0.5
『あ、あ、好きよ、愛してるわ!』
母親が知らない男の人に跨がっていた。
『愛してるわ、貴方を!世界で一番!』
『へぇ、自分の子供より?』
『あああ、その子の話はしないで頂戴!』
数メートル離れたところに俺がいたことをこの女は果たして知っていたのだろうか。
『あたし名前(男)くんが好き!』
よく話しかけてきてくれる女のコにそう言われた。
『本当?俺のどこが好き?』
『優しいとこ。あと、カッコイイとこ!』
『………そっか。』
『あたしと付き合ってくれる?』
『…ごめんね、俺今誰かと付き合う気無いんだ。』
『え、何でよ!?あたしが好きだって言ってるのに!』
『ごめん。』
『……もういい!アンタなんか所詮顔だけの男じゃない!』
何故か頬をビンタされた。
『名前(男)くんはホントにいい子ね。』
塾の先生にそう言われた。
『そんなことないですって。』
『ううん。先生が見てきた中で一番いい子。カッコイイし、素敵よ。』
『…あの、先生?』
『名前(男)くん、これからすること、秘密に出来るかな?』
『何をするんですか?』
『そうね……、とっても、楽しいこと。』
『………あ……あ、俺いいです!帰ります!!』
ぞくり、と肌が粟立った。本能的に危機を感じてすぐ逃げ出した。
『あたし、名前(男)が好き。』
『透子さん。…ありがとうございます。でも俺、そういうのよくわからなくて、』
『…ねぇ、じゃあ一回あたしと付き合ってみてよ。それでも好きになれないなら諦めるからさ。』
自信満々、といった様子で言われた。多分俺はこの人を好きになれないとわかっていた。でも、もしかしたらこの人なら好きになれるかも、と思って付き合うことにした。
付き合いはじめてから3ヶ月程経ったある日、待ち合わせ場所に行くと数名の女子がいた。
『でも透子って凄いよねー!あの苗字くんと付き合ってるなんて!』
『まーね。』
『ね、今日ホントに待ち合わせしてんの?』
『当たり前じゃん。名前(男)ってあたしの言うこと何でも聞くのよ。』
『とか言って、透子も苗字くん好きなんでしょう?』
『別に……。つまんない男だけど、連れて歩くにはいいからね。』
俺は少しして透子さんと別れた。
俺は所謂男色家である。
物心ついた時から綺麗な顔だと言われることが多かった。自分の顔を今更どうとも思えないけど、俺はどうやら美形に分類されるようだ。
だけどそれを良かったと思ったことは一度もない。俺を好きだという女のコは決まって俺の顔にしか興味がなかった。
アクセサリー、それが俺を表すのにぴったりの言葉だと思う。純粋に綺麗な顔だから好き、と言われるのはまだ良いほうで(綺麗なものが好きだという感覚は人類共通だと思う。…俺のことはさておき。)、大体の子は「綺麗な顔をしている俺」に「愛されている自分」という地位が欲しいだけだ。だから俺は女のコが言う恋とか愛とかが信用出来ない。
だから俺は男が好きなのだ。
……いや、そんなのは後付けだ。多分最初から俺はこういう嗜好だったんだ。
本を読むのが好きだった。本を読んで、出てくる登場人物に思いを馳せているとき、俺は一人じゃないんだと思えた。
この登場人物達に傍にいて欲しいと思った。俺を抱き締めて、俺の苦しみをわかって欲しかった。そう思える登場人物は男ばかりだった。
読んだ本に影響されて、凄くカッコイイというだけの理由で始めた剣道はとても面白かった。剣友会の先生や先輩のようになりたくて必死で練習をした。
俺を構成する世界に女はいらなかった。親しい人はクロとラッさん、それに剣友会の仲間だけで十分だった。
中学生になると同時に両親の離婚が成立し、俺は父親に引き取られ、神奈川に引越した。別に友達が欲しいとも思わなかったし、一人で生きていくことが嫌ではなかったので構わなかった。……まぁ、学年にクロがいたときにはさすがにびっくりしたし嬉しかったけど。
