ハンジさんは夕食の前に帰り、それからあっという間に夜になった。
夜が更けてもなんだか眠れず自分の部屋の窓から空を見上げると、雲がなく真ん丸な月がそこにはあった。


「…満月、」


月明かりで周りがよく見える。夜風が少し冷たくて、気持ちいい。

兵長は今、何をしているのかな。もう遅いから寝ているのかな。それともまだ仕事をしてるのかな。
日が昇れば、帰ってくるのかな。
ハンジさんが忙しそうって言ってたけど、ちゃんと寝れてるのかな。

早く兵長とお茶が飲みたい。


「……。」


“寂しがってるのはナマエだけじゃないんじゃない?”

ふとハンジさんの言葉が頭に響く。

もし本当に兵長もそんなふうに思ってくれてるんだと、したら。


「………」


私は目を伏せる。

それにしても私はこの二日間でどれだけ兵長の事を考えているんだろう。
でもそのおかげで、なぜ兵長が私の言葉を受け入れてくれなかったのかが少し分かってきたような気がする。きっとあれが、本当に心の底から私が思った想いだったなら兵長はどんなものでも受け入れてくれただろう。でも、そうじゃなかったって事は、つまりはそういうこと。

帰ってきたら兵長はどんな顔をして私を見てくれるかな。呆れているかな?怖いけど、早く会いたい。でも何でか分からないけどもうすぐ会えるような気がする。いつ戻ってくるのかなんて分かるわけないのに、何故かそんなふうに思った。


(待ってたらもしかしたら帰ってくるかも)

確証はないのに、なぜか迷いもせず私は立ち上がり部屋から出た。



「……静か…」


当たり前だけど人の影は一つもない。こんな夜更けに誰が居るというんだ。

とりあえず厩舎まで来て愛馬を撫でる。そしてその前に腰を下ろした。厩舎を背もたれにして一息つく。


「帰ってくるかなー…」


とはいえどんな理由があったらわざわざこんな夜中に帰ってくるんだ?もし起きてたとしても、とりあえず朝になってから帰るのが普通だ。いくら月明かりで道が照らされているからといっても。


「……っくしゅん、」


少し、寒い。ひざを抱えて体を冷やさないよう丸くなる。
とりあえず、ここでひたすら待つことにして目を閉じた。





(あれ?もう朝だ……)

ふと気づけば朝になっていた。え、いつのまに?あれからどれくらい経った?
でも太陽が見えてきても兵長はまだ帰ってきていない。もし、このままずっと会えなかったらどうしよう。私に愛想尽かせていたらどうしよう。いらない、って思われたら。

なんだかひどく寂しい。この世界に私以外に誰も居ないような、そんな気持ちになる。



「…こんなところで何してる…」



その時、兵長の声が聞こえた。

(え…どこ?)

だけど周りを見渡しても誰も居ない。でも、声はすぐ近くで聞こえる。


「オイ、馬鹿女」


確実に声はするのに姿が見えない。おかしい、何で?
それに私も名前を呼ぼうと口を開いても言葉が出てこない。どうして?


「……いい加減起きろ、このグズ。」


「はぅわッ、?!」


するといきなり体に衝撃が走り、目を開くと周りはまだ暗くて私の体は地面に転がっていた。


「……え?」
「てめぇ何でこんなところで寝てる……一体どんな寝相してんだ」
「……あれ…?へいちょう……?」
「……何してんだよ。」
「…………、」


兵長が私を見下ろしている。辺りは暗い。もしかして待ってる間に寝ていた?さっきのは夢?じゃあ今のこの状況は……現実?


「ナマエ」
「……」
「…オイ、聞いてんのか」
「ぁ、 えっ と……。」


何で兵長はこんな時間にここに居るんだろう?頭がついていかない。


「…チッ」


地面に寝転んだまま軽く混乱していると不機嫌そうな舌打ちが聞こえ、次の瞬間に胸ぐらを掴まれた。私は驚きながらもそのまま無理やり立たされ目線を合わせられる。


「っ、」
「俺はてめぇに何をしているのか聞いてんだよ。何でこんなところで寝てる?早く答えねぇと削ぐぞ」
「ぁう、っえと、す、すみませんっ、」
「いいからさっさと答えろグズ。」
「は、はい…、えっとあのっ……ですね、」
「あぁ?」
「っ、へ、兵長、を……ここで、待って…ました 」
「は?…待ってた?」
「は、はい……待ってました……」
「………。」


