おろかなおんな
跡部景吾/彼女視点ダーク
わたしは彼と別れた。
彼は退屈な男だった。
いつでもわたしが一番大切だと言って、お姫様のように扱ってくれた。
わたしがどんな我が儘を言っても叶えようと努力してくれたし、わたしが誰かと浮気をしたと知っても責めなかった。
わたしはひどい事をしても、彼は困ったように微笑んでいるだけだった。
友人は理解ある彼氏で羨ましいと言っていたが、わたしは彼が段々と憎くなっていった。
彼はわたしを見ていない。
わたしが一番大切だと言いながら、彼はいつも違うものを見つめていた。
視線の先には跡部景吾がいた。
跡部景吾は、彼の幼馴染だという。
ううん、違う。
跡部景吾が彼に向ける眼差しは幼馴染に向けるそれとは違う。
熱がこもった視線。
焼けつくような強い視線。
あぁ、跡部景吾は、彼を愛しているのだ。
時折、その視線はわたしへ向いた。
射殺さんばかりの、殺意と共に。
背筋が寒くなり、どうしようもなくゾクゾクした。
彼はわたしが憎いだろう。
嫉妬でわたしを殺すかもしれない。
わたしはその時、本気でそう思ったのだ。
わたしは跡部景吾に憧れていたので、その眼差しにひどく優越感を得た。
わたしの性格がひどく歪んでいるせいもあるが、憧れの存在がわたしに嫉妬しているというのはなかなか興奮するものだった。
『なぁ、お前、アイツの彼女だろ?』
『アイツのどこがいいんだよ。』
『アイツなんかやめて、俺にしねぇ?』
彼はわたしを口説きはじめた。
熱っぽい目でわたしを見つめ、うっとりするような甘い言葉をかけてくる。
仮初めだとわかっていたが、それでもいいと思ったのだ。
彼の言葉に頷き、彼の望む行為をした。
彼はわたしに好きだと言った。
わたしも好きよと言った。
彼が見ているのはわたしではないとわかっていたのに。
その時の跡部景吾の嬉しそうな顔をはっきりと覚えている。
彼には別れを告げた。
彼はあっさり承諾した。
ごめんね、と何故か言われた。
もしかしたら、彼はこうなることがわかっていたのかもしれない。
…もう、確かめようがないけど。
だってこの人とこれ以上一緒にいるのに耐えられなさそうだったから。
わたしは跡部景吾のところへ行き、彼と別れたと言った。
跡部景吾はそうか、じゃあもうお前に用は無いから帰れと言った。
わたしはそう、わかったと言った。
彼は少し驚いて、わたしを呼び止めた。
「…お前は、何を考えている?」
「何も。」
「嘘をつくな。アイツと別れたのは何故だ。」
「わからないわ。」
そう、本当にわからないのだ。
彼といるのは耐え難いと思った。
苦しかったのだ。
そしてそれ以上に、期待したのかもしれない。跡部景吾と付き合えるなんてこと、あるわけがないのに。
「……アイツは俺のモノだ。」
「ずいぶん子供っぽいこと言うのね?」
バカにされたと思ったらしく、跡部景吾は思いきり机を蹴り倒した。
わたしは彼が好きだったのだろう。
止めて欲しかったのかもしれない。
嫉妬して欲しかったのかもしれない。
彼を愛したかったのに、彼はそれを許してはくれなかった。
それは、彼が愛されることを恐れていたから。
「跡部様、彼に愛されるにはどうしたらいいか教えてあげましょうか?」
「……何だ。」
不機嫌なまま、わたしにそう問いかけてくる。
それは、彼がわたしを愛していた事を知っている証拠。
わたしはニッコリと微笑んだ。
「彼を、愛さなければいいんですよ。」
跡部景吾は眉間に皺を寄せて、考え込んだ。
難儀な人。
哀しい人。
「難しかったですか?どういう意味かわかって?」
「てめぇには関係ねぇよ。」
「あら、つれないんですね。」
答えが聞きたくなったらいつでも呼んだらいいわ。そしたら、彼は貴方を愛してくれるかもしれない。
決して鳴らないであろう携帯電話の番号を彼に教えると、そのまま帰った。
わたしは明日も明後日も、鳴らない携帯電話を握りしめているのだろう。
だって、わたしは、おろかなおんな。
End
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