微睡みの旋律


 昼を食ったら眠くなったので、乱雑極まりない教室を出た……ところで、クラス一のお調子者に捕まった。いい加減その蛍光グリーンの頭をやめろ。目が痛ぇ。
 いくら俺でも、こんな頭にゃしたことがない。つうか、よくそんな色があったもんだ。

「アヤちゃんどこ行くん?」

 関西弁なんだか何なんだか、よくわからない言語でこいつは話す。
 つーか、だからアヤちゃんは止めろって言ってんだろ。

「寝る」
「また、あこ? よぉ近寄れんなー、根城なんぞに」
「人が来なくていいんだよ」
「ま、確かにな。アヤちゃんやったら近寄ってもへいきじゃろーし。ほんじゃ、おやすみ〜」

 馴れ馴れしく頭を撫でてくる手をたたき落として(抗議されたが無視をした)、派手頭に背を向ける。
 "近寄ってもへいき"というのは、親衛隊を指している。下手に特別棟に近づくと、特に天官府の親衛隊が煩いのだ。湿っぽい嫌がらせに始まり、度が過ぎればリンチなんてこともザラだ。輪姦もある。所謂不良組のFに喧嘩売るほど、奴らも馬鹿じゃないようだが。
 奴らは秩序と天吏(天夏秋幹部のことだ)の平和を護るのだと憚らないが、それを自分で乱しているとは思っていない。……つうか、親衛隊なんて組織を作ること自体が秩序を乱している訳だが。
 人気の生徒を護るなんざ、近衛軍に任せときゃあいいのだ。あいつらは全員運動部員で半数以上が剣道部だから、取り敢えずは頼りになる。

(……って、普通は近衛軍知らないんだっけか)

 近衛軍はほぼ、イコール剣道部だから、一応存在を伏せてあるらしい。
 まあ確かに、近衛軍かもって奴が傍に居たら近寄り難いかもな。夏官府は親衛隊とちがって、対象の人間関係も考慮しているようだ。親衛隊は友人をつくる邪魔しかしない(それが本人のためだと思ってるからタチが悪い)。
 近衛軍の存在を知っているのは当人達と天吏たち、それと――天吏の狗。一般委員ではなく、天吏それぞれが個人的に拾って育てた密偵たちだ。各クラスに一人は狗が存在している。……そう、天吏嫌いのFにさえ。

(……にしても、視線ウゼエ)

 C以下はともかく、Fを普段見下してるAやらBの下衆な視線が本気で鬱陶しい。中庭から特別棟に行こうと思ったが、昼時のせいで人が多い。中庭はやめよう。
 昇降口から出て寮に帰ると見せかけて、校舎西の脇から特別棟に向かう。このまま直進すれば、いつも寝てるベンチが見えてくる。
 今日もどっからか入ってきた猫たちが、あの辺でひなたぼっこしてるだろう。あそこは、意外と日向になることが多いのだ。
 人が来ないという以上に、それで俺はあそこを気に入っている。

「……え」

 特別教室棟の階段に人の姿が見えないのを確認してベンチへ向かうと、驚いたことに先客がいた。
 そいつは仰向けに寝ていて、その腹の上で子猫が寝ている。あまりのかわいさに和みかけたが、寝ている先客の顔を見て俺は更に驚いた。心臓が止まるかと思うほど。

「つ、じもと」

 D組の、まったく目立たない平凡な生徒だった。辻本夕陽――意識して探さなければ、存在そのものに気付けない奴。

「なん、で、辻本が、」

 辻本は、夕陽は、己が個として認識されるようなことはしないはずなのに、どうして特別棟に近づいてるんだ! こんなとこで寝てるのを見られちゃあ、確実に夕陽は認識されてしまうのに!
 予想だにしていなかった人物の存在に、後ずさって、口を押さえる。
 まさか、こんな近くで見るとは、思ってなかった。近寄るつもりだってなかった、だって下手に近づいちゃあ、夕陽に迷惑だとわかっていたから。
 夕陽の腹の上で寝ていたチビが起きだして伸びをする。そして俺を見てみいと鳴いたので、ベンチの前に膝をついて静かにしろ、と鼻を指で軽く押す。
 チビは夕陽の腹から飛び降りて、俺のまわりをうろうろする。ああ畜生かわいい。夕陽が寝てなきゃ思い切り可愛がってやるのに。
 すいと手を伸ばして、夕陽の顔にかかる髪を退けてやる。

