君に一輪のありがとう
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休憩のお話その二
 ある夜、のんちゃんからメールが来た。
「ゆーちゃん、たすけてください」
 変換も絵文字も顔文字もなく、それだけだった。いつもならのんちゃんは、いくつかの顔文字と絵文字を使ってくるのだけれど。
 僕はとても心配になって、のんちゃんのお部屋に行った。のんちゃんはドアを開けるなり、その場に崩れ落ちた。
「のんちゃん、どうしたの!」
 僕は部屋に上がらせてもらい、のんちゃんを背負ってリビングへと行った。のんちゃんの今までに見たことがない様子に、僕は動揺した。
 のんちゃんをソファーに寝かせて、お話を聞いた。
「のんちゃん、どうしたの?」
 のんちゃんの目は何となく虚ろで、口調も呂律が回っていなかった。
「あのね、のんちゃんは具合悪くて苦しいから、早く寝ようと思ったの。でも眠れなくて……つい薬を多目に飲んでしまったの……よ」
 のんちゃんの意識がゆらゆら揺れている。僕はとても心配になって、慌ててお水を持ってきてのんちゃんに飲ませた。僕の頭の中は大パニックだった。胸が早鐘を打っている。
「いっぱいお水飲んで……早く薬が体からなくなるといいんだけど……」
 のんちゃんはお水を飲み干して、ふらりとソファーに倒れこんだ。僕はどうしていいかわからなくて、うろたえた。
「ゆーちゃん、のんちゃんは大丈夫です。ごめんねですよ……ありがとうですよ……」
 のんちゃんは小さな声で、ひたすらそう呟いた。
「のんちゃん、無理に喋らなくてもいいよ。ゆっくり寝てて」
 しばらくして、のんちゃんは寝てしまった。寝ている様子が苦しそうではなかったので、そのまま寝かせることにした。僕はじっと様子を見ていた。ソファーの前に置いてある小さなテーブルに、空になった薬のシートが何枚か置かれていた。僕に知識はないけれど、多分大丈夫だろう。大事に至るほど多くはないはず……だ。
 あぁ……ビックリした。凄く心配した。まだ不安だけど、ちょっと落ち着いた。こんな状況に立ちあったことがなかったからというのもあるけど、これはのんちゃんだからだ。のんちゃんだったから、こんなに心配した。
 やっぱり、僕はのんちゃんが大好きなんだ。これではっきりわかったし、実感した。今だって頭の中はのんちゃんでいっぱいだ。
 一息ついて、薬のシートが置かれていたテーブルを見た。一冊のノートが置いてある。表紙は薄い水色で、「のんちゃん幸せノート」と書かれていた。僕はそれを開いてみた。
 のんちゃんの描いたイラストがたくさんある。可愛らしくてカラフルなイラストだ。そのイラストの間には、のんちゃん直筆の様々な言葉が書かれていた。
「今日は、本屋さんで立ち読みができました。楽しかったの。作家さんって凄い。作家さんありがとうですよ!」
「今日もゆーちゃんは、のんちゃんのお話を聞いてくれました。とっても嬉しい。ゆーちゃんいつもありがとう!」
 どうやら、日々の嬉しかったこと、楽しかったことを書いているようだ。幸せ日記だ。その幸せ一つ一つに、感謝の言葉が綴られていた。とてものんちゃんらしい。
 僕は、一番新しいページを開いた。真っ白なページが広がる。隅っこに小さく一言、こう書かれていた。
「のんちゃん病気苦しいから、死んじゃえるなら死んじゃいたいな」
 不意に衝撃を受けた。心の中に大きな冷たい氷を落とされたようだ。いつも明るく振舞っているけど、のんちゃんはとっても苦しいのだ。もしかして薬をたくさん飲んだのも、万が一死んでしまえるなら、死んでしまおうと思ったからなのかもしれない。
 それほど苦しいのに、のんちゃんは小さな幸せをたくさん探すし、いつでも感謝を忘れない。持っているものを大事にして、苦しみに耐えながら頑張っている。
 僕は段々と真理に近付いていくのを感じた。のんちゃんが僕をそこへと導いていく。
 足りなかったこと、欠落していたもの。僕はその姿に近付いていく。
 それは、自分が当たり前のように持っている幸せに感謝することだ。満たされていることに感謝することだ。のんちゃんが持っていて、僕に欠けていたのはそれだった。のんちゃんはそれを自然に僕へと教えてくれていたのだ。
 僕の頬を涙が伝う。感情が溢れ出してしまった。
 先程のんちゃんを失ってしまうかもしれないという感情に襲われた。一瞬だけなのかもしれないけど、確かに感じたんだ。のんちゃんがいてくれることも、当たり前のことじゃなかった。大事にして、感謝しなければいけないことだった。
 僕の心が痛んで、それを実感させられた。今までは頭で考えていただけだったけど、ようやく僕はそれを体感したのだ。それを、思い知ったのだ。

