「いいかお前ら、この事は絶対にあの馬鹿に言うんじゃねぇぞ。何があっても直前まで黙っておけ。」

「「「了解ですっ!」」」

「……あの…」
「何だ」
「何でナマエさんに黙っておくんですか?」
「……エレンよ」
「は、はい」
「つい口を滑らせてみろ……心底めんどくせぇ事になる。絶対に言うな。分かったか」
「……はぁ…。」





「兵長、明日は何をするんですか?」
「…明日は本部へ行く。お前らも全員一緒に来い。」
「本部!実験ですか?」
「そんなところだ。」


カップに口をつけながら兵長が言う。私達は今日もまた二人でお茶を飲みながら夜を過ごしている。

兵長は、待ってくれると言ってくれたあの日からその事については何も触れてこない。待ってくれるというのは言葉通りという事なんだろう。
だから私も、その気持ちを無駄にしない為にもちゃんと考えなければならない。ちゃんと応えないといけない。

でも、こんなふうに何も考えずに兵長と居る時間も大切で大事だ。私はこれが、好きなのだ。


「ハンジさんに会えるの嬉しいですねー」
「全く嬉しくない。」
「えー楽しいじゃないですか?」
「全く楽しくない。」
「でも兵長いつも楽しそうに話してるじゃないですかー」
「どこがだ。」
「そう見えますけどね私には」
「そうか、目が腐ってるんだな。」
「腐ってないですよ!」
「目まで腐るとは可哀想な奴だ……」
「え、目までって?他にも腐ってるところが?」
「頭とかな。」
「どこも腐ってはないですよ、今のところ。」
「…はっ、今のところはな」
「はい!でも明日は実験なんですよね?私たちも参加していいんですか?」
「……ああ。」
「全員で?」
「詳しい事は明日聞け。」
「……はーい。」


何だろう、この…これ以上聞くな的な雰囲気は。だけどこういう時は黙って追及しない方がきっといい。いつもみたいに。


「…そろそろ寝るか。」
「あ、そうですね。じゃあ片付けます。」
「ああ。」


明日、皆で実験となるとそれなりに大がかりなものなのだろうか。気になるけど仕方ない……何故かは分からないけれど話してくれそうにないし、でもまぁ明日になれば分かるか。

それを気にしない事にしてそのまま二人分のカップを持ちながら立ち上がった。





「……。」
「な、何ですかナマエさん。早く行きましょうよ」
「どうした?な、何かあったのか?」


おかしい。何故だか分からないけど、どことなく皆の様子がおかしい。どうして?

朝になり、朝食を軽く済ませその後すぐに本部へと向かう事になった。だけどなんだか皆が私に対してそっけないというか。目もあまり合わせてくれない。特に兵長以外の皆。何でだろう。
私は馬に跨がる皆を下から見上げる。やっぱりなんだかおかしく感じる。すると兵長が早く乗れと言うから、とりあえず愛馬に跨がった。


「…ねぇ、エレン」
「っえ、は、はい」


馬を歩かせ本部へと向かう道中、馬を寄せてエレンに近づく。その反応も挙動不審。やっぱり変だ。


「なんかさ、皆の様子がおかしいんだけど……何か知ってる?」
「…知らない、です。」
「今思いっきり目逸らしたよね。」
「そんな事はナイデス。」
「……」


絶対あるじゃん。

何だろう……本部に何かあるのかな?でも何が?私だけ知らない何かが?エレンですら知ってそうなのに?何で私だけ?
もしかして昨夜兵長が話してくれなかった内容を、皆はすでに知っている?そして私は知らない?どうして?

