「ナマエ」 夕食を済ませ食堂から出ると名前を呼ばれ、振り向く。 「………兵長?」 そこには壁に寄り掛かり腕を組んでいる兵長の姿があり、私が足を止めると壁から離れ私に近づいてくる。 「お前、これからの予定は」 「え…これから、は……特に、何も…」 「…そうか。」 どうしたのだろうと兵長を見つめていると、兵長も私から目を逸らさない。 「なら、俺の部屋で待ってろ。」 「………っえ、?」 「仕事はなるべく早く切り上げる。だから待ってろ。」 「…えっ、な…ちょっ、兵長っ ?」 予想外の言葉が出てきて思わず聞き返す。だけどそれだけ言うと兵長は背中を向けて歩いて行こうとする。私はワケが分からず呼び止める。 「っあの、兵長!」 「…何だ」 振り返る兵長は無表情で、何を考えているのかよく分からない。 「いや……あの、何で、でしょうか…」 「…話があるからだ。」 「え………はな、し…?」 「そうだ。それ以外に待たせる理由ねぇだろ。」 「いや…え……でも…何で、ですか」 「とにかく、俺の部屋に居ればいい。」 「……何の、話…ですか?」 「……それは部屋で話す。」 なぜ?何で兵長の部屋で?それは仕事の話なのか?いや、でも、何だろう。急に兵長はどうしたのだろう。何を言い出すんだ。兵長の部屋で待つなんて、なんか落ち着かないし、でも。え、なんで。 いろいろと思いを巡らし、若干混乱する。 「…いや、っでも、」 「ナマエ、」 「はぃっ?」 「……頼む。」 そう言う兵長は真剣な顔をしていて熱を含んだ瞳で私を見ていた。それに気づくと思考が一瞬止まり、黙って見つめてしまう。 「……。」 「……わ、わかり、ました…。」 断れずにそう返すと、兵長は頷きそのまま歩き出す。私はその背中を見つめながら、いきなりの事に何とも言えない気持ちになった。 ◇ 久しぶりに兵長の部屋に入り、私は窓辺に立っている。 なんとなく座る気になれない。落ち着かない。兵長の部屋はこんなにも落ち着かない場所だっただろうか。ずっと胸が変な感じになっている。そもそも話って何だろう。まさか私は何かしてしまったのか?説教とか?どうしよう。全然分からない。 ………もしかして、この前休憩中の兵長に声をかけてしまった事がダメだったとか?もうお前は仕事以外で話しかけてくるなとか、そういう話?え、うわ、それだったらどうしよう。嫌だな。そんな事言われたら私もう。さすがに立ち直れないかも。 あ、でも、もしかして、この前の壁外調査での失態が原因で、お前は班から外す事にしたとか、そういう話だったらどうする?今更、兵長以外の班とか。やっていけるのだろうか。私を受け入れてくれる班なんてあるのだろうか。しかもそんな事になったら今よりもっと兵長と離れる事になっちゃう。嫌だ。 …いや、でも。私は、兵長が元気で生きていれば、それだけでいいと、そう思っていたはず。だから別に班から外されようが、何されようが、兵長さえ……兵長さえ、生きていれば………。 「……。」 だんだん落ち込んできた。 こんなの考えたって仕方ないのに。勝手に想像するのはやめよう。 ため息を吐いて、窓から空を見上げる。今日も変わらずキレイな星空がそこにはある。 …兵長が寂しくありませんようにと、願ったあの想いはいつ届くのだろうか。いつ叶えてくれるのかな。兵長は、毎日、どんなことを思いながら過ごしているのかな。 それからずっとそこから星を眺めていると、ドアが開く音がして、私はそっちに視線をやる。 「……兵長」 「………。」 そこには兵長が居て、私を見つめたあとドアを閉めて黙ったままツカツカと真っ直ぐ私に向かってきた。私はなんとなく後ずさりそうになる。身構えて、息を呑んだ。そして目の前まで来た兵長は、ようやく口を開く。 「…ナマエ。」 「ぁ、え、…は、はい。」 「単刀直入に言う。」 「っへ、」 部屋に入ってきたかと思えば兵長は何の前置きもなしにいきなりそう言う。頭も心も全くついていかず、私に考える暇も与えず、兵長は。 「俺はお前が好きだ。」 そう言った。 「…… へ……、」 「俺はお前にも同じように想ってほしい。…だから、」 それから兵長は自分のスカーフを取り、それをあの時みたいに、私に巻きつけた。私は突然の事にそれを見ながらも何も考えられずただされるがままになる。 「ナマエ、俺に惚れろ。」 「………え、」 「…どうしようもねぇくらいに俺に惚れろ。」 「え………?」 いきなり、何を言い出すんだ。兵長は。 「ごちゃごちゃと考えるのは、もうやめだ」 「………、」 そして私の頬を両手で包み込み、真っ直ぐ瞳を合わせられる。 「俺はお前が欲しい。