父親は仕事人間でほぼ家に帰って来ない。今も世界中に出張している。だから実質一人暮らしになった。
入ろうと思っていた剣道部は、どうやら保護者会がかなり意欲的(という言い方が適切かはわからないけど)に活動しているらしくて諦めた。
1年の時に(前述した通り)、自分が男が好きであることを再確認してしまった俺は自分から友達を作りたいと思うこともなかったし、わざわざそんな俺と友達になろうとする人もあんまりいなかった。
2年になってクラスの雰囲気もやや変わり、女のコ達がよく話しかけてくるようになった。(クロとは殆ど話さなかった。ラッさんと付き合ってるからあんまり話しちゃ悪いかと思ったし、噂になったらクロが困るから。)
女のコが来るときはいつも集団だったので、逆に一人と仲良くして変な噂が立たないから良かった。
男子にはやはり敬遠されていた。まぁ、俺も自分みたいな奴とはあまり友達になりたくないから仕方ないと思う。
………こうして羅列してみると俺の人生って全く意味が無い気がする。何かに打ち込むわけでも、誰かを愛するわけでもなく、生きているだけだった。
ただ、少しだけ気になる相手がいた。
「でさぁ!あの歌詞がマジで神なんだって!」
「あーハイハイ。何だよそのマイナーなバンド。誰も知らねーっての。」
切原赤也。
もじゃもじゃの髪に気の強そうな顔。かなりのテニスの強豪校らしい立海で唯一の2年レギュラーという凄い肩書きを持つ。が、勉強は苦手らしく前も小テストが凄く悪かったようで先生に呼び出されていた。
彼は周りの人間に愛されていた。先生もクラスメートも何だかんだで彼を放って置けない。僻みなのは百も承知だけど、俺は切原とは絶対に合わないと思っていた。
そんな俺が何で切原を気にかけるようになったのかと言うと、先ほどの会話が原因である。
切原が話しているそのバンドはまだマイナーだが俺も好きなバンドだった。DVDを買い揃えてCDの発売記念のサイン会に行ったこともあるくらい好きなバンドだ。
まさか周りに知ってる人がいるとは思わなかった。………話をしてみたいな、とぼんやり思った。
いくら俺が男が好きでも男なら誰だって良いというわけじゃないので、そのときは純粋に切原と友達になってみたかった。
そんなことを思うのは久しぶりなので何だかくすぐったかった。
それから少し経ったある日。
いつものように昼休みは図書室へ行き、始業時間前に教室に戻ってきた。
午後の授業は古典で、昨日遅くまで本を読んでいたせいか少しうたた寝をしてしまった。
次の数学は寝ないようにしないと、と思いながらテキストの準備をしていると、女のコ達が話しかけてきた。
「……あのさ、苗字くん。ちょっと良い?」
「うん大丈夫。どうしたの?」
「あの…、あの辺に座ってる男子達いるじゃん?切原とか鮎川とか。」
「うん。」
「そいつ等がね、昼休みにトランプでゲームしてて、その…罰ゲーム有りにしようぜってなったんだけどね。」
「…うん。」
「……その罰ゲームが、苗字くんと仲良くなれっていうのなんだ。」
「え、俺と?」
俺罰ゲームかよ。そんなに嫌われてたのか、と少しショックを受けた。
「あ、苗字くんが嫌われてるってわけじゃないんだけど…何て言うか、気をつけてね!」
「そっか。わざわざありがとう。」
あまり男子に好かれていないのはわかっていたけど、さすがに少し傷ついた。
数学は寝ないで受けたけど、あまり集中出来たとは言えなかった。
SHRが終わって、誰かに声をかけられないうちにすぐに下駄箱に向かった。
靴を取り出していると、後ろから誰かの足音がした。
「お、おい!」
聞こえなかったふりをして帰ろうとしたのだが、
「お前だよ苗字!!」
名前を呼ばれてしまったので仕方なく振り返った。
そこに立っていたのは、切原赤也だった。
END