 僕はノートの近くに置かれた色鉛筆を手に取った。
「のんちゃんが早く元気になりますように 僕は、のんちゃんの苦しみを全力で受け止めます」
 という言葉と、のんちゃんモデルのイラストを描いた。
 僕に出来ることなど、ほとんどないのかもしれない。
 大好きなのんちゃんを、楽にさせてあげられないかもしれない。
 それでも、僕は絶対にのんちゃんを守りたい。絶対に。心の中に、揺ぎない意志が立ち上がった。
 僕はのんちゃんが大好きだ。
 その強い気持ちだけだ。その気持ちで、何処までのんちゃんのために何かをしてあげられるかは、わからないけれど。
 僕はのんちゃんが大好きなんだ。

 翌日、のんちゃんの体調は無事だったようだ。朝一でのんちゃんは報告に来てくれて、お礼と謝罪の言葉を繰り返した。
「ノート、見たですよ。ゆーちゃんがいるから、のんちゃん生きていけます。どんなに辛くなっても、ゆーちゃんが受け止めてくれます。だから、のんちゃん生きていけます」
 のんちゃんは、涙目でそう言った。そしていつものように、可愛らしい声で、あの癒やされる声で。
「ありがとうよ!」
 と言ってくれた。僕はそれだけで心がいっぱいに満たされた。