「……やっぱ、フツーだよな」

 とびきり綺麗でも、かわいいでもない。目は少し大きめだったと思うが、それだけだ。
 見惚れるような、顔じゃない。

「でも……すきなんだよな」

 なのに、俺は夕陽から目が離せない。
 顔のことを言っていても、俺が夕陽を好きなのは見た目のことじゃないと、俺は自覚している。
 俺は夕陽の、そこにいるのに存在していないような、まぼろしじみた空気にやられてしまったのだ。そしてそんな空気を出せてしまう、夕陽自身に。
 夕陽を初めて見たのがいつかは、わからない。多分夕陽に気付く以前から見たことはあると思うから。こいつは人の視界に入れども、意識に入らずにいることがうまいんだ。
 夕陽に気付けたのは本当に偶然のことだ。たまたま夕陽の存在に気付いて、それがなければ俺は、ここで気持ち良さげに寝息を立てる夕陽に機嫌を損ねていただろう。
 ……いや、でも、チビが腹で寝るほど懐いていたから、気にかける程度はしたかもしれないけど……。
 気付いてからは約五年。意識して探し続けてきたけれど、夕陽のことはほとんど知らない。名前を知ったのだって中等部に入ってからだ。
 知っているのは名前と、同い年なことと、いつも一人でいること、まわりに個として認識されないように動いていることくらいだ。中二のなかばあたりから、それは徹底されだしたように思う。何かあってのことなのかは、もちろん知らない。

「ゆうひ」

 多い被さるように顔を近づけて、心中でずっと呼んでいた名前を聲にする。
 夕陽、と声に出しただけで、からだが熱くなって、目の前の、確かに存在している"個"がいとおしくてたまらなくなる。今の俺は、多分耳まで赤いだろう。

「すきだ、夕陽」

 熟睡してる相手に、真っ赤ンなって囁くというのは、すっげえカッコつかない告白だけれど、言わずにはいられなかった。
 聞いてなくて良いんだ。夕陽にしてみれば俺は名前も、もしかしたら存在も知らないような奴だから、聞いてたら夕陽はきっと困る。
 本当は、夕陽の起きてる時に話して、抱きしめて、キスをしたい。……あと、あわよくば、その……セックスしたい。
 触れるだけのキスをしようと夕陽の唇に自分のそれを近づけて――

「新治」
「――ッ!!!」

 結構な上方から低い聲が降ってきて、大きく身体を震わした。慌てて夕陽から離れて聲のしたほうを見上げると、

「う、あ、遊馬、センパイ」

 夏官長大司馬にして生徒会会計の遊馬正之助(せいのすけ)センパイが、三階の廊下からこちらを見下ろしていた。

「手伝いを頼めるか」

 俺の行動を見ていただろうに、センパイは気にした風もなくさらりと言う。
 そんなに大きな声でないのに、遊馬センパイの聲はしっかり聞こえる。良く通る声というのか。

「な、なにを?」
「……一応、仕事だ」
「ケータが空回ってだめにしたンだよ、先輩の苦労の結晶」
「東条」

 しゃんとした立ち姿の遊馬センパイの後ろから、ひょこりと副会長の東条が顔を出した。東条は御三家の一人で、中等部では秋官だった。あいつは現理事長の実弟だったりする。
 ケータというのは書記の巽(たつみ)のことだろう。

「……すぐ、いきます」
「ああ」

 遊馬センパイは窓を閉めて、東条と生徒会室へ戻っていく。去り際、東条がにやりと唇を歪めたのが、ひっ……じょーに気になった。
 東条はあまり笑わない。というか表情が変わらないので、ああも分かりやすく表情を作るのは珍しいことだ。……なんか、嫌な予感がする。
 すごい悪い顔だった。何か碌でもないことをさせられそうだ。茫然自失に陥っているとチビが俺の膝に前脚をかけてみいと鳴いた。我に返る。

「……チビ助、辻本を起こしてやんな。もうすぐ昼も終わる」

 このチビは人の言葉を理解しているようで、俺が言うや一鳴きしてベンチに飛び乗り夕陽の頬をふにふにし始めた。
 ッ……かわっ……!
 ふにふにするチビとふにふにされる夕陽の、あまりの可愛さについぞ身悶える。

