暖かく冷たい君
千歳千里/女主
side boy
何であんな女と付き合っているんだと聞かれたことは数知れず。俺が付き合っている苗字名前(女)は、有名なワガママ女だ。
でも俺は彼女をワガママだとは思わない。彼女の言うことは(別れたい以外は)全て聞くようにしていた。それが幸せだから。
俺の初恋の人は人ではない。美しい人形だ。彼女はその人形の生き写しだ。だから俺は彼女が好きだ。 彼女が世界で一番美しいと思う。
彼女を傷つける時も顔だけは絶対に傷つけない。そんなことをして痕が残ったらどうするんだ。
しかし、俺はどうやら異常な考え方をしているらしい。
「な、なぁ千歳。自分の彼女の話なんやけど、ええか?」
「よかよ、何ね?」
「その、腕にたくさん痣があったんやけど…。」
「そいが何?」
「千歳にやられたって言うてたんや。ホンマにそうなん?」
「あぁ。」
「?!やって、振り回されとるのは自分やん、何で千歳が彼女殴るん?!」
「振り回されとる…?そんなことなかよ。」
周りは勝手に名前(女)が俺を振り回していると思い込んでいるが、別にそんなことはない。むしろ俺が名前(女)を振り回しているくらいだ。
俺から言わせれば、周りがおかしいと思う。名前(女)は美しい。俺は名前(女)が好きだ。だから、彼女の望みを叶えているだけ。それなのに周りは彼女を否定する。
「…とにかく、千歳。俺は自分が苗字と付き合うのは反対や。やけど、女のコに手ェ挙げるのは良くない。」
「なして?」
「……何ででも!」
「だけん、顔は傷付けてなかよ。名前(女)は綺麗やけん。」
「余計タチ悪いわ。自分、それで幸せなん?」
名前(女)が俺と別れたいって言うから殴っただけだ。俺は別れたくないんだから。別れたくないと言っても聞かないならば、力を行使するしかないと思う。
幸せか幸せでないかと聞かれたら、間違いなく俺は幸せだ。
「じゃあ、苗字は幸せやと思うか?」
名前(女)が幸せかどうか。そう言えば考えたこともなかった。名前(女)が笑った顔を思い出そうとして驚いた。俺が思い出せる名前(女)の顔は、無表情か、薄く微笑んでいるか、何かに耐えるように歯を食いしばっている表情のどれかだったからだ。
笑ったり、泣いたり、怒ったりが無い。喜怒哀楽が全く無い表情しか思い出せない。
いや、付き合う前の名前(女)はよく笑っていた。名前(女)は口を大きく開けて笑う癖があった。屈託の無い笑顔は魅力的だった。しかし俺の恋した人形は当然ながら表情が無かった。だから名前(女)に表情をあらわすことをさせなかった。
名前(女)は俺の前で泣いたことがある。何度か怒ったこともある。それも前のことだ。
名前(女)が幸せかどうか。不幸に決まっている。全て俺のせいだ。
「いや…、」
「彼女を不幸にするくらいなら、解放したり。」
あんま男女の問題に口を挟むべきじゃないってわかっとるんやけどな。堪忍な。
白石はそう言って部室を出て行った。
今日は名前(女)は教室で待っていると言っていたので教室に向かうと、中から話し声が聞こえた。
また誰かに文句を言われているのか、と思って中を覗くとそこには名前(女)しかいなかった。どうやら電話をしているらしい。
「うん、今度の週末はそっちに行くからさ!高校の下見したいし!うん、たぶん午後になるけど、会えそう?アハハッ、超楽しみ。うんうん。」
…笑っている。俺の前で見せるあの笑顔ではなく、名前(女)の本来の笑い方で。
その笑顔を見たときに、俺の中で何かが弾けた。
『高校の下見』ってどういうことだ。名前(女)はずっとこっちにいるんじゃないのか。
ガラッと教室のドアを開けると、名前(女)は驚いたような顔を一瞬だけした。しかしいつもの表情にすぐ戻ってしまった。
「…あ、じゃあそろそろ切るね。バイバイ。」
電話を切ると、立ち上がって俺の傍に来た。薄く微笑んでいるその顔は、間違いなく俺が好きだと言った表情だった。それなのに俺はさっきの笑顔が頭に焼き付いて離れなかった。
「高校の下見って、何?」
「…あたし、高校は東京にしようと思ってるんです。」
「なして?」
「……。」
聞いても名前(女)は何も答えなかった。名前(女)は困ると黙り込む癖がある。
「まぁ、それでもよかよ。…ばってん、俺から逃げられるとは思わんことやね。」
そう言おうとした。そこで白石の言葉が頭をよぎった。
『不幸にするくらいなら、開放したり。』
「…ッ、」
先ほどまでの名前(女)の笑顔と、俺といるときの名前(女)の顔が交互に頭に浮かぶ。
東京に戻れば、名前(女)はまたあの笑顔で笑うんだろう。
「…よかよ。」
「え?」
「名前(女)のしたいようにすれば、よかよ。」
顔を上げた名前(女)は驚き半分、悲しみ半分といった顔で俺を見ていた。
「何ねその顔。俺から解放されるん、嬉しくなかね?」
名前(女)は首を横に振った。それは肯定なのか否定なのか。
「先輩、」
「ん?」
「あたしと、あの人形、どっちが好きですか。」
その質問は、前に聞かれたことがある。付き合ってすぐの頃だ。そのときの俺は全く迷わず人形のほうが好きだと答えた。名前(女)が泣き出したとき、俺はそれを鬱陶しくさえ思った。
今だって人形のほうが好きなはずだ。名前(女)がいくら彼女に似ているからといって、彼女そのものではないのだから、本物のほうがいいに決まっているのに。
それなのに、浮かぶのは付き合う前の名前(女)の表情ばかりだった。忘れたことのない人形の顔がぼやける。
「…名前(女)。」
そう答えると、名前(女)はボロボロと泣き出した。あの時のような煩わしさは感じなかった。むしろ、どうにかして泣き止ませなければとそればかり考えた。
「…す、みませ、…」
慌てて泣くのをやめようとする名前(女)を見て、思わず抱きしめていた。
名前(女)は暖かかった。生きているのだから当然だ。
「…止めなくてよか。」
名前(女)が好きだと思った。
名前(女)は俺の言葉を聞いてもっと泣き出した。
名前(女)が泣き止んだら、とにかく何度も何度も謝ろう。それから、傍に居てほしいと頼み込んで、もし無理なら俺も東京に行こう。
「先輩、苦しい。」
力を緩めると、まだ泣き続けている名前(女)の表情が目に入った。
俺と目が合うと、名前(女)は泣きながら笑った。
「罰として、今日は全部あたしの言うとおり行動してくださいね。」
「もちろん。」
俺は異常だ。そんなことはとっくに理解している。
それでも、そんな俺でも名前(女)が一緒にいてくれるというなら、何かが変われる気がした。
名前(女)がまた俺の傍で笑ってくれるというなら、何でもしようと思った。
END