誰にも届かない
...9


顔をあげたシャイレ。
バンダナが外されて晒された喉元。

その喉に、大きな傷跡があった。

「……!? その……傷……」

少し涙ぐむリシュに、シャイレはまた俯く。

「今まで……何も話さなかったのって…………」

シャイレが頷く。青い目が、暗く光っていた。
フッとため息をつく。

「……話せなかったから……なんだね……」

またシャイレが頷く。
今度は、何かを嘲笑するかのようにため息をついた。

「……そうだよ……?」

シャイレが驚いたようにリシュを見る。

「……なんで? ……?」

「…………」

「シャイレの、伝えたいことは……わかるよ」

相変わらず、シャイレは唖然としていた。

「伝えたいこと、あるんでしょ……?」

シャイレは少し躊躇う素振りを見せてから、頷いた。
軽く目を閉じて俯く。そしてまたゆっくり顔を上げた。

『十年前に…………刺された。ナイフで……』

かなりぎこちない口調。
シャイレはただ頭の中で話していた。
それでも、リシュに伝えようとしていることは、リシュに伝わっていた。

『君が言っていた、少年のように、家に何人もの兵士が押しかけてきて……

俺を張り倒した。頭とか背中とか強く打って、凄く痛かった。
一瞬意識が飛んだ。

兵士は、俺の両手両足押さえつけた。一人は、俺に馬乗りになった。
手を押さえていた兵士が、髪を引っ張った。顎も掴んで上を向かせた。

俺の視界の端で、鋭いナイフがチラついていた。

何故かそいつは俺に名前を尋ねた。

俺は自分の名前を言った。というか呟いた。

そしたら、そいつはフッと笑って……


……俺にナイフを振り下ろした。

突き立てられたナイフは……貫通しかけてるように思った。


血が……凄い飛び散って……凄い流れ出て……

咳き込んだら……口の端にも血が流れて……

視界がぼやけて…………

最後に見たのは……俺の家族が……俺より血だらけで……動かないところだった。

気がついたら……知らない部屋のベッドの上だった。


俺は……生きていた……。


自分が誰なのだかわからなくなっていた。
名前が……思い出せなかった。

最後に見たものは思い出せたけど……家族の名前……いや……
父さん母さんがいたか、兄弟がいたのか……思い出せなかった。

刺された時の記憶以外……ないも同然だった。

その後、医師らしき人が来て、ここはアースウェスの軍事訓練場だということだけ、
教わった。

声が出なくなっていることも……自分で気づいた。
包帯の下の傷は……その時はまだ痛んでいた……

年もわからなかったけど……誰かが俺のことを話しているのが聞こえて……
その当時は七歳だと知った。

それから……ずっと訓練を受けていた。
他の奴等と、戦闘訓練をずっと受けていた。

話しかけられても、もちろん言葉を返すことなんてできなかった。
でも、声が出ないことを、悟られたくなかった。

大人しい奴等は……みんないじめられていた……
多分……訓練漬けの毎日に嫌気が差していたから。

酷い奴なんて…………もうこの世にいない。

それに……どんなに辛くても、苦しくても、表に出せない。
誰にも伝えられない。

だから……俺は……何も考えないように……したんだ。
頭の中を、空っぽにして……何も感じないようにして……

無口で……無表情で……』

シャイレの声はもちろん聞こえるはずないのだが、シャイレの唇は動いていた。
掠れた息だけが、静かに音を立てていた。

そっと、口を閉じて、また俯くシャイレ。
いつも俯いているのは、背が高いからではなく、無意識に傷を隠そうとしていたからだろう。

言葉を探すかのように、視線を揺らす。
そんなシャイレをリシュは心配そうに見ている。

『ある時、同じ部屋の奴等が、いきなり俺に襲い掛かってきた。
多分……俺の知らないうちに打ち合わせされていたんだろう。

いきなりだったし……自分がこれからされることなんてわからなかったから、
かわせなかった。

俺は押し倒されて……床にねじ伏せられた。
両手両足、押さえつけられた…………

……あの時と……同じように。

奴等は気づいてなかったと思うけど……俺は震えてしまっていた。

――さぁ、どうしてやろうか……?

そう言いながら、馬乗りにされた。
正直……殺されるって思った……

――こんなことされても何も言わないんだぜ?

その言葉を聞いた時、もう傷のことしか頭になかった。
あの時も……布で隠してたから……

――このバンダナ外してみないか?

全身の筋肉が硬直したように思った。
……直感していたのだろうか?そこに俺が隠したいものがあるということ。

馬乗りになっていた奴が、俺の首に手を触れた。
……悪寒が……全身を駆け抜けた。

……………………

気が付いたら……押さえつけていた奴等みんな……振り払ってた。
コートを掴んで、走っていた。

誰かに見つかったのか……止められようとしたのか……

全然わからないまま……走っていた。
気が付いたら……何処だか知らない所に来ていた。

他にどうすることもできなくて……歩き出した。

さっきの兵士は……きっと俺を捜していた。
怪我させてしまって……悪かった。』

相変わらず、かすかな息の音だけ聞こえた。
言葉の最後で、シャイレはまた頭を下げた。

リシュは、涙で潤んできた瞳でシャイレの目をまっすぐ見ていた。
話し終わって俯くシャイレの手を、両手で包んだ。

堪えられなくなって、リシュは泣き出してしまった。
シャイレは、少し驚いて、困った様子を目の奥に潜ませた。
本当は、凄く驚いて、凄く困っているのだろう。

シャイレは……何もできずに、ただリシュの手を握り返した。



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