ウォーカー


カレイドスコープ/2/


colorless and fall

 最初の悪夢は、入学早々だった。慎吾と帰っていた時から目をつけられている感じがあり、一人で帰るようになると上の学年である女子が数人、翼の後をついてくるようになった。
 家を知られるのが嫌で、翼は走って巻いていた。それも毎日のようになってくると、疲労も溜まり、いつしか翼は胃痛を覚えた。
 教室では教室で、女子に追われる翼はからかわれるようになった。冷やかしの言葉にもちろん翼は怒った。普段怒ることのない翼が、精一杯憤りをぶつけた。
「ひゃはは、風矢がキレた!」
「マジウケる」
 憤りは嘲笑で投げ捨てられた。同じことを繰り返すうち、翼は怒っている自分が遠のいていくのを感じた。腹を立てた風矢翼という少年を見ている、といった具合に自分から自分が離れていった。
 激しい違和感だった。
 段々と怒りのぶつけ方がわからなくなり、相手に言葉を投げる時、ただ提示された文字を読み上げただけのような気分に陥っていった。
 からかっても威圧的な反応を返さない翼は、見下されるようになった。翼は、置かれた自分の立ち位置が相応なものだと思っていた。
 帰り道は未だ深刻だった。後をつけるだけではなく、絡まれるようになった。自分の意志が全く受け止められない会話が続いた。嫌悪感でいっぱいの少年を翼は見ていた。
 家族に迷惑をかけそうだからと、家を知られることだけは必死に回避していた。回避できていると思っていた。家の前で、待ち伏せされるまでは。
 もう二度と来ないでくれという翼の懇願に対する答えはこうだった。
「えー、じゃあキスしてくれたらやめてあげる」
 絶望に満ちた少年が目の前にいたけど止めてくれなかった。自分の中にある何かが擦り減っていくことだけ、微かに感じた。

 平和な下校時間を取り戻したが、教室での扱いは変わらなかった。むしろ悪化していた。低レベルな文字の羅列が書かれた紙切れが机に入っていたり、筆箱の中身が壊れたりなくなったりしていた。地味かつ犯人のわからない嫌がらせに、翼はまた怒りの矛先をなくしていた。何とか表に出したとしても、やはり周囲には嘲笑されるだけだった。
 休み時間は常に自分の席で読書をするようになった。そんな翼の救世主は、同じクラスにいた慎吾だった。小学校高学年から仲良くなり始めた二人。慎吾は一人でいる翼にいつも声をかけてくれた。
「また本読んでる。俺にも構ってくれよ!」
「構ってやろう。書を置いて、慎吾と遊ぶことにする」
「そうしろそうしろ!」
 気を使わせない慎吾の性格が、翼を心の底から和ませた。慎吾といる時だけは、何処かが解けるようだった。陸上部で帰りが遅くなる慎吾を翼は待つようになり、再び二人で帰るようになった。



