「オイ、エレン。」 そろそろ地下室で休もうと、古城の広い廊下を一人で歩いていると後ろから低い声が耳に響き、俺は肩をビクつかせる。 「……リヴァイ兵長、」 振り向けばいつの間にかそこには俺の上司リヴァイ兵長の姿があり、無意識に背筋が伸びた。 すると兵長は足を止めた俺を見て壁へと背中を預け、腕を組んだ。 「お前は、俺のことをどう思っている」 そして唐突にそんなことを言い出す兵長に、思わず目を丸くする。 「……ど、どうって…それは」 「正直に話せ」 「………。」 兵長は人類最強の兵士と呼ばれるほどの実力者で、その戦力は一個旅団並みと言われている。それに言葉や態度はお世辞にも丁寧とは言えないがそれでも調査兵団には兵長に憧れや尊敬の念を抱いている人達も少なくはない。そして俺自身も兵長の強さには憧れている。しかも今や俺の直属の上司だ。 つまり、だから。 「一ミリも好意を寄せていない事は確かです!」 拳を握り締めてハッキリとそう言えば、兵長はぴくりと眉を動かした。 「…ほう。そうか…。それは、気が合うな。」 「ね、姉ちゃんの恋人だか何だか知りませんが、俺はまだ認めていませんよ!」 そう。兵長は、姉ちゃんの恋人なのだ。 それが未だになんとなく気に食わない。 「俺はお前に認めてもらおうとは思っていない。そんな事は正直どうだっていい。……だが、」 「(びくっ)」 兵長はそう言うと俺に一歩近づいてきて、思わず後ずさりそうになった。 「お前はナマエの弟だ。アイツはてめぇと仲良くしろとうるさい。」 「……、」 「だからエレン。どうすれば、お前と仲良くできる」 「……。え」 兵長は真顔でそう聞いてきた。 どうすれば仲良くできるか……だって?まさかそんなことをリヴァイ兵長の口から聞くことになるとは思わなかった。なぜなら二人の関係を知ってからの俺への態度は決していいものではなかったからだ。もちろん仕事以外での話だが。 黙って俺の返答を待つ兵長の瞳は真剣で、そんなに姉ちゃんのことが大事なのかと、そう思わされた。 「………兵長は…」 「あ?」 「…リヴァイ兵長は、姉ちゃんのどこが好きなんですか?」 そんなの聞きたくはなかったけど、なぜか口がそう発していた。 すると兵長はその問いに思いきり顔を顰める。 「なぜてめぇにそんなこと言わなくちゃいけねぇんだよ。ふざけんな。」 「……ですが、本当に姉ちゃんのことが好きなら、言えるはずでしょう?」 俺と仲良くしろという姉ちゃんのその言葉を実行しようとしているリヴァイ兵長に、少し強気になる俺。 「お前に言う必要はない。」 「そんな事は、ありません。俺は姉ちゃんの家族です…兵長が姉ちゃんのことをどれだけ好きなのか、そしてその理由を、俺は知る権利があるはずです。」 「……俺がどれだけアイツのことを好きなのかは、ナマエ本人が知っていればそれでいい。てめぇに言ったところで何が分かる。それは俺とナマエの問題だ…弟と言えどもそこまで踏み込んでくるのはよろしくねぇな。」 「っいいえ、家族だからこそ踏み込まなくちゃいけないんです!姉ちゃんを幸せにできる人じゃないと、俺は認めません!」 そう言うと、兵長は少し黙ったあとにふうとため息を吐き、腰へと手を当てた。 「…俺は、ナマエを幸せにできる。そうでなきゃ付き合ったりはしない。」 「っ……。でも、そんなこと、これから先のことなんか、分からないじゃないですか」 「それにな…アイツは、お前の姉さんはな、俺に惚れてるんだよ。分かるか?お前が俺を認めなくても俺はいいが……アイツはどうだろうな。」 「………、」 「可愛がっている弟が自分の恋人を認めないのは、まぁ面白くはないだろうな…」 「……っ」 なんて意地の悪い言い方をするんだ兵長は。 悔しくて何も言えずに黙り込むが、だけど俺はそれとは違う別の答えを思いついた。 「お前への態度は改める。だからてめぇも俺を敵対視するのは……」 「いや、それは、違います」 「……あ?何がだ」 俺は無意識に思わずニヤリと口角を上げて、兵長を見る。 「姉ちゃんは、ブラコンです。かなりのブラコンです。それは兵長も知っているでしょう?」 「………、」 「確かに姉ちゃんは俺が兵長のことを認めなければ悲しむかもしれません。…ですが、それよりも俺が…弟の俺が寂しがっていれば、姉ちゃんはきっと今以上に構ってくれるはずです。」 「……ほう。それで?」 「…俺がずっと嫌だと駄々をこねればきっと姉ちゃんは兵長よりも俺を選んでくれるはずです。いや…絶対に!