ただそれだけだ。それだけ分かっていればいい。」 「……あ、…え…?」 「だから、てめぇもさっさと愛を知れ、このグズ野郎。」 「…………、」 頭がついていかない。何を言われているのか、いまいち理解できない。 だけど、兵長は、私のことを。 「俺はお前と離れてからずっと物足りなさを感じていた。いや、それだけじゃなく喪失感すらあった。それは触れ合う相手が居なくなったからではなく、お前が側に居ないからだ。俺はもう、お前じゃなきゃ満たされない。お前でしか満たされない。」 「……、」 「…これから先、俺はお前が居なくても生きていける。戦う事も出来る。お前もそうだろう。だが、お前が側に居ないと俺は満たされない。お前が居ねぇとずっと心は寒いままだ。」 「………。」 兵長は、私じゃなきゃ満たされない…? (いや、でも…) 私は兵長の事が理解出来なかった。だから私は、他の人が兵長を満たしてくれることを願っていた。それは私には出来ない事だから。 なのに兵長は。 「だが俺は、以前のような関係が欲しいわけじゃない。あれじゃあ意味がない。俺はお前にも俺をちゃんと愛して欲しい。だから、お前が俺に惚れるしかない。心底惚れるしかない。それしかない。俺はそれを望んでいる。」 兵長が私を望んでいる。 「……オイ、ナマエ。聞いてるか?」 でも、私は…… 「………へい、ちょう 」 「何だ」 「…私には……それは、……出来ない、ですよ…。」 「なぜだ」 「…なぜって……だって……、」 分からなかった。理解出来なかった。傷つけた。甘えて甘えて、我儘ばかり言った。 だから私は、もう兵長とは居れない。せめて、もう、傷つけないように。 「私は……兵長のその気持ちが……理解、出来ませんでした…。私は、兵長を……傷つけ、ました… 」 「だから、理解しろと言っている。」 「……分から、ない…ですよ…。」 「分かろうとしてねぇだけだろ?」 「っ……でも、私は…これ以上、兵長を傷つけたく、ありません……」 だから、私じゃない誰かと、兵長は居るべきなんだ。私じゃきっとまた、兵長を傷つけてしまう。 「…俺は、傷つけられるのも、何なら傷つけるのだって、お前がいい。」 「……え、…」 「俺が傷つく事があったとしても、それがお前だったら俺はいくらでも傷ついていい。それでも俺はお前と居る事を選ぶ。それにお前が傷つく事だってこれから先ないとは言えねぇはずだ。だったら、俺以外の奴にお前を傷つけられてたまるか。」 「…な……、なんか…よく、分かりません…。私は傷つけたく、ないんです」 「だから、俺は傷ついてでもいいからてめぇと居たいと言ってんだよ。分かれよ。」 「…分からないですよ…。」 どうして今更、またこんな事を言ってくるんだろう。私は、兵長さえ寂しくなければそれでいいのに。私にはそれが出来ないから、そう願っているのに。 兵長に甘えてばかりの自分から、少しは変われたと、前に進めたと思っているのに。 何で、兵長は。 私は頬を包まれている兵長のその手首に触れる。 「…離して、ください」 「断る。」 「っ……、なんで、」 「俺はお前にどうしても分かってほしい。」 「だから…っ、私じゃ、無理なんですよ、」 「なぜそう決めつける?まだ俺らはちゃんと向き合ってねぇぞ。」 「そんなの……だって……今だって、私は…何ひとつ分かっていません…っ」 「……。」 「兵長の言ってること、なにも、分かりません…っ、どうして今、こうなっているのかも、ぜんぜん……」 「俺は今もお前のことが好きで、側に居たくて、それを分かってもらいてぇから、こうなっている。」 「……っ、」 (…だったら…、どうして…。) だったらそもそも何で、離れなければいけなかったんだろう。どうして一度、離れたくせに、また、こんなふうに。私は、ずっと側に居たかった。少しも離れたくなんかなかったのに。でも兵長がそう言ったから、だから私は。私はそれを、受け入れたのに。寂しかったけど、どうしようもないくらい寂しくて辛かったけど、でも兵長がそれでいいなら私も、寂しくても、我慢すればいいって。 兵長さえ、兵長さえ寂しくなければ、って。 それだけを、願って、いたのに……。 「……なんで……」 何で今更。 「……ナマエ、俺は」 「…っ離して、下さい!!」 私は兵長の手を思い切り払って、離れた。そして息を吸い込む。 「っだから、私は、兵長のことが全然分からないんですってば!!」 いつかみたいに、また心からそう叫んだ。傷つけたくないのに、だから離れようと決めたのに、兵長の想いを前にして私はまた自分の事しか考えられなくなった。 |