エレンは私から離れてしまった。これは、確実に何かあるんだ。だってみんな目を逸らすくせにチラチラとこっちを気にもしている。


「……何なの…?」


私の疑問には誰も答えてくれない。確実に何かがあるはずなのに。何で私だけに秘密なんだろう?私にだけ。
実験なのかなと思ってはいたけど、兵長はハッキリそうだとは言ってなかった。濁していたのは確実だ。でも兵長が話さないのなら、私は知らないままでいいのかもしれない。私はいつだって出来るだけそうしてきた。
だけど、何故だろう。皆は兵長から聞かされていたのに、私にだけ話してくれなかったんだと思うとなんだかそれが寂しく感じる。
でもそれとはまた別に、何が行われるのかをちゃんと知っておいた方が良いような気がしてならない。今ここで知っておくべきだと、私の中の本能がそう言っている。考えろと。


「……」


私にだけは話さない事。私が知ったら何かまずい事でもあるのだろうか?何だろう。本部で行われる何か?


「…… 本部で、行われる…?」


私が、知るとよくない、何か?


「……もしかして……、」


一つ、思い浮かんだ。あれはそう……年に一度行われる、あれだ。


「まさか…でも……」


嫌な予感がして、思わず私は馬を止めた。


「…ナマエさん?」


それにエレンが気づいて振り返る。すると皆も馬を止めた。


「オイ……何止まってやがる…」
「ナマエさん?ど、どうしたんですか?早く行きましょう……」


皆が私にだけ言わない事。それは、私が知ったら嫌がる事?

それは、──それは。



「まさか……、け、健康……診断?」


健康診断。そう言って皆の顔を見渡すと、その顔が少し青ざめる。兵長は眉間にシワを寄せて舌打ちした。


「…何言ってんだ。馬鹿なこと考えてねぇでさっさと行くぞ。」
「そ、そうだぞナマエ……そんな事あるわけないじゃないか。」


血の気がサァーっと引いていくのを感じながら息を吸う。


「っう、うそだ!っちゅ…、注射っ……!絶対、注射でしょうっ!?」
「ちょ、ナマエさん、お、落ち着いて、」


私は手綱を強く握りなおす。

そうだ。絶対そうだ。健康診断なんだ……注射だ。注射をさせられるんだ!


「え、ちょ、ナマエさん?もしかして……注射が苦手なんですか?」
「!?」
「おま、馬鹿エレン、言うなっ」
「やややややっぱり!!注射なんじゃないかー!!」
「あっちょっナマエさん?!待って下さい!」
「うわーっ!!」
「に、逃げた?!」
「チッ……何でこんな時だけ勘が鋭いんだあの馬鹿は……。」


進路を変え全力で森の方へと逃げる。

そして立体機動に移ろう。私は速い。すごく速い。だから、きっと逃げ切れる。はず。


「へ、兵長…、追いますか?」
「…いや、いい。お前らは先に行ってろ。」

「「「………。」」」


後ろを少し振り返ると兵長がこちらへと向かって来るのが見えた。ものすごく不機嫌そうな顔をしている。──でも、絶対逃げ切ってやる。立体機動なら兵長からでも逃げられるはずだ。いや、絶対逃げる!注射だけは本当に嫌だ!今年こそは絶対注射なんか打たせないぞ!今日さえ逃げ切れば打たずに済むのだから!!

私はそう意気込み、立体機動に移る為にそれに手を伸ばした。



「あの…あの人すっごい速さで駆けていきましたけど……」
「ナマエは注射が嫌いなんだ……心底な。」
「何でバレちゃったかなぁ……」
「全く…ガキかってんだ。本当に、毎年毎年……」
「ま、毎年?こんなことが毎年?」
「まぁ、血を抜かれるってのが怖いんじゃないか?」
「えぇ……。で、でも本当に俺らも追わなくていいんでしょうか……兵長一人よりは多い方が捕まえやすいんじゃ?」
「いや、きっと立体機動で逃げるだろうから、そうなると私達なんかじゃ捕まえられないよ。ナマエさんが本気だしたら本当にかなり速いから……」
「そんな必死に逃げるんですか?正気ですか?注射ごときで?」
「正気じゃねぇだろうな。」
「だが仕方ない、俺らは先に行こう。兵長なら必ずナマエを連れ戻すだろう。」
「そうだな……」