そうなれば俺が兵長を認めなくても関係なくなりますよね!」 「……。」 どうだ、と渾身のガッツポーズを心の中で決めて、勝ち誇ったように兵長を見てみれば、だけど兵長は顔色ひとつ変えない。あれ?おかしい。 「……まぁ、そう思っても仕方ねぇかもしれねぇな…」 「え?」 兵長は一度視線を落としぼそりとそう言って、そしてまたゆっくりと俺を見据えた。 「…お前は何も知らないんだからな。エレン。」 「………え、知らないって…何を、ですか…」 「まぁ知らなくて当然だ。知っていた方がおかしい。」 「…っだから、何がですか」 眉を顰めてそう聞けば兵長はふっと鼻を鳴らし、口を開いた。 「俺の腕に抱かれた時に、ナマエがどんな顔をするのかをだ。」 「……っ!?」 いきなり発せられたその言葉に思わず一歩後ずさり、体を強張らせる。だけど兵長はそのまま続ける。 「俺とキスをした時にナマエがどんな顔をするのか、惚れている男の前でアイツがどんなふうに笑うのか……お前はそれを知らない。だからそんな甘っちょろいことが言えるんだよ。」 「…なっ…!」 「……要するに、だ。エレン。お前がいくら駄々をこねようが、嫌だと泣き喚こうが、俺らの関係は何一つ変わんねぇってことだ。」 「……!」 リヴァイ兵長は顔色ひとつ変えないままそう言い切った。 その余裕な態度に、俺は顔を赤くしながらうろたえる。ていうかそういう話は聞きたくないんだけど! 「…分かったら、そろそろ本気で姉離れする準備を進めておけ。」 「あ、姉離れって……!」 「ブラコンなのはナマエだけじゃねぇ。てめぇだってなかなかのシスコンじゃねぇか。勘弁しろ。」 「…っそ、それは……っ別にいいじゃないですか!家族なんですからっ!」 「だからってその歳で同じベッドで寝るか?聞いた事がねぇよ。べたべたしやがって気持ち悪ぃ」 「それはっ……!それは俺だって…!おかしいと、思ってますよ!そのことに関しては姉ちゃんに言って下さい!」 どうしよう兵長の方が優勢になってきた、とそんなことを思っていると、廊下の向こうの方から誰かが歩いてくる音がだんだんと聞こえてきた。俺と兵長は口を閉じてそっちへと視線を向けると、見えてきた人影は目を凝らさなくても俺らには分かる人物で。 「…あ、居た!エレン、リヴァイも」 そこには呑気にニコニコと手を振る姉ちゃんの姿。 「ね、姉ちゃん、…」 「……。」 まさかのご本人登場に、俺は少し変な気持ちになる。だけど笑顔の姉ちゃんは俺のすぐ隣に並び足を止め、そのことに少し優越感を覚えた。 「…何しに来た」 「いや、特に何もないんだけどただエレンの顔を見に来たの。一応ちゃんと許可はとってるよ?」 「か、顔見に来たって……それだけの為に姉ちゃんわざわざ来たのかよ?」 「そうだよ?何か問題でも?」 「 いや……。」 俺はちらりとリヴァイ兵長を見る。すると兵長は顔色を変えずに、こつりと一人歩き出した。 「なら、見飽きるまでそいつの顔を見ておけ。」 「……、リヴァイ?」 兵長はそう言うとそのまま俺らの前から居なくなって、俺は姉ちゃんと二人っきりになった。 「………エレン、リヴァイと何かあった?」 「……え、何で?」 「いや…なんか様子がいつもと少しだけ違ったから」 「え………」 兵長が歩いて行った方を見つめながら姉ちゃんはそう言って、俺を見た。 いつもと違うって、今の一瞬でそう思ったのか?兵長はいつもと変わらない顔をしていたというのに。 「もしかしてまた喧嘩みたいなことしてたの?」 「喧嘩って……喧嘩はしてねぇよ…ていうか兵長と喧嘩とか無理…。」 「ふは、でもたまに言い合ってるでしょ?エレンとリヴァイ」 「言い合ってるっていうか……兵長が何かと理不尽に突っ掛かってくるだけで…」 「そうだよねぇ。仲良くしてって言ってるのにねー?」 「……。」 俺はさっきまでの兵長とのやり取りを思い出し、目を伏せる。 「……なぁ、姉ちゃん」 「ん、なに?」 「…姉ちゃんは……その…兵長の、どこが好きなんだ?」 「 っえ……、」 そんなの聞きたくないのに、同じことを姉ちゃんにも聞けば、驚きながら少し頬を染めた。 「……。」 「…いや…そんなことエレンには言いたくないな……。ていうかエレンだって聞きたくないでしょ?」 「………でも、俺、知りたい。」 「えぇー……。」 真っ直ぐにその目を見つめると姉ちゃんは照れくさそうに床へと視線を落とし黙って、うーんと唸った。そして少しすると顔を上げてさっき兵長が歩いて行った方の廊下をまた見つめて、静かに口を開く。 