チョコレートクランチ
バレンタイン


 片付いた部屋の隅で、少年は液晶に向かう。何やらキーボードで文字を高速で打ち込み、満足気な笑顔を浮かべる。黒縁眼鏡の奥にある切れ長の目が少し細まり、口元には微笑が広がる。
 それを、同じ笑顔で見つめる少女。眼鏡は赤い縁。少年と少女が兄弟、むしろ双子だと容易に連想できる程度には似ている。
「で、何の用ですか春依さん」
 少年は少女こと春依に向き直る。
「これをやる」
 春依はキーボードの脇に、小さな包みを置いた。器用に包んであるが、手作りなのが見て取れる。中には一つ、チョコレート。
「もしかして、バレンタイン!? 手作り!?」
 少年は立ち上がって窓へ駆け寄り、眉をしかめて空を見る。
「天気は晴れです。雪は降りませんよ」
「雪じゃないものが降るかもしれない」
「槍ですか?」
「銛かもなぁ」
 ぐるりと素早く少年は振り返る。
「胃腸薬は必要だろうか」
「どっちにしても腹壊す」
「どういう意味だ」
「貧弱以外に何が」
 同じ声が明瞭な口調で次々言葉を紡ぐ。一息ついて、少年は改めて包みに目を落とす。
「クランチのやつか」
「ハルア好きでしょ、クランチ」
「何で一個だけ?」
「一個入魂」
「初めて聞くんだが」
「初めて言いました」
 春依は段々少年から目を逸らし、遠くへと目線をやった。
「一個だけ作ったの?」
「兄貴とお父さんにも渡します」
「まぁ、兄貴はたくさんもらってくるから一個入魂の方が助かるだろうけどさ」
「お父さんは周囲に分け与えるだろうから質より量だろうけどさ」
 春依は少年の方を見ない。
「じゃ、そういう訳で」
 見ないまま呟き、すたすた部屋を立ち去ろうとする。
「何で今年は作ってくれたのー!?」
 呼び止めるように少年は叫ぶ。春依の鋭い目が、更にきつくなる。
「リアル中二病野郎の反応と動向を見るため」
 高圧的に、言い放つように、声に表情がつけられた。思案するように落とした春依の目線は少年に見えていない。
「え、俺のためなの?」
「では、来月を楽しみにしてるよ古都野遥亮」
 今度こそ有無言わせぬと言った速さで春依は部屋を去った。
「え、俺にも手作りしろと?」
 少年、ハルアこと遥亮二度目の叫びが春依に聞こえていたかは不明。


 人生最大に強く抱き締められているけど、そういう関係でも趣味でもない。
 きっと毎年、こうやってやり過ごしているのだろう。とても抱き慣れ……じゃなくて慣れている感じ。
「今まではどうしてたの?」
「慎吾とか、高校だと文芸部の友達とかが助けてくれた」
 助けてくれた=しがみついていたんですね。目に浮かびます。
「手にしているそれは?」
「雫がくれたチョコ」
 中身を見せてくれる。一つだけ、大きな塊がずっしり居座っている。
「このでっかい塊は何ですか?」
「ロックンロールチョコだそうです。岩、だそうです」
「まぁ……的確なネーミングだけどさ……」
「後で転がそう。岩転がってロックンロール!」
 岩チョコに毒されている彼。僕に後ろから腕を回しているこの彼。大きな二重の目を閉じ、もふっとした唇を僕の首元に寄せている。そんな整った顔立ちの「彼」。雫ちゃんという彼女(という名目のペット)もいる。
 名を、風矢翼という。多分今とか背中に翼を欲しているだろう。大空の果てへ逃げたい気分だろう。飛び立ちたいだろう。
 何故って? そりゃぁ、今日はバレンタインですからね。……ってだけじゃ何も理解できないので、順を追って。

 先程言ったよう、翼はとても素敵な外見をしてらっしゃる。スタイルだって良い。物静かそうなオーラがまた惹かれる。(実際人見知りらしい。でも慣れるとマシンガントークでたくさん喋ってくれる)
 だから、女の子達が寄ってくる。モテる、という意味を初めてこんなに体感した。
 しかし。しかしだ。逆接がここに出てきます。翼は、大の女性恐怖症なのだ! (はい、ここ線引いて。テストに出ます)
 よって、翼は寄ってくる女の子達から逃げ惑う。シャレではない。Q.E.D。

