてくるんじゃねェ。殺すぞガキ」 「ガキって!わたしあなたと同じくらいの歳だと思うけど…」 「てめぇみたいな低レベルな女と一緒にすんな」 「ちょっと待ってよ、あなた、ケガしてるよ?大丈夫?血、出てるけど」 「………」 「はい、ハンカチ。とりあえず拭いたほうがいいよ。」 「………、」 「…ねえ、ほら。ハンカチ。使っていいよ」 「………何だ、そりゃ」 「え?」 「……いらねぇ。こんなの、いつもの事だ」 「え、でも拭いたほうがいいよ」 「てめぇに関係ねェだろ。」 「あるよ!今こうして目の前に居るんだし!」 「は……目の前に居るから何なんだ?ここの連中は目の前で誰かが倒れてようが見て見ぬふりするような奴ばかりだぜ?」 「そうなの?でもわたしは、ここの人間じゃないし…」 「……、」 「ほら、使ってよ!」 「………。」 「あの、聞いてる?」 「………いい、汚れちまう。」 「え、汚れちまってもいいよ!ハンカチはこういう時の為に持ち歩いてるんだよ!?」 「知らねぇよ」 「ほらって!」 「いいって、」 「よくない!」 「チッ、いらねぇっつってんだろうが……」 「何でよ!!」 「だから………そんな真っ白なもんに、オレの血なんかつけたら、もったいねェ」 「何で?ていうか別に血は汚いものじゃないでしょ?」 「………、」 「はい、これはあげるから。だから使いなよ」 「………。」 私はほぼ無理やりに彼へとハンカチを渡し、満足する。だけどその子は受け取るだけで、それをジッと見つめて動かない。 「……ねぇ、何してるの?」 「………こんなにキレイな布、初めて見た。」 「えっ本当に?」 「……お前のその服も、真っ白でキレイだ。どこも汚れてねェ。」 「あ……そう?」 「ああ」 「……。」 「…やっぱりこれは、使えねぇ。」 「ええッ!何でよ!」 「汚したくない」 「いいよ汚してもっ!お家帰ったら他にもハンカチあるし!」 「………、そんなにあるのか?」 「うん。だからそれはあなたにあげるから。」 「………いや、でも、」 「ぇえええーい!!何よもうッ!!貸してっ!!」 「っあ、ちょ、! てめっ、」 「まどろっこしいッ!!さっさと拭いてよ!!」 私はハンカチを取り上げ、その子に触れ強制的に血を拭いてあげた。 「イッ、てめ、触っんな、オイふざけんなッ……!」 「はいはい!ほら、これでおっけー。」 「てめぇ……何、もったいないこと……」 「もったいなくないよ。ついでにしばっちゃえ。」 「ちょ……、」 腕のケガしている部分にハンカチを結び、とりあえずの応急手当。 「………。」 「ねぇねぇ、そういえばそんなことよりさ、あなたさっき大人の人とケンカしてたでしょ?」 「……」 「びっくりしちゃった!しかも勝っちゃうなんて!すごいね〜強いんだね〜」 「………。お前、何なの?」 「え?…わたしはね、ここに探検しにきたの。」 「……ハッ……何だそりゃ…お気楽な奴だな…」 「だからここがどんなところか知りたいの。教えてくれない?」 「……知りたきゃ勝手に見て回れ。まぁそんな着飾ったかっこうしてるガキをここの連中がほっとくとは思えねぇが……」 「ん?どういう意味?」 「……ケガしたくなきゃ、とっとと上に戻れってことだよ。」 「え………やだ。」 「あ?」 「だって、せっかくここまで来たのに。」 「…知らねぇよ。」 「上に戻っても、楽しいことなんか…ひとつもないし……」 「………、」 「…だから、もうちょっとここに居たいの。」 「……勝手にしろよ。」 「…っあ!だからちょっと待ってって!」 「っんだよ、触んなッ!!」 「うわっ分かった触らない!!触らないから!!だからせめて話を……!!」 「…チッ、 クソが……何なんだよ本当にてめェは…付き纏うんじゃねぇよふざけんな」 「だって、ここに来たの初めてで……何も分からない、から…」 「だからってオレに何の関係がある?オレがてめぇの相手をしたところで、金でもくれるってのか?」 「……。」 「お前と居たところで、オレに何のメリットがある」 「え、めりっと?」 「……だから、お前と居て何か良い事でもあんのかって聞いてんだよ。」 「………お金なら、渡せるよ?」 「は?」 「お金ならあげるから、相手してよ」 「………喧嘩売ってんのか?」 「え?けんか?」 「それ以上ナメた口利きやがったらぶっ殺すぞ」 「え、全然ナメてないんだけど……。」 「………。 チッ…クソが……」 その時の私は、いつも感じていた“つまらない日常”から少しだけ抜け出せたような、そんなドキドキを胸に秘めていた。 いけない事をしてることへの緊張感と、初めて見る地下街の光景と、目の前に居る男の子。いろんなことが私の中でひとつになりそれは確かな高揚感を生んだ。 「ねえ、あなたは名前なんていうの?」 「………、」 私はここで、リヴァイと出会った。 |