七つ目のお話
 どうやらのんちゃんは、大変らしい。最近体調が少し楽になったみたいだけど、大変らしい。元々何も出来ずに寝込んでばかりだったのだ。一人暮らしで、一人で色々なことをするのは、とてもしんどくて辛くなってきたらしい。
 のんちゃんが、おうちに帰りたいという話を僕にした。
「のんちゃん、色々するのが辛いの。一人で病院行って、一人でおうちのことをするの、大変なの」
 大変よ、と泣きながら言っていた。僕は、のんちゃんのお洗濯を手伝ったり、一緒に夕ご飯を食べたりしていた。でも、僕も学校とかバイトがあるから、四六時中のんちゃんを助けられるわけではなかった。
 そんな時、のんちゃんはのんちゃんのお母さんから、ある情報を聞いたそうだ。
 その日の夕ご飯は、のんちゃんが買ってきたお魚さんだった。のんちゃんはお魚が好きで、スーパーのお魚売り場でちょっと歌ったりもする。
「おーさーかーなー、おーさーかーなー……」
 その夕ご飯を、二人で食べていた。何だろうこの同居状態とか思っていたら、のんちゃんがその情報のお話をした。
「お母さんが言ってたの。のんちゃんのおうちの近くに、新しい病院ができるの。近くといっても、電車で四十分くらいかかるの。でも、今通ってる病院よりずっと近いのよ。ちょっと調子が良くなったから、のんちゃんはおうちから今度できる病院に通えると思うのです」
 のんちゃんの言う病院は、不定愁訴を治療できる施設だ。診察をしてもらったという本部があって、他の場所にある施設では治療ができるそうだ。今までは、僕達が住むところから近くて、のんちゃんの実家からは遠い病院に通っていた。
 今回、のんちゃんの実家から電車で通えるところに、新しく病院ができるそうだ。
「そこでゆーちゃんに相談です。のんちゃん、おうちに帰ろうと思うの。どうですか?」
 のんちゃんが、僕のお隣からいなくなる。寂しいとか、色々思うことはあるけれど、僕の答えはすぐに出た。
「うん。のんちゃんがそれで楽になるなら、そう決めたなら帰った方がいいよ。おうちにいる方が、辛くないもんね。病院も通えるようになったんだもんね」
「ゆーちゃんにも迷惑かけなくてすまなくなりますね。のんちゃん、おうちに帰っても頑張りますよ。いっぱい病院に通って、早く元気になりたいです!」
「のんちゃん、いつ帰るの?」
「できるだけ、早めです。のんちゃんが準備できたら、帰ろうと思うです」
「そうか。寂しくなるね、頑張ってね」
 のんちゃんは、ゆっくり綺麗にお魚を食べる。そして僕の方をじっと見た。
「ゆーちゃん、のんちゃんが帰ってもお友達でいてくれる?」
「もちろん!」
 僕はいっぱいの笑顔でそう答えた。のんちゃんも嬉しそうに微笑んだ。
 お魚を食べ終えて。ゆっくり緑茶を飲んで。のんちゃんは、帰り支度を始めた。僕もちょっとお手伝いをした。
「ゆーちゃん、のんちゃんお片づけが早くも終わってしまいますね。明日の午後、帰ろうかな」
「うん。明日の午後なら、授業もバイトもないから、お見送りできるよ」
 それを聞いて、のんちゃんがとても嬉しそうな表情をした。
「ゆーちゃん、のんちゃんがおうちに帰っても遊んでくれますか?」
 いつものように俯いて微笑むのんちゃん。
「もちろんだよ!」
「ゆーちゃん、ありがとうよ!」
 帰り支度をしながら、いつものように二人でお喋りをした。そして、僕は自分の部屋に帰った。僕は、のんちゃんが越してきてからのことを思い出していた。最後にのんちゃんに何かしたいな。何がいいかな。何なら喜ぶかな。離れてても、のんちゃんとは仲良しでいたいな。僕はたくさんたくさん考えた。ようやく考えがまとまって、僕は眠りについた。