 そしてバレンタインだ。女の子達は皆チョコを装備して翼に寄ってくる。いつもの倍は、寄ってくる。
 正直、予測していたこと。だから戦う、いや、逃げる構えで僕達は軽音楽サークルの部室に篭っていた。そう僕達、僕達三人。もう一人いる。
「はいはい。チョコはこの籠の中にねー」
 もう一人は、スタッフになってしまっている。声だけ聞くと女の子。喋り方は男の子。顔はどちらともつかない。眼鏡と涼しげ一重瞼がチャームポイントのハル君。実際の性別は不明。本人曰く、「どっちでもいいじゃん」。
「ルールを守って! 楽しく翼を応援しましょう! マナーを守ってこそのファン!」
 意気揚々と声を上げている。コイツ……めっちゃ楽しんでるな。
 ハル君の前では女子が列を成している。列の後ろの方では、サークルの先輩が整理券を配っている。……先輩まで動員されているなんて……。
「後……で、先輩……に、お礼するぅー……」
 耳元では震えたハスキーな声が囁かれる。いつもの冷静さは何処へ。あの老成した話し方は何処へ。もふもふの口からそんな声を出して怯える翼は、子ウサギだ。僕はウサギさんをよしよしと撫でる。
「任務完了」
 いつのまにやらハル君がこちらに来ていた。
「完了しちゃったの?」
 僕は部室の外で連なる列に目をやる。
「俺のシフトではここまでなんだ」
 ちょ、シフト制なんですか、あれ!?
「え、じゃあカウンターはどなたが……?」
「先輩」
 ハル君が顎で指した先には、整理券を配っていた先輩がいた。整理券は同級生の仲間が配っている。……シフト制だ……!
 というかハル君、よく先輩をあそこまで借り出しましたな。確かに翼のピンチにはいつも助けてくれる優しい先輩方だけども。
「俺はちょっと用がありますので。あ、一緒に来ます? ラビッターはみんなここにいるから、逆に追われないかもしれない」
「ラビッターって、何すか?」
「ラビット会員に決まってるではないか」
「ラビットって兎っすか!?」
「そんなことも知らないの。ラブ、イットでラビット。翼ファンクラブの名前じゃないか」
 えーと、ラビット、Rabbit、Love it、ラブイット……。
「えぇぇぇぇ……」
 いつのまにそんなものができたんですか。上手い! って言えばいいんですか? 何か違いますよね……?
「さ、時間だ。行くぞ、ゆーちゃん」
 リアクションに困る僕をさて置いて、ハル君は颯爽と出口へ進む。僕も背中にへばりついている翼を引き摺りながら後を追った。
 ご紹介が遅れましたが、僕は川越祐斗と申します。ゆーちゃんとは、恥ずかしながらこの僕のことです。

 続いての場所は、大学内の広場。どうやらハル君はここで誰かと待ち合わせているらしい。僕達が着いたとほぼ同時に、桜先輩とすずら先輩がこちらにやって来た。
 桜先輩とすずら先輩はハル君のお知り合いらしい。どういう経緯とか関係とか、よくわからない。
「チョコ、渡したいと思いまして。これ皆さんでどうぞ」
 桜先輩は何故だか僕達に敬語を使う。落ち着いた物腰でありながら、強い目力で僕らを見る。凛とした佇まいとはきっとこんな感じのことを言う。実は男前とハル君から聞いたけど、一体……。
「チョコクラにですか? ありがとうございます」
 ハル君が桜先輩から小さな紙袋を受け取る。ちらりと中を見て、
「あ、チョコレートクランチですね」
 と小さな歓声を上げた。僕にも見せてくれた。ココアパウダーのかかったチョコと、ホワイトチョコのクランチ。とても美味しそう。確かバイト先は喫茶店とか何とか聞いた。
 チョコレートクランチとは、僕らのバンドの名前でもある。ハル君がヴォーカル、翼がギター、僕がベース。こんな美味しそうな名前も翼バレンタイン祭りに影響しているかもしれない。メインはロック。だから雫ちゃんもチョコにロックンロールと名付けたのかもしれない。(でも違うかもしれない。単に岩が完成したからかもしれない)
「みんなに配ってるんですか?」
 桜先輩が手にたくさん持っている同じ紙袋を見ながらハル君は言う。
「そうですね。週末にアニキーズにも渡しに行きます」
 アニキーズの意味を後程伺ったところ、四人いるお兄さんのことらしい。実は甘えん坊ともハル君から聞いたけど、それは多分ハル君の前だけ……いや、なんでもない。
「やはりお兄さんにも渡しますか」
「欲しがりますからね。毎年あげてれば、本命作る時に隠せるんですよね、ふふふ……」
 な、なるほど。桜先輩の微笑が若干怖い。実はというか、僕から見ても桜先輩は天然さんである。聞く話によると、どんだけ流行っていようが風邪引かないし、唐突にあても地図もない旅に出たりするらしいし……って、ハル君にどんだけ桜先輩の話をされているんだ僕は。
 それでもはっきりつかめない関係性が二人らしいな、どうでもよさげな情報ばかりコイツ話すな、とハル君の方を見たらハル君は何やら考察していた。
「……本命作る時に隠せる」
 それから、一瞬泣きそうな目をした。だけど、その目は見たことのない優しさが灯っていた。
「では」
 短く挨拶をして、ハル君は歩き去る。僕はその背を追う。隣に並んで顔を窺ったけど、さっきの表情は何処にもなかった。
 それからチョコ受付会場に戻り、ハル君はよく働き、僕は集まる女子に怯える翼を宥めていた。
 何とも不思議なバレンタインだった。僕だけ誰からももらってないことに気付いたけど、気付かなかったことにした。翼からあり余ったチョコならもらった、けど、複雑、いいや、もう、考えない。大学生になっても、こんなもんだろ。


 十九になったばかりの兄妹。二人の前には、手作りチョコレートクランチ。どちらかはわからないが、ぽつり言葉が漂った。
「時は過ぎていくな」
 懐かしむような、穏やかな声だった。


Omake1

 その一室は華やかな空気で満ちていた。テーブルにはたくさんのチョコが並び、それを四人の女の子が囲んでいる。
「たくさんの戦利品、大量生産の余りを祝して!」
 各々のコップを掲げる。
「かんぱーい!!」
 かしゃんと小気味良い音が鳴り、バレンタインパーティーは始まった。
「桜さん、ハル君はどしたの?」
「相方さんのとこらしい」
「本命を隠す話の時、リアクションが面白かったね」
「昔何かあったんでしょ」
 甘いパーティーは続く。

Omake2

 スーパーをとてとて歩く少女。不安定ながらも、一生懸命足を進めている。
「やっぱりお外は楽しいのよ」
 やがて足を止め、ふかふかしたワンピースの裾を両手でぎゅっと握った。真ん丸な瞳がきらきら輝く。
「チョコがいっぱいです。バレンタインです」
 可愛らしいチョコを見つけては、手に取りにっこり微笑む。
「のんちゃんもいつか、誰かにチョコをあげてみたいです」




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