「オイ、ナマエ!てめぇいい加減にしねぇと俺が削いでその際に飛び散った血を提出するぞ!」
「ひいいいいそんな!?ならいっそのこと一思いにやって下さい!」


森へ入り、すぐさま立体機動に移った。兵長はまだ馬で追いかけてくる。


「よし分かった、一瞬でその頭切り落として大量に採血してやる。」
「死んでるのに採血する意味が!?」
「いいから下りてこい!ガキみてぇに駄々こねんじゃねぇ!」
「だって注射いやなんですもぉん!!!怖いじゃないですかああああ」
「怖いのはてめぇのその行動だ馬鹿が!」
「いいじゃないですか見逃して下さいよお!私の身体は私が一番知ってます!健康です!健康体!注射なんかしなくても分かります!健康そのものです!」
「いいや、こんなところで甘やかすつもりはねぇ……殺してでも絶対に採血させてやる」
「それって意味なくないですか!?」


兵長が逃がしてくれるわけもない事は分かっているのだが、でも。だって怖いものは怖いのだ。血を抜かれるとか意味が分からない………怖いよ!何であんなほっそい針を腕に刺されなきゃいけないの!?怖すぎるでしょ!痛いでしょ!?

私は逃げるのに必死で、だから気づけなかった。ガスの残りが少なくなっている事に。というか、なくなる寸前だという事に。


「逃げてやる逃げてやる……絶対に逃げてや、ルッ!?うわ?!」


アンカーを引いた瞬間にガスが終わりを告げ、それに気づけなかった私はバランスを崩す。いきなり機動力を失い宙へと放り出された。

そして当然のように体が下へ向かって落ちる。


「ぅええええええッ!?(死ぬ!)」


ヤバイ、と感じた瞬間アンカーが木に刺さる音が聞こえ、そして私の体は何かに包まれた。


「っ?!」


地面に当たる強い衝撃とは程遠く、それから視界も揺れる。



「……ガス切れにも気づかないとはな……。ここが壁外だったら死んでいる。」
「へ、へいちょ…ッ?!」


どうやらいつの間にか兵長が立体機動に移り私を抱えてくれたようで、落ちる事がなく胸を撫で下ろす……が、その結果がこれだ。これは捕まってしまったという事じゃないか。
安心したような逃げ出したいような……いややっぱり逃げ出したい!


「あ、あうぁ……」
「じっとしてろ。変な事考えやがったら落とすぞ。」
「ちょっ…いや、そんな……」
「…なんだ、助けてやったのに礼もなしか?」
「…………それは、ありがとうございます……やっ、でも、何でガスが?!私まだそんなに使ってないのに……!」
「あぁ……それなら今朝お前のから俺のボンベに補充しといたからな。」
「いや何で?!何でですか?!何で私のから補充を?!ていうかいつの間に?!」
「うるせぇな……でけぇ声出すんじゃねぇよ。」
「いやいやいやッ!ひどいじゃないですか!!」
「てめぇが逃げ出すからだろうが。」
「っ…………。」
「採血くらいで毎回お前を追わされるこっちの身にもなってみろ。クソめんどくせぇ…」
「……。」
「毎年毎年……これだから嫌になる。」
「…っ、……」



(い、嫌?)

兵長のその言葉が、やけに私の中に響いた。


「大人しくしてろよ。また逃げやがったら次は許さねぇ。」
「………はい」





「エルドさん、ナマエさんは本当に毎年こうなんですか?」
「あぁ……そうだな。ナマエは注射がどうしても嫌いみたいでな……本気で逃げるから、それを追うのも一苦労さ。ナマエの速さに追いつける人間はそう居ないだろう」


あれから俺達は指示通りに本部へと向かい、それぞれ健康診断を受けている。ちなみにエレンは巨人化のことがあるので今回は免れているみたいだが。

今はこうして二人で話をしている。


「すごいんだか…すごくないんだか……よく分かりませんねあの人」
「スピードで言えばすごいだろうな。ただ、その内容が注射から逃げてるってだけで。」
「……子供みたいですね」


