ケイトモール前の、ミスドーナッツにて。午後一時待ち合わせ。
雫は十分遅れてやってきた。
「ごめーん! ぐふふ」
日本語で(他の言語でも)使わない言葉を発しても、翼は驚かない。
何故ならこれが普段だからだ。
雫がまともな人間になっていたら、その時こそ翼は雫を病院に連れて行くだろう。
「兎達の散歩してた!」
その"兎達"も尋常じゃない数なのだが、翼は微笑んで頷くだけ。
ただ、その兎達と雫の散歩を思い浮かべたら、どうにもおかしい。
(草原を駆けるたくさんの兎達。そして紐を持ち、奇声を発しながら後ろを走る雫)
「翼君の私服。ぐっふふふふふ……」
雫は翼を見上げて、また笑う。ニヤニヤ。
やはり翼は慣れた様子。とても整った顔が微笑んでいる。
二人の身長差は二十五センチ以上。
ひたすら変な動きで変な声をあげる少女と、アイドルや王子様のように綺麗な顔をした少年。
奇怪な二人組みにしか見えない。
二人はそんなことを気にするでもなく、歩き始めた。
ケイトモールへ入っていく。
「オム……」
翼がオムライス屋さんの前で立ち止まる。そして、動く気配はない。
雫もそんな翼と一緒に立ち止まる。
「翼君、オム食べたいの?」
雫は明瞭な話し方をする。翼は、早口で話す。
「食べたい」
早口なのに、大人の余裕が若干感じられる。(そんな彼はまだ十代)
「いいよー」
雫は応える。
二人はオムライス屋さんに入っていった。
椅子に座って向かい合う。
メニューを広げて談笑。
時々笑い声が広がる。
あはは。ぐふふ。
そんな二人(主に雫)にも、笑顔で接客する店員。何事もないように、オムライスを運んで来る。
普通のサイズと、特盛りサイズ。
店員は、普通のサイズの方を読み上げ、雫の方を見る。
そこで、翼と雫は言う。
「あ、こっちです〜」
言いながら、手で翼の前を指す。
そして、特盛りサイズのオムライスは雫の前に置かれる。
さすがに店員さんの笑顔も少し引きつっていたが、二人は気にしない。
雫はシーフードトマトソースオム。
豪快にイカとかエビが乗っている。
翼はデミカニクリームコロッケオム。
大きなカニクリームコロッケが乗っていて、上にデミグラスソースがかかっている。
翼はあっという間に食べ終えて、雫を見ている。雫はゆっくりイカを頬張っている。とても美味しそうに食べている。
周りのお客さんが誰もいなくなっても、雫はまだ食べていた。
(お客さんが店を出る時、雫の方を二度見たことは言うまでもない)
ようやくオム屋さんを出て、二人は本屋に入る。
雫はしばらく漫画の棚を見て回り、次の場所に行こうとした。しかし翼に動く気配がない。本に目を落としたまま。
「翼くーん。そろそろ行かないと時間なくなっちゃうよー」
それでも翼に動く気配はない。雫の声が聞こえていない。
雫は翼から少し離れる。そして翼に向かって叫び始める。
「あんなとこにイケメンが! ぐっふふー! ぐっふふー!」
近くを通る女の人が翼と雫を見た。
雫を見て、翼の方に目線を移す。そして翼の顔を見て、頬を染める。
翼はさすがに目線に気付く。気付いた途端に、血の気が引いている。本を持った手が少し震えている。表情が完全に怯えている。
本を棚に戻したと同時に翼は雫の元に走っていく。もの凄い勢いだった。
雫にすがりついた翼は、子犬のようだ。チワワだ。雫はそんな翼を引き摺ってその場を離れていった。
三階に降りて、小さい子供が遊べる広場の縁に腰掛けた。
翼はまだ雫にくっついている。
「私にくっつく翼君。ぐっふふ〜。ごめんね翼君。こうでもしない限り動かないと思ったから」
「怖い……」
翼は呟くようにそれだけ返した。雫はそんな翼の頭を撫でる。
背の高い男子を撫でる小さい変人。子供がぽかんと二人を見ている。
翼は必死に声を出して、雫に伝える。
「ロングヘアー……白いスカート……怖い……」
「何でー?」
雫は躊躇もせず、すぐさま返した。
翼はしぼり出すような声で話した。
「前……そんな人がいつも背後に……いた……」
「背後霊?」
「十八になったら車で俺を誘拐しに来るのではないか……」
「何っ!?」
「たまたま会って絡まれるのではないか……」
「何ぃっ!?」
「そんなことを時折考えては怯え……」
「大丈夫だよ〜変な奴がいたら私が食べるから〜」
翼は本気で怖がりながら話しているのだが、二人の会話は漫才のようだった。
少しは落ち着いた翼を見て、雫はまた引き摺って行った。
ケイトモールを出て、駅の方へ歩いて行く。
「翼君、何で私は大丈夫なのー」
「いや、女じゃないっつか……人間じゃないからかな」
「人間だよ〜ぐふふ〜」
駅の向かいにある、カラオケに入って行く二人。
雫の希望らしい。歌いたいらしい。叫びたいらしい。シャウトしたいらしい。
個室に入る。薄暗い。壁に絵が描かれていて、発光してる。無駄に頑張った内装。何せ派手めな絵が発光している。
翼はキョロキョロと周りを見渡している。ここのカラオケは、初めて来たようだ。
雫は既にマイクを持っている。
「ぐふふふふふふー」
マイクテストらしい。
上部に設置されているスピーカーから、怪しい鳴き声が響き渡る。
「ぐふふふふふふー」
雫はマイクの音量を調節する。
「ぐふふふふふふー」
翼は卓上に置ける機械を雫の前に差し出す。
タッチパネル式で、曲の検索ができる。そのままその機械から曲が転送できるのだ。
最近の機種では、様々な機能がついている。
「ぐふふふふふふー」
「あの、先入れていいよ」
「ぐふふふふふふー」
「マイクテストはもう大丈夫だよ」
雫はようやくマイクを置いて、タッチパネル式のそれを操作し始める。
曲名から検索。転送ボタンをタッチ。
曲が始まる。アップテンポで、ポップな電子音が流れる。
曲名、「恋するウサギ」。
「ウサギの口したあの子は〜
私に首ったけっ!