 今日も、俺のことをけなげに待っててくれる翼と帰るのだ。
「翼、今日は寄り道するぞ」
「何処に?」
「ケイト行こうぜ」
 ケイトというのは、とある外国人ではない。
 ケイトモール、ショッピングセンター。地元の駅から『結構』すぐ。駅ビルの中を通って直接来られる。
 寄り道とは、最近元気がない翼を喜ばせる作戦なのだ。
「俺は本を読んだ」
「主語、目的語、述語?」
「何言ってんだよ日本語だろ」
「…………」
 二人の間に一瞬の沈黙。
「ともかく俺は本を読んだ。面白かった」
「珍しいな」
「もう一冊くらいは読んでみようと思うのだ。だから、翼にいっしょに選んでもらいたくて」
「任せろ」
「うぉう。いつになく心強い」
 本屋が見えると、翼は俺を置いて猛突進した。新刊の表紙を見て回り、一冊手に取った。読み始めてしまったら、周囲の音声何もかもが遮断されるぞ! 俺のことなんて、ものの見事に忘れるぞ! 翼の元へダッシュした。
「翼さん翼さん!! 俺を忘れないでね!?」
「おぉ、そうだよ。慎吾の本を選ばなきゃ」
 我に返った翼と俺は本を選んだ。翼も自分の本を何冊か買った。俺は驚いた声を上げた。
「そんなに読むのか!」
「読むよ」
 翼は薄っすら微笑んだ。
「本を読んでる時だけが安らげるっていうの?」
「読書家め」
 やっぱり、何か辛いことがあるのか。わかるよ、目を見てれば。全然話してくれないけど。
「翼さ。大丈夫? 何か悩んでるのか?」
「えぇ?」
 何を尋ねてるのかわからない、という表情を翼はした。大きな目を少し見開いて、軽く首を傾げた。
 おいおい。一体どういうことですか翼さん?
 俺から見ればあからさまに暗い雰囲気醸し出してるけど、訊かれたらわからないんですか? どういうことですか?
「あ、理解したぞ。慎吾は相談に乗ってみたいんだな。わかった。何かあったら相談する」
「今はないってか?」
「ありそうに見えるの?」
 見えるから聞いてるんだろうが。
 自覚、ないのか。そもそも悩んでる自覚ももしかして……ないのか?

 ブルブルと翼のバッグから振動が伝わる。翔と共用の携帯。メーカーはCaCiCoMo(カシコモ)
「もしもし?」
「お兄ちゃん? 翔です」
「おぅ。どうした?」
「お母さん仕事で出掛けるって。で、今日は帰ってこないって」
「わかった」
「後ねぇ。お母さんいなくて寂しいだろうから、慎吾君でも呼びなさいって」
「別に寂しくはないけどなぁ」
「俺にはね。二人を邪魔しないように、だって。夜はそっとしとけって」
「母さんは俺達の関係を何だと思ってるのだろうか?」
「へ?」
「お前は何も気にするな。夕飯は買って帰るから。何でもいいよな?」
「うん。食べ物の好みは一緒だもんね」
 とか何だとか話して電話を切る。会話は大体漏れてきた。電話が終わるのを待っていた俺は話し出す。
「翔?」
「おぅ」
「何、泊まっていいの?」
「いいみたい」
「じゃあ! 行きます! 泊まります!」
 はしゃぎ始める俺。
「おぅ。来いよ」
「前々から思ってたんだけどさ。翼の母さん何してる人だっけ?」
 しばし見つめ合う俺達二人。
「出版社、関係?」
「何で息子が把握していないんだよ……」
「……パート?」
 翼の言葉全てにクエッションマークがつく。
「パートなの!? 正社員じゃないのかよ!?」
「よくわからねぇよ」
「お前の家の金は何処から来てんだよ!」
「俺と翔の中で七不思議の一つなのだよ」
 翼と翔の父さんは他界している。
 風矢家の家計は母親にかかっている。あの、母さん。しかし、母さんは家にいることが多い。
 自分のパソコンでカタカタとタイプしていることが多い。そして時折仕事に出掛ける程度である。
「母さん、何やってるんだろうな」遠い目をした翼。
「絶対息子のセリフじゃないってぇ」遠い目の先を俺は追った。
 先程出た本屋が見えた。
「夕飯、フライングがいいな」
 翼がぼそっと呟く。
 俺が慌てて視線を戻すと、翼は食品売り場へ向かっていた。
 フライング――とある反則の名前ではない。
 薄いお好み焼きのようなものをクレープのように畳んだ食べ物。地元近辺の名物である。
 二人は、三人分の夕飯を買って帰路についた。

 翼の家には、何故だか俺の着替えもある。何故だかと書いたが、理由はある。
 よく泊まりに行くからだ。因みに、俺の家にも翼の着替えがある。はんどうせい、と言われたが、漢字が浮かばないし言葉の意味も俺にはわからない。国語苦手。
「おじゃましまーす。というかただいま」
 お互いの家に入って第一声はこの言葉である。という訳でいつものように俺は挨拶をして家に入った。