「ん……」
「あ、やべっ」

 悶えていたら夕陽が幽かに呻いたので、慌てて特別棟のドアの前へ向かった。近くに誰もいないのを確認し、ドアの脇にあるリーダーにカードキーを通す。小さな電子音のあと、鍵の開く音がしてから、俺はすぐに特別棟へ入り込んだ。
 特別棟の入り口は生徒の無断侵入を防ぐために、権利を持たないカードでは解錠できない鍵がかけられてある。これは一般生徒の白や冬官(イベント実行委員幹部)の灰色のカードじゃあ解除出来ない。
 ここの鍵を開けられるのは、天吏の金・青・淡黄か、地官と春官(教師)の青竹の一部か、理事長の黒いカードくらいだ。多いようにも聞こえるが、全校生徒の割合からすると、かなり少ない。
 俺のカードはもちろん、白い。"表向き"一般生徒なのだから、まさか青を持っている訳にもいかない。そもそもFだから、夏官のカードなんて持ってたらどうなることか。

「来たな」
「……ども」

 その白いカードでどうして特別棟の鍵を開けられるかといえば、そりゃあ、俺が天吏のうち、夏官の狗だからだ。密偵のカードは色こそ変わらないが、解錠の権限が付加される。だから、俺たち密偵はここに入れるのだ。
 生徒会室の無駄にデカい扉を開けるや遊馬センパイに手招きされる。その隣では、巽が椅子の上に体育座りでじめじめしていた。
 ……つか、なにこの汚ぇ部屋……。書類は散らばり放題だし、何かコーヒー臭染み付いてね?

「なにがどうでこうなったンすか」
「引き継ぎが総て終わって張り切った啓太(けいた)が、柏木にコーヒーを頼まれ喜び勇んで全員分持ってきたは良いが、机の足に躓いて全部ぶちまけた」

 淡々と言うセンパイに、書記の席でキノコ生やしてる巽がびくりとふるえた。ちなみに柏木ってのは御三家の一人で、生徒会長のことだ。すっげえフリーダム。
 ……良く見たらセンパイのパソコン、本体がほんのりコーヒー……。

「俺はこの惨状を片付けりゃいいわけですね」
「頼む」

 それでセンパイは「一応」と言った訳か。
 ――俺が遊馬センパイに拾われて密偵になったのは中一の冬のことだ。まだ幼くて完璧ネコ顔だった俺は三年だかに襲われかけた。それを遊馬センパイに助けられたのが切っ掛けだった。
 当時センパイは近衛軍で、俺の護衛(というと何か俺が情けねえ)を担当してたらしい。俺を見てて、センパイはどういうわけか密偵に良さそうだと思ったようで、恩を売るような形で(しかしそれをセンパイは詫びた)俺に話を持ちかけたのだ。
 話を受けたのは、恩を返したかったのもある。けれどそれ以上に、俺は遊馬正之助という男に惚れているのだ。俺なんかを見込んで、頭まで下げてくれたこの人のためなら、と。
 普通年下に頭下げて頼み込むなんてなかなか出来たもんじゃない。妙なプライドだけは一人前な奴が多いこの学校なら尚更のこと。センパイはそれを事も無げにしてみせたのだ。あの時のセンパイは、男として最高にカッコ良かった。
 だから俺は、この人のためなら危険なんて厭わない。
 まあ、密偵といっても何か怪しい動きがあれば報告する程度のこと。俺の場合、天吏嫌いのFにいるから危険度が跳ね上がってるだけで。さて、バレた時が恐ろしいもんだ。特にあの派手頭。

「俺も片す……」
「や、巽は座ってろ。そして仕事しろ。……この惨状作り出したてめえに手伝わすってえと、何か嫌な予感しかしねー」
「な、なんだとう! くそ、新治なんでV系なくせして家庭的なの!」
「意味わかんねーし。あと東条、こっちみんな」
「見てねーよ」
「嘘付けガン見じゃねえか! すっげニヤニヤしやがって、何でこういう時だけめちゃめちゃ顔に出すんだよてめえ!」
「ふふん。ところで新治、"アレ"、辻本……だよなぁ」

 やっぱ見られてた……。
 つか東条、何で夕陽のこと知ってんだ畜生。
 あれってどれだよ、とはぐらかしたが、今の俺は羞恥で顔が赤いだろうから意味がない。

「ま、誤摩化すならそれでもいいけどな」
「何だよ」
「別にぃ?」
「……!」

 なにこいつすっげー腹立つ!!!
 更に突っ掛かろうとしたところに、コーヒーを入れ直していたらしい柏木センパイが戻ってきたので、大人しく片付けに取りかかった。あの人まで参戦されたら洗いざらい吐かされること間違いなし、ンなことまっぴらだっての。
 五分くらい過ぎてから、かすかにチャイムが聞こえた。時計を見ると、今のは五限の予鈴だとわかる。
 夕陽は、なにごともなく教室に戻れたろうか。

title:Swimmy
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