「…まぁ、全部、かな」 「……え?」 「…私はね、リヴァイの全てが好きなの。」 その姉ちゃんの横顔に、俺は目を見張る。 それは俺が今まで一度も見たことないような、まるでとても大事なものを見つめているような、優しくも愛しそうな眼差しで、それは一度も俺には向けられたことのないものだった。 「………、」 「……ってもー、何言わすのっ?!恥ずかしいわ!」 姉ちゃんが俺を大事にしてくれているのは分かってる。知ってる。だけど、それとはまた違う、別の顔で。 ……無性に、悔しくなった。 「……姉ちゃん、兵長のとこ……行ってくれば?」 そして拳を握り締めながら、そう言った。 「…え?何で?」 俺は姉ちゃんから顔を背けながら続ける。 「兵長のこと、気になるんだろ?別に俺は平気だし、様子がおかしいって思ったんなら行った方がいいんじゃねぇのか」 「……エレン」 これは別に、拗ねているわけじゃない。 ただ、本当に姉ちゃんと兵長はお互い思い合ってんだなって、それが分かっただけで。だから、だったら。 「…っ」 「……エレン?」 「……、」 そう思っていると、姉ちゃんは俺の顔に手を触れ目を合わせると、ふわりと笑った。 「ありがとね。エレンは優しいね」 「…っな、別に……、」 「私は誇らしいよ。こんな可愛い弟が居て!」 「お、大袈裟だろ……。」 「私はね、エレンが世界で一番大切だよ?」 「っ……、」 そう言われて頭を撫でられて、だけどそれが恥ずかしくて思わずその手を払った。 「…やめろって!ガキ扱いすんなッ!」 「あはは、本当かわいいなぁエレンは〜」 「……っ、あぁッもう!いいからそういうの!とにかく兵長のとこ行けよ!」 「えー。せっかくエレンに会いにきたのに?」 「知らねぇよっ…てか、俺もう寝るし!」 「え?もう寝るの?早くない?……まぁいいや、じゃあ一緒に寝よう!」 「いや何でだよっ!だから姉ちゃんは兵長のとこ行けって!」 「別にいいってエレンはそんなこと気にしなくて」 はいはい寝よう寝ようと言って俺の手を握り地下室へと歩き出す姉ちゃん。俺は足を止めその手を振り払う。 「…いや!本当に!!いいから!!」 「え?」 「……姉ちゃんと、兵長は……っその、付き合ってる…んだろ?好き、なんだろ…?だったら、たまには俺のことなんか気にしないで…一緒に居ればいいだろ……。」 「…何それ本気で言ってる?エレンは私と居たくないの?寂しくないの?」 「………っ、」 姉ちゃんは真顔でそう聞いてきて、俺は眉を顰める。 何でうまく、伝わらないんだ。 「……だから、違う……そうじゃなくて…。俺だってそりゃあ…姉ちゃんと、居たくないわけじゃ、ない、けど…。」 「やっぱり!?ほらぁ!だったら私だってエレンと居たいんだから、それでいいじゃない!」 「ッでも!そうじゃなくて!」 「……え、もう何が?何がそうじゃないの?」 「だからっ……、姉ちゃんは、俺のこと気にしすぎなんだよ…。」 「そりゃあ家族だもん。当たり前でしょ?」 「……。でも、そうだけど、……それなら、兵長、は?」 「え?」 「兵長だって、姉ちゃんにとっては大切な人なんだろ?」 「………まぁ、そう…だけど」 「…だから、だったら、俺は姉ちゃんが思う大切な人と……その、居てほしい、っていうか……。だから俺はっ、……姉ちゃんを取られても……少しくらいなら、我慢……するし…みたいな……。あぁもう、何だっけ…分かんなくなってきた……」 「………。」 なんだかよく分からなくなってきて、髪をかき乱す。 すると姉ちゃんは俺に思いきり抱きついてきた。 「エレンっ!!!」 「うわ!?何だよ!?」 俺は少しのけ反りながら、それを受け止める。 「カワイイッ!!!!」 「…はっ!?」 「可愛い!可愛いよエレン!」 「……は、はぁ…?何……」 「何この弟!可愛すぎ!愛しすぎぃ!」 「……。だからいいからそういうの…。」 呆れたようにそう言えばパッと体を離し、嬉しそうな笑顔で俺を見つめた。 「エレン、ありがとう。じゃあ姉ちゃんちょっと行ってきてもいい?」 「……、だから、いいって言ってるだろ…。」 「ん!ありがと」 上機嫌の姉ちゃんにぽんぽんと頭を撫でられ、それをまた軽く払って、それから姉ちゃんは俺に背を向け廊下を歩き出した。 「……あ、姉ちゃんっ、」 そしてそれを一度だけ引き止め、振り向いた姉ちゃんに向かって口を開く。 ……俺はまだ、姉離れをする気には全くなれないのだった。 |