大きなみずたまり
「…冗談やろ?」
「んなワケあるか、アホ。」
「何で急にそんなことすんねん!」
「急に?自分今まで俺がどんだけ我慢してきたかわかってんのか?」
俺の上に覆いかぶさってくる名前(男)を見て、俺はしまったと思うと同時にわずかな喜びを感じていた。
朝起きたらまずすることは伸び。固まった身体を伸ばすように全身で大きく伸びをする。たまにここで腿や足がつりそうになるのは内緒。
その後首をゴキゴキ左右に振る。肩凝り解消のため。
それから時計を確認、余裕のある時は起き出してから丁寧にコーヒーを淹れる。最近砂糖を入れずミルクだけで飲めるようになった。そのうちブラックで飲めるようになりたい。
トーストはこんがりきつね色。マーガリンよりバターの方が好きなので冷めないうちに塗る。ジャムは季節や気分によって変えているけど、最近好きなのは李のジャム。母親の手作り。
お弁当は既に出来ていることが多いのでありがたく受け取り水筒と共にカバンの中へ。学校まで自転車を飛ばす。
時間がピンチの日はコーヒーとトーストのくだりだけ飛ばしてあとは同じ。
学校についたら適当に友達とおしゃべりを楽しみつつ、HRが始まるのを待つ。
授業は真面目に受ける。学校の勉強は物事を学ぶ姿勢を学ぶ場所だ、と祖父に言われてから授業を大事にすることにしている。
昼休みは母親の作ってくれたお弁当を食べつつ談笑。話題は昨日のテレビとか授業中の先生の小話の出来についてなどなど。
眠気をこらえつつ午後の授業を受け、放課後は生徒会活動。
学校を終えると塾がある日は塾へ行き、普段は寄り道せずに家に帰る。家についたら弁当箱と水筒、朝ごはんの食器は自分で洗い、米研ぎをする。
それから母親が仕事から帰って来るまでに風呂の掃除をし、洗濯物を全て畳んでおく。
母親が作った晩御飯を食べ、風呂に入ってから学校の宿題と塾の予習復習。テレビも話題に乗り遅れないためにチェック。そして日付が変わる前に就寝。
んで、最初に戻る。
これが俺の彼氏である苗字名前(男)の一日だ。
正直に言おう。全ッッッく面白味がない。
つまらん。コイツは何が楽しくて生きてんねん。いまだに心とおなかの底からそう思う。
そんな俺が名前(男)となんで付き合っているのか、それはもちろん名前(男)が超かっこよくて俺の好みの顔だから、それだけだ。
いわゆるチャラいイケメンではなく、男らしくて誠実そうな顔。それに低めの声。健康的な色の肌、…まぁアレだ。婿に来たら100%気に入られそうな男。それが名前(男)だ。
あ、ちなみに俺が名前(男)についてこんなに詳しいのは日ごろの人間観察の賜物である。断じてストーカーではない。
名前(男)を初めて見たとき、もう体中に電気が走ったかと思うくらい劇的に恋に落ちた。一目惚れというものは初めてだったけど、あれは本当に見た瞬間に好きになる。
それからしばらく名前(男)の性格を探り、好きなものを調べ、あたかも偶然のように近づいていった。十分仲良くなったところで少し名前(男)を避けるように行動し、俺のことを気にするように仕向けた。
その後は押して引いての繰り返し。痺れを切らした名前(男)が、お前俺のこと避けてへん?と聞いてきたあたりで告白をした。
「俺、名前(男)のことずっと好きやったんやけど、やっぱ気持ち悪がられたら嫌やなって思ったら避けたほうがええかなって…。せやけど、どうしても好きやから完全に避けられなくて…。」
それでK.O.だ。俺の勝ち。名前(男)は俺のこんな策を知らずに、ただいじらしい片思いをしていただけだと思ったらしい。
それから名前(男)はすっかり俺に夢中である。
しかし、どこでも問題は発生するのだ。男女の仲は難しいが男同士だとさらに難しい。
名前(男)の一日は見ての通り、何の面白味もない。
付き合う前は名前(男)の性格をマジメで誠実でとても良いと思っていたけど、いざ付き合ってみると刺激が足りない。つまらない。
一緒に帰ることは多い。でも俺の家の前まで来たらそこでバイバイ。
寄り道をしたことも、休日にデートをしたこともない。
…あぁ、俺の方からモーションをかけろというご指摘は結構である。
そんなことが出来たら苦労はしない。
名前(男)に告白するにもあれだけ面倒な流れを踏んだ俺だ。
はっきり言おう。俺はへたれだ。
そんな俺が勇気を振り絞って名前(男)を家に呼ぶことに成功した。今日は家族は誰もいない。さすがに名前(男)でもキスの一つくらいしてくるだろうと踏んでいる。
部屋に連れ込み適当に飲み物やらお菓子やらを出してもてなした。俺はベッドの上に座り、名前(男)はその下の床に座っている。
