胸ポケットを握ったまま目を開くと、目の前に兵長の背中が見えた。


「 チッ、…!」


そして次に血が飛び散るのが見えて、私は何が起きたのかと目を見開くが、兵長が巨人の指を切り落としその際に巨人の血が飛び散ったのだと分かった。
兵長は返り血を浴び、舌打ちをすると私が混乱している間に一瞬でその項に回り込みそれを削ぐ。瞬く間に巨人は倒され、私はそれを呆然と眺める。


「………、」


そしてそのまま何も言わずこっちへ来て動けずにいる私を脇に抱え、立体機動で屋根へと移った。放心状態の私は屋根に降り立ちそこへ投げられても、まだ震えが止まらない。


「…オイ、てめぇッ、」


そして胸倉を掴まれ、焦点の定まらないまま兵長を視界に入れる。


「何ボーっとしてやがる!!」
「……っ、」
「オイ、ナマエ!!」
「………へ 、…ちょ、う 、…」


体が揺らされ、だんだんと意識がはっきりしてくる。

兵長が、助けてくれた。とりあえずそれだけはちゃんと理解できた。


「てめぇここがどこだか分かってねぇのか?何をしてんのか分からねぇのか!?いいか、死にたくなかったら戦え!!簡単に諦めるな!!」
「……、」
「仲間を、同期を奪った巨人が憎いんだろうが!そいつらを前にして震えてる暇なんか一切ねぇんだよ!!」
「……ッ」
「分かってんのか!?」
「 っす、すみま、」
「お前は、何の為にここに居る!?巨人に食われる為か!?」
「……っち、がい、ます 」
「自由を感じられる壁外が好きなんだろうが!だったらてめぇの自由の為に戦え!!それとも今更いちいち命令されねぇと戦う事も出来ねぇのか!?」


兵長は怒鳴る。私はただ言い聞かされる。

だけど私を掴んでいる兵長のその手が、微かに震えている事に気がついた。


「…へい、ちょう……。」
「……っ」


手が乱暴に放され、私は倒れ込む。そのまま兵長を見上げていると、兵長は目を逸らし舌打ちをした。


「クソ…… ここでお前を説教している時間すら惜しい。早く立て。戻るぞ」
「……は… い、…すみません……」
「…俺に謝ってどうする。お前が動かなければ、お前が死ぬだけだ。俺はいつでも助けられるわけじゃない。」
「……、」
「お前は、調査兵だ。何をやるべきかくらいは分かるだろ。…何の為に調査兵になったのかを思い出せ。そして戦え。甘えるな。」
「………はい」


そう言って兵長は私に背中を向ける。


「…ナマエ、お前は…自由に飛んでろ。それが一番お前に相応しい。」


その一言を残して、屋根から降り立体機動で先に行ってしまった。


「 …自由、 に……」


兵長のその言葉が胸に広がると、風が吹く。私はつられるように上を見上げれば、そこには何にも囚われない青い空があった。


「………、」


私は壁外のどこまでも広い空を思い出し、拳を握り締め立ち上がる。体はもう震えていなかった。兵長のあとを追い、立体機動に移る。


初めて、恐ろしさだけを心の底から感じた。巨人が、死ぬのが、怖いと思った。私は今までその瞬間に“生きてる”と感じることが出来て、それが好きだった。でもそんな事よりも、“死にたくない”と、その気持ちの方が大きく感情として現れた。別に前から死にたくなんかなかったはずなのに。どうして今更。

だけど私は兵長に奮い立たされ、それからは巨人を見ても動けなくなる事はなかった。





あれからなんとか私は周りに迷惑をかける事もなく、班員も減る事なく今回も生きて帰ってこれた。
やっと自分の部屋に戻ってきて、ベッドへと倒れ込み体を休ませる。


「……」


そして手を開き、見つめる。

あんなに震えるなんて。動けなくなるなんて。


「………。」


静かに手を握り、シーツに顔を埋める。

情けない。不甲斐ない。兵長に迷惑をかけた。
あれだけ、自分は兵士だと言い聞かせて壁外に出たのに、あのザマだ。自分のやるべき事、やりたい事はちゃんと分かっていたのに。それなのにただ巨人に食べられそうになるのを黙って待っていたなんて。今更、怖く思うなんて。

掴まれそうになったあの瞬間を思い出すだけで少し身震いする。

…でも、あの時、目を開けた時に兵長の背中が見えて、一瞬何が何だか分からなかったけど、血が見えた瞬間、それが兵長のものかと思って私はそれに何よりも恐怖を感じた。


「……ッ。」


そうだ。私は多分、兵長と会えなくなる事が、何より怖かった。

巨人と戦う事でも、死ぬ事でもない。私は、兵長に会えなくなってしまうかもしれない事を恐れていた。だって死んでしまったら兵長に会えなくなる。死ぬという事よりも、それが怖かったんだ。
誰よりも側に居れなくても、触れ合えなくてもいい。私が兵長の何かになれなくてもいい。ただ、兵長を想えなくなる事が怖い。ただの部下でいい。それでいいから、せめて見ていられるくらいの距離には居させて欲しい。

きっとそれが今回私の心の奥底にあって、無意識に恐れて戦えなくなったんだ。楽しめなかった。弱く、なってしまった。それじゃあ余計に兵長から遠のくというのに。馬鹿だな。情けない。



「……、 でも…… 、」


だけど私は、まだ生きてる。兵長のおかげで、生きている。

私はまだこれからも調査兵を続けられる。自由を、求め続けられる。それを手に入れる為に、私はここに居る。

だから、立ち止まっている暇なんかないんだ。恐れている暇なんか、ない。


「……。」


兵長の言葉が胸に響き渡る。

私は、私の自由の為に、戦う。





アイツが、巨人に掴まれそうになっているのが見えた瞬間、心臓が激しく波打ちらしくなく恐怖を感じた。


「………。」


壁外調査の前日も、開門前も、ナマエは落ち着き払っていた。それをずっと気にかけおかしく思ってはいたが、それでも何も聞かなかった。聞けなかった。だがアイツは壁外に出ても巨人を発見しても何もせず勝手に動こうともしなかった。
明らかに様子がいつもとは違い、しかしどうすればいいのか分からなかった。戸惑った。それにまさか戦えなくなっているほどとは思わなかった。ナマエは今まで一度もそんな事はなかったから、そこまで深刻には考えていなかったのかもしれない。

だが呆けてるアイツを見ると、怒りが込み上げてきた。俺はもうアイツに勝手に死ぬなとは言えないかもしれないが、あんなふうにただ怯えるだけの姿は許せない。ナマエらしくない。アイツは、もっと、自由に飛び回るべきだ。俺はずっとそれを見てきた。

壁外で楽しそうに飛んでいるナマエの姿は、見ていて気持ちのいいものがある。勝手に突っ込んでいくのはどうかと思うが。だがそんなもん今更だ。俺はアイツが飛んでいる姿を見るのが好きだ。最初はふざけるなと思ったがいつの間にかそう思うようになっていた。なのにそれを勝手にやめられてたまるか。


「……、」


自分本位なのは、俺も同じだな。

静かにゆっくりと息を吐く。


「……だが、まぁ…」


とにかく、間に合って良かった。この手で守れて、アイツが無事で良かった。

心底そう思う。


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