(ぐーぐー)
恋に慣れないウサギさん〜
いつも苦しいのっ!
(ぐーぐー)
魔法の呪文〜ぐーふふー
素敵な呪文〜ぐーふふー
ぐーふふーぐーふふー」
雫は踊りながら歌う。
翼が兎のような唇を動かして言う。
「お前、CD出してたの?」
「出してないよー」
「誰の歌だよ」
「超絶必殺ラビット団」
「何だそれは」
「知らないの〜。アニメだよ〜。有名だよ〜」
「アニメとか知らないよ!」
次に翼は、とあるロックバンドの歌を歌う。
「やっぱり翼君上手い〜。ぐっふふー」
雫も曲を入れる。
次の曲は、超絶必殺ラビット団「ラビット団が現れた」
翼は、同じロックバンドの別の歌を歌う。雫も迷いながら、曲を入れる。
超絶必殺ラビット団「あなたの前できぐるみを脱ぐ」
因みにこれにもフリはついていて、雫が踊っていた。
「どんだけラビット団の歌があるんだよ」
「まだあるよー」
「お前が作ったアニメじゃねぇの?」
「違うよー。まだ、作ってないよー」
「これから作る気か……」
曲が始まり、翼が歌っている。
雫はおもむろに立ち上がり、個室を出て行った。
翼はそんなに声を張らない。優しい歌声。
それでも音程は取れているし、表情もだいぶつけるので淡々としない。
そんな彼は、ギター&ヴォーカル担当。(本人曰くヴォーカル&ギターでなく、ギター&ヴォーカルらしい)
本当は目立ちたくないからギターだけがいいのだが、他に歌ってくれる人がいないらしい。
だって翼が一番上手いじゃん。
そんなことを集団で言われ、今に至る。
文化祭等でのライブの時、雫は手作り翼うちわを持ち、最前列で声援を送る。
翼はそっちを全く見ずに演奏する。というか、観客の方をあまり見ない。
演奏が全部終わった時、翼は雫の方を一瞬見て少し微笑む。
(「翼君がこっち見たぁ!! ぐっふふふ〜」)
曲が終わってもまだ雫は帰ってこなくて、翼はうとうと。
カラオケの個室のドアが開いた、というだけでは出ない大きな音が響く。
雫が勢いよく扉を開けたのだ。
なだれ込むように入ってきた雫。
「ぐぎょぎょぎょぎょぎょ」
何もないのに雫はつまづいて、数秒宙を舞い、翼が座っているところに飛び込んできた。翼はソファーに向かってなぎ倒されて、雫は翼の足の上に着地した。
「ぐーぎょぎょぎょぎょぎょ」
雫は何やら悲鳴であろう鳴き声を上げ、翼の方は硬直している。驚きの鳴き声をあげ終わった雫は、翼の様子に気が付いた。
普段の穏やかな目じゃない。理性なんか効かない恐怖を宿した目。
「ぐっぎょぎょぎょぎょぎょ」
雫が慌てて翼の足から降りる。倒れたまま、動かない翼。雫が手を差し伸べる。翼は何度かまばたきをして、その手を見つめる。
赤ちゃんのような雫の手。(因みに絵に関してはゴッドハンド)
「怖いー?」
雫は尋ねる。翼は変わってしまった目のまま頷く。雫は翼の手を取って、そっと握る。
「大丈夫だよー」
強く握って、翼を引き起こす。翼も身を起こす。
「大丈夫だよー。もう大丈夫だよー。ぐふー」
「うん」
翼が、雫の手を握り返した。
「もう怖いことなんてないよー。ぐふー」
「うん」
翼は、そっと頷く。
「翼君に悪いことする奴は、私が食べるからー。ぐふー」
「うん」
「ってか、翼君が私の手を握っているー! うっはぁああ!!」
雫が翼の手を握ったまま、もの凄い勢いで上下に振り出す。
「ちょ、腕、腕千切れる……」
「ぐっはぁああ!!」
「痛いってば……」
「これからは手ー繋いで歩ける!?」
「えー、あー……」
翼はしばし考える。
「はい」
そして、雫の目をじっと見て言った。
「うっはぁぁああ!!」
雫は勢いよく手を振りほどき、タッチペンを素早く操作する。曲を入れる。
大きな画面に表示されるタイトル。
「青春疾走ラプソディ-Ver.ブサギ-」
「まだ歌うか……超絶必殺ラビット団……」
「翼君も歌って〜」
「知らねぇもん!」
雫は翼の手を握って、振り回し始める。
熱唱。翼の魂が抜けた。
翼の魂が抜け、白目をむいてからしばらく。
二人は手を繋いで、カラオケを出た。
ミスドーナッツへと向かって行く。そこでお茶を飲みながら話してから、帰るのだろう。
「両手を繋いでークルクル回ってー踊る月の上〜♪ぐー!」
「頼むから外ではおとなしくしててくれ……」
後程学校で、
「超絶必殺ラビット団!? あれ、マジでいいよなぁー!!」
と友達に翼が言われるのは、また別の話。
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