正直にそう言うと、掴まれていた服が簡単に放された。


「えと…何でかは分からないんですけど……兵長が帰ってくるような気がして、待ってたんです」


ただの勘だったけど、でも、当たった。兵長は帰ってきた。会えた。


「……待つんじゃねぇよ」
「 、え……」


待ってて良かったと、そう感じたとき兵長は静かにそう言った。


「…確証もねぇくせにこんなところで大胆に待ってんじゃねぇ馬鹿が。夜は冷えるだろうが。」
「へ…」
「せめて上着を羽織るくらいの配慮をしろ。」
「あ……、すみま せん。」
「そもそも部屋でも待てたはずだろ?」
「……」


確かにわざわざ外で待つ意味はなかったかもしれない。でも、少しでも早く、少しでも近くで、兵長を感じたかった。会いたかった。


「…まさかずっとここに居たのか?」
「あ、分かりません……いつのまにか寝てたので……。」
「…こんなところで寝てたら馬の気が散るだろうが。」
「え…そうですかね………、」


思わず愛馬を見つめる。すると兵長がため息を吐いた。


「馬鹿だな、てめぇは……本当に。」
「……そう、ですね」


我慢出来ない距離でも日にちでもなかったのに、なのに我慢出来なかった。いらないと言われて怖かったけど、それでも顔が見たかった。

だって、ずっと。


「…寂し、かった んです……、」


この気持ちは、何なのか、なんて。


「早く…会いたかったんです」


きっと単純なことだった。


「…寝てたくせにな。」
「う……。そ、それは」


兵長は呆れ顔でそう言って、それから意地悪く口角を少し上げた。その顔に私はなんだかドキドキしてくる。


「っそ、それより兵長……、どうしてこんな遅い時間に帰ってきたんですか?」


それを悟られたくなくて話を変える。
何でこのタイミングで帰ってきたのかは普通に気になるけど。


「……ハンジから、お前が馬鹿みてぇに寂しがっていると聞いた。」
「え……ハンジさん?」
「ああ。…だからだ。」


ハンジさんから私が寂しがっていると聞いたから。

(それって、つまり……)


私のため、ってこと?


「………」


──ダメだ。そんな事を言われてしまったら、もう、誤魔化せなくなる。


「…っ」


だって、兵長が側に居てくれるだけで、それだけで、本当は。本当、は。

私はぎゅっと拳を握り締め、目を伏せた。


「……兵長、」
「…なんだ」
「私……兵長が居ないと本当に寂しくて…お茶も美味しくなくて…、ずっと、兵長のことを考えてました」
「……そうか。」


兵長の存在は私の中であまりにも大きすぎる。

──だから。だから、私は。



「…ぁ…… 私……、いきなり何言ってるんですかね……すみません、」


ふと我に返り自分の言葉が恥ずかしくなってきて、俯く。

どうしよ、顔が熱くなってきた。
兵長は赤くなっている私の顔を見て、少しだけ目を見張る。


「えと…っあ……も、戻りますか…とりあえず…部屋に…… ね、」


だんだん居た堪れなくなり兵長に背中を向けた。そしてそろそろ中へ戻ろうと足を踏み出そうとする。


「ナマエ、」


だけどいきなり手首を掴まれ、振り向こうとすればそのまま兵長の腕の中へと抱き寄せられた。


「っ、 な … ?!」


そしてあっという間に腕が背中に回りぎゅっと力を込められる。一瞬の出来事に私はただ驚く。


「…冷えてるな」
「へっ?!」
「温めてやるから、黙ってろ。」
「…え、あ……う…っ、」


いきなりの事に頭が回らない。何これ、何コレ?


「…馬鹿が。」


すると兵長はそう言って、私の首筋に顔をうずめる。


「へ、へい、ちょ……っ」


兵長の温もりがじんわりと伝わってきてだんだん温かくなってくる。それに伴い私の鼓動が速まっていく。


「……へいちょう、」
「うるせぇ何も言うな…」


だけど温もりが心地よくて、このまま離れたくないと思った。


「……、」


こんなに密着していると兵長の鼓動も聴こえてくる。そしてそれが少しだけ、速い事が分かった。

側に居れる事がこんなに幸せに感じた事はない。帰ってきたんだと、実感する。


「……兵長、おかえりなさい」


さっきよりも冷たい夜風が熱い頬を撫でてくる。


「……ああ。」


息遣いを感じながら、私は兵長の胸にすり寄り目を閉じた。


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