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感情とは揮発するものだ。
どんな激情もやがて揮発して無に還るものだと思う。うん、今日の俺はなかなか詩的。
だから、今日の柳が俺に怒っているのもやがて無になるはず、なのだ。
「どういうつもりだ?」
柳は怒鳴る人ではないだろうという俺の予想は見事に当たった。うん、俺って柳に詳しいなやっぱ。
でも、怒鳴られた方がよっぽどマシだった。柳が怒ってる。超怖い。
静かに淡々と、っていうのはいつもと変わらないのに声が驚くほど冷たかった。
「…ごめんなさい。」
怒られるのが好きな人ってあんまりいないと思う。自分のことを考えて叱ってくれる人が好きだという人はいると思うけど、叱られる行為そのものが好きって人はそんなにいないはずだ。…まぁ、例外はあると思うけど。
中でも相手を怒らせてしまってそれで怒られるっていうのは最悪のパターンじゃないだろうか。
「…俺は謝って欲しいわけではない。どういうつもりだと聞いているんだ。」
「…したかったから。」
「したかったらお前は誰にでもこういうことをするのか。」
「………。」
俺が答えなかったので柳は余計苛立ったようだった。握りしめた拳が白くなっている。あ、手綺麗、と場違いなことを思った。
「まぁ参謀、そんなに怒らんでも。」
気の抜けたような、空気の読めてない声がした。仁王だ。柳から目を逸らしてうつむいていた俺はチラリと顔を上げて仁王の顔を見た。ニヤニヤしている。コイツを味方だと一瞬思った俺が間違っていた。コイツはただ楽しんでるだけだ。
「仁王は黙っていろ。」
ちなみに今は昼休みの屋上。俺がこんなに柳を怒らせたのは数分前だ。数分でこの修羅場、人生って何があるかわかんないねホント。
数分前、俺はふと柳の唇は薄くて形が良くて綺麗だと思ったのだ。この段階で何があったかはうっすら察してもらえると思う。
俺も自分の唇は嫌いじゃなかったけど、柳の身体の部分ってのもあってついキスしてしまったのだ。仁王の見てる前で。
触るくらいに留めておくんだったと思っても後の祭り。柳は一瞬目を見開いたかと思うと俺を突き飛ばした。
そんで、今。
もうめっちゃ怒ってるのがわかる。手に取るようにわかる。ごめんなさいホントにただしたかっただけなんです出来心なんですと思っても遅い。
もしかしたら柳はファーストキスだったのかもしれない。そしてそれをとても大切にしてたのかもしれない。そりゃ怒るか。そうだよね。
「初めてだった?」
仁王が小さく吹き出した。何でだ。
柳はピシッと固まった。それから俺の頭を撫でた。
あれ、もう怒ってないのかな、やっぱ感情は揮発するもので…、と思ったのも束の間、俺の頭を撫でていた手が次第にギリギリと俺の頭を握りだした。
利き手だし柳は普段ラケットを握っているので握力はとても強いと思う。
うん、スゲー痛い。
「痛い痛い痛い痛い!!」
「感情の赴くままに行動するからこうなるんだ。」
「俺今孫悟空の気分!これってイメクラ?!痛い痛い痛い!」
「反省しろ。」
「した!スゲー反省した!」
「他の奴にはこんなことをするなよ。」
「絶対にしません!」
言ってからふと違和感を感じた。
「あれ、じゃあ柳にするならいいの?」
「………そういうわけではない。」
「別に本人同士が良ければええじゃろ。ほれ苗字、俺にちゅーしてもええよ。」
「仁王!」柳がまた怒った。今度は仁王に。
「何じゃ?これは俺と苗字の問題じゃろ?」
「……………。」
「なぁ苗字?」
「え、でも仁王とキスなんて絶対嫌だよ気持ち悪い。」
仁王って色んな女のコと日常的にキスをしてそうなので、何となく嫌だ。
他の女のコと間接キスになりそうだし。
「参謀ならええんか?」
「だって柳綺麗だもん。」
「………はー、付き合ってられんわ。」
「すまないな仁王。」
何故か柳が謝った。
仁王はつまらなそうに屋上から出ていった。残された俺と柳は微妙に気まずい。
「柳、もう怒ってない?」
「最初から怒ってなどいないが。」
「嘘つけ!」
あんなに怒ってたのに何なんだよもう。変な奴。
「……苗字、頼むからああいうことは俺以外にはしないでくれ。」
「柳にならいいの?」
「…周りに人がいなければ構わない。」
「うん。わかった。」
基本的に俺は好きじゃないものにキスする習慣はない。…って言うかキスする習慣がそもそも無いけど。
んで俺が好きだと思うのは大体柳だけだから、まぁ大丈夫だろう。
あ、でも弦一郎さんの髪は好きだったなぁ。柳の髪の方が好きだけど。
「柳だけにしかしない。」
「いい子だ。」
ふ、と柳が笑って俺の頭に手を伸ばした。さっきのことを思い出して反射的に身構えたけど、今度はくしゃくしゃと頭を撫でるだけだった。
「俺だけにしておけ。」
柳の手は気持ちいいなぁ、と俺は目を閉じたのである。
END