最後のお話
 翌日になり、のんちゃんがおうちに帰る日になった。僕はのんちゃんの荷物持ちを手伝いながら、一緒に駅へと行った。近くの大きい駅まで。そこからのんちゃんの地元の駅まで一本で行けるそうだ。
 のんちゃんと僕は、いつものように話しながら電車に乗って、駅を歩いた。大きい駅に着いた時、僕はのんちゃんにちょっと待っててもらった。僕はのんちゃんのプレゼントを買いに行って、のんちゃんの元に戻った。
「わぁ! お花ですね! カスミソウだ!」
 のんちゃんは、僕の手にある一輪のカスミソウに歓声をあげた。僕は、カスミソウをのんちゃんに渡した。
「ゆーちゃん、ありがとうです! カスミソウ、可愛くて綺麗です! のんちゃんとっても嬉しいです!」
 のんちゃんはカスミソウを嬉しそうに眺める。そして、カスミソウに添えられたカードを見つけた。
「のんちゃん、ありがとう。 川越 祐斗」
 のんちゃんは驚いた表情で僕を見た。僕が昨晩頑張って考えた、のんちゃんに伝えたい言葉だ。
 のんちゃんは、口癖のようにいつも「ありがとう」という言葉を口にする。全てに感謝して、全てを大事にしているのんちゃん。僕はそんなのんちゃんにたくさんのことを教えてもらった。のんちゃんを大事だ、大好きだと思える気持ちもたくさんもらったんだ。のんちゃんは、みんなに与えることを望んでいる。僕はもうのんちゃんにたくさんのものを与えられたと思う。だから、僕がのんちゃんに一番伝えたいことは、「ありがとう」なんだ。その言葉を、僕はこれからも精一杯大事にしようと思う。いつも心に留めておこうと思う。そしてのんちゃんには、それを一輪のカスミソウにして捧げよう。一つの茎から、たくさんの茎を伸ばして、小さく白い花がたくさん咲いている。可憐に咲くそのカスミソウは、のんちゃんにとても似合っている。
「あのね、ゆーちゃん。のんちゃんね、ゆーちゃんが大好きなのよ。のんちゃんはいつも上手に言えないけど、ゆーちゃんが大好きなのよ」
 のんちゃんはいつものように僕の方を見上げて、必死に話す。
「僕も、のんちゃんが大好きだよ。ずっとずっと大事にしたい。僕にとってのんちゃんは、大事なお友達で、そして一番好きになれた女の子なんだよ」
 これは、告白だ。前からものんちゃんのことを、大好きだよと言ったことはある。でも、僕は今まで、気持ちの全部を伝えずにきた。
 今日の朝、僕は茶色い髪を頑張って整えた。はっきりとした眉は、整え方とかわからなかったので、そのままにした。服も頑張って選んだ。それでも、今日の僕は、いつもと同じの僕だった。
「のんちゃん、好きとかよくわからないの。でもね、のんちゃんはゆーちゃんのことが大好きなの。のんちゃんも、ゆーちゃんは大事なお友達でね。お友達だけど、何だか違うのよ。これが、恋、っていうのかなぁ……恋がこんなに大きいものなんて、のんちゃん知らなかったのよ……」
 僕は無意識にのんちゃんを抱き締めていた。のんちゃんの優しくて安心する匂いが漂ってくる。温かい体温が僕を包む。のんちゃんは、
「おぅおぅ! おぅおぅね! おぅおぅよ! はぅー!」
 と言いながら僕を抱き締め返してくれた。ぎゅっとして、腕の中からのんちゃんを出した。のんちゃんは、目を潤ませながら、
「おーぅおぅおぅおぅ……にょーろにょんにょん……」
 と言葉にならないらしい気持ちを、宇宙語で発してくれた。
「えっと、えっとね。ゆーちゃん、ありがとうよ! ありがとうです!」
 のんちゃんは、最後まで僕にたくさんの「ありがとう」をくれた。僕はのんちゃんの頭を撫でた。のんちゃんは、嬉しそうに微笑んでくれた。
 のんちゃんと僕は、改札へとやってきた。ここで、お別れだ。
「ゆーちゃん、のんちゃんはまたメールしますからね。暇な時にでも、お話しましょうね」
「うん。待ってるよ。またお散歩もしようね」
 のんちゃんは、改札を通る電子カードをカバンから取り出した。
「ゆーちゃん。バイバイ、またね! 今までいっぱいありがとうよ!」
 そう言って、のんちゃんは僕に向かって細い腕を大きく振った。
「のんちゃん、またね! 僕の方こそ……今までありがとう! 楽しかったよ!」
 のんちゃんは、改札を通ってまた僕の方を振り向いた。再び大きく手を振って、のんちゃんはホームへと歩いて行った。

 不思議がいっぱいの、病弱少女のんちゃんはこうして帰っていった。のんちゃんは、新しい病院に頑張って通っているそうだ。僕も、のんちゃんが教えてくれたことを胸に、学校生活を楽しんでいる。
 僕があげたカスミソウは、時が経って枯れてしまった。でも、のんちゃんはカスミソウをデジカメで写真に撮って、フォトフレームにいれて飾ってくれているそうだ。僕の伝えたありがとうは、のんちゃんの胸にしっかり残っている。
 のんちゃんは、学校に行きたいらしい。絵本のお勉強をしたいそうだ。僕は、元気になって、お勉強を頑張るのんちゃんを想像した。僕の心に浮かぶのんちゃん。引っ越してきた時の警戒心むき出しなのんちゃんも、体調を崩して泣いているのんちゃんも、楽しそうに笑っているのんちゃんも、心に浮かんだら僕は幸せになれた。

 カスミソウには花言葉がある。「感謝」、「ありがとう」。僕からのんちゃんへは、一輪のありがとうを捧げよう。ありがとう、のんちゃん。

 君に一輪の、ありがとうを。

読んでいただきありがとうございました。





 



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