エレンは心底呆れた表情をしている。それも当たり前だ。誰だってこんな顔をするだろう。兵士が注射から本気で逃げ出しているなんて聞けば。俺らはもはや慣れ始めているが。


「まぁ、いつも兵長が連れ戻すってのも、お決まりなんだがな。」
「兵長から逃げられるとは思えないんですが……ナマエさんはいろんな意味ですごいです」
「確かに、普通だったら兵長に追いかけられるのを分かっていて逃げようだなんて思わないだろうな。ナマエだから出来ることだと思う。」
「……不思議な人ですよね。ナマエさんって」
「…そうだな。子供みたいに思える時もあるが……でもそうじゃなかったりもするから、最初はどっちが本当なのか分からなくなる…。が、結局どちらもナマエなんだよな。」
「……エルドさんが入った時からあんな感じなんですか?」
「ん、そうだな……今よりももう少し控えめな感じはあったかもしれないな。」
「控えめ?」
「ああ。なんというか、全体的に誰に対しても。ナマエは最初の印象よりも今の方が明るい気がする。」
「もっと静かだったんですか?」
「多分、兵長と居る中でどんどん成長していったんじゃないか?勝手な想像だが……まぁ俺らみたいな後輩が出来たことでも先輩としての自覚も芽生え始めたとかそんなとこだろう。」


俺らに対して敬語だったのも、きっとあの頃の性格だったんだろう。今はエレンにも普通に話しているし。俺らへの変わらない言葉遣いはもうクセみたいなものなんだと思う。

まぁそれよりも今は、ナマエが健康診断をちゃんと受けられるのかが心配だ。注射くらい一瞬で終わるし痛くもないのにあんなに怖がるなんて。


そんなことをエレンと話しているといきなり後ろから何かが飛んできて、俺らは振り向く。


「っ?!」
「っな、なんだ……って、ナマエ?!」


何かと思えば、そこにはナマエが転がっていた。そして飛んできた方を見るとそこには兵長の姿。どうやら兵長がナマエを投げ飛ばしたようだ。

…今回は連れ戻されるのがかなり早かったな。


「……エルド、こいつが静かな間にちゃんと健康診断を受けさせろ。」
「は、はい。了解です」


去り際に一度ナマエに視線を向け、兵長はそのまま歩いて行った。
俺とエレンはそれからナマエに近づきしゃがみ込む。


「あ、あの……ナマエさん?大丈夫ですか……」
「…………。」
「……ナマエ、いつまで寝てるんだ?」
「…………。」
「ナマエさん…?そんなに嫌なんですか?注射……」
「………。」


床に転がったままのナマエは声を掛けても動かない。顔を伏せたまま。


「…え、ちょ、ナマエさん?」
「ナマエ?どうしたんだ」


いつまでも返事がなくエレンと顔を見合わせ首を傾げる。少し心配になり体を起こしてやると、眉を下げて落ち込んだ様子のナマエ。


「めっちゃテンション下がってるじゃないですか……」
「…そんなに注射が嫌なのか?」
「………エルドさん……」
「(声小さっ)」
「ん?」
「………私…、」
「どうした、何かあったのか?」
「……嫌われた、かも…しれません……」
「……嫌われた?誰にだ?」
「…っへ、へい、ちょう……に……。」
「え……」


兵長にナマエが嫌われた?いやそれはないだろう……。

どうしたのかと思えば何だろうかそれは。一体何があったのかは分からないが、そんな事はありえない。これは言い切れる。今さら兵長がナマエを嫌うなんてどう考えても想像すら出来ない。


「よく分かんねぇけど、でもとりあえず早くした方がいいと思うぞ?」
「……え、」
「あぁ…、そうだな。悪いが採血を済ませるのが先だ。」
「ぁ、ちゅ、注射……ううぅ…。怖い…やだ……」
「……諦めて腕を出すんだ。」
「(この人ほんとうに兵士なのか?)」
「こ、こわ…い……ひいっ、」


涙を浮かべるナマエを見て一つため息がこぼれた。
だけど兵長も俺達も、この人を見捨てる気にならないのは、ナマエの人柄なんだろうな。まぁ俺達と兵長の気持ちはまた違うものなのだろうけど。


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