 夕飯の後、俺達は翼の部屋でいつものように語りだす。翼の部屋は、何か白い。シンプルでモノトーン。
 話の途中で俺はしみじみと話し出す。
「未だにさ、お前の父さんの仕事わかんねぇの?」
「おぅ。わかんね」翼が母親に尋ねたことを思い出す。

「父さんは、何の仕事してたの?」
「私と同じよ」

 私と同じよ、と言われても母さんの仕事がわからないんだけどなぁ。と翼は思ってるそうな。
 それを発端に、俺達は翼の両親について語りだした。

 翼の両親が出会ったのは、職場らしい。お互い入社してきて、同僚として顔を合わせる。
 そして自己紹介より何より先に、二人は叫びだしたらしい。
 まず父が、
「おーぅ! イッツマイデスティニーピーポー!」
(運命の人だ! と言いたいらしい)と叫び、母が
「いぇーす! アイアムユアデスティニーピーポー!」
(そうよ! 私は運命の人よ! と言いたいらしい)と答えたらしい。
「おーぅいぇーす!」
「おーぅいぇーい!」
「こんぐらんじゅえーぃしょーん!」
 とか何とか言葉を交わした後、二人は熱い抱擁を交わしたらしい。
 あんな運命の出会いを間近で見れるなんて奇跡だ! と同じ会社の人が翼に教えてくれた。
 その人が前向きに物事を捉えてくれる人でよかったと翼は思っている。
「だって、どう見てもおかしいじゃないか!」
 と翼は俺に叫んだことがある。

 そして何年かそれはもう仲の良い交際を続け、結婚。翼を出産。そこまでは本当に幸せに見えたそうだ。
 しかし、それが一変したのは翼が一歳の時。
 翼の父親――風矢 隼翔(はやと)が亡くなったのである。
 成長した翼は母親――風矢 小羽(こはね)に尋ねる訳である。何故自分の父親は死んだのかと。

 翼は、自分の父親の死因を友達等に伝える時、「交通事故らしい」と言っている。
 しかし、実は未だに父親の死因を把握していないのである。

 ここで話は現在に戻る。
「何だっけ? 何て言ってたんだっけ?」
 俺は翼に問いかける。
「あまりにも顔がよかったから宇宙人に拉致された」
「そうそう。SFだな!」俺は楽しげに言葉を発する。
「何か違うだろ」翼は冷静に対処した。
「違うか? 後なんだっけ?」
「父さんは自分の命と引き換えに翔を産んだのよ」翼は母親の口調を真似る。
「そうそう! 母親じゃあるまいし! ってやつな」
 因みに、翔は父親が死んだ後に妊娠が発覚した。翔は父親の顔を見たことがない。
「他にもあるぞー。でっちあげ父さんが死んだ理由」疲れきった翼の表情。
「その中で一番まともだったのが交通事故だったんだよな?」
「あぁ」
 そう。返ってきた答えの中で一番現実的でまともだったのが「交通事故」だったので、
 翼は周りに尋ねられた時、「交通事故らしい」と答えている。「らしい」をつけて。
「でもさー。宇宙人にさらわれててもおかしくないぜ?」
「宇宙人にさらわれてもおかしくない人が父親だったら俺は嫌だぞ?」
「悪い意味じゃないよ。お前の父さんとってもカッコいいじゃないか!」
「そうかぁ? 俺と同じ顔してんだぜ?」
「だからお前は自分の顔のよさに自覚を持て!」
「周りが言うから自覚はしてるよ? ただやっぱり自分で鏡見てカッコいいとか思わないんだよなぁ」
 話しながら翼は鏡を覗き、そして父親の若かりし頃(というか若くして亡くなったのだが)の写真を見る。
 きっと翼が、その写真の頃の父親の年になったら生き写しのようになるだろう。
 既にもう、かなり生き写しのように似ているのだから。
「同じ顔の父さんをカッコいいって思ったらナルシストじゃないか」
 ここで俺達は両親の話を打ち切った。



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