「案外きれいにしてるんやな」
「案外は余計やアホ。俺きれい好きやから」
「ふーん。俺もやけど。」
他愛ない話をしながら確実に距離を縮めていった。
名前(男)は俺を意識しているのが丸わかりで、さっきから所在なさげに俺の口元やら部屋の隅やらあちこち見つめている。つい口角が上がるのを感じながら、それでも気にしていないフリを続けた。
………それなのに。
「………あ、俺そろそろ帰るわ。」
「は?」
「もう親帰ってくる時間やし。」
「いやいや、何言うてんねん。」
俺等恋人同士なんやから、何かそういう触れ合いとか無いんかい。
そう言いかけたところでやめた。俺ががっついてるとは思われたくない。
「俺、ユウジのことめっちゃ好きやから、その…、今もけっこうヤバイんや。」
「ヤバイって、何が?」
「……襲いたいんや。」
「そんなん、」
ここで俺がニヤリとしたのに名前(男)は気付いたか知らないが、とにかく俺は話し続けた。
「したいようにすればええやん。」
そう言った瞬間、世界が反転した。気付いたら天井が視界に入るような体制になっており、名前(男)のドアップがあった。
「……あんなぁ、さっきから煽るようなことせんといて。…いや、さっきっちゅーか前から。」
そして冒頭のやりとりである。
心臓はバクバクしているし、正直ここまでされるとは思ってなかったがそれでもわずかに感じたのは喜びだった。
「………好き、やで。」
「またそうやって…!」
わざと名前(男)を焚き付ける。自分から行動せずに名前(男)を操るのはとても楽しかった。
名前(男)が俺にキスをしてきた。俺等の初めてのキス。慣れていないのか少し歯がぶつかったが、そんなこと気にならないくらい嬉しかった。
…この時は、だ。
少しするとコツを掴んだのかどんどんキスが深くなっていった。
それから俺のYシャツの中に手が入り、腹や腰を撫で回される。
「名前(男)…ッ、」
その性急な動きは今までの名前(男)のものでは無かった。名前(男)の顔は今まで俺が見たことのない表情を浮かべていた。
「名前(男)、ちょお待ち…!」
「黙りぃ。」
また口を塞がれ、涙が滲んだ。
名前(男)が怖い。
名前(男)の手はやがて俺のズボンの中まで下りてきた。
「やめ…、名前(男)、ホンマにやめて!!」
殆ど泣きながらそう言うと名前(男)は動きを止めた。
「あ…、ユウジ……?」
「ホンマに…もう嫌や。名前(男)、怖い。」
ぐずぐず泣きながら情けない声で言う。
名前(男)は俺をきつく抱き締めた。
「…ごめん。ユウジ、ごめんな。」
「…………。」
自分から焚き付けたくせに、いざとなるととても怖い。俺はなんて弱虫なんだと思う。
「…名前(男)は悪くないんや。俺、今まで名前(男)を試したり煽ったりしてばっかやったから…。」
「ん、いや俺が悪いねん。ユウジ、ホンマにすまん。堪忍な、怖かったやろ。」
名前(男)はいつもの優しい顔に戻っていた。
「名前(男)、俺な、名前(男)のことホンマに好きやねん。名前(男)が思ってるより。……名前(男)と仲良くなったのも、全部俺が仕組んだことなんや…。」
懺悔でもするかのように告げると名前(男)は意外な一言を発した。
「うん、知ってたで。」
「…………は?」
「全部知ってたわ。ユウジが色々俺の気ィ惹こうとしてたのも、わざと押して引いてを繰り返してたんも。」
「………何で?!」
「そら、気付くわ。ユウジはいつも俺を見てたんやから。俺は、全部知っててユウジを好きになったんや。」
「う、嘘やん!」
絶対に嘘だ。俺はこの俺の本性を知られた時がこの恋の終わりだと思ってたのに。
「ユウジ、怖がらせてしもて堪忍な。せやけど、俺はいつもそういうことしたいと思ってるし、ユウジが思ってるような真面目な奴やないで。おかんにはいつも怒られてるし、宿題忘れて朝慌ててやることも多いし休日は寝てばっかやし。」
「……ホンマに?」
「ユウジはそんな俺んこと嫌いになったか?」
「な、なるわけないやろ!」
「な?ユウジが俺のホンマの姿知っても嫌いにならへんように、俺もユウジの姿知って嫌いになるわけないから。」
「………。」
「大体、俺はユウジが好きなんやからちょっと見てたらユウジのヘッタクソな駆け引きくらいすぐわかるわ。アホ。」
清々しいまでの笑顔で言われて言い返す気力を失った。
名前(男)はそんな俺を見てまた笑う。
その笑顔は紛れもなく俺が好きになった笑顔で、あぁもうホントに恋愛は難しいと思いながらも俺は何か